第9話 壬生寺
京、律宗大本山壬生寺。
そこに新撰組の調練場がある。そのすぐ裏手の八木邸が新撰組の屯所となっていた。
二人——中岡新三郎となった風馬誠子と松本捨助は、八木邸の奥の部屋にいた。目の前に色黒のいかつい男がデンと座っている。新撰組局長の近藤勇である。
やがて廊下に面した障子が開き、二人の男が部屋へ入ってきた。一人は総髪の色白の男。もう一人はいかにも侍然とした謹直な男。——二人はそれぞれ近藤の両脇に座った。
捨助と誠子は深々と頭を下げた。
「親父さんと彦さんからの紹介状だ」
と野太い快活な声で近藤勇がそういうと、右隣りにいる男に書状を渡した。色白の男は眉間に皺を寄せながら一読したあと、何も言わずぶっきらぼうに書状を近藤に返した。それからその男は、近藤が左隣りの謹直な男に書状を渡している間もじっと目の前で平伏している捨助を睨んでいた。
「まあ二人とも顔を上げてくれ」
近藤の声に誠子と捨助はおもむろに顔を上げた。近藤は大きな口をパックリ開いて笑っていた。
「中岡くん!すまんがまず立会を見てから入隊を許可するかどうかを判断させてもらおう」
その言葉に近藤の左隣りの男が大きくうなずいた。しかし右隣りの色白の男は訝しそうな表情を浮かべたままである。
すると出し抜けに捨助が両手を大きく前に突き出して頭をさげた。
「私も隊に加えて下さい!」
色白の男が思わず声を上げる。
「馬鹿言うな!捨!」
「いえ、歳兄イ、私は本気です」
その台詞から、誠子はその色白の男が土方歳三であると確信した。
「うるさい、府中へ帰れ!」
「いえ、ここまで来て、おめおめ国に帰るわけにはいきません。この新三郎と一緒にぜひ隊にお加え頂きとうございます」
そういってもう一度捨助は頭を下げた。
土方歳三は中腰になりながら顔面を真っ赤にして捨助を睨み据えていたが、近藤勇は足を崩して面白そうに二人の会話を黙って聞いていた。
「たしか、理心流の心得があるのだったな?」
と近藤が捨助に声をかけた。憧れの近藤勇からの言葉に捨助は目を輝かせながら顔を上げる。
「はい、目録を頂いております」
「おう!そうか」
近藤勇も目を輝かせた。そして隣りで二人のやりとりをじっと聞いている土方歳三をチラッと見ながら言った。
「よし、わかった、せっかく来たのだ。お前も立ち会わせてやろう」
「でも、近藤さん……」
土方は渋い顔をして近藤を睨んだ。しかし近藤は土方の無言の抗議には応じることなく左隣りの男を見た。
「おい、山南くん、立会だ。ここの二人に誰か適当な人間をあてがってくれ」
その男——新撰組総長山南敬助はにこやかにうなずくと立ち上がって、障子を開けて廊下に出た。
しばらくして一人の男が長屋門から庭先に現れた。若い色白の男だが、誠子はその男の用心深い動きを一目見ただけで、ただ者ではないと思った。
「沖田くん、入隊希望者だ。この二人に誰か相手をさせてくれ」
山南がその若者にそう声をかけると、若者は庭先から誠子と捨助を垣間見て微かにほほ笑みながら会釈した。そして背中を向けると自分について来るよう二人に促した。
誠子と捨助は、その若者——新撰組一番隊組長沖田総司の後を追って壬生寺の境内に入った。境内には多くの隊員が双肌になって朝の調練に汗を流していた。沖田は竹刀を肩に担いだまま、庭で稽古をしていた二人の部下を指名し、立会準備を指示した。
「みなさん!立会ですよ」
隊員の視線が一斉に注がれる中、沖田総司は、誠子と捨助にそれぞれ竹刀を渡したた。
本堂の濡れ縁にはいつのまにか近藤、土方、山南の三人が並んで正座している。
誠子と捨助は百人近くいるとおもわれる隊員たちに囲まれた。そこへ二人の男が威勢よく人垣の中から飛び出した。男二人——誠子と捨助の対戦相手は、鉢巻と襷を巻き、竹刀を腰に当てがいながら気合十分な様子で二人の前に立ちはだかった。あたりは水を打ったように静まり返る。
二人は草履を脱ぎ捨てた。そして相手に礼をした後、二人とも相手の動きに合わせながら竹刀を青眼に構える。
「おのおの、三本勝負だ。始め!」
と近藤の声が飛んだ。
誠子の相手は背丈こそさほどないが、いかにも屈強そうな若者だった。相手は明らかに先輩の意地を見せようと気負っている。しかし、誠子は機先を制し相手に攻撃の隙を与えることなく最初に面、次に胴を抜き、あっという間に勝負を決めた。
あまりの早技に周りからため息がもれた。
「見事!」
濡れ縁で端然と立会を見つめる山南敬助も思わず唸った。
一方の捨助はというと、互いに力量が拮抗し、一対一の五分となっていた。勝負の三本目は激しい鍔迫り合いとなったが、甲高い掛け声とともになんとか面を打ち込み、捨助が勝負を制した。
「やめ!」
濡れ縁から近藤勇の野太い声が飛んだ。
「歳、どうだ?」
土方歳三は片膝を立てながら苦々しい表情で近藤勇の顔を見た。
「こっちは文句なしだ。………だが、捨助は、松本家に申し訳ない」
近藤は腕を組んで少しばかりはにかみながら顔をしかめた。
「いや、ちょっと待って下さい。私に立ち合わせて下さい」
と突如みずみずしい声が境内から響いた。
「どうした、総司、物言いか?」
声の主である沖田総司は、濡れ縁に佇む近藤勇の方へまっすぐズカズカと歩み寄る。
「ええ、木刀で立ち会わなければ、本当の強さはわかりませんよ」
沖田総司は近藤の目の前に立ち、ニコリと笑った。
「二人と立ち会うのか?」
即座に総司は首を横に振る。
「いえ、松本さんは、土方さんに任せます。私の相手は中岡さんです」
というと木刀の先を誠子の顔へ向けた。
「よし、面白い。やってみろ」といって近藤は膝を打った。
見習隊士の少年が防具を二人に渡そうとした。しかし沖田総司は手で制した。
「防具はいりません」
「なら私も」
そういって一旦かぶりかけた面を誠子ははずした。さらに竹胴もはずそうとした。
沖田総司はカラカラと笑った。そして、見習隊士から面を受け取ると、
「仕方ない。正式隊員でもない方に怪我を負わすような真似はできませんね。――わかりました。私もつけましょう。一本勝負ですよ」
誠子はうなずいた。そして、沖田が面をつけるのを見届けてから、すばやく面を再び頭にかぶった。
風馬誠子は令和の時代にガイノイドとして生を受けてからずっと剣道に励んできた。誠子が生まれ育った日本で剣道は、国技や武道の枠を超えた圧倒的な人気スポーツである。その人気は日本だけでなく海外にも広まっていた。急速な広まりを見せたきっかけは太平洋戦争だった。戦勝国の日本は植民地だけでなく敗戦国にも政治、文化、経済面で良きにつけ悪しきにつけ影響力をもつにいたった。その中で剣術こそ戦勝国日本の真髄であるという気分が世界中で盛り上がり、戦勝国に学べとばかりに敗戦国のアメリカやイギリスでも多くの若者が一斉に竹刀に飛びついたのだ。日本の武道の中ではオリンピック種目にもいち早く採用された。多くの国々でアマチュアだけでなくプロスポーツとしても確立し、4年に一度のワールドカップが開催されるなど、今や剣道はKendoとして競技人口一千万人を超える世界的人気スポーツになっている。
風馬誠子のドナー人間である市村誠子の父市村少佐もオリンピックのメダリストだった。その娘である市村誠子とその姉の理子も世界ランク一位の剣豪だった。そして市村誠子の体と才能をそのまま受け継いだ風馬誠子は、父親である風馬博士の熱心な教育方針のもと子供の頃からクローン兵士養成道場に通い、剣道のみならず多種多様の武道の体得を余儀なくされた。しかも誠子が身につけたのは、スポーツとしての武道ではなく戦場で実践するための殺陣技である。さらに感情去勢されているので恐怖心がない。だから生身の人間になど負けるわけがないのだ。
しかし目の前に立っている相手はこれまで立ち会ったどの人間よりも理想的クローン兵士に近いように思われた。恐怖心や隙がまるで感じられないのだ。
しかし沖田総司は誠子と睨み合ううちにその表情をみるみる紅潮させ、鬼の形相を表すとともに全身からは妖気とも気迫ともつかない異様な空気を放出させた。——これだけはクローンには決してできない芸当だ。しかしそれこそが人間の弱さがだともいえる。心の動揺には必ずそこに隙が生じるからだ。
(よし、チャンスだ)
誠子は、先に動いた。青眼から面を狙った。しかし、一拍おいて総司も動いた。にもかかわらず総司の剣先は誠子の剣先よりも一瞬早く誠子の脇腹に届いていた。後の先である。
総司の剣先は、誠子の胴をかすめた。しかし当たりは浅かった。誠子は連続攻撃を避けるために後ろに飛んだ。
総司はニヤリとして動きを止めた。しかし次の瞬間いきなり風のように音もなく踏み込んできた。それとともに誠子の喉元めがけて鋭い突きが放たれた。しかもそれが目にも止まらぬ早技で三度繰り返された。——沖田総司の必殺技、三段突きである。一度踏み込む間に後ろ足を巧みに移動させながら三連続で相手の喉元に突きを入れるのだ。一度目はかわせても、二度、三度の連続した突きをかわすとなると至難の業である。現にこれをまともにかわした相手はこれまでに一人もいなかった。
しかし、その壮絶な突撃を誠子は間一髪のところですべて手にした木刀ではねのけた。周囲に驚きの声が上がる。
だが、誠子は同時に上体をのけぞらせたため体勢を崩していた。そこへ総司がしゃにむに打ち込んでくる。誠子はすべての攻撃を木刀で受け止めたが、防戦一方。後退りを余儀なくされる。
「やめえ!勝負あった」
近藤勇の野太い声が響いた。
誠子は尻餅をついた。
こんなに激しい攻撃は見たことがない。木刀と体の動きにまったく齟齬がない。まるで木刀が沖田総司という人間の体からニョキニョキのと生えてきてその体の一部になっているかのようだった。
「すごいなあ。久しぶりに本気のお前を見たよ」
そういったのは、思わず素足のまま濡れ縁から地面に駆け降りていた土方歳三である。そのかたわらには、立会の激しさから、試合後もまだ肩で息をする沖田総司がいた。
総司は照れくさそうな顔をしながら面を取った。
「茶化さないでください。こっちも必死でしたよ」
「でも三段突きをかわすとはな。たいしたもんだ」
総司は小さくうなずきながら、涼しげな表情のまま手ぬぐいで汗を拭っている中岡新三郎の横顔を凝視した。
「ええ、たいしたやつです………」
土方歳三は総司の視線を追いながら、同じくさっきからその様子を背後から見守る近藤勇と目を合わせた。
「局長、ぜひ中岡くんを一番隊へ下さい」
と総司はやにわに近藤勇に訴えかけた。
近藤はうなずいた。
「わかった。中岡は沖田に任せる」
沖田は子供のように赤い頬でニッコリと微笑んだ。
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