第16話 お久と誠子

「あたいはね、軍人がいまだに幅を利かせている令和の世界が嫌でたまらないんだよ。まっとうな人間はあいつらに利用ばかりされている。それもこれもおおもとは威張り散らした侍ってやつの世の中があって、その延長線上に軍国主義が生まれ、その軍部が太平洋戦争でたまたまアメリカ、イギリスに勝っちまったのが原因さ。でもそれはほんとうの日本の姿じゃないよ。この日本って国は文化や人々の日々の暮らしを大切にする平和で優しい国さ。だからあたいは、その歴史を修正して、日本をふつうの平和な国に変えてやるんだ。それにはどうしても土方歳三って男に消えてもらわなきゃいけない。個人的にはまったく恨みはないけどね」

 そう一息に言うと、お久はだみ声で店のおやじにお銚子をもう一本注文した。

 誠子は、お久がこんなことをしかも自分に対して口にするとは思ってもおらず、いささか拍子抜けしたが、やはりお久の言うことに道理があるとは思えなかった。

「しかしながら土方さんの子供が軍人にならねば、日本は戦争に負け、その結果たくさんの一般市民の犠牲者が出るが、それでもよいのか?」


 相手に侮られまいと意識して居丈高にそう言ったのが、お久には滑稽に見えたらしく、お久は思わず口に含んだ酒をふきだしそうになった。

「おもしろいね、あんた男みたいなしゃべり方するんだね。しかもいっぱしの侍みたいに」

 そういわれて誠子は痛いところを突かれたような気がして、めずらしく動揺が顔に出た。誠子はどういうわけか心の動揺が顔に出る性質で、そのときも本人は気づいていないのだが、まるで童子のように頬が赤らんでいた。しかし実際のところそれほどに誠子の心にさざ波が立っているわけではなく、むしろ心の中は氷のように冷静そのものだった。しかしまわりの人間は、そうした誠子の表情を目撃するとほとんど全員と言っていいくらいに誠子に好感をもった。なまじ顔が美形で普段の態度がよそよそしいだけに、そのギャップに周囲は、自分にだけに心を開いてくれていると誤解するのだ。そしてお久もまた例外ではなかった。お久の顔が急に柔和になった。


「でもあんたのそのうぶなところはまだ救いがあるね――その可愛さに免じて、あんたの質問に答えてやるとするなら――そうだね、歴史は一瞬で書き変わるんだ。多くの一般市民に犠牲者が出るとしてもそれはすべて令和の世の中から見たら歴史の中の話、教科書の中の話になる。教科書読んで胸を痛めたり涙する人間なんていないじゃないか。つまり誰も悲惨な現実に直面せずにすむんだよ。それでも、記憶の連鎖と教育によって、同じ過ちをおかしてはいけないと日本国民全員が心に刻んで生きていくんだ。なんてすばらしいじゃないか。戦争に負けたんだから、軍人もお払い箱さ。男の権威も地に堕ちるってこと。偉そうな男はいなくなって女が、ガイノイドだろうがなんだろうが、いきいきと過ごせる平和な世界が待ってるってわけさ、どう?胸が躍らないかい?」


 正直、誠子には、目の前で手酌で酒をあおっているあばずれが、そんな理想を口にすしていること自体に違和感があったが、かといっていわゆる狂気的な刺客の人物像とも結びつかない。さらに追手であるはずの自分に対してまったく警戒心がないことも含めて、さすがに明晰な誠子の頭脳をもってしてもお久の行動の真意は理解しがたかった。


「――どうしてあたいがあんたを襲わず、こうして面とむかって話し込んでるかってことを知りたいんだね」

 誠子はなにも言わず、小さくうなずいた。お久は、さらにお猪口でグイっとやってから、

「あんたの敵はあたいかもしれないけど、あたいの敵はあくまであんたのところの副長さんだよ。それにあんたは、なかなか見どころがある。なんかとてつもないことをやってくれそうで、わくわくするんだよ」

 といいながら甲高い声で引き笑いをした。

 誠子は自分でも驚いたのだが、そのままお久の話しを最後まで聞いたうえで、お久を力で排除しようという行動を取らないばかりか、なんとなくお久という人間に同じガイノイドとして共感と好意するもちはじめていた。おそらく、あんたは三人目だっていうけど、ぜんぶで十人の刺客が送られてるっと言ったときに、お久が一瞬見せた気の毒なほどの淋しそうな表情を垣間見たせいかもしれない。


 ただそれにお久の言うことにも一理あるような気がしたのだ。少なくともお久の考えるもう一つのパラレルワールドの方が、自分も含めた令和に生きる若者たちにとって、むしろ暮らしやすいかもしれないという可能性を言下に否定する根拠はどこにもないと思った。


「そもそもあたいは、刀も銃も握ったことがないのさ。もちろん、土方を刀で殺そうなんてことはつゆほども思ったことがないね」


「――なぜ?」

 ――刺客でしょ?とは言わなかったが、やはりそんな人間が未来からの刺客として新撰組副長の土方歳三に立ち向かおうとしていることが不思議でしょうがなかった。


「なぜって、刀とか銃とかは男の武器だろ?男の武器で男の世界を壊したっておもしろくもなんともないじゃないか。あたいはあたいのやり方、女の武器でけりをつけるつもりなのさ」


 そう言って、お久はニヤッと笑いながら自分の頭のこめかみあたりを人刺し指で軽く小突いてみせたので、誠子はめずらしく思わず声を上げて笑った。


「でも、あんたみたいに男の世界で女の武器もいいわけも使わずに、男と対等かそれ以上に堂々と渡りあってる奴もすごいと思うよ」


 というと、お久は誠子の顔を少し照れくさそうに見つめた後、お猪口を誠子にむかって突き出して乾杯する真似をし、一気に飲み干した。


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