第111話 エルフ娘を阻止した(はずだった)


 ギリギリセーフと言うには、大樹界会議のメンバーはほぼ全員が満身創痍、さらにはアンデッドにやられたらしき一人の獣人の死体が転がっている議場。

 そこに乱入するまでの俺の経緯を説明するには、大樹界会議当日、今日の朝にまで時間を巻き戻す必要がある。






「しかし、魔王軍が本気でゲルガンダールを攻めてくるとは……未だに信じられん」


「そうは言っても、今日までにリリーシャが集めた情報は、客観的に見ても魔王軍一万五千がすぐ側まで迫っていると証明している。まさか、まだリリーシャの巣状を疑っているわけじゃないんだろ、グラファス?」


「そんなわけが無かろうが。これでもかつては大戦士の称号を受けた戦士だ、身のこなしを見ればそいつが只者ではないことくらい分かる。そいつがクロハ一族の頭領であるというタケトの言葉には納得しとる」


 そう愚痴のようなものをこぼすグラファスと、主だった高弟のドワーフ達、そして俺、ラキア、リリーシャは、今日の段取りの最終確認のためにと、マスタースミスの私室でテーブルに広げられた地図を囲んで勢ぞろいしていた。


「ワシが言っとるのは、奴らがたった一万五千ぽっちで、この三万を優に超える人口を誇るゲルガンダールを攻めるつもりなのかということだ」


「なんでだ?完全装備の一万五千の軍隊で三万人の都市を攻めるなら、状況次第では無無条件降伏を迫れるほどの戦力差じゃないか。どこに違和感があるって言うんだ?」


「む……タケト、お前もしかして何か勘違いしてはおらんか?」


 先入観というものは恐ろしい。

 小さい頃から爺ちゃんからも散々戒められていたというのに、この時の俺はグラファスの言葉を聞くまでテーブルを囲む全員が俺に対して怪訝な目を向けていたことに気づけなかった。

 ――いや、一つ訂正だ。アホの星からやって来た俺の従者だけは我関せずと言った感じで、いつの間に持っていたのか紙袋から小麦粉でできた菓子取り出してはパクついていた。


「……まさか本当に知らないのか?いや、事前に確認しなかった私の落ち度か。さすがに今日の作戦に支障が出るな――仕方がない、時間が惜しいが私が説明しよう。いいかタケト、このゲルガンダールには純粋な意味での一般人など存在しない」


「……は?」


 我ながら何とも間抜けな返答だと思っちゃいるが、この時の俺にはこの程度のリアクションしか返せなかった。

 だってそうだろう?兵士や補助要員ばかりの砦や城ならともかく、ゲルガンダールのような大都市に一般人がいないなんて発想は、少なくとも元の世界じゃあり得ない。

 それこそ、一般人であると同時に戦闘要員でもある、なんて概念を元から知っていない限りは。


「土と石と共に生きるドワーフ族、特に良質な鉱山資源が大量に流入するゲルガンダールの住人にとって、鋼の鍛造とそこから生まれる武器の扱いは必須技能と言っていい。それこそ女子供に至るまで、物心がつく頃から徹底的に仕込まれる。正式な鍛冶師になれるのはその中でも才能のある極一部だが、警備兵の真似事と簡単な武具の補修くらいならその辺の子供でもできる。それが大陸に並ぶもののない武器の街、ゲルガンダールの高い鍛冶技術の理由だ」


「なんかわざと難しく話してやしないか?時間がないって言ったのはそっちなんだぞ」


「焦るなタケト。グラファスがここまで説明した内容は、ゲルガンダールのドワーフの強さを知るための必須知識だ。なにしろ、ドワーフの強さは装備の強さに比例するのだからな」


 ここで口を挟んできたリリーシャ。


「そりゃそうだろ。人族だって、完全武装の兵士と丸腰の一般人じゃ天と地ほどの差があるからな」


 当たり前すぎる常識を今更ながらに教えられてもな。

 噛んで含めるようなリリーシャの物言いに、さすがにちょっと反発を覚える。

 だが、亜人に対する理解がまだまだ低い俺に対して、リリーシャの至極順当な話の持って行き方に感心するのに、そう長い時間はかからなかった。


「そんな次元の低い話ではない。ドワーフ族が最も力を発揮できる時、それは、自らの魔力を込めながら打った手製の武具を装備した時だ。もちろん、その武具の出来が良ければ良いほど、強さは飛躍的に増していく」


「早い話が自分達で鉱石を掘り、鋼を鍛え、武具を作り、それを手に取って戦う、それがドワーフの戦士というものなのだ。だからこそ、大樹界一の鉱山都市でもあるゲルガンダールが魔王軍に狙われると分かっていても、ワシらはここを動かんし一歩も引く気はない」


 リリーシャの言葉を引き継いでそう言ったグラファス。

 その顔は鍛冶場にいる時と同じくらい、一切の妥協を許さない覚悟を決めているように見えた。


「……道理で昨日になっても避難するドワーフの姿が見えなかったわけだ」


「当然だ。ここを失えばドワーフ族としての存亡にも係わる。なにより、文字通りゲルガンダールに住むドワーフ族二万強がそのまま一丸となって戦うのだ、たとえ魔王軍が十万の軍勢でやってきても、地の利のあるゲルガンダールでなら撃退する自信は十分ある」


 一万五千程度で攻めてきた今回の魔王軍など襲るるに足らん。


 暗にそう言ってのけたグラファスの声には、覚悟こそ本物だがどこかこれから起こることへの余裕すら俺に感じさせた。



 それでも、俺のおぼろげな懸念は拭えていない。



 もちろんグラファスの言葉を疑っているわけじゃないし、その強さに至ってはその余地すらない。

 だが、短期間の中でも十分信用できたグラファスの人柄と強さと同じくらい、このゲルガンダールで再会したSランク冒険者アーヴィンの言葉も無視できない。

 あいつは俺の実力を知った上で、それでも警告を発してきた。

 さすがに大陸中の猛者と戦って勝ち残れる自信なんて微塵も持っちゃいないが、大抵の危機を凌げるだけの能力は持っているつもりだ。

 そんな俺がどうしようもない状況。そんなものが起こるとしたら、それは俺の手が届かない場所で取り返しのつかない事態が起きた時だ。

 それが起きる可能性が最も高い場所、それは――


「……グラファス、確認しておくが、今日にも攻めてくるだろう魔王軍一万五千がどんな手を使ってきても撃退できる自信はあるんだよな」


「ふん、余所者に助勢を頼むほどドワーフ族が落ちぶれているように見えるか?そんな質問をされること自体、はっきり言って不愉快だな」


「茶化さないで教えてくれ。それは、例えば俺達が遭遇したアンデッドビーストが出てきても大丈夫と言い切れるか?」


「む――万が一ゲルガンダールの戦力で持て余すようなら、ワシが出る。それで文句なかろう」


「その言葉を聞いて安心した。これで本命に集中できる」


「本命だと?まさか、一万五千の魔王軍がただの囮だとでもいうつもりか?」


「そこまで確信があるわけじゃない。だが、魔王軍をドワーフ族だけで撃退できると分かった以上、俺が気にするべきは他の場所だと思っただけだ」


「バカな、たとえゲルガンダール中の目が外の魔王軍に向けられたとしても、それで各所に配置された衛兵隊の警備が緩むことなどない。ただでさえ今は……そういうことか」


 そこまで言ったグラファスの言葉が唐突に途切れた。

 どうやら、俺の意図を察してくれたらしい。


「ああ、俺がもし魔王軍の指揮官だったら、勝てる見込みのない一万五千の軍を囮にして、少数精鋭でゲルガンダール内部に潜入して破壊工作を行う。そして一番可能性が高いのが――大樹界会議が行われている議場だ。会議のメンバーを抑えてしまえば、一気に大樹界を支配することができるからな」






 とまあ、名探偵気分で自分の推理を披露したまでは良かったのだが、グラファスとの話し合いはその後が大変だった。

 さすがのリリーシャも、極秘扱いになっている大樹界会議の行われる会場の場所までは掴み切れなかったので(そのことを報告してきた彼女の悔しがり様を語ると話が完全に脱線するので割愛する)、ゲルガンダールの運営にも深く関わり、その秘密を知る数少ない人物であるグラファスに尋ねたわけだが、案の定余所者である俺達に対して、態度を保留したグラファス本人以上に、このマスタースミスを長年支えてゲルガンダール最大の工房を仕切ってきた高弟達からの反発が凄まじかった。

 結局、俺と高弟達との話し合いでは決着がつかず、このままでは埒が明かないという空気になりかけたが、それまで沈黙を保っていたグラファスの一言で状況は一変した。


「こいつらはワシの兄弟にも等しいゲルガストの友人、ならばワシにとってもこいつらは兄弟だ。お前達の話は分かったが、隠すことなど何一つない。それでも文句のあるやつは前に出ろ」


 まさに鶴の一声だった。

 それまでは鍛冶場での寡黙な姿が嘘のように、大樹界会議の会場の警備の万全さと会議のメンバーの強さをこれでもかというくらいに強調して俺にその場所を教える必要はないと言っていた高弟達が、見事に沈黙した。

 何より凄まじかったのは、自分達の意見を引っ込めて一歩引き下がった高弟達の態度に、師匠であるグラファスにはもちろん、さっきまで親の仇のように睨んでいた俺に対しても不満の影を一切見せなかったことだ。

 あれは統率が取れているとかカリスマがあるとかそういうレベルじゃない。

 絶対服従という言葉があれほどふさわしい姿はない、そう言い切れるほど彼らのグラファスに対する服従ぶりは見事なものだった。






「ちょっと!私を締め出して何こそこそ話してるのよ!」


 ともかく、そんなこんなで大樹界会議の会場の場所と最短ルートを教えてもらい、ラキアとリリーシャを連れて出発しようとグラファスの私室から出たその時、俺を呼び止める少女の声があった。


「ラキア、リリーシャ、先に行っておいてくれ」


「わかったのだ!」 「……急げよ」


 何もわかってなさそうなラキアと意味有り気に視線を向けてきたリリーシャを先に行かせて俺達二人だけになったのを確認してから、心の中だけで一つ深いため息をつきながら、俺はこっちを睨みつけているリーネに向き直った。


「またその話か。昨日も言っただろう、連れていくつもりがないのに話に加えても意味がないだろう。今日は一歩もこの工房から出るなよ、リーネ」


「なんでよ!?私はエルフ族の女王ライネルリスの妹よ!事情を知る権利はあるわ!」


 蚊帳の外に置かれているのがよっぽど不満なんだろう、のっけからケンカ腰にまくしたててくるリーネ。

 いや、不満と呼ぶには剣呑すぎる空気、有体に言えばこの箱入り娘が放っているのは、殺気だ。

 ……仕方ない、放置して勝手な行動をとられるよりは、ここできっちり言い聞かせる方が得策だな。


「先に聞いておくけどな、お前、事情を聞いてどうする気なんだ?」


「もちろん加勢するに決まってるじゃない!本当はドワーフごときのためにに私の力を使うのは勿体ないけど、ここはエルフ族の強さを大樹界中に見せつける絶好の機会だから仕方なく協力してあげるわ!」


 それを聞いた俺の感想は、良いことと悪いことが一つづつ。

 良いことは、リーネが本気でゲルガンダールのために思っていること。

 悪いことは、リーネが本気でゲルガンダールのために思っていることだ。

 志だけは立派だが、それだけで何でもできると思っているこのお嬢様には、今すぐ考えを改めてもらう必要がありそうだ。


「力を貸すって、何をする気だ?確か炊き出しの手が足りないとかは聞いた気がするが」


「バカなこと言わないで、ハイエルフの私が何でそんな雑用をしなきゃいけないのよ。私がすべきことはただ一つ、お姉様がいるこのゲルガンダールに愚かにも攻め込んできた魔王軍と戦うことに決まってるじゃない!」


 ふふん、と自信ありげに胸を張ってアピールしてくるリーネ。

 ……いや、本当に自信はあるんだろう――少なくともリーネの中には。

 エルフの女王の妹という家柄、それに見合った高い魔力、今日までの人生で積んできただろうハイエルフとしての修練、単純なスペックで言えばそこらの戦士なんかでは相手にならないくらいの実力を持っているのは間違いない。


 そう、単純なスペックだけなら。


「そんなに自信があるなら、今ここでテストしてやる。どんな形でもいい、俺に一発当てられたら合格だ。合格したら連れて行ってやる。不合格なら大人しくここに残る。どうだ、簡単だろ?」


「え……今、ここで?で、でも、今あなた何も武器を持ってないじゃない」


「話し合いの場に武器を持ち込む奴なんかいないだろ。それに、俺が丸腰の方がお前にとってはチャンスだろ。いいから遠慮せずにかかってこい。もちろんリーネの方は魔法でも何でも使っていいぞ」


「あなた正気!?こんなところで私が魔法なんか使ったら、どれだけ被害が出ると思ってるの!?」


「使ってみればいいさ。もっとも、そんなに時間をかけるつもりはない、すぐに終わらせてやる」


「バ、バカにしないで!……いいわ、そこまで言うなら見せてあげようじゃない。タケトが軽く見たエルフ族の力がどういうものか、後で武器を取ってこなかったことを言い訳にしても遅いんだからね!『大気に満ちる風のマナよ!我が元に集まり――』」


 どうやら俺の挑発を真に受けたらしく、本気で魔法をぶっ放すべく詠唱と共に魔力を練り上げ始めたリーネ。

 ――おいおい、俺一人がいいと言っても、この工房内にはグラファス以下たくさんのドワーフがいるんだぞ。ロクに許可も取らずに(取れるはずもないが)マジで遠慮なしに魔法を使おうとしてるぞ。


 まあ、すぐに終わらせると言った言葉に嘘偽りはないんだが。


「リーネを連れていけない理由その一。考えなしに強力な魔法をぶっ放そうとしている時点で、敵味方の区別がついていない。そんな危ない奴とは一緒に戦えない」


「な、何よ!?タケトがやっていいって言ったんじゃない!」


「だからって言って、所かまわず魔法を使っていいってことにはならんだろ」


「う……」


 子供みたいな反論だと自覚していたのか、重ねた俺の言葉に思わず顔を背けるリーネ。


「理由その二。遠距離タイプのリーネがこんな中途半端な距離で詠唱を始めている時点で状況判断ができてないんだが、さらに詠唱を中断した上にその相手から視線を外してしまうのは論外だ」


「んな!――って、え!?」


 リーネが俺から視線を切っていたのは時間にしてほんの数秒。

 その間に十メートルほどあったリーネとの距離を、俺は極力足音を立てないようにすり足で、一気に彼女に近づいた。


「理由その三。まあ、これが一番って言うか、最大唯一の理由なんだが――お前、敵を殺した経験が無いな?」


「そ、そんなの関係な」


「これは掛け値なしの戦争であって、死んだらそこで終わりだ。リーネが使い物になるか試す時間も、殺し合いに馴れるまで訓練する余裕も無いんだ。分かったらここで大人しくしていろ」


「こ、この――!?」


「魔法、撃てないだろ。当然だよな、ここまで至近距離でさっきの魔法を使えば、使った方も只じゃ済まないからな」


「だから……バカにしないでよ!!」



 ブウウウゥオオオオオォ!!


 突如、リーネの周りの空気が渦を巻き始め、俺たち二人を取り囲み始める。どうやらこのエルフ娘は本気で逆上したらしく、俺の言った通りに自爆攻撃を敢行するつもりらしい。

 もちろん止めることはそう難しくない。要は使い手の意識を奪えばいいだけだ。一度軽く気絶させれば事足りる。

 まあ、俺の場合はもうちょっと穏当な手を使うがな。


「落ち着け。そんなことをしても結果は変わらんぞ」


 ガシッ


 制止の言葉と共に俺が行ったのは、若干ヒステリーを起こしているリーネの両の手首を掴むことだった。

 ――彼女の体内で渦巻いていた魔力を俺のそれで抑え込みながら。


「な、なんで?上手く魔力が使えない!?は、離して!」


「これで分かっただろ。軽く掴んでるだけの俺の手すら振りほどけないようじゃ、複雑に入り組んでいるゲルガンダールの街の中で、至近距離で魔王軍と出くわしただけであっけなくやられてしまうかもしれん」


「う、ううう~~~」


 その言葉が届いたかどうかは分からないが、俺に拘束された形になっているリーネが一旦俯いたかと思うと、直後に上げてきた端正な顔、そのエメラルドグリーンの瞳にきらりと光るものが見えた。


「ううううううう、うう~~~~~~!」


 ……ヤバい、事を分けて順序だてて説明していたはずが、気が付けばいつの間にかにリーネが泣きそうな顔になってしまっている、だと!?

 いかん、すぐにリカバリーせねば取り返しのつかないことになる、気がする!


「と、とにかくだ、長い長いエルフの人生を無駄に命を散らすこともないだろ。この場は必ず俺達が何とかするから大人しくここで待ってろ。お前はお前でしっかり経験を積んでから、ライネさんの力になればいいさ」


「……なの?」


「うん?どうした?」


「あんたはそれで大丈夫なの、って言ったの!」


「あ、ああ。リーネが安全なところにいてくれれば、俺も安心して戦える」


「……そう、ならわかったわ!今日だけはあんたの言うことを聞いてあげる!その代わり、帰ってきたら私の言うことも聞いてもらうんだからね!」


 おかしい、こんなはずじゃなかった。

 どう見ても俺の言い分は正しいはずなのに、いつの間にかにリーネの言うことを聞かないとならない立場に追い込まれている!?

 だが、これ以上押し問答している余裕は本当に無い。ラキアとリリーシャを先行させているという点を差し引いても、もうこの工房を出発しないと間に合わなくなるかもしれない。


「……分かった。だから大人しくしていろよ」


「うん!約束よ!」


 どうしてこうなった、と自分の言動を反芻する俺とは対照的に、リーネの顔にはこれまで見たこともないような満面の笑みがこぼれていた。


 いや、マジで誰か教えてくれ……

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