エピローグ
「や、蓮きゅん、お元気~?」
「蓮、調子はどうだい?」
俺の病室に入ってきたのは、茉莉と梗介だった。
「ぼちぼちだな。まだ松葉杖有りでもまともに歩けないが」
「まあ、三か月も寝たきりじゃあね。一か月で半分の筋肉が落ちるなんて言うし」
「一応、一月くらいリハビリした後、退院出来るそうだ」
「おぉ~! そん時はパーティーしないとね、退院パーティー」
二人は来客用の椅子に座る。どうやら学校帰りらしい。
どちらも放課後は忙しいだろうに、時間を空けてわざわざ来てくれたのだろう。
「にしても、まさか身近に夢攫いに遭う人が出ようとはねぇ。蓮きゅん、白樹様に何か罰当たりなことでもした?」
「俺はお前の仕業じゃないかと疑ってるんだが」
「ちちち違うよ!? あたし、そんなこと出来ないからっ! ほんと! 信じて!」
俺が本気で疑っていると思ったのか、慌てた茉莉は必死に縋りついてくる。そんな姿がおかしくて俺は吹き出す。
「冗談だ」
「もう! それ、あたしに関しては冗談にならないんだってば! またそのことで陰口叩かれたらどうすんの!?」
茉莉はぷんすかと眉を吊り上げて怒る。小学校時代を思い出したのだろう。
「その時は俺が言ってやるさ。むしろ茉莉の力で目を覚ました、ってな」
「ああいやそれはそれで何だか色々な誤解を生みような気が……逆白雪姫的なことをしたように思われそうというか……」
理由は良く分からないが、今度は赤くなった頬に両手を当て、くねくねと身体を動かす。忙しない奴だ。
「白雪姫? グリム童話か。確か運んでいる棺が揺れた衝撃で、白雪姫は喉に詰まっていた林檎の欠片を吐き出し、息を吹き返すんだったな」
「え、そうなん?」
茉莉はピタッと静止し、キョトンとした顔となる。
「ああ、そうだったはず」
俺も読んだのは昔だが、死体でも構わない、と王子が白雪姫を貰っていくのはクレイジーだなと思った覚えがある。
「しかし、それが何か関係あるのか? 昏睡状態の俺をぶん殴って起こした、とでも思われるのか?」
「……い、いやいや、ないないっ! はい、この話はここまで! 忘れろッ!」
「そ、そうか……」
俺は先程からの茉莉の反応の意味をまるで理解出来ていないが、当人が忘れろと言うのだから気にしないことにする。
「そう言えば、蓮。剛三さんや樫田さん、園長先生はもう来たかい?」
梗介の問いに俺は首を横に振った。
「お前らが最初だ」
「あの人達も良く見舞いに来てくれてたんだよ。子供達からの手紙とかあっただろ?」
「ああ」
数日前に目覚めた後、検査が落ち着いてから看護師に色々なものを渡された。
また、樫田さんや園長先生も定期的に訪れては花瓶の花を変えてくれていたらしい。
「また退院したらお返ししないとね」
「そうだな。今のままだと俺が世話される側になりそうだが」
「言ってくれればおれが付き添うさ」
「助かる」
家族を亡くした俺は自暴自棄になっていた。俺には何も残されていないと思った。
その結果、白樹様に願ってしまった。家族と共にいられる幸せな夢に溺れて死ぬことを。
そこで何があったかを覚えているわけではない。
しかし、こうして目覚めてから実感したことがある。
茉莉に梗介、俺が手伝っていた施設の人達、親戚、その他にも見舞いに来てくれた町の人達。
俺のことを想って祈ってくれた人がこんなにもいる。
そこには確かに俺が生きた証が刻まれている。これまでの人生で繋いだ縁がある。
なら、それらを放り出して自分の為だけに夢の世界に逃げ込むようなことはあってはならない。彼らの想いを無下になんてしたくはない。
そんな風に思える今は不思議と気分が落ち着いていた。
家族を失った悲しみは今も胸中に残っている。
けれど、その悲しみを背負って生きていこう。消化するには時間が掛かるかも知れない。
それでも、そんな俺を支えてくれる人たちがいるから。
茉莉はふと思い出したように言う。
「そう言えば、あたし達のクラスに転校生が来たんだよ」
「……楓香か」
俺はそう呟くと、胸が温かくなるのを感じた。
「およ? 知ってたんだ。もしかして来た?」
「いいや。ただ何となく、な」
「二人って昔、一緒に遊んでたよね」
「ああ」
「そう思って誘ってみたんだけど、断られちゃってさ」
「そうか」
茉莉の話を聞いても、別に思うことはなかった。ただ、一つの決意をする。
「そろそろお暇しようか」
「そだね。あまり長居しても良くないし」
梗介の言葉に茉莉は頷き、二人は立ち上がった。
出て行こうとしたところを俺は呼び止める。
「もし……もし俺が部活を作りたいって言ったら、手伝ってくれるか?」
振り返った二人は、互いに視線を交わした後、こちらを向いて答える。
「もちろん。おれが使える権限をフルに使って押し通すよ」
「白樹神社が協賛してもいいよん。……そしたら参拝客もうはうは」
具体的な内容も言っていないのに、二人は朗らかに頷いてくれる。
若干一名、私欲を漏らしているが。
「ありがとう、茉莉、梗介」
二人が俺の友達で良かった。俺は心の底からそう感じた。
目覚めてから約一月後。俺は退院した。
リハビリを頑張った甲斐があり、松葉杖なしでも歩くくらいは出来るようになっていた。
駅前にある病院だった為、家までは徒歩十五分。今はペースを落として歩くとしても二十分程度で着くだろう。
普通は退院直後なんて車で送ってもらうとか、タクシーやバスを使うとかすべきなのだろうけど、俺は自分の足で行くことを選んだ。
自分の力で辿り着きたいと思った。
何なら今日退院することも誰にも伝えていない。知っているのは病院の手続きやらをしてくれた親戚くらいだ。帰ったら各所に連絡しておこうとは思う。
病院から出ると、道路の固さが足元から伝わってくる。久しぶりの感覚だった。
俺は一歩一歩を踏み締めるようにして歩いていく。目に映るものがどれも新鮮に思えた。
世間はすっかり秋めいていた。
俺の記憶の中では生命力に溢れていた木々の青葉が、今は赤く染まりゆく様相を見せている。
空も秋晴れというように気持ちの良い蒼穹を描いていた。じきに日が暮れる頃には鳥達が飛び立っていくのが良く見えるだろう。
「秋は夕暮れ、か」
ふと枕草子の一文を思い出し、感覚が受け取る世界をじっくりと味わっていく。
そんな風にしていると、家までの道程も何ら苦ではなかった。
とは言え、到着する頃にはすっかり汗ばんでいた。やはり体力の衰えを如実に感じる。
しかし、ここで立ち止まるわけにはいかない。
俺の目的地は家ではなかった。その更に向こう側にある場所。
一息つくと、再び歩き始める。
だが、身体の限界が着実に近づいてきているようだった。息が荒くなっていく。流石にその状態は人目に付いた。大丈夫か、と声を掛けられることもあった。
それでも俺は進み続けた。一歩ずつでも進んでいけば、必ず辿り着けると信じて。
空が赤らんできた頃、俺は目的の場所に辿り着く。
そこは、公園だ。
商店街までの通り道にある、七年前の初夏は毎日のように訪れていた、あの公園。
俺は一度立ち止まると、可能な限り息を整えた。
身体がボロボロなのは気づかれたくない。
そうして、ペンキの剥げたベンチに座る、まだこちらに気づいていない様子の相手に、声を掛ける。
まるで七年前を再現しようとするかのように。
「そこで何をしてるんだ?」
「えっ……」
制服姿の彼女はビクッと肩を震わせ、こちらを見る。
「蓮、ちゃん……?」
「やっぱりここにいたな」
「っ……!」
俺が近寄ろうとすると、楓香は脱兎の如く走り去った。
一瞬、呆然とするも、すぐに追いかけようとする。
「なっ……待てっ!」
俺はこけた。ここに来るまでの疲れで膝が笑っており、とても走ることが出来るような状態ではなかった。
情けない。しかし、諦めてたまるものか。
「ぬぐぐっ……!」
俺は這ってでも前に進もうと、両手に力を入れる。
と、そこで振り返って誰もいないことに気がついたのか、恐る恐ると様子を見る楓香と目が合う。
こちらの状態に気がついた彼女はすぐに駆け寄ってきた。
「だ、大丈夫っ!?」
「大丈夫……と言いたいが、一人で立ち上がれそうにないな」
俺は楓香の手を借りて何とかベンチに座った。
脱力して、少しぼんやりとする。
その間に彼女は飲み物を買ってきてくれた。手渡してきたのは、マックスコーヒー。
俺はその意図について悩むが、身体にカロリーが必要な今はちょうど良いのかも知れない、と前向きに捉えることにした。
「ありがとう」
「……うん」
俺は礼を言って受け取ると、口を付けた。甘い。とてつもなく甘い。
だが、全身に染み込んでいくような感覚を得た。
楓香も隣でもう一つ買ったマックスコーヒーに口を付けていた。俺達はほっと一息を吐く。
「どうしてそんな身体で無茶を……」
「誰かさんが見舞いに来てくれないからな」
「はうっ……」
「七年ぶりだってのに、薄情なもんだ」
「にゅむっ……」
「なら、俺から会いに行くしかないと思った」
「……ごめん」
「いいさ」
入院中、色々なことを考えた。話したいことがたくさんある。
けれど、いざ口にしようと思えば、上手く言葉としてまとまってはくれなかった。
「ありがとう、楓香。助けに来てくれて」
「……ううん。きっと、蓮ちゃんが自分で助かったんだよ。私は何もしてないと思う」
「そんなことはない。何があったか記憶としてはなくても、この心が覚えている。俺は楓香がいなきゃどこにも行けなくなっていたよ」
「そっか……そうだと嬉しいな」
まるで七年前のやり直しだ。俺と楓香の立場だけ交代して。
しかし、ここから先は未知となる。
俺は楓香に伝えなければならないことがあった。
「どうして逃げたんだ?」
「……蓮ちゃんは、私のことなんて忘れてるかもしれないって思って。覚えていても昔のようにはいられないかも、って思って。会うのが怖かった。私が一方的にしたことだから」
「そうか」
誰かのことを想って何かをする。それは確かにとても怖いことだ。
なぜなら、相手はそれを望んでいないかも知れない。自分勝手な押し付けになってしまうかも知れない。
そうだと知ってしまうことを恐れる心情は理解できた。
だからこそ、俺は伝える必要がある。この魂に刻み込まれた想いを。
もはやそれを言葉にすることに何の迷いもなかった。
「楓香、好きだ。俺はお前のことを誰より愛おしいと思っている」
楓香は頬を紅潮させ、震える唇で呟く。
「そんなの、おかしいよ。私達、七年ぶりに会ったばかりなのに」
「そうだな。でも、好きなんだ」
「勘違いだよ。騙されてる」
「勘違いでも、騙されていても、構わない。それくらい好きだ」
「だって、えっと……」
楓香は必死に俺の言葉を否定しようとする。
わずらわしくなってきた俺は強引な手法に出る。これ以上は埒が明かない。
「いいか、楓香。イエスかノーで答えろ。俺のことが好きか?」
俺は彼女の両肩を押さえつけ、ジッと目を見つめて、返答を強要する。
と言っても、今の俺の腕力なんて子供レベルだ。引き剥がそうと思えば簡単に引き剥がせる。
それでも、彼女は抵抗しようとはしなかった。
「…………」
沈黙。俺は返答を待ち続ける。
この一月の間、楓香と再会することをずっと我慢していたのだ。それに比べれば、大したことはなかった。
やがて、楓香はおずおずと唇を開いた。
「……………………い、いえす」
「そうか。なら、俺の勘違いじゃないんだな。良かった」
俺は彼女の答えを聞いて一安心する。
口では強がっていても、もし拒否されたらどうしようか、と内心は怯えていた。
「…………」
再び俺達の間に沈黙が広がる。楓香は耳まで赤くしていた。夕日のせいではないだろう。
そして、それは俺も同様だ。顔が熱い。心臓の音がうるさいくらいに鳴り響いている。
何を言えば良いだろうか。何をすれば良いだろうか。
様々な思考が脳内を駆け巡る。
そんな中で、そう言えば、とまだ言っていなかった言葉があるのを思い出した。
今だけは昔のように、俺は言う。
「おかえり……楓ちゃん」
その言葉に楓香は、我慢していたものが溢れ出るように涙を流し、けれど笑いながら答える。
「うんっ……ただいま、蓮ちゃん」
辛いことがあった。悲しいことがあった。一度はその事実に折れて
けれど、立ち上がって再び歩き始めることが出来た。
これからも倒れてしまうことがあるかも知れない。だが、何度でも立ち上がろう。
今の俺には並び立って歩いてくれる人がいるから。支えてくれる人がいるから。
人は独りじゃない。きっと誰もが自らの意思で生きている。
だから、幸いを与え合って、分かち合って、その先へと辿り着くことが出来る。
誰かを感じられるこの世界は、無際限に開けているように思えた。
遥けき幸いを夢む 吉野玄冬 @TALISKER7
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