昼時の戦争
昼時――。
それは一見、おだやかな時間である。
太陽は一日でもっとも高く登り、お昼休みに突入した会社員やら学生やらで道が賑わう。お気に入りの定食屋を新人に教えるために、初老のサラリーマンが自慢げに歩いていく。
しかし、昼とは同時に闘争の時間である。
俺たち、食べ盛りの学生にとっては――!!
「うりゃぁッ!!」
昼休みの喧騒を吹き飛ばすような声量だった。さすが野球部、毎朝7時から絶叫してるだけのことはある。
「通さんッ!!!」
道行く学生を吹き飛ばすようなタックルだった。さすがラグビー部、毎朝7時からサンドバッグ相手に突進してるだけのことはある。
「いいや、俺が行くねッ!!」
そんな力自慢たちをあざ笑うかのようなステップだった。さすが帰宅部、放課後混雑する廊下を一切の減速なしで帰宅するだけのことはある。
昼休み最初の5分の廊下は、さながら魔境だった。ただでさえ狭い廊下を、よく鍛えた体をした連中が埋め尽くす。あるいはテクニックを磨いたヤツらが、トリッキーな動きで縦横無尽に駆け回る。その熱気はすさまじいものだった。水銀温度計の目盛りがぐんぐん上昇していく。
連中の目は殺気立っている。狙いは購買部の伝説の焼きそばパン。あれに使用されている焼きそばはまさに「伝説」だ。毎年恒例の花火大会、その会場の最奥に出店される焼きそば屋台。おおよそカタギとは思えない風貌のおっちゃん(笑顔は素敵)が作る焼きそばは、会場の外にまで客を並ばせるほどにうまい。大抵の客が焼きそばの列で花火を眺めるくらいだ。
そのおっちゃんが作る焼きそばが使用されている焼きそばパンは、ドケチな店主が安物のパサパサしたパンで挟んでいるとは言えうまさの次元が違う。
今ではおっちゃんが肩を痛めたため(正月に孫と羽子板で遊んでいたら痛めたらしい)、水曜日限定で一日10個しか出回っていない。それを全員狙っているのだ。
サッカー部がドリブルで鍛えた足で柔道部にスライディングし、テニス部とチア部が後輩を使って剣道部を誘惑し道を開き、サバゲ部と忍者部がBB弾と手裏剣を撃ち合いを始める。
今や廊下は戦地である。何の力も持たない学生は教室に閉じこもり、その流れ弾が飛んでこないように震えて祈るだけだ。しかし祈りは届かず、投げ飛ばされたサッカー部が今、3−Bの窓を突き破って机をなぎ倒した。
彼らが通った後には死体と血以外何も残らない。それもそのはず、この争奪戦に参加しているのは全員、焼きそばパンを楽しみに一週間食事を抜いたものばかりなのだ。力尽きればもう立てはしない。敗北した瞬間に、膝も心も折れるのだ。
その光景は壮絶の一言に尽きる。中には「体育祭や大会より何より本気で挑んでいる」とインタビューで語った者もいた。彼は今、中庭に通じる渡り廊下の扉に突き刺さっている。
購買部が近づくにつれ、争奪戦は勢いを増す。飢えた獣たちの鼻に、焼きそばの匂いが突き刺さるからだ。限界を超えた筋肉はさらに膨張し、アドレナリンで溺れた脳味噌は恐怖も痛みも感じない。
もはやそこに〝技術〟はない。本能と体力、そして体格がすべてモノを言う。廊下の惨劇も赤色が増えてくる。
そして購買部は目の前に。ここまで昼休み突入のチャイムが鳴ってまだ2分しか経っていない。前述のアレコレは全てその短時間で、極めて高速に行われているのだ。
接触まで、
3、
2、
1、
0!
「焼きそばパン、ください!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
大合唱である。
購買部のおばちゃんのにこやかな笑顔も、ギッチギチに詰めた耳栓があってようやく守られる余裕だ。この前うっかり耳栓を忘れたおばちゃんはその場で卒倒する羽目になった。
「あいよ! 120円ね!」
ここからはおばちゃんもこの死闘に参戦する。一体誰が一番早くたどり着き、「ください」と口にしたか。長年の経験から読唇術を身に着け、購買部前に設置されたスローカメラによって公平な判断を下す。そして誰にも文句を言わせない速さで、焼きそばパンを手渡すのだ。
小銭とおばちゃんの手が交差し、やがて焼きそばパンは売り切れる。
勝利と栄光、そして何よりも得がたい焼きそばパンを手にした生徒たちは勝鬨を上げ、何も手に入れられなかった生徒たちは打ちひしがれる。購買部までたどり着けなかった生徒たちも、倒れ伏し静かに涙を流している。
今回の勝者は9名、いずれも運動部だった。
え? 焼きそばパンは10個じゃなかったかって?
俺はほら、伝説の焼きそば職人の孫だし。
特権ってことで、ね。
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