第14話 池田屋の死闘(後)

 しかし、女はさっと飛び上がって誠子の剣を交わした。しかも飛び上がりながら、小刀を土方の心臓めがけて投げつけた。

 誠子はその小刀を長剣で打ち落とそうと手を伸ばしたが、背中に背負った沖田の体が重くのしかかり、その動きについていけなかった。小刀は狙いどおり背後から土方の心臓に命中した。しかし心臓に突き刺さることはなく、床にぽとりと落ちた。土方は全身に鎖の着込みをまとっていたのだ。そこでようやく事態の深刻さに気づいた土方は振り返るやいなや鬼の副長そのままの形相で、刺客をにらみつけたかと思うと、もう刀を振りかざしてとびかかっていた。誠子はやむをえず一旦沖田の体をその床に置いた後、土方の動きを追いかけた。そして二人は呼吸を合わせながら刀を互い違いに横に払うが、女は巧みにその攻撃を後ろに飛び上がりながら交わした。まるで忍者のような身のこなしである。しかし刺客は部屋の隅に追い込まれた。そこには窓も戸口もなく、刺客に逃げ場はなかった。その時、一人の人間が大声を上げながら双方の間に両手を広げて立ちはだかった。

「お武家さん、かんにんどす。うちの子への手出しはよしておくれやす」

 それは池田屋の女将だった。

 その間に刺客は床に倒れていた死体から脇差を奪った。そしてその女将を後ろから羽交い絞めにして、刃をその首元にあてた。

 誠子は躊躇した。ガイノイドとして昔から一般市民には手を出してはならないと教育されてきたからだ。しかし、土方は切先をまっすぐ前に向けたまま間合いをつめ、なんのためらいもなく、女将の胸に愛刀の和泉守兼定を突き立てた。そしてそのままの勢いで二人を壁際におしやり、二人の体を背中の土壁ごと串刺しにした。

「中岡、あとは任すぞ」

 というと刀を半回転させながら抜き取った。そして小さくさっと刀を振って血しぶきを床に払うと、颯爽と階段に向かって駆け上がっていった。

 刀を抜き取られた女将はその場に前のめりに倒れた。しかし刺客の女は鬼の形相で立ったままだった。胸からは血が流れていたが、まだ致命傷ではなかった。すでに脇差を片手に臨戦態勢に入っている。誠子は冷静に刀を構え、「今度こそ」と言って、大きく踏み込むと同時に、刀を振り下ろした。「斬らせていただきます!」

 刺客は誠子の刀を脇差で受け止めようとした。しかし、誠子の斬撃に抗する余力を持っていなかった。誠子の刀は刺客の脇差を跳ね飛ばし、刺客の首に食い込んだ。そしてその細首を刎ねた。

 首を失った刺客は死体となって女将の体に横に倒れこんだ。

 女将にはまだ息があった。しかし口から血を吐いていて苦しそうだった。

「とどめを刺してあげましょう」

 そう暗闇から言葉を発したのは壁にもたれて座っている沖田総司だった。見るからに半死半生の様子だったが、口調は思いのほかはっきりしていた。

 不本意ではあったが、やむをえず誠子は、女将の心臓に刀を突き立てて、とどめを刺した。


 しばらくして近藤、土方、永倉の三人が階段を下りてきた。三人とも怪我ひとつ負った様子もなく意気軒昂としている。ようやく屋外での捕り物を制したところで屋内になだれこんできたばかりの武田観柳斎や原田左之助らの新撰組隊員が歓喜の声で三人を出迎えた。近藤は、隊員の一人から手渡された柄杓の水をごくごくと飲み干すと鷹揚に「ご苦労!」とのみ言って、池田屋を後にした。池田屋事件はこうして終わった。


 池田屋事件の働きに対して、幕府は新撰組に五百両の報奨金と百両の薬種料を付与した。近藤はそのうち三十両を、土方は二十三両を受けた。沖田、永倉、藤堂、武田などもそれぞれ二十両を受け取った。


 しかし誠子には参加手当である十両しか付与されなかった。総司、平助の命を救いはしたが、敵方に対する目立ったが成果が確認されなかったことに加え、勝手に持ち場を離れたということで新撰組の鉄の掟である局中法度違反を問われたからである。土方としては自分の命の恩人でもある誠子に、報奨金を渡したかったが、当初の戸外戦闘の責任者である武田観柳斎が局注法度に違反したのだから切腹仰せつけられるべしと騒ぎ立てたのだ。いったん幹部から物言いがついた以上、うやむやにすることができなくなり、やむなく監察方による調査がおこなれた。しかし、法度には士道に背くことなかれと書かれているのみで、中岡新太郎こと誠子の行為はその行為には当たらないということになり、誠子に処分がくだされることはなかった。が、評価もされなかった。誠子が、池田屋の女将と女中を殺害していたからである。その現場を武田にたまたま見られていた。大事件の最中とはいえ、一般市民を殺害したというのは、新撰組の評判にとって芳しくないことだった。――だから土方はあえて誠子に報奨金を与えなかった。


 もちろん誠子は報奨金などにまったく興味はなかった。だから、自分の評価を気にすることもなかった。ただ、土方の命もこんども守ることができてよかったと感じていた。

 事件のあと、土方から部屋に呼ばれ、命を助けてくれた礼を言われた。土方が頭を下げるというのは珍しいことだった。しかも、こんど自分のために酒宴をひらくと言われたが、女はもちろん高級な酒にも肴にもまったく興味のない誠子は、むしろ辟易した。しかし、土方の気持ちは素直にうれしかった。

 一方ほんとうに辟易したのは、事件後五番隊組長に昇格した武田観柳斎のことだった。武田は権高な性格で、目下の者、とくに性格が相容れなかったり、自分の意のままにならない部下や隊員に対しては過剰なほどに厳しく接した。誠子も池田屋事件以来、武田に睨まれた隊員のひとりとなったが、どいういうわけか二人っきりになると妙に優しかった。まるで人が変わったように柔和な顔と猫なで声で誠子に近寄り、ときおりさりげなく手をとったり、肩を抱いたりするのだ。最初は単にこの男の癖かなにかだろうと軽く考えていたが、どうやら自分はこの男に性的な好意を寄せられているらしいと悟ったのは、沖田から「武田さんには気をつけた方がいいね」といわれてからである。言われてみると自分を見つめるときの武田の目はらんらんとしていて、見るからに尋常でない。武田はなにかにつけて「池田屋の事件でなにごともなく丸くおさまったのは、俺のとりなしのおかげだよ」などと恩着せがましく言いながら、二人っきりの時間を作ろうとした。もちろん誠子が女であるとは認識している様子はない。あとで聞いた話だが、武田は無類の美男子好きだった。


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