第1話
楓香は簡単な自己紹介を終えると、事前に用意されていた空席についた。
その席とは俺の隣だ。それはあまりに出来すぎていて、天の采配のようなものを感じてしまう。
「久しぶり、蓮ちゃん」
座り際、彼女はこちらを向き小さな声で言う。当然、周囲の席がざわついた。
「……久しぶり、天野さん」
俺がそう返すと、彼女は「むぅ」と不満げな顔をした。
担任が伝達事項を終え教室を出ていく。すると、すぐさま楓香の傍には人だかりが出来た。
「ね、ね、天野さんと
早速、一人の好奇心旺盛な女子生徒からその質問が飛んだ。
男子からは恨みがましい視線が、女子からは興味津々な視線が、俺に突き刺さる。
まるで針の
「七年前、私がまだこの町にいた時に仲良かったんだ。私がこの町に戻ってきたのは蓮ちゃんに会う為なの」
楓香の答えにクラスメイト達は沸き立つ。その反応は種々様々だった。
「幼い頃に分かたれた相手と会う為だなんて、ロマンチック!」だの「狩谷の奴め……許さねえ……!」だの聞こえてくる。
「というか蓮ちゃん! 天野さん、なんて他人行儀な! 昔みたいに楓ちゃんって呼んでよ~」
その言葉は火に油を注ぐようで、俺に向く視線を一層鋭くした。
「狩谷君、楓ちゃんって呼んでたんだ、かわいー」「この野郎……楓ちゃんだとぅッ……!?」
そこの男子、さっきから俺を殺しそうな勢いで歯噛みしながら睨みつけてくるんじゃない。
俺は大きく溜め息を吐いた。
「もう子供じゃないんだからさ、ちゃん付けはやめてくれよ……狩谷君、天野さん、でいこう」
「やー、蓮ちゃんは蓮ちゃんだし。私は楓ちゃん、あなたは蓮ちゃん、あーゆーおーけー?」
こんな強引なタイプだったか……? 俺は思わず頭を抱える。
良いタイミングで一時間目の授業の教師がやってきた。
楓香を取り囲んでいたクラスメイト達は蜘蛛の子を散らしたように席に戻っていった。
俺がほっと胸を撫で下ろすも束の間、楓香は片手を上げる。
「先生、まだ教科書が届いていないので、隣に見せてもらっていいですか?」
教師が頷くと、俺の方を振り向いた。席を寄せてくる。
「よろしくね、蓮ちゃん」
反対側には女子がいたのだが、彼女はわざわざこちらに来た。
これ以上言っても無駄に思えたので、俺は彼女へ異議を唱えることを諦めた。
「……よろしく、楓香」
「うんっ!」
せめてもの抵抗として呼び捨てにするが、今度は不満顔ではなかった。
昼休み。朝から休み時間ごとに人だかりが出来ていた楓香の周囲も、今は少し落ち着いていた。
そんな中、楓香に一人の女子生徒が声を掛ける。
クラス一のお調子者、
校則が緩いとは言え、堂々と明るめの茶髪にしている。前髪を斜めに編み込んでおり、額や目元が良く目立つ。
そんな顔には手慣れた化粧が施されており、元より童顔なのも相まって、可愛らしさが強調されていた。
ミニマムな体躯が纏う制服のスカートは明らかに通常よりも短く、その腰元にはカーディガンが巻かれている。
「楓ちん、一緒に食べよー!」
「おっけー、まつりん」
女子同士はすぐお互いに妙なニックネームを付けるのは何なのだろうか。
俺は弁当をもそもそと食べながら疑問に思う。
母さんの作った弁当は今日も美味しい。
「楓ちんのお弁当、美味しそう! おかず交換しよ、交換」
「いいよー。今日は卵焼きが渾身の出来なのです」
「え、これ、自分で作ってるの? 凄いじゃん」
「中学の時から自分のことはなるべく自分でするようにしてたんだ」
「うっ、眩しい……! 自堕落なあたしに大ダメージ」
「えっへん」
二人はそんな会話を繰り広げていたが、突然、茉莉が俺に水を向けてきた。
「くふふ、蓮ちゃんも一緒にどう?」
「お前に蓮ちゃんと呼ばれる筋合いはない」
「何でさ。差別反対~」
俺は憮然とした態度で返すが、茉莉は愉快そうに笑っていた。
楓香は俺達の間にある遠慮のなさに気づいたようで、問いかけてくる。
「あれ、蓮ちゃんとまつりんはもしかして仲良し?」
「そうでもない」「
「……どっち?」
食い違う回答に楓香は困惑していた。
すると、茉莉は両腕で身を抱くようにし、驚きの発言をする。
「酷いわ、あんなことまでしておいてっ!」
「人聞きの悪いことを言うな!」
周囲から冷たい視線が俺に降り注いだ。楓香までもこちらをジトリと見てくる。
「……蓮ちゃん?」
「俺は何もしていない。信じてくれ」
「む、蓮ちゃんがそう言うなら信じよう」
茉莉は楓香があっさりと俺を信じたことに不満げにしながらも、ネタバラシをする。
「まあ、ぶっちゃけると、あたしら小中と一緒だからね。同じクラスだったことも何度かあるし」
俺は当時を思い出し、ふと呟く。
「小学校ではもっと地味だったのに、中学に入ってから急にハジけたよな」
「やややめれっ! 昔の話はNG!」
茉莉は見るからに動揺しており、顔を赤くしながら両手でバツを作っていた。
俺は先程のお返しだ、とほくそ笑む。
「昔の方が神社の娘らしかったのに、どうしてこうなっちまったのか」
俺はこれみよがしに溜息を吐いた。
「そんな固定観念に囚われていちゃ、時代の
そう言って茉莉は「ふんす」と鼻息を荒くする。
楓香はたった今のやり取りで彼女の素性に気が付いた様子だった。
「そう言えば、まつりんの名字、白樹ってことは……」
「そそ! このあたし様こそが白樹神社の一人娘! すなわちこの町の次期支配者と言っても過言ではない!」
「過言だからな」
茉莉は俺の言葉に「やれやれ」と首を横に振るだけだった。何も分かっていないな、と言いたげだ。
まあ、一般人より地位が高いのは事実である。町人からの信頼も厚い。ただ、支配者と言える程ではないだけで。
「だから、実を言えば、昔の二人を境内で見かけたことも何度かあったのよん」
「え、そうだったんだ。声を掛けてくれても良かったのに」
「二人の
「もう、まつりんってばー」
茉莉は「いやん」と両頬を押さえながら身をくねくねさせており、楓香はそんな彼女を照れた様子で小突いていた。
出来れば、そういうのは
昼食を食べ終えたので
清潔感に溢れる顔立ち、スポーツマンらしい引き締まった体格は、良く女子の視線を引きつけており、今もそうだった。
だが、それらを意に介した様子もなく颯爽と俺達の側に近寄ってくる。
「やっほー、きょんきょん」
「ああ、こんにちは、白樹さん」
賑やかな茉莉の挨拶に対して、梗介は爽やかに返答する。
誰だろう、という顔をする楓香に対しても自分から声を掛けていた。
「君が転校生の天野楓香さんだね。初めまして、生徒会長の東郷梗介です」
「わ、生徒会長さん! どうも初めまして!」
梗介は慌てた様子の楓香に微笑を浮かべ、その後こちらを向いた。
「蓮、ちょっといいかな」
「また雑用か?」
「そんなところだよ。食後のお茶を出すから頼まれてくれないか」
俺は了解すると、連れ立って教室の外に出た。
向かうは生徒会室だ。
隣を歩く梗介はほんの僅かだが右足を引きずっている。過去に大きな怪我をした際の後遺症だ。
と言っても、普通に運動する程度なら特に問題はないらしい。
生徒会室に着くと、梗介の説明の後、椅子に座って簡単な書類の仕分けを開始した。
テーブルには彼が淹れてくれたコーヒーのカップも置かれている。
俺は手を動かしながら対面に座る梗介に話しかける。
「他の役員に頼んだりはしないのか?」
「実を言うと、これは生徒会に関係がない書類なんだ。先生からの頼まれごとでね。だから、手伝いを頼むなら君の方が気楽だったわけさ」
「献身的なことだ」
「人に頼られるのは好きだよ。君だってそうだろ?」
「まあ、嫌いじゃあないがな」
梗介は俺の返事に対し、意味深に笑みを浮かべた。
「今からでも生徒会に入る気はないかな?」
彼はサラリとそんな文言を口にした。俺は少し間を置いた後、首を横に振る。
「……前にも言ったが、放課後の自由がなくなるのはな。学校に縛られたくはない」
「なら、仕方ないか」
「こっちはお前に任せるよ。もし猫の手でも借りたい時は手伝うさ」
「その時はぜひ頼むよ」
何だか真面目な雰囲気になってしまったので、俺は雑談らしい内容を提供する。
「最近、サッカーはしてるのか?」
「いや、最近はフットサルの方が多いかな。町内にレンタルコートがあるから」
「ああ、そう言えば……あれ、フットサルだったのか。知らなかった」
「まあ、知らない人にはどっちも同じに見えるよね」
そんな風に話しながら手伝いをし終えた頃には、昼休みは終わり間際だった。
放課後。俺が帰り支度をしていると、隣の楓香が話しかけてきた。
「蓮ちゃんは何か部活とか入ってるの?」
「いいや、俺は万年帰宅部だ。学生たるもの暇を謳歌しないとな」
「うわ、駄目な発言~」
「楓香は向こうで何か入ってたりしたのか?」
「ううん、私も特には。家事してたしね」
「そうか」
俺は彼女が家事をしていた理由について察するが、その点に触れることはしなかった。
「じゃあ一緒に帰ろー」
楓香は無邪気に提案してくるが、一緒に下校となると妙な噂が立つ可能性がある。
俺の平穏な日々が乱されるのは可能な限り避けたい。
「ちょっと用事を思い出した。悪いが、一人で帰ってくれ」
「そっかぁ……残念」
断りの言葉を伝えると、楓香は露骨にションボリした。
途端、周囲から非難の視線が襲い掛かってくる。
どうやら断っても平穏な日々は乱されるようだ。八方塞がりである。
どちらにしても乱されるのなら、俺は諦めて従うことにする。
「……いや、やっぱり今日じゃなくていい。一緒に帰ろうか」
「ほんとっ!? やった!」
一転して全身で喜びを示す楓香。周囲はニマニマと生暖かい目で見てくる。
散れ散れ、と俺は手を振って示す。
しかし、茉莉だけは寄ってきたかと思えば、こんなことを言う。
「せっかくだし、楓ちんに今の白樹町を
「それならお前がすればいいだろ……」
「あたしは境内の掃除とかが忙しいのです。蓮きゅんは暇っしょ?」
「むっ……否定はしない」
予定がないというわけでもないが、暇かと言えば暇だ。
基本的に放課後になってから予定を入れる為、空けることは確かに可能である。
「蓮ちゃん……」
楓香が上目遣いで懇願してくる。こうなれば、乗りかかった船か。
「……分かったよ」
俺が渋々頷くと、楓香と茉莉は嬉々とハイタッチをしていた。
「いぇい!」「うぇーい!」
この二人、結託していたな、と俺は嵌められたことに気がつく。
これまでは平々凡々な変わり映えのしない日々を送っていたはずなのに、楓香の転校から急に慌ただしくなったように思えてならない。
とは言え、その新鮮さに心躍らせている自分も確かにいるようだった。
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