第11話 市中巡察
新撰組の一日は朝六時の起床で明ける。宿舎としている八木邸に隣接する壬生寺で朝稽古を行い、軽く汗を流したあとに八木邸に戻り、下女が用意した朝食を皆で取る。ほどなくして隊ごとに市中巡察に出かける。
かといってよくテレビや映画であるように道幅いっぱいに広がって隊列を組んで練り歩くような真似はしない。各隊でさらに細かく割り当てられた区域を二、三人で徘徊する。その間に町娘を冷やかしたり、変わった様子がないか顔馴染みに声をかけたり、稀に怪しい人物を見つければ問いただして本営に連れて行くこともあるが、少なくとも、のっぴきならない刃傷沙汰に遭遇することは滅多にない。中には一人でふらふらする輩もいる。殊に誠子が所属する一番隊は規律が緩く、それぞれの行動は個人に任されている。組長の沖田自ら一人でどこかに雲隠れしてしまうことも珍しくない。
夕食は午後六時だ。そのために八木邸に戻ってくる者もいれば戻ってこずに外で夕食を済ます者もいる。午後六時から午後八時までは基本的に自由時間なのでどこで何をしていても構わない。しかし、八時までには必ず宿に戻らなければならず、理由や断りなくその門限を破ることは幹部であろうとご法度であった。いずれにせよその後は風呂に入ったり晩酌をおこなったりして各々ゆっくり過ごし、夜回りや急な出動命令がない限り、総じて十時ごろには就寝するのが隊員の日課である。
誠子が所属する一番隊組長の沖田総司は一人になる時は徹底して一人で過ごすが、仲間を同道する時は、四、五人連れ立って歩くのが常だった。誠子は沖田に気に入られていたので、いつもその中にいた。
沖田は、仲間といる時は、常に陽気である。よく喋るし、笑う。皆にもよく喋らせる。常に面白い話しや出来事に飢えている様子だった。どうやら退屈が苦手らしい。市中巡察の時も、話のネタが尽きて退屈してくると、やにわに、かけっこをしようといったり、かくれぼうや鬼ごっこをやろうという。冗談や嫌がらせで言うのではない。そうした子供の遊びを本気で楽しむ。しかし子供の頃の遊びには目新しさがないため、いずれ飽きてしまう。しばらくしてもっとおもしろい遊びはないだろうか?と大真面目に誠子に聞いてきた。そこで、誠子は子供の頃にほんの少しばかり遊んだ覚えのある、ドロケイやポコペンを提案してみた。ただ泥警という言葉はこの時代では理解されないので、誠子は捕物ごっこと呼んだ。そしたら沖田は子供のようにとてもよろこんだ。わざわざ岡っ引き役には古道具屋から仕入れた本物の十手をあてがったほどである。そして「これは鍛錬にもなるね!」と笑っていいながら街中を走り回っていた。しかし大の大人が、しかも新撰組のだんだら羽織を纏った隊員が昼間から集団で血相を変えてポコペン!と叫びながら街中を走り回るのだから、何も知らない町民にとっては恐怖そのものであった。しばらきして本部にクレームが届いたらしい。そこでポコペンはそれっきり行われなくなった。沖田は大切なおもちゃを取り上げられた子供のように心底しょんぼりしていた。その落ち込みははたで見ていてもかわいそうになるぐらいであり、さすがに見かねた誠子は謎解き宝探しゲームを提案してみた。あらかじめ鬼役が街中に宝と複数のヒントの書かれた紙片を埋めておき、最初に手わたされた宝の地図とあちこちに埋められたヒントをたどりながら、宝の場所を探し出すという単純なゲームだ。しかしこの遊びは幕末の青年たちにとって新鮮そのものだった。沖田は予想以上にこのゲームに夢中になった。「新の字、君は天才だよ」と目を輝かせて誠子に感謝した。
沖田はまる一ヶ月間毎日この遊びに朝から夕方まで熱中した。鬼役は当然誠子にしかつとまらないので、誠子は毎晩遅くまで宝探し遊戯の準備に追われる羽目になった。
誠子は自分は一体なにをしているのだろうと本気で考えた。沖田の遊び相手をしているようなものだった。もちろんその間一度も刀を抜くことはなかった。
しかし、一度だけまさに一触即発の事態に直面した。
その夜、誠子は、沖田と他の隊員二人とともに夜回りに出かけた。
すると、前方からこちらに向かってくる三人組に出くわした。三人はしたたかに酔っており、こちらの様子に気づいていない。しかし、数メートル先でようやく誠子たちの提灯に気づき、にわかに息を潜めた。明らかに前方から近づく集団が新撰組であると認識した様子だった。
しかし三人組は無言で一団をやり過ごそうとした。
「待たれよ」
沖田が声を上げる。
「新撰組だが、いずれの藩の方でござるか?」
「薩摩藩の者でごわす……」
前屈みになって歩く男がくぐもった声でそう返答した。その時、一瞬男は誠子の顔を見て反っ歯をあらわにしながら卑屈に笑った。誠子は無意識に笑みを返した。
が、その表情に誠子は殺気を感じた。
(只者じゃない。クローン兵士か?)
この時代に男のクローンが存在するわけがない。もしかすると刺客のガイノイドが男に変装しているのではないかと訝しみ、提灯をかざしてその浪人の骨太の骨柄と無精髭の人相をあらためたが、どう見ても男である。しかし——それが男の神経を刺激した。誠子は男の眉間に怒気が走流のを見逃さなかった。
(あぶない——)
誠子は刀の柄に手をかけた。しかし沖田が誠子の肩に手を乗せた。
「よろしい。今宵は新月ゆえくれぐれもお気をつけてくだれ」
沖田がそういうと男は下を向いたままうなずいた。
「はい、そげんいたしもす」
そう言い残すと男は連れの二人に肩を預けながら千鳥足で歩み去った。
「あれは土佐っぽでしょうね」
三人組が暗闇に消えた後、沖田は両手を胸の前で組みながらつぶやいた。
「ならば、ひっ捕らえましょう!」と同行している隊員の一人が勇んで追いかけようとした。
「やめなさい。あの出っ歯の前屈みの男、あれは岡田以蔵っていう人斬りです。酔っ払っているとはいえ、返り討ちにあうのがオチですよ」
「なら私も行きます!」
誠子が言うと、沖田は涼しい顔で首を横にふった。
「中岡くんが行けば、きっと壮絶な斬り合いになるでしょう。中岡くんが勝つとしてもそれ相応の手傷を負うことになります。無益な血はあまり好きじゃないんですよ」
「なら捕縛しましょう」とさっき率先して三人組を追いかけようとした隊員とは別のもう一人の隊員が言った。
「無理ですよ。きっと修羅場になります。捕物ごっこと実際の捕縛は違いますから。それに幕府の捕吏が総動員をかけて追っているようですから、そのうち行き場を失い、満足に食べる物にもありつけなくなれば、おのずと捕まりますよ。そもそもあの手の輩は放って置いても身を持ち崩して自滅するか、仲間によって処分されます。小ものってことです。我々が捕まえるべきは、もっと大ものです。集団で事を構えようとする者たちですよ。私の勘ではもうどこかで蠢いてますよ」
誠子には沖田の意図するところがよくわからなかった。
「さあ寒くなってきました。今夜はもうこのへんで帰りましょう」
そういって沖田は懐手のまま鼻歌を歌いながら先頭に立って歩き始めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます