断章2

 小学六年生の時、俺はふとしたことから茉莉と知り合った。


 同じ小学校なので、クラスが同じになることはあったし、廊下などですれ違うことも数えきれないほどあったが、それでも俺と茉莉が話したことはほとんどなかった。

 俺自身、あまり友達が多いタイプではなかったが、それ以上に茉莉はクラスの端で大人しくしているようなタイプだった為だ。

 互いに消極的なのだから、交わることもそうそうない。

 それは小学六年生で彼女とクラスメイトになっても変わることはないと思った。


 当時の俺は積極的に本を読んでいた。

 困った誰かを助けるには、自分自身が優れた人間でなくてはならない。

 そんな風に考えた為だ。

 その影響からか、楓香と遊んでいた頃に比べれば、少なからず口調が変化していた。


 その日も俺は休み時間は本を読んで過ごしていた。茉莉は俺の斜め前の席だった。

 当時の彼女は長く伸びた黒髪を三つ編みにしており、眼鏡を掛けた目元は前髪で隠れていた。

 小学六年生ともなれば、少しずつ垢抜けた雰囲気を持つ者も出てきている中、彼女はとにかく地味な風貌をしていた。

 そんな彼女に数人の男子が近寄った。ニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべている。


「うわ、白樹に触っちまったぁ。このままじゃ悪夢を見させられちまう。ほれ」

「おい、やめろよ~」

「あ、こっちに移そうとすんなよなー」


 一人が茉莉の肩辺りに乱雑に触れると、彼らはそれを汚いものにでも触れたように扱い、他者に擦り付けて移そうとする。良くあるいじめだ。

 クラスにはそれを止めようとする者もいない。関わると自分も巻き込まれてしまうからだ。


 そんな中で茉莉はプルプルと震えていた。必死に辱めに耐えている様子だ。

 彼女は前からこんな扱いを受けていたわけじゃない。きっと、ただの暇つぶしだ。

 その男子達は前からそういうところがあった。反撃してこないような相手を選んで何らかの攻撃を仕掛けるのだ。

 大人しい彼女はそのターゲットに選ばれたに過ぎない。


 しかし、茉莉は元より周囲から浮いていたというのもある。

 それは彼女の出自、すなわち白樹神社の一人娘であるということが関係していた。

 明るく元気なタイプではないことも重なり、不気味に思われていた。

 周囲のそういった扱いからそんな性格になったとも考えられる。

 茉莉に近づくと悪い夢を見るようになる、というような陰口を聞いたこともあった。


 数人の男子達による行いは、そのような茉莉への周囲の目が表面化してしまったとも言える。

 きっと彼女もそれを感じ取ってはいただろうが、こうして直接的に突き付けられるのはまた違った辛さがあるだろう。

 俺は溜息を吐いて本を閉じると、騒ぐ男子達に言葉を投げかけた。


「さっきからお前らうるさいぞ。馬鹿は静かにすることも出来ないのか。元気が有り余っているお猿さんは外で木登りでもしていたらどうだ?」


 俺の口からは息をするように彼らへの侮蔑の言葉が吐き出されていく。

 彼らは急な口撃に顔を真っ赤にして寄ってきた。


「なっ……! 何だと狩谷、てめぇッ!」

「まあ、お前らよりは猿の方がまだ利口そうだがな。自分達の行動が煙たがられていることに気づいていないのか? 周りを見てみろ、誰一人お前らを認めちゃいないぞ」


 俺の言葉に彼らは周囲を見回した。自分達に視線が降り注いでいたことに気が付く。誰もが即座に目を逸らした。

 彼らは居た堪れなくなったのか、舌打ちして「覚えてろよ」などと三下の発言をして去っていた。


 異様に静かになった教室で俺は再び本を開く。

 クラスメイトはこそこそと小声で何かを囁いていたが、そちらに意識を割くようなことはしなかった。どうせ大した話でもない。

 さて、と本の内容に集中しようとしたところで、手元に影が出来た。俺は影の主に視線を移す。そこには茉莉が立っていた。


「何か用か?」

「あ、あの……狩谷君、ありがと……」

「気にするな。別にお前の為じゃない。あいつらが鬱陶しかっただけだ」

「それでも……嬉しかった」


 そう言って彼女ははにかんだ。

 前髪の向こうに垣間見える目からは涙の跡が見て取れる。先程のことはよっぽど辛かったのだろう。

 俺は嘆息すると、再び本を閉じて彼女に向き直った。


「いいか、あの手の輩は相手が反撃してこないサンドバッグだから狙ってくるんだ。いくら大人しくても野良犬に手を出す奴はそうはいない。だから、手っ取り早いのはビビらせることだ。別に殴れとまでは言わない。だけど、言い返すくらいはした方がいい」

「アドバイス……?」


「まあな。別に聞きたくなかったらそれでもいい。お前の自由だ」

「……ううん、頑張りたい。でも、何て言い返せばいいか……」

「うるさい呪うぞ、夢攫いに遭わせてやろうか、うちの神社の力舐めんな、くらいでどうだ?」


 俺がそんな風に言うと、茉莉はキョトンとしていた。


「……狩谷君はわたしのこと、怖くないの?」

「どうして怖がる必要があるんだ?」

「だって、わたしは白樹神社の娘で……」

「神社の娘だからって不思議な力を持ってるわけでもないだろ? それとも、お前は意図的に夢攫いを引き起こせるとでも言うのか?」


 俺は良い機会なので探りを入れる。

 茉莉はあの祠が持つ力について知っているのだろうか。


「そんなことはないけど……」


 もし彼女が知っているなら何かしら反応を見せるかと思ったが、これといっておかしな様子はなかった。

 白樹家が認識しているのかどうかは気になるところだ。

 俺はそんな風に考えながらも、素直に思うことを言う。


「なら、怖がる理由なんてどこにもない。むしろ、家が神社なんてかっこいいと思うけどな」

「そっか……かっこいいかぁ……」


 茉莉は嬉しそうに頬を緩めていた。いつも陰気な様子なので珍しい。


「さ、俺は読書で忙しい。お前も自分の席に戻れ」

「あの……また話しかけてもいい?」

「暇な時ならな」

「うんっ……」


 彼女は控えめに頷くと、パタパタと自分の席に戻って行った。




 あの日以来、俺と茉莉は時折だが話すようになった。

 どれも些細で他愛もない話だった。

 けれど、そんな関わりでも彼女には嬉しいものだったようで、以前よりも少なからず元気になっていた。

 再び彼女が同じ男子達に絡まれるところを見かけることもあった。


「う、う、うるさい! 呪うぞ! 夢攫いに遭わせてやろうか! うちの神社の力舐めんなぁ!」


 そんな風に俺の提案した言葉をそのまま叫んでいた。

 普段はむしろ声が小さい茉莉がそんな風に声を上げたことは驚きだったらしく、彼らは冷や水を浴びせられたような顔となっていた。

 俺が思わず吹き出して笑うと、教室内にも同様に笑いが広がった。

 彼らは恥ずかしそうに逃げ去っていき、それからは茉莉が同じような目に遭うことはなかった。


 実際、この町で茉莉に手を出して得することなんてない。

 彼らにそれが出来たのは小学生ゆえの浅はかさだ。

 白樹神社は直接的な権力こそ持ってはいないが、町への影響力は大きい。

 そんな場所の一人娘に傷をつけようものなら、ただじゃ済まされないことは年を重ねれば自ずと分かる。

 他には特に変わったこともなく、俺の最後の小学校生活はあっさりと終わりを迎えた。


 そして、地元の中学校に入学。

 入学式の日には今でも覚えている驚くべき出来事があった。

 入学式も終わり、校門を出たところで背後から声を掛けられた。


「れーん、きゅん!」


 珍妙な呼び名に振り返ると、そこには二つ結びにした垢抜けた風貌の女子生徒が立っていた。

 俺の知り合いにこんな女子はいない。疑いの目で彼女を見た。


「……誰だ?」

「あ、あー、ひど! あたし、ちゃんのことを忘れるなんて!」

「いや、間違いなく俺の知り合いにそんな喋り方をする奴はいない」

「ほら、顔をよく見て! 見覚えのある顔、っしょ!?」

「まったく。さっぱり。微塵も覚えがない」


 俺がピシャリと言い放つと、彼女は途端にしおしおと萎れて、陰気な気配を放ち始めた。


「うぅ、せっかく頑張ったのに……髪型変えてコンタクトにして喋り方も変えて……」


 俺はその雰囲気で感じるものがあった。しかし、あまりの違いに半信半疑で問いかける。


「……まさかとは思うが、お前……茉莉か?」


 すると、彼女はパーッと表情を明るくした。


「そう! そうだよ! あたし、茉莉ちゃん!」


 道理でぎこちない喋り方なわけだ、と俺は納得する。

 つい二週間ほど前とキャラが違い過ぎだ。

 その後、俺達は途中までは道が同じなので、一緒に帰ることにする。


「で、どうしてそんなことになったんだ?」

「心機一転したくて。見た目を明るくすれば、明るい性格になるかなぁって」

「それにしても一気に変え過ぎだ……」


 彼女は「てへへ」と頬を掻いて笑う。目元が前髪で隠れていないので、その可愛らしい顔立ちが良く見えた。

 まだまだ陽気に徹することには慣れていないようだったが、その取り組みは好ましいと思う。

 こう在りたい、という姿に向けて努力する。

 人のそんな姿は美しいと感じるから。

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