第121話 一難去った 後編


「とりあえず、大方の後始末と今後の方針が決まりましたので、お知らせに上がりました」


 表向きは、エレガム討伐に力を貸したグラファスへの謝意を表すための訪問という形でやって来たゲルマニウス。


「とは言っても、重要な案件のいくつかは、兄上の意向を聞いた上で決めるつもりなのですが」


 実際は、伝説の王で実の兄であるゲルガスト――ドンケスに会うために来たのは明白だ。

 その場に俺、ラキア、リリーシャを同席させているのは、あくまでついでなんだろう。

 直接関係のないリーネまでいるのは、ライネさんへの配慮か?


「まずエレガム討伐ですが、私とグラファス殿の二人で行ったものだと発表することになりました。グラファス殿、そういうことでお願いします」


「ワシは構わんが、それで収まるのか、ゲルマニウスよ?」


 当然の疑問を口にするグラファス。

 その顔は、手柄自体には何の興味もなさそうに見える。


「幸いなことに、住民の多くは坑道に避難していて、あの光景を目撃している人はほぼ皆無です。遠目に見ていただろう戦士団にはかん口令を敷いていますので、事実が明るみになる心配はありません」


「そうか。だが、それもこれもそこの張本人の動き次第で全てひっくり返るのではないか?」


「はい、その確認のために、こうして今日伺ったのです。兄上」


 そう言ったゲルマニウスがドンケスに向き直った。

 その表情は、敬意と緊張の入り混じったものに見えた。


「言葉を重ねるのは今でもお嫌いでしょうから、一度だけお聞きします。ゲルガンダールにお戻りになる気はありますか?」


「無い。ワシは今の生活が気に入っとる」


「そうですか……いえ、そう言われると思っていました」


 納得の、しかしわずかに残念そうな雰囲気を振り切って次の話題に移ろうとしたゲルマニウスだったが、なぜかドンケスが止めた。


「待て、ゲルマニウス、ワシからも言っておくことがある。ワシがゲルガンダールを離れてからの二百年のあらましは、グラファスから聞いた。風の噂には聞いていたが、正直ここまでの発展をしているとは思っていなかった。そして、その中心となったのがゲルマニウス、お前だということも聞いた」


「いえ、私など……」


「兄の前で謙遜はよせ。偏屈で人付き合いが苦手、そんなドワーフのイメージを覆し、人族、亜人、魔族と公平に付き合い、この二百年に平和の時代をもたらしたのは元老筆頭のお前だと、誰もが口をそろえて言うらしいではないか。少なくとも、ワシのような戦いと鍛冶にしか興味のない粗暴なドワーフでは成しえなかった偉業だ」


「しかし、今回魔王軍の侵攻に対しては、すべてが後手に回ってしまいました。その責は魔王軍への警戒を怠った私にあります」


「為政者でもあるお前が心にもないことを言うな。民衆は、魔王軍の手からゲルガンダールを守り、被害を最小限に抑えたという結果にしか興味はないことくらい、お前ならわかっておるはずだ。今ゲルガンダールに必要なのは、罪人か?それとも英雄か?」


「それは……」


 思い悩むゲルマニウスを見て、ドンケスが溜息をついた。

 ただしそれは決断できないゲルマニウスへの失望のものではなく、ドンケス自身の後悔の念を込めたものに、俺には思えた。


「一つだけ後悔していることがあるとすれば、二百年前に退位と出奔の手紙一つだけを残してゲルガンダールを去ってしまったことだ。あの時は去る者が余計な言を重ねるべきではなく、全ては残る者達で決めるべきだと思ってのことだったが、重要なことを忘れていた。ゲルマニウス、お前が常にワシの背中を追って生きてきたことだ」


 そう言ってゲルマニウスを見るドンケスの眼は、未だかつて見たこともないほどに優しく、温かみがこもっていた。

 まさに、肉親へ向ける情そのものだった。


「あ、兄上」


「もうワシの背を追うのはやめろ。いや、そんなことをする必要はもう無い。すでに為政者としての器量はワシをはるかに超えておる。そして、お前が思い描くゲルガンダールを、大樹界の未来をその手で作り上げろ」


「兄上……」


 いつの間にかに滂沱の涙を流していたゲルマニウス。

 その顔を見たドンケスがもう一度微笑むと、伝説の王の威厳を持った声で告げた。


「ドワーフ族先王ゲルガストとして命じる、ゲルマニウスよ、ワシの跡を継ぎ、王となれ」


「謹んで」


 図らずも、ドワーフ族の、そして大樹界の歴史が大きく動き出す瞬間に、俺達は立ち会うことになった。






 その後、グラファスの提案で、兄弟の再会とゲルマニウス王誕生のささやかな内祝いが工房内の広間で行われた。(宴席で消費された酒量はささやかではなかった、とだけ言っておく)

 出席者は俺、ドンケス、ラキア、リリーシャ、グラファス、そして主役のゲルマニウスで、工房の高弟さん達が料理や酒なんかを準備してくれた広間に集まって、少数ながら賑やかな宴会だった。(リーネは空気を読んで欠席してくれた。ていうか、ドワーフ同士の酒合戦なんてあのお嬢様には刺激が強すぎる)


 その後それぞれが長テーブルの上座に座るゲルマニウスにお祝いの言葉を述べたのだが(以外にもラキアがきっちりとこなせたのは驚いた。母親の教育の賜物か?)、俺の番になってやっぱこれまでの様にタメ口はマズイかでも敬語はぼろが出そうだなと思っていると、「言葉遣いはこれまで通りでお願いします」とゲルマニウスの方から話しかけてきた。


「正直、俺の方は助かるが、いいのか?」


「ええ、王ともなれば、気軽に友人を作るわけにもいきませんから。公の場以外ではそうしてもらえるとありがたいです」


「……そうか、わかった。おめでとう、ゲルマニウス。なったばかりで言うのもなんだが、何かあったら手紙でも出して相談してくれよ。友達なんだからな」


「ありがとうございます、タケトさん。と言っても、今大きな借りがあるのは私の方ですから、困ったことがあれば何でも頼ってくださいね」


 そう言って笑うゲルマニウスの表情には、これまで以上に器の大きさが感じられた。


 実を言うと、友達云々の下りは初めは言うつもりはなかった。

 だが、ドンケスから王位を継承したゲルマニウスが醸し出す余裕と気品が、俺自身すら気づいていなかった本音をさらけ出させた。


 ……これが王者の風格か。ひょっとして俺、けっこうとんでもない「友達」を持っちまったんじゃないか?


 そんなことで思い悩んでいると気づかれてはいないと思うが、それまで宴会の賑わいの中で微笑んでいたゲルマニウスの顔が幾分か引き締まった。


「ちょっと遅れてしまいましたが、実は私の方からもう一つ、タケトさん達に話があるのです。お仲間の方々には、タケトさんの方から後で必ず伝えてください」


 そう言ったゲルマニウスと俺の視線の先には、ハイになったラキアとリリーシャの姿が映っていた。

 詳細な状況は……あいつらの名誉のために伏せておこう。

 酒はそれほど飲んでいないはずだ。揮発したアルコールが充満するこの部屋の空気に当てられただけで。


 俺?

 俺はそっち方面でも爺ちゃんから鍛えられたからな。酒は飲んでも飲まれるなってやつだ。

 もっとも、ゲルマニウスの話が途中で終わっていたのが気になってた、ってのもあるんだが。


「本題に入ります。兄上とタケトさん達には、速やかにゲルガンダールを離れていただきたいのです」


「それは……」


「ワシのせいだ、タケト」


 思いもかけないゲルマニウスの言葉にとっさに返そうとしたが、機先を制して声をかけてきたのは、どうやら話を聞いていたらしいドンケスだった。


「やむを得ない状況だったとはいえ、エレガムを倒したあの一撃は、見る者が見ればワシの仕業だと気づく。今はまだ厳戒態勢中で大人しくしておるだろうが、早晩ワシの居場所を探ろうとする輩が出てきてもおかしくはない」


「それでも、兄上がゲルガンダールに帰還されるというのなら問題はないのですが、はっきりとその意思はないと聞いた以上、兄上の滞在は害でしかありません。もちろんお仲間であるタケトさん達も同様です」


 兄であるドンケスを前にして、害と言い切ったゲルマニウス。

 そう言われた当のドンケスはというと、口元を歪めてニヤリと笑っていた。

 確かに、今までのゲルマニウスなら、そう言うつもりはあってもなんだかんだで言葉を濁していたかもしれない。短い付き合いの中でもそう思わせる性格の持ち主だった。

 ドンケスからしたら、王になる覚悟が決まったかと思ったんだろう。


「そこで、兄上とタケトさん達には、厳戒態勢が解ける直前の三日後にゲルガンダールを離れてもらいます。なお、このことはアンゲス殿達にも知らせていません。完全に私の独断となります」


「王の独断、いいではないか。むしろアンゲス達もお前の覚悟を知れば涙を流して喜ぶだろう。それこそ、街から数人の余所者が消えたことなど気にする余裕も無いほどにな」


「ふふふ、後で真相を知らせた時の三人の顔が目に浮かぶようです」


 互いを見て微笑むゲルマニウスと口元を歪めるドンケス。

 笑顔の種類こそ違うが、その似通った思考はさすが兄弟と言ったところか。


「しかしそうなるとゲルマニウスよ、帰りに同じルートを使うわけにはいかんぞ。なにせ正体こそ知られていないとはいえ、ワシの存在は衛兵どもにしっかりと見られておるからな」


「ぬかりはありません、兄上。今、アレの整備をさせているところですので」


「おお、アレか!しかし、人族が果たして耐えられるか……いや、タケトとラキアならば大丈夫か……」


「あー、非常に不安だからできれば聞きたくないんだが、アレってなんだ?」


 兄弟水入らずの会話のところを悪いとは思ったが、さすがに聞き捨てならない内容に思わず口を挟む。


「申し訳ありませんタケトさん。一応ゲルガンダールの機密ですので、当日までのお楽しみということで」


 どう見ても楽しんでるのはお前だろゲルマニウス、という目をドンケスにも向けてみるが、


「王が決めたことだ。ワシが口を出せるわけがなかろう」


 ものの見事に躱されてしまった。


「三日の猶予があればタケトの工具も完成する。コルリ村に持ち帰るその他の道具や土産などの吟味もできるだろう」


「もちろん、今回の礼とは別に、私からも相応の品を送らせていただきます」


 二百年のブランクが嘘のように和気あいあいと話し込むハイドワーフの兄弟を横目に、そこはかとない不安を植え付けられた俺は、グラスに注がれた酒の力を借りて気分を紛らわせようと決意した。






「すみませんタケトさん、送っていただいて」


「気にするなよ。なんだかんだで引き止めたのはこっちなんだからな」


 すでに夜の帳が降りたゲルガンダールの路地を、ゲルマニウスと二人で歩く。


 厳戒態勢の中でも理由さえあれば自由に街を歩けるゲルマニウスでも、さすがに朝帰りするわけにはいかなかったらしく帰ろうとするのを、唯一酔いつぶれていない俺が送っていくことにしたのだ。

 ドンケスとグラファスは酔いつぶれてこそいないが、前回以上の惨状を今も繰り広げている。

 ゲルマニウスがこうして酒に飲まれていない姿を見る限り、全てのハイドワーフではなくあの二人がひどいだけだと知れたのが、救いと言えば救いだ。


「しっかし、ものの見事に衛兵に出くわさないな」


「ははは、これでもゲルガンダールの治安維持の最高責任者でもありますから、僅かに生じる見回りの隙は承知していますよ」


 事も無げに言うゲルマニウスだが、普通なら大なり小なり緊張して当然の状況で、新たなドワーフ王からは微塵も感じられない。

 やはり、ゲルマニウスには王としての器量が備わっているということなんだろう。

 再会してすぐにドンケスが許したのも頷ける。


 そう思っていたら、不意に横を歩くゲルマニウスの足が止まった。


「……お気づきだと思いますが、タケトさん達がゲルガンダール入りしてから、勝手ながら私の方であなた方のことを少々調べさせていただきました」


「まあ、ライネさんのお墨付きがあったとはいえ、まるっきり不審者だったもんな」


「明日、あのライネルリス殿とタケトさん達とのことで話し合いを持たなければならないと思うと、少々気が重いですよ。その調査の中で分かった数少ない情報の中で、タケトさんが大樹界に隣接する土地の代官を務めてると聞きましたが……」


「ああ、ちょっとした縁があってな、何の因果か引き受けることになった」


「やはりそうでしたか。それでしたら……」



「あーー、お話し中のところ非常に悪いんだが、長くなりそうだったんでお邪魔するさね」



 その聞き覚えのある声と気配は何の前触れもなく現れた。

 それも、話し込みながらも周囲への警戒を怠っていなかったはずの、俺とゲルマニウスの正面に。


「ア、アーヴィン!?」


「あ、あなたは……!?」


「おっと、これ以上の問答は無用でお願いするさね」


 人差し指を立てて俺達の言葉を封じた、SSランク冒険者にしてグノワルド王国四空の騎士の一人、アーヴィン。

 しかし、自身の言葉を止める気はなかったようだ。


「タケトとゲルガンダール四元老筆頭――いや、もう新たなドワーフ王と呼んだ方がいいんかさね?」


「おまっ――!?」


「タケト、こっちの口がすべったのは認めるが、ちょっと黙っててほしいさね。何しろ――」


 ――フワリ


 その瞬間、なぜアーヴィンが何の前触れもなく俺達の前に立てたのか、俺は理解した。


 突如辺りを包み込んだ、月明かりが霞むほどの黄金の輝き。


 幻かと思うほど一瞬で消えたその輝きの後に現れた第二の男。


 その気配は黄金よりなお輝き、その絢爛さで敵意よりも先に魅了が心の中で生まれ、俺の精神をむしばむ。


「よう、少しはあの時よりも強くなったか?」


 邂逅の後にセリカに教えられた魔族最強の金の将が、再び俺の前に姿を現した。

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