第77話
俺は両手を広げ、集めた魔力を濃く、しかし薄く延ばした。
こういう技は本来、マロネが得意なんだがな。
えーと……
スキル闇、フューチャリング精霊、みたいな。
「<
ブォッ……
小さな羽虫の群れが飛び立つような不快な音とともに、真っ黒い谷が現れた。
俺と鎧の間に横たわり、直線進路を遮る。
谷とはいうものの、底など見えない。
というかない。
どこまでもどこまでも、深さすら定かでない闇の空間が口を開けている。
幅は3馬身ほど。奥行きは2馬身。
サイズ的には、大したこともないが……
「底なし沼系スキル……」
低い声で、鎧がつぶやいた。
その通り。
「よく覚えていたな。おまえの動きに合わせて、この谷は動く。足を踏み入れた者に対し、落とす・沈む・溶かすを同時にこなしてくる、闇の落とし穴だ」
「…………」
「飛べるやつも沈ませる。浮けるやつも溶かされる。溶けないやつは落とされる。穴とは言ったが穴じゃない、この闇の上だけ別空間だ」
もちろん限度はある。
でないと、穴の真上の天井とかまで落ちてきちゃうからな。
あと、飛べて浮けて溶けない、をぜんぶこなしてくる相手には手も足も出ない。ラグラドヴァリエとか、たぶんそうだ。
だがそんなことまで、親切に説明してやるつもりはない。
俺の目には、これでチェックメイトに見えるぞ?
「テミティよ。……なぜ仲間を作って来なかった?」
過去の2人。
ダクテムと、イールギット。
彼らと同じく、勇者パーティなどから追い出されてきたのだとすれば……
俺はずいぶん、ひどい質問をしていることになってしまうが。
「おまえはすばらしい能力を持っている。だがそれは、何かを守るためのものだ。壁となって立ちはだかるのがおまえだ。自ら向かってくるのは、得手だの不得手だのではなく、無謀だ」
「…………」
「俺とて、おまえたちを倒すつもりで臨む。しかしこれでは、あまりに意味がない。少なくとも、俺にとってはな……さあ、もういい。鎧を脱げ」
鎧は応えない。
巨大なハンマーを担いだまま、落とし穴の前で足を止めている。
「なぜ1人で来ることにしたのか、教えてくれ。そうだ、忍びこむ手際はすばらしかったぞ。ラグラドヴァリエに気を取られていたとはいえ、まったく気づかなかった。つーか足音どうしてたんだ」
「…………」
「ほら、兜を脱げ。久しぶりだな。すぐに食事を用意させよう、テミティの好きな宵闇鶏とキノコのキッシュを――」
――イールギットとの激闘は、ほんの2ヶ月ほど前のことだったか。
そのときの感覚が。戦いの嗅覚が。
わずか髪の毛ほどでも、俺の中に残っていてくれたのかもしれない。
でなければ気づけなかった。
バルコニーのほうを、きっと振り返れなかった。
「――ッ――!!」
無言。
無音。
まるで気配もなくそこにいた、俺のひざ上少しくらいの背丈の女が、隼のごとく飛びかかってくる。
その手の、白く輝く小刀を――
俺はぎりぎり、身をよじってかわした。
「ぐっ……!!」
額を薄く斬られたかもしれない。
危なかった。
頭を穿たれていたら、いかな魔王とてどうなっていたか。
空中ですれ違う、彼女の目。
そこに、存在のすべてを賭けた闘志と――
満足げな諦観を見た気がした。
「――御見事。魔王様」
小さな姿が、闇の穴へと落ちてゆく。
音はせず、しかし水堀のように闇に波紋が走り、またたくまに彼女の体を呑みこんだ。
「御然らば……」
闇の中に両手を突っこみ、俺は彼女をすくい上げた。
閉じられかけていた鳶色の瞳が、ゆっくりと見開かれる。
「……なぜ」
「今のはどうやった!?」
「転移……」
「それはわかる! だがスキルや魔力攻撃を跳ね返すミスリル鎧は、着ている者の魔力も外に出さない! テレポートなどもってのほかだ! どうやって出てきた!?」
「……がんばった」
「がんばったか! そうか! がんばったか!!」
みもふたもない。
しかしそう言うしかないのだろうし、実際、どれほど努力したのか想像もつかない。
そうか。がんばったか。
テミティ・バドミ・ドワーフ!
「死なせるわけがないだろう!」
「……甘い……
かく、と彼女は気を失う。
ほんの数秒とはいえ、鎧の加護なく闇にまかれたからか……
勇者よ。安心しろ。
すぐに手当てしてやるぞ!
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