アクエリアスの付喪神
「な…………」
付喪神、ってあるだろう?
何年も大事に使われたものに、魂が宿るって考え方だ。いかにも奥ゆかしい日本人らしい、気品ある風習だよな。
でも、それってあくまで考え方なんだ。〝ものを大事にしましょう〟って、小学校、いや幼稚園で習うような道徳の基礎中の基礎。道徳なんだよ、これって。
たかが頭の中での空想なんだ。魂が宿る? そもそも魂ってなんだよ、って話になるだろ。
魂とは、身体に宿り、その身体が触れた道具に宿る。その道具に触れた回数、そして込めた思いの分だけ魂が宿る。たとえば汗の染み込んだグローブ。形見のペンダント。恋人から買ってもらった時計……その形は様々だろうさ。もし魂ってもんが実際にあるのならな。
……いや、あるんだよ。あったんだろうさ。
俺は神とか幽霊の類は一切信じちゃいねえ。だって見えねえもんをどうやって信じろってんだ。
だが今の俺なら、そいつらまるごと信じてやってもいいって気になっていた。
「――ご主人様」
だって、魂が。
付喪神がそこにいた――。
「会えてよかった――――これから、よろしくお願いします」
10年放置していたペットボトルの中身が、人の形を成した。
「…………って言うと、あんたはその…………アクエリアスの付喪神、ってことになるんだな?」
「はい、ご主人様」
「あー、一個。質問いいか」
「はい、ご主人様」
「…………アクエリアスの付喪神ってなんだよ」
「アクエリアスの付喪神でございます、ご主人様」
ほしかった答えは帰ってこなかった。いやまあ、話が通じるなんてハナから思ってはなかったが……。
「どうしましたか、ご主人様」
「いや、あの…………」
正直、困惑している。
引っ越しするってんで部屋の掃除をしてたら、物置にしてたベッドの下からこいつが飛び出てきた。なんか今のアクエリと違うなと思って検索してたら10年前のデザインであることがわかり、とりあえず写真を撮って友人にでも送ろうと思ったその時だった。
ひとりでにペットボトルの蓋が開き、中身が飛び出してきた。
しかもそいつはみるみる形を変え、ついには年若い女(男かも)の姿になったのだ。
そしてそいつは俺のことをご主人様と、まるで語尾がそうかのように呼んでくる――――。
「体調が優れないのでございますか、でしたら私をお飲みくださいご主人様」
「10年前のアクエリなんか飲めるかッ」
反射的にそう返すとシュンとしたような顔をした。おい、まるで俺が悪いみたいじゃないか……。
というか美人な面してる人型のものに口つけて啜るって構図、なんかに目覚めそうだ。そうでなくともこいつは透けてるんだ。向こう側の景色が見える。
…………なんかこういう性癖ありそうだよな。
断じて俺がそうなわけじゃないけど。
「申し訳ありません…………あ、では買ってきましょう! 今の私ならお使いくらいはできますので!」
「待て待て待て! 無理! 無理だって!」
半透明の人型液体が外歩いてるなんて、そんな不可思議なこと現代人が見逃すわけないだろッ。スマホ構えて写真パシャパシャ、次の瞬間にゃネットの海にドンだ。UMA愛好家どもにウチの近所がパワースポット扱いされたらどうすんだ!
あ、いやでも引っ越すのか俺。
ならいいか…………?
……………。
……いや、まだあと2週間はいるしな。ここに。
その間に珍スポットになっちゃ困る。そうだよな。
「ご主人様……?」
アクエリアスの付喪神が不安そうな顔で俺を見ている。また粗相をしたのか、と怯えている顔だ。こいつがなんで俺に奉仕心を抱いているのかはわからんが(付喪神ってのはそういうもんなのかもしれない)、不気味でもなんでもそういう顔されるのは忍びない。
俺はとりあえずため息をついて、付喪神を座らせた。
引っ越し作業は今日は終いだ。
ネットで付喪神について調べてみた。が、大した情報は出てこない。せいぜいがWikipediaかまとめサイト、あとは付喪神を題材にした小説がいくつか出てきただけだ。実際に付喪神に会った、なんて事例は一つも出てこなかった。
少なくとも、信用に値するのは。
(まあ、普通はねえよな…………)
こんなおかしなこと……。
「どうかされましたか、ご主人様」
「ベッド脇にずっと立たれてると寝るに寝られねえ。ちょっと離れてくれ」
「あ、申し訳ございませんでした……」
う。心が痛くなる。なんだってそう毎回毎回捨てられた子犬みたいな顔を
するんだ。
そんな表情……。
(あー…………)
イカン。もう寝よう。夜だからこんなことを考えてしまうんだ。
その日俺は、夢を見た。
10年前くらいになるかな。俺とあいつはまだ学生で、同じ中学校に通っていた。
俺とあいつは仲が良かった。家族ぐるみで付き合いがあった。互いの家に泊まったし、両親交えてキャンプまで行った。
だがあいつは引っ越すことになった。なんてことはねえ、あいつの親父さんの会社が経営破綻して、新しい職場が遠くにあったってだけだ。
その前日、あいつは俺の家に泊まった。家族はちょうど出払っていて、二人きりの夜だった。
その日俺はあいつと――――。
気づけば朝だった。
(夏だったからってパンツも履かず、一番近くの自販機で買ったんだっけ、アクエリアス……)
激しい運動の後だったからな、まあ。
まだあの熱い感覚を覚えている。あいつの体の柔らかさを、初めて見る表情を。
次の日あいつはあっさり引っ越していった。俺は取り残された。
でも死に別れたわけじゃない。寂しさで泣いたことも、恥ずかしい話あったけど、その後俺はあいつのことをすっかり忘れて楽しくやってた。高校デビューじゃないが、彼女も3人できたんだぜ。大学では一人もできなかったが、それはそれだ。
でも一番思い出深いのはあいつだったな。飲みかけのアクエリアスさえ捨てられずに、ベッドの下になんか放り込んで。
(そんで今頃出てくんだ……しかも意味のわかんねえものに化けてまで……)
付喪神、あいつは俺がよく知っている顔だった。
いや違うな。正確には、俺がよく知っている顔が10年成長したらこうなるだろう、って顔だった。
……好きだったんだろうなあ。
魂なんか宿っちまってよ。
「…………」
俺の言いつけ通り部屋の隅でじっとしている付喪神を、ちらっと見てみた。あいつも当然のように俺の方を見ていて、ばちっと目が合った。
あー、そんな子供みてえな単純な顔……。あいつはしねえぞ。
それともなんだ、俺の付喪神だから俺の妄想が入ってんのか? だとしたらめちゃくちゃ気持ち悪いな……あいつに罪はないけど。
(どうしたもんかなぁ……)
2週間後、俺は引っ越す。
あいつが引っ越していった地に。
(同棲しよって誘われてんだよな……)
そこに、あいつと同じ顔をしたやつを連れて行くのか……???
控えめに言って正気じゃねえな、それ。
「…………付喪神」
俺は寝転がるのをやめて、付喪神に向き合った。付喪神は昨日と変わらず部屋の隅にいた。
「はいっ! なんでしょうかご主人様!」
「やっぱ飲み干していいか、お前のこと」
「! 是非にっ!」
付喪神は嬉しそうな顔をした。飲んだらお前死んじゃうんじゃねえの?
でもこいつにとっては死ぬほどそれが嬉しいんだろうな。俺の魂が宿ってるっつっても、そこは人間の価値観じゃ測れねえところだろ。
俺は付喪神の手を取って、キスでもするように口をつけた。
10年前と変わらない味がした。
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