第116話 アンデッドと対峙した 3
「グ、ググ、グググググ……」
能力的にも数的にも有利な状況で、俺とリリーシャの二人に敗北した三体のアンデッドの戦士達。
その、最高傑作とまで言っていた三体のアンデッドがやられてしばらく呆然としていたシャクラだったが、突然その場で膝を折って四つん這いになると、うめき声とも唸り声ともつかない音を喉から出し始めた。
「うかつに近づくなよ、タケト」
「わかってるって」
手駒を失い無防備ともいえる姿のシャクラに、それでも警戒を解かないリリーシャが改めて俺に注意してきた意図はもちろんわかっていた。
この世界に来てまだ日の浅い俺だが、それでも魔導師という奴らの用心深さはそれなりに認識してる。
さすがに死霊術師に会ったのはこれが初めてだが、だからこそ魔導師には本来必須の前衛がいなくなった後でどんな手札が飛び出してくるか、慎重に見極める必要があった。それをリリーシャは言外に指摘したんだろう。
……まあ、個人的にはそれ以外にもう一つ、割と切実な理由があったりするんだがな。
そう思いながら、俺はドワーフのアンデッドを(文字通り)吹き飛ばした短刀の状態を確認する。
……使えてあと二回、いや、消耗品と割り切れば三回は行けるか?
いや、さすがに間合いもへったくれもないこの短刀だけじゃ心許なさ過ぎるな。早いとこ赤竜棍を拾いたいところだが……
そう思った俺が床に転がってるはずの赤竜棍を見つけようと視線をさまよわせたその時、ふいにシャクラの声色が変わった。
「グググ、ググ……ククク、クハハハハハハ……」
笑い声を上げながら、緩やかな動きで体を起こしたシャクラ。
これまでよりさらに青ざめたその顔からは、絶望と狂気の狭間で揺れる迷いが見えるような気がした。
「……認めるしか、ないのでしょうね。死霊術師の力の全ては、自らが作り上げたアンデッドにのみ存在します。多くの死霊術師が多数のアンデッドを同時に効率よく操るための研究に生涯を捧げますが、私はそんなありきたりなやり方をどうしても許容できなかった。だからこそ、強者の死体という貴重な素体を利用した、究極の個を体現したアンデッドを作って見せると、私の研究をバカにした者達に誓ったのです。そして生まれたのが、マギ・イモータルウォーリア。生前の戦士を上回る身体能力と魔力を備えた彼ら三体は、間違いなく私の最高傑作であり、この作戦での成功を皮切りに私の時代が来るはずでした……」
シャクラの独り言のような話に、俺もリリーシャも答えない。
話の内容的に相槌を求めているように見えなかったこともあるが、魔導師の戦いの初歩中の初歩である魔力の高まりを一切感じられないことに逆に不気味さを感じ、警戒を解けなったからだ。
正式な入口も、隠し通路の方も、シャクラが脱出しようと動いた瞬間にちゃんと対応できるように用心してある。そして、対魔導師用戦術はまだ数回の経験しかないが、俺の得意分野と言ってもいいくらいの自信はある。万が一の時は、シャクラが魔法を使おうとした瞬間に地面から竹の結界を出現させて無力化する心の準備はもうできている。
なのになんだ?
魔法の兆候がないどころか逃げ出す素振りすら見せていないシャクラに、なんで俺は警戒を解けないんだ?
……決まっている。そう、シャクラの目だ。半ば絶望に染まっている奴の目が、それでも危険な光を失っていないからだ。
「……しかし負けた、負けてしまった。ああ、単にこの戦いに敗北したというだけのことではありませんよ。死霊術師としての私の一生が終わりを告げてしまった、そういう意味で言っているのです。……つまり、私に残されたのはただ一つ、『あの方』から頂いた、使徒としての使命を全うする道のみ」
追い詰められたシャクラが何をやらかすか分からない以上、十分に警戒していたつもりだったし、リリーシャにしても同じ思いだったはずだ。
だが、これはさすがに予想できなかった。
わけのわからないことを呟いていたシャクラが不意に言葉を切ると、その身に纏っていたゆったりとしたローブの下からサバイバルナイフほどのサイズの木の杭らしきものをおもむろに取り出すと、一切躊躇うことなくシャクラ自身の胸目掛けて突き刺したからだ。
「ぐあああああああああっ!!」
シャクラ自らが演出した断末魔の叫びにはさすがにただただ驚くことしかできなかったが、まるで死霊術師の方へ吸い込まれるように、我を忘れて近づこうとしていたリリーシャの肩をとっさに掴んで、その動きを無理やり止めた。
「よせ、リリーシャ」
「なぜだタケト?あれはもう助からぬかもしれんが、それでも救命措置を取って一言二言でもいいから情報を吐かせねば……」
「そうじゃない。なにか、なにかがおかしい」
「なんだと?」
最初に感じたのは、例えようのない些細な違和感。
だが、リリーシャと話しているうちにはっきりとした異常を、俺の五感は感知するようになっていた。
……いや、訂正しよう、五感じゃない、感じたのはシャクラの体、正確にはその胸に突き立っている木杭から出ている、あり得ないほど力強い魔力の奔流だ。
「……な、なんなのだ、あれは?いや、なぜあの状態で立っていられるのだ?」
リリーシャの言う通り、自らの手で心臓を貫いておきながらなおも二本の足で立ち続けるシャクラの姿は、もう誰の目から見ても明らかに異常だった。
「クハハハハハハ!!なんという魔力!なんという生命力!この万能感に比べれば、私の生涯をかけた死霊術はいったい何だったのか!」
木杭から流れる膨大な力を受け止めながら哄笑するシャクラ。
「この力さえあれば、その辺のザコでもマギ・イモータルウォーリアの生産は可能――いや、もはや死霊術に頼らずとも私一人で全ての邪魔者を駆逐することも――?」
ポタ
それまで自信に満ち溢れた様子だった様子のシャクラの言葉がふいに止まり、その口元から一筋の黒く変色した血が流れ、地面に落ちた。
その次の瞬間だった。
ゴオオオオオオオオオオオオウ!!
「ギャアアアアアアアアアアアア!?」
それまでシャクラの体内へ向かっていた様子だった木杭の魔力が、轟音とシャクラの絶叫と共にすさまじい奔流となって議場の中を荒れ狂い始めた。
「なぜ、なぜなのだあああアアアアアア!?」
「当然だ。何のつもりかは知らないが、あれだけの魔力が蓄えられた木杭を直接心臓に突き立てるなど、魔力の暴走を起こすに決まっている……」
シャクラの疑問に答えたのか、それともただの偶然かは分からなかったが、俺のそばに駆け寄ってきたリリーシャが解説してくれたおかげで、およその事情は掴めた。
だが、
ゴオオオオオオオオオ!!
「グアアアアアア――クハハハハハハハハハ!!主よ、これが私の運命なのですね!!」
「……まずいな。このままでは魔核爆発を起こしかねない」
「魔核爆発?」
絶叫から再び哄笑に変化したシャクラの様子は気になったが、どう見ても正気を失っている死霊術師よりも、リリーシャとの会話の方がよほど建設的だと思い、尋ねた。
「その名の通り、魔獣や魔族が体内に持つ魔核という器官に過剰な魔力が注がれ、その個体の魔核が許容できる臨界点を超えると爆発する現象のことだ。魔石爆発と言った方が、人族の間では通りがいいかもしれんが。あれほどの魔力の流入量だと、もって数分と言ったところか……避難を呼びかける余裕も無いな」
焦りや動揺を通り越して、すでに諦めの境地に入っているらしいリリーシャが淡々と答えてくれた。
……まあ、無駄に泣き叫んでもどうにもならない事態だってことは俺にもわかったから、その気持ちはよく理解できるんだが。
「……嫌な予感しかしないが、聞くしかなさそうだから聞くぞ?その魔核爆発って、どれくらいの威力があるんだ?」
「魔核の質による、としか言いようがない。だが例えば、そこで魔核爆発を起こしかけている死霊術師ほどになると……おそらくはこのゲルガンダールの半分を消し飛ばすくらいの威力になるだろうな」
……俺の方から質問しておいてなんだが、あまり聞きたくはなかった情報だった。
もしかすれば「わからん」と言ってくれるかもと淡い期待をも持って言ってみたんだが、そこはクロハ一族の頭領、ちゃんと知っていた。
まあ、話の行きがかり上、聞く以外の選択肢がなかったせいなんだが。
おかげで、これからやろうとしていることに、余計な重圧がかかってしまった。
「ついでに聞いとくけどな、リリーシャ、アレを止める方法ってあるのか?」
「あるにはある。魔核爆発はその個体の魔核が臨界点を越えて初めて、破壊現象となる性質を持っている。つまり、臨界点に達する前に魔核を破壊し、注ぎ込まれている魔力を大気に逃がしてやればいい。もっとも、それが出来たら苦労は――何をしているんだ、タケト?」
「何って、ここまで来たらやることは一つだろ」
自分の推測が当たっていたことに、してやったり感とやっちまった感を両方味わいながら、覚悟を決める。
「まさか……シャクラの魔核を破壊する気か!?」
赤竜棍は……自信が無いわけじゃないが、そもそも打突武器だからな。一点集中で言ったら、やっぱこっちしかないよな。
「待てタケト!!もともと魔核というのは魔力を溜め込む部位としてかなり頑丈だが、さらにはち切れるほどの魔力を溜め込んだシャクラの魔核は通常の数倍、いや数十倍の硬度になっているはずだ。並の攻撃ではかすり傷一つ負わせられないどころか、その衝撃で魔力暴走が早まる危険もある。決めるなら一撃必殺、それもシャクラの魔核の硬度を打ち破れるような凄まじい武器が必要なんだぞ?そんな伝説級の武器が一体どこに……」
「心配するなリリーシャ。多分、これで事足りるはずだ」
「それは……さっきも気になっていたが、そんな武器、一体いつの間に?見たところ、ゲルガンダールの作風とは異なるようだが?」
そう言ったリリーシャの視線の行き着く先には、俺の手にある短刀があった。
「そりゃそうだ、この短刀は俺が作ったからな」
「タケトが?お前に鍛冶師の才能があったとは驚きだが……」
「いや違う違う、よく見てみろ。」
おそらく、ドワーフのアンデッドを仕留めた時には見えていなかったんだろう。俺の手にある短刀を改めて見たリリーシャが、素っ頓狂な声を上げた。
「なんだそれは?鉄ではない。いや、そもそも金属ではなく、むしろその質感は木に近いような……まさか竹か!?」
「正解」
そう、頑丈で筋肉の塊であるドワーフのアンデッドを貫き通した短刀の正体は、俺謹製の竹の刀身だった。
「バカな!そんな刃物もどきでドワーフの体を貫通できるわけが……」
「まあ、実際に貫通したのは、見ての通りだけどな」
そうリリーシャに返してはみたものの、俺自身がさっき言った通りぶっつけ本番だったのは事実だし、これからやろうとしていることはさらにイチかバチかの勝負になるわけだから、自慢にも何にもなりはしないんだけどな。
「さてと、じゃあやるか。リリーシャ、少し離れてろ」
「え?」
トン
そう言ったか言わないかの内に、俺はリリーシャの胸を手で突いて(セクハラにならない箇所だが)、彼女を数歩分だけ下がらせる。
そしてリアクションが返ってこないうちに、今や全身を痙攣させながら意味不明な叫び声しか上げていないシャクラを中心として都合十六本の竹を、俺とリリーシャを隔てる形で瞬時に展開する。
「タケト、何を……?」
「魔核とやらの破壊に成功したとしても、それなりの余波が起きるかもしれんからな。まあ、気休めみたいなものだ」
そう言いながら、竹の短刀を片手にシャクラの方へとゆっくりと歩み始める。
すると、すでにろくな意識すら保っていないように見えるシャクラの首だけがぐるりと俺の方を向いた。
「グバババババババッ!ゲイカニエイコウアレエエエエエエ!!」
両腕をめちゃくちゃに振り回しながら俺めがけて襲い掛かってきたシャクラ。
竹の結界の中にいる俺との距離は、数秒で詰まる程度のものだ。
幸いなことに、今にも臨界点を迎えて爆発しそうなシャクラの魔核は鮮烈な赤い光を放っていて、目標を違える心配だけはない。
「竹田無双流魔導小太刀術奥義、二の太刀――」
歩みは保ったまま、短刀に左手を添えながらシャクラに向ける。
構えは先ほどと同じ。ただし、魔力を開放した前回とは違い、今度はただ一点を貫くために魔力と気を研ぎ澄ませる。
そしてシャクラの暴れる手が俺の頬を掠めたその時、差し出すように必殺の突きを繰り出した。
「天狼牙」
トス
並の武器では歯が立たないという暴走寸前の魔核に竹の刀身の短刀がするりと入り込み、形のない何かを切り割った手ごたえを感じた瞬間、俺の体は激しい赤の閃光に包まれるとともにすさまじい衝撃によって吹き飛ばされた。
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