第93話



「しかし……なんにもないではないか。この洞窟……」


 と、呟くセオリナ姫のかたわらにて。


 どうも。

 アリーシャ・ベル・エル・ファンカトラスと申します。

 魔王様と別れ、セオリナ姫の第3勇者隊に残ったまま、はや10日ほどが経ちました。


 現在、この部隊はついに、目的地である帰らずの洞窟に足を踏み入れております。

 山々の間、奥まった岩場から地下へと続く、言ってみればありがちなダンジョンという内観。

 岩と土でできた狭い道を、2列縦隊でぞろぞろと、警戒しながら進んでいるのでありますが。


「想定と違うぞ……? 足を踏み入れた人間は、土地の者だろうが冒険者だろうが、再び外に出てくることがない。そういう場所だと聞いたから、わざわざやってきたというのに。なあアリーシャ」


「左様ですね」


「もっと魔物の大群に大歓迎を受けるものと思っていたぞ。拍子抜けだ」


「……左様ですね」


 相手が魔王様であれば、「ですが」と続けていたところです。

 この洞窟の静けさが不自然・・・であることなど、魔王様であればとうに気づかれたことでしょう。

 わたしもそれをわかっていながら、あえて口に出し、魔王様に反応していただく……


 そういう、いわば『甘え』のゆるされる空気を。

 我々人間のいう、すぐれた包容力を示すなにかを。

 あの魔王様は、まとっておられるように思います。

 ただ。

 このセオリナ姫も……


「なにもない、ようには見えるわけだが……」


「はい」


「そう見せよう、という企ての可能性もある。ロームン、いまいちど後方の隊列を整えろ。何が起きても、即座に対応できるようにな」


 指示を受けたロームン殿が、すぐさま部隊を動かします。

 迅速で的確な判断。

 そう言えるでしょう。


 セオリナ姫が、まともな指揮官であること。

 魔王様がおっしゃっていたそれは、間違いないところとわたしも考えます。少なくとも、無能ではありません。

 が……しかし。

 無能ではない、という表現は、仮にも勇者に対してふさわしいものでしょうか。


「ふ……、アリーシャ、いつにも増して表情がかたいぞ? あまり感情を表さないきみだが、そのくらいは私にもわかるようになってきた」


「左様でしょうか」


「安心したまえ。きみには、この部隊には、私がついている!」


 ……このところ、わたしは、セオリナ姫に引き立てていただいております。

 同じ女であること。

 加えて、魔王様に鍛えていただいた能力を、確かに評価されてのことである様子です。

 これも、魔王様が勇者たちに期待してやまない、『真の勇者たる資質』の表れかもしれません……


 いいえ。

 わたしには、そうは思えない。


 本質の表れというよりも。

 そうあるべき、と誰かに言われて……そうあるように、振る舞っている。

 わたしの目には、セオリナ姫の姿が、そんなふうに見えています。


「ロームンの言う通りだったかもしれん。もう少し急ぐべきだったな」


「は」


「本来予定していた期日の、4倍近くかかってしまっているからな。私が途中、魔物のうわさを聞くたびに、討伐に向かっていたせいで」


 自覚はある様子。

 それもわかっていました。


 魔王様が離れてからも、この部隊はまっすぐに進んできたわけではありません。

 魔物ありと聞けば、出向いて退治。

 魔族ありと聞けば、出向いて討伐。

 3度ほど繰り返した末に、ようやくたどり着いたこの場所です。


 当然すべて、セオリナ姫の指揮。

 本来の任務をさておいてでも、地域住人の安全を優先する……

 そういった態度を、選んでとっておられるようです。


「姫様のそのお優しさで、第3勇者隊はできておりますのですぞ!」


 光のスキルで洞窟を照らし、先頭をゆく魔法使いが、柔和な笑顔で振り返っています。


「誰にも不満などありませぬ。民も皆、姫の勇気に感謝しております」


「ありがとうユグス爺。そう、なにも魔王を倒すばかりが、勇者の仕事ではない。目の前で困っている領民を放置して、魔王の城へ向かう……それを私は、勇気とは呼ばない!」


「立派なお考えでございます」


 そうでしょうか。果たして。

 目先に惑ってはいないでしょうか。


 人はこの世の理と、少しの希望から生み出されるといいます。

 魔はこの世の理と、少しの瘴気から生み出されるといいます。

 瘴気のもとは、すなわち魔王。

 もとを断たねば、解決はないのではないでしょうか。


 なればこそ。

 なればこそ、わたしは……


「アリーシャ?」


 は。

 いけません。集中を欠いておりました。

 わたしの顔を覗きこんでいたセオリナ姫が、ふっと微笑みます。


「やはり緊張しているね? 大丈夫、私がきみを死なせない。それにきみは、とても優秀な戦士だ」


「恐れ入ります」


「きみの連れだった彼も……ゼルスンも優秀だった。ただ、彼の戦い方は死に近い。こういった部隊で活動するには、向かない人材だ」


「承知しております。……ゼルスンも、きっと」


 とてもいろいろなことを、あのお方は承知しておられます。

 たとえば……


「とはいえユグス爺、本当に先頭で大丈夫か? ロームンにかわってもらったほうがよくはないか?」


「なんのなんの! 危険な仕事は、老い先短い老人が請け負うものですぞ」


「それでは困る! 私の指揮下では、誰も死なせはしない。不死隊と評してくれたのも爺ではないか、最初に死んでどうする!」


「はっはっはっ、おっしゃるとおりで」


 ……たとえば、そう。

 こちらの、ユグス殿……

 わたしと同じ冒険者契約の待遇で、長くこの隊に加わり続けている魔法使い。

 姫の言うところによりますと、すでに国王の覚えもよろしいのだとか。


 わたしは、魔王様が隊を去られてからこちら、ずっとユグス殿の動きを注視しております。


 恥ずかしながら……わたし自身が、ユグス殿のなにかしらを怪しんでいるとか。

 引っかかるものを感じている、というわけではありません。

 そんなことではいけないのですが。


 わたしが思い出すのは。

 魔王様の態度。

 ユグス殿に接するときだけ、ほんのわずか……

 セオリナ姫やロームン殿に対してよりも、少しだけ警戒しておられたような。

 間合いをつま先ひとつぶん、大きくとられていたような。

 そんなふうに思えたという、ただそれだけです。


 今このときも、怪しい動きはありません。

 自ら部隊の先頭に立ち、あたりを警戒しながら、着実に――


「む……、まて、ユグス爺」


「は」


「全隊停止!」


 セオリナ姫の命令をロームン殿が復唱し、部隊が止まります。

 薄暗い洞窟の前方……

 ぽっかりと口をあけた広場のような空間が、我々を待ち受けていました。



**********



お読みくださり、ありがとうございます。


次は7/25、19時ごろの更新です。

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