第124話 帰り支度は大変だった


 望郷の思いっていうのは、つまり故郷に残る縁や思い出が強く人を惹きつけることから来ているんだろうが、それは旅先でも同じことが言えるんじゃなかろうか。

 出会いの数だけ他者との縁が増え、過ごした時の分だけ思い出となってその土地への強くする。

 逆を言えば、例えよその土地であろうと縁や思い出が増えれば増えるだけ、離れる時のつらさが増すということでもある。


 つまり何が言いたいかっていうと、ゲルガンダールを離れるのがこんなに面倒になるとは思ってもみなかった。マジで。






「ご主人様!お客だぞ!」


 仲間の誰にも打ち明けられない用件でほぼ徹夜をする羽目になった翌朝、やや睡眠不足の脳に再起動をかけながら、ドワーフ特有の肉多め、パンと野菜少なめの少々重めの朝食を、食堂でモソモソと食っていた俺の前に、満面の笑顔が通常運転のラキアの姿が飛び込んできた。


「すまんラキア、もう少し声のボリュームを落としてくれんか?」


 通常運転には程遠い俺のメンタルをガリガリ削ってくるラキアに、無駄だと知りつつお願いしてみる。


「わかったのだ!」


 無駄だった。


「いやまったく変わらね……まあいいや、それで、客?俺に?」


「そうなのだ!」


「いや、わざわざ俺に会いに来る奴なんていないだろ」


 こう言っちゃなんだが、ゲルガンダール滞在中の大半をグラファスの大工房で過ごしている以上、俺を指名して面会を求める奴に心当たりなどない。

 これがリリーシャやリーネだったらわかるんだが、多種多様な種族が活動するゲルガンダールでも、人族が街中を歩いているとかなり目立つ。

 人族と分からないように顔や肌を完全に隠せば、外を歩けないこともないんだが、ゲルマニウスのメンツを潰さないためにも、ゲルガンダールを離れるまで大工房に引きこもることを決めたのだ。


「でも、ここにいる人族の男と会わせろと、言っているらしいのだ。それとも、ご主人様の他に人族の男がここにいるのか?」


「……いや、そりゃ俺しかあり得んな。で、その客ってのはどんな奴なんだ?」


「知らないのだ!」


 分かりやす過ぎるラキアの返事にズッコケていると、すっかり顔なじみになったグラファスの高弟の一人が小走りにこっちに来るのが見えた。

 話を聞いたところ、実際に客を取り次いだのはこの人で、俺に知らせる途中でラキアをばったり出会い事情を説明したところ、このバカが一人で先行してしまった、ということらしい。


 ……多分、従者らしいことをやってみたかっただけなんだろうな。

 その内ちゃんとした従者教育をしないといけないんだろうが……ライドに任せるか。


 おそらく今この時もコルリ村で書類仕事に四苦八苦しているもう一人の従者にさらに仕事を投げることを決意しながら、俺は高弟の人にどんな客なのか尋ねた。


 すると、緊張で額に汗をかいている高弟の人はこう答えた。


「大樹界会議の出席者でゲルガンダールの賓客、獣人族代表の巨獣将アングレン様です」






「いやはや、先日は本当に世話になった、タケト殿!今俺がこの場にあるのは、貴殿のお陰だ!是非とも一言礼を言いたくてな!がっはっは!」


 野太い声でそう言いながら笑っているのは、高弟の人を通じてグラファスに断って借りた応接室にて、テーブルを挟んで俺とラキアの向かいに座るでっかい猪の獣人だ。


 初対面――という言い方は語弊があるだろう。

 なにしろ、死霊術士シャクラと対峙した大樹界会議の議場に飛び込んだ際に、一度すれ違っている。

 他人以上、知り合い未満といった微妙な感じの関係だと思うので、別に改めて礼を言われてもな。


「それとな、獣人族の偉大な先達であるゼーゲル様を止めたのが、そこのタケト殿の従者と聞いた!よくぞ憎き死霊術師の頸木から解放してくれた!」


 さらに礼を重ねるアングレンさんだが、今の俺は話を聞く余裕なんか微塵もない。


「ちょ、痛、や、やめ……!!」


 アングレンさんが言葉を発するたびに、重厚な応接室のテーブルをやすやすと跨いで猪の毛に覆われた丸太のような太さの手が俺の肩を叩こうとしてくる。

 大工房で使われているハンマーよりも攻撃力が高そうな張り手をまともにくらうわけにはいかず、両腕で必死にガードし続けているのだ。


 鎖骨!鎖骨がヤバいから……!!(何かが違う自覚はある)


 ちなみにラキアはというと、獣人のアンデッドを仕留めたことを褒められて「それほどでもないのだ!」と照れまくっている。

 そこで主の俺よりも喜ぶのはどうかと思う。ていうか、アングレンの張り手を止めてほしい。切実に。


 そうしてなんとか大きなダメージを負うことなく(ガードし続けた腕は明日辺り腫れ上がりそうだが)、一連のやり取りを一通り済ませた後、俺は幾分か気を引き締めた。

 大樹界会議に出席するほどの大物が、ただ礼を言いに来ただけとは思えなかったからだ。


「アングレンさん、そろそろ本題に入りましょうか。今日はどういう用件ですか?」


「……いや?礼を言いに来ただけだが?」


「……は?」


「は……?」


「「……」」


 ……どうやら本当に礼を言いに来ただけだったらしい。


「うおおおおお、はずかしいいいいいいい!!」と心の中では思いつつも、わざわざ礼を言いに来てくれたアングレンさんに恥をかかせるわけにもいかない。

 とにもかくにも話題を切らさないようにと、コミュ障なりに必死に話し続けて場を繋いだ。

 そんな俺の努力が良かったのかアングレンさんの懐が深かったのかは分からないが(多分後者だ、99対1くらいで)、それ以降はなんとなく和気藹々と話ははずみ、短い間ながらも終始和やかなムードでアングレンさんとの対面は終わったように思う。必死過ぎたせいで自信はないが。


 そういえば、コルリ村のことを話題に挙げた時のアングレンさんの様子は少しおかしかったかもしれない。

 特に、シルフィさんが設立した孤児院の下り辺りで、堂々とした巨躯に似合わないほどそわそわしていた、かもしれない。


 いやいや、いくらアングレンさんと同じ獣人とはいえ、犬の獣人のリリィと猪の獣人が知り合いなんて偶然があるわけがない。

 まさかアングレンさんがリリィの家族と知り合いで、内心はそわそわどころじゃなく、一刻も早く知らせに戻りたいなんて考えてるはずがないな!


 帰り際に「一刻も早く……」「いや、そうするとお独りで飛び出しかねぬ……」なんて呟いてたのも、俺には何の関係もないよな!絶対に!






 そんな、竹細工を丸一日作り続ける以上の疲労感を味わいながら、アングレンさんのいなくなった応接室でラキアといっしょに茶を飲んでいると、


「お、ここにいたさね」


 ノックもなしにいきなりドアを開けて顔を覗かせたのは、ついさっきまで一緒にいたアーヴィンだった。


「侵入者だ!侵入者がここにいるぞー!」


「ちょ、おま!?」


「冗談だ」


「冗談になってないさね!違いますから!ちゃんと許可もらって入って来てますから!」


 おそらく廊下にいた誰かに見咎められたんだろう、ドア越しに言い訳しながら入ってきたアーヴィンの額には冷や汗が浮かんでいた。


「まったく、ドワーフに対してシャレは通じないって、まだわかってないのかさね」


「いや、半ば本気だぞ」


「なんでさね!」


「俺達がここに滞在してるのは、一応秘密ってことになってんだぞ。普通に訪ねてきて、取り次いでもらえるはずがないだろ」


 特に、魔王軍侵攻以来、グラファスが厳しく目を光らせている。

 正面から来ても、門前払いを食らうはずなのだ。


「はっはっはー、そこは俺のコネでちょちょいと」


「おいおい、四空の騎士の名前ってこんなところにまで轟いてんのかよ」


「違う違う、まあ、これ以上は秘密さね」


「どうでもいいからさっさと用件を言え」


「冷たっ!?まあ、用のほとんどはここに来た時点で済んだようなものさね」


「済んだ?」


 いちいちもったいぶるアーヴィンにイラっと来たのでさっさと帰らせようと思ったら、意外な返事が返ってきた。


「エルフの女王と一緒にゲルガンダール入りして、ドワーフの新王と友誼を結び、そして今獣人族に大きな恩を売った。思った以上の成果を出してるさね」


「恩?成果?何言ってんだ、お前」


「おっと、俺にキレる前に、一つ大事なことを思い出してほしいさね。タケトにとって、コルリ村にとってとても大事なことを――」


 思わず腰の赤竜棍のケースに手を伸ばしそうになった俺を宥めたアーヴィンは、とある話をした。

 長くもなく短くもなく、ただの思い付きを話してるようなアーヴィンだったが、確かに俺にとっては極めて重要な話だった。


「――ということさね」


「……それを、俺にやれっていうのか?」


「タケトだって切羽詰まってるはずさね。もちろん、その時になってみないと分からない部分はある。だけど、手札は多ければ多い方がいいに決まってる。特に、自分の大事なものがかかってる時には」


「俺は……」


「ああ、今すぐに決めろとか、そういう話じゃないさね。タイムリミットは、おそらく冬ごろだと思うさね」


「冬?」


「その時になれば、俺の言ってることが分かると思うさね。まあ、その時までにどうするかきっちりと決めておくさね。ただ一つ付け加えるとすれば、彼らにとってもこれは悪い話じゃないさね。要はきっかけの問題で、いざそうなった時には彼らも快く協力してくれるさね」


 そう、言いたいことを言ったアーヴィンは「邪魔したさね」とそのまま応接室を後にした。


 思いもかけない状況に俺が無言でいると、さっきから終始黙り込んでいたラキアが不意に呟いた。


「ご主人様、あの男はいったい何なのだ?」


「何ってお前――」


 アーヴィンとは初対面じゃないだろ、と茶化そうと思ったが、真剣な表情の今のラキアに言うのをすんでのところで思い留まった。


「うまく言葉にできない、できないが、シューデルガンドで会った時とは雰囲気がわずかに違った。月日が経ったからとか、そういう意味ではない。時々、ほんの一瞬、何か別の生き物を見ているような……いや、忘れてくれ。きっと私の気のせいなのだ」


 そう自分に言い聞かせた後のラキアはすぐにいつも通りのテンションに戻ったが、もしあと少し真剣モードが続いていたら、俺はこう答えていただろう。


 奇遇だな、俺もそう思ってたところだ、と。






 そんなことがあったせいだろう、帰り支度の荷造りをする気になれずに悶々とする時間がしばらく続き、ようやく気持ちを切り替えられそうだと思った夕食後、またしても俺の元に訪問者が現れた。


「お休み前のところをごめんなさいね。この時間しか予定が空かなかったものだから」


 そう言ってわずかなお供と共にやって来たのは、ライネルリスさんだった。


 再びグラファスに応接室を借りて用件を聞こうとしたところ、


「申し訳ないのだけれど、私、タケトさん、ジルジュの他は出てもらっていいかしら?あと、リーネルリスをこの場に呼んでちょうだい。言い聞かせることがあります」


 そう言われた面々が退室し(自称俺の従者のラキアはブーブー言いながら)、三人だけになったところで、ライネさんの方から話を切り出してきた。


「昼間にアングレン殿が訪ねてきたらしいわね。遅くなったけれど、私からもちゃんとお礼を言っておかなくちゃね。タケトさん、この度は本当に助かりました。私達を、大樹界の未来を守ってくれてありがとう」


 椅子から立ち上がって深々と頭を下げるライネさんに、何となくこうなるんじゃないかと思っていたとはいえ、やはり動揺してしまう。


「いやライネさん、頭を上げてください。困りますから」


「……いつもならこのままの姿勢でタケトさんの慌てるところをじっくり観察したいのだけれど、今日は真面目な場にしたいからこのくらいにしておきますね」


 じゃないと、頼み事もしづらいから。


 そう言って頭を上げたライネさんの透き通った眼が、ピタリを俺を見据えた。


「タケトさん、一つお願いがあります。このジルジュをタケトさんのコルリ村で、しばらくの間預かってもらえないかしら?」


 ライネさんの言葉自体は唐突なものだが、そのお願いは俺の中ではすでにある程度受け入れているものだった。

 以前、セーン一族の長ネルジュと別れた時、そんな感じのことを言っていたのを憶えていたからだ。

 普通なら冗談だと笑い飛ばすところだが、ネルジュの俺達への感謝の念とジルジュの生真面目さを考慮すると、石にかじりついてでもコルリ村までついてくる未来が見えていたからな。


 なので、割と自然に「いいですよ」と言おうとしたその時、ライネさんの真剣な表情が、イタズラ娘のそれに急変した。


「と、思っていたのだけれどね、気が変わっちゃった」


「は……?」


 どういうことか、と俺が聞こうとしたのをまるで阻止するかのように、応接室のドアがノックされた。

「どうぞ」と客のはずのライネさんの声で入ってきたのは、さっき呼び出されていたリーネだ。


 そのリーネの姿を確認した途端、ライネさんの爆弾発言が飛び出した。


「タケトさん、ジルジュを引っ込める代わりに、リーネをコルリ村に連れて行ってもらえないかしら?」


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