第17話 思わぬ刺客


 そのお久が目のまえにいるのだ。他日会ったときの遊女姿とはまるで違っていて、立派な芸者姿をしているが、顔は確かにお久である。しかもこともあろうに土方のとなりに座っていた。もちろん土方は刀を佩いていない。お久は懐に刃物らしきものを忍ばせている様子こそないが、彼女は正真正銘の令和の時代から送られた十人の刺客の一人なのだ。口では男の武器に興味はないと言いつつも、その気になったら徒手空拳でも殺せる技をもっているかもしれない。しかも今まさに土方の肩にしなだれかかりながらお酌をしている。その盃に毒が盛られていないとどうしていえるだろう!?


 誠子はずばやく二人のそばにいざり寄ると刀の柄をつきだしてその盃を払い飛ばした。不運にもその盃の酒が土方の顔にかかった。


「中岡!」

 と驚きと怒気をはらんだ表情の土方をしり目に、となりのお久は甲高い声でケラケラと笑いはじめた。

「おやおや、そない荒々しいご挨拶ははじめてやわ。おもしろいお方どすな。どちらのお国のご挨拶でっしゃろ?」

「そ、そ、そういえば、たしか中岡さんは甲府の出身でしたね!」

  と包帯で額をぐるぐる巻きにしている藤堂平助が、誠子と土方の間に割って入ってその場を丸くおさめようとした。一瞬怒りに震え立ち上がりかけた土方であったが、平助のとりなしに気を削がれたのかふたたびペタンと腰をおろした。そして濡れネズミとなった自らの姿を嘲笑するかのように鼻で笑った。

「座れ」

 しかし土方の目は笑っていなかった。土方という男はどういうわけか酒に酔えば酔うほど目がすわる癖がある。その様子は、まるで体の中にうごめく狂気が暴れ出すタイミングを冷静に見極めているかのようである。こういうときの土方がもっとも危険であることをまわりの人間はよく知っているので、沖田ら歴戦のつわものたちも一瞬息をのんだ。誠子も土方の迫力に押され、畳の上に座り、刀をわきにおいた。


 しかし、その様子をお久だけは土方の肩によりかかったままのんきに見ている。


「まったく、いまの挨拶はけしからんが。こいつは今日の主役だ。お久、許してやってくれ」

 と言いながら盃に酒を注いで誠子の口元に差し出す土方の目はまだすわっていた。

「土方さん、こいつは下戸です。子供です」とまだ体調が完全とはいえない沖田がいう。


「いや立派な隊士だ。いっぱいぐらいかまうまい」

 土方の目は血走っていた。ここで盃を断れば、土方はなにも言わずに畳の上におかれた誠子の刀を抜いて、その首を刎ねるだろう。誠子は覚悟を決めた。論より証拠とばかりに、まずは自分が飲むしかないと、開き直った。アンドロイドとはいえ、体の構造は普通の人間と何ら変わらないので、毒がまわれば死ぬかもしれない。それでも誠子は差し出された盃を両手で受けるとぐいと飲みほした。


 無論――毒は入っていなかった。しかし、生まれてはじめて飲む酒はまずかった。あまりのまずさに誠子はその端正な顔を原型をとどめないほどにゆがめた。その表情を見て、ようやく土方の目が柔和になった。そして大笑した。


「どうだ、毒の味はしたか?」

「いえ…」

「そうか。ただの酒だ。うまいであろう?」

「いえ…ただのまずい酒でした!」

 と誠子が文字通り吐き捨てるように苦悶の表情でそう言ったので、まわりは爆笑した。それにあわせてお久も小悪魔の表情で顔を寄せて、

 「ほんに、おもしろい人やわ、うちは男はんに食わせてもろうてる芸妓どす、細腕のおなごどすえ、天下の新撰組のみなさんに毒など盛るわけありゃしませんやろ。ほんにえらいことを考える御仁ですこと」

 とお久は誠子にだけわかるように口元に不敵な笑みをうかべた。


 そのとき、誠子の背後から衣擦れの音とともに人がちかづく気配がした。誠子はただならぬ気配を感じて、脇においた刀に手をかけようとしたが、次の瞬間に背中から体を突き飛ばされた。そして倒れながら振り向くと、鬼の形相をした芸妓のひとりが、小刀を両の手で逆手にもったまま土方に向かってとびかかるところだった。


 しかしその女は、土方に太刀を浴びせることはできなかった。まさに襲いかかろうとした寸前のところで、女の顔面に真正面からお猪口が飛んできた。そしてそのお猪口の角で眉間をパッカリ割られ、血を噴き出して倒れたのだ。

 

 噴水のように吹き上げる自らの鮮血で視界を失ったその女は、目標を失い、立ち往生したところを、沖田の剣で胴を払われ、まっぷたつになってその場で絶命した。


 お猪口をその女の眉間になげつけたのは、誰あろう、お久であった。お久は自分の仲間であろうはずの刺客の屍をじっと立膝をついたまま見つめていた。誠子はどうして?という表情でお久を見つめた。


 それに対してお久は、おもむろに立ち上がると、にわかに行われた殺人を目のあたりにした芸妓たちの悲鳴に同調しながら、誠子にすり近寄ってきた。そして、その耳元に顔を寄せ、

 「ふん、手柄を取られてたまるもんかい!」

 と不愉快そうに言い捨てたあと、騒ぎにまぎれ人知れず座敷から姿を消した。

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勇躍の誠少女 床崎比些志 @ikazack

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