第110話 幕間~大樹界会議場の戦い 後編~


「ゲルマニウス!そいつの鎧には触れるな!」


 元老のトゥーデンスがそう叫んだ時、すでにゲルマニウスは自分目掛けて突っ込んでくるフルプレート姿のドワーフに向けて右の拳を繰り出していた。


(トゥーデンス殿が間に合わないと分かっていてそれでも声を張り上げたということは、それだけこのドワーフの先達が生前偉大な戦士だったという何よりの証拠。本来なら一度拳を引いてけんに徹するところなのでしょうが、私の拳なら確実にあの鎧を打ち抜ける。ここで引く理由は――ない!)


 迷うことなくドワーフの強化アンデッド、銅巧魔導師団六杖衆シャクラの作り出したマギ・イモータルウォーリアに向けた右ストレートをそのまま振り抜くことを決めたゲルマニウス。


 不運だったのは、生前はガングルクスと呼ばれていたらしいアンデッドの名前への心当たりを思い出し叫んだ時には、緩やかな曲面を描いていた胸部装甲に突如鋭利な刃物が出現し、スピードに乗っていた右拳を止めることはできなかったこと。

 幸運だったのは、勢いの付きすぎた拳の骨が刃物に滑るように当たったことで、浅く肉を切り裂かれるだけで済んだこと。


「ゲルマニウス!?」


「……心配ありませんトゥーデンス殿。深手は避けました」


 そう答えながら、シャツの袖を引き千切り手早く応急手当てを終えたゲルマニウスが油断なく敵へと再び視線を戻した時、彼の拳を切り裂いたはずの鎧の上に出現した刃物は姿も形もなく、代わりにあったのはゲルマニウスが傷を負った証である少なくない血が胸部装甲にべっとりとついた跡だけだった。


「ゲルマニウス!そいつの名はガングルクス!かつて『千変万化』と異名を取ったドワーフの歴史の中でも五指に入る大戦士だ!その能力は――」


 トゥーデンスの言葉はそれ以上ゲルマニウスの頭に入ってこなかった。

 百聞は一見に如かず、まさにその言葉の通りのことが目の前で起きていたからだ。


 チャキ


 その音が小さく響いた時には、鎧こそ着ていたものの無手の状態だったアンデッドの手に、いつの間にかに柄まで鋼でできた細身の槍が握られていた。


「……なるほど、そういうことですか」


 ゲルマニウスの視線はどこからともなく現れた槍の方ではなく、さっきまで銀色に映っていたはずの両腕に向けられていた。


「その槍の正体、それは鎧の装甲の一部ですね。どうやったかまではわかりませんが、腕部装甲を錬金術を使って一瞬で槍の形に変えた、と言ったところですか。過去の文献で読んだことはありましたが、ここまでの錬成スピードとは……」


 そこまで言って言葉を切ったゲルマニウスの額を一筋の汗が流れた。

 これが同等の装備、とはいかなくとも使い慣れた武器の一つでもあれば、もっと状況は違っていただろう。

 だが、話し合いの場である大樹界会議に武器を持ち込むこと自体が重大なルール違反であるため、今のゲルマニウスが身に付けているのは精々ペーパーナイフくらいなもの。はっきり言って武器の内にも入らない。

 そんな状況の中で、体中のあらゆる箇所からあらゆる武器を取り出せる全身武器庫のような敵と戦うという、生まれて初めて体験する危機的状況に、ゲルマニウスの額の汗はまるで止まる気配を見せなかった。






「加勢するぞゲルマニウス!」


 身を乗り出そうとしたアンゲスの耳に、愉悦に塗れた死霊術師の声が届く。


「おっと、それはお勧めできませんね。このアンデッドは多対一の戦いを得意としている上に、今のあなた方は全くの丸腰。そして、死霊術を得意とする私が後方に控えていることをお忘れなく。死体さえあればいくらでも戦力を増やせるので、こちらとしては願ったりかなったりですがね。あなた方がそのリスクを承知で戦いを挑もうというのならご自由に」


「ぐっ……」


「ああ、それから、議場の外に救援を頼むと考えているのなら、止めた方がいいでしょうね。先ほども言った通り、これは交渉の第二段階。ですが、無粋な部外者をあなた方がこの場に乱入させようというのなら、その時点で交渉は打ち切りです――まあ、ゲルガンダールの技術力を失うのは惜しいですが、その代わりに大量のドワーフのアンデッドを私の麾下に加えられると思えばそう悪い話でもないわけです。いやはや、この議場が完全防音で助かりましたよ。クハハハハハ!」


 嘲笑うようなシャクラの言葉を聞いて動きを止めたのは、ドワーフ族の元老たちだけではない。

 この場にいる大樹界会議のメンバー、エルフ族の戦士のジルジュもまた議場の外へと飛び出すタイミングを見計らっていたが、救援と危険を知らせる道が断たれたことで逆に覚悟を決めていた。


「ならばお前達を倒して堂々とここから出ればいいだけだ!」


「迂闊に飛び込んでは駄目よジルジュ!」


 ローブの中に隠していたらしい弓を持った女性のエルフのマギ・イモータルウォーリアに独り突撃するジルジュ。それを止めようとする、当座の主であるエルフの女王ライネルリスの声はもちろん聞こえていた。


(申し訳ありませんライネ姉さん。だが、私の魔法剣なら……!!)


 全員が丸腰の状態の亜人側において、武装に頼らずとも十全に力を発揮できるのは自分だけだと自覚していたジルジュにとって、ここで様子見という選択肢は存在しなかった。


「エアロクレイモア!!」


 積み重ねた努力によって一流の戦士へと成長したジルジュだが、幸か不幸か魔王軍との戦歴はほとんどなく、アンデッドとの戦闘もこれが初めてだ。

 だから、ジルジュの突撃に対して一歩も動かないどころか魔法を発動する兆候すら見せないアンデッドに対して不審を抱きながらも、やるべきことは一つだと目の前の敵を仕留めるために風の魔法剣を作り出した。


(元より、死霊術師やアンデッドの思考など私には理解できない。だが、このアンデッド達が生前の能力を使えることは分かっただけで十分だ。相手がエルフなら、十中八九風魔法使いの遠距離タイプ。ならば、すべての魔法を切り裂ける魔法剣を使える私に分がある!)


 先手必勝。

 手にした魔力で周囲の空気を剣の形に密閉することで生み出される魔法剣を一呼吸の間に作り上げたジルジュは、未だ動こうとしないエルフのアンデッド目掛けて振りかぶりの一撃を繰り出した。


「獲った!!」


 重量はほぼゼロに近い風の大剣エアロクレイモアは、そのサイズからは想像もできないほどの剣速で敵に襲い掛かるため、盾で防御するならともかく初見で見切られたことは一度もない。

 ましてや相手は、魔法と弓による遠距離攻撃を主体とするエルフ。エアロクレイモアの間合いまで近づかれた以上エルフのアンデッドの敗北を確信しない者はまずいないだろう。


 ――アンデッドの生前の名を知る者以外は。


 ブオン!


(手ごたえが……ない!?)


 間合いは十分、魔法剣の切っ先は確かに敵を捉えているようにしか見えない。

 だが、ジルジュの手にはあるべき肉を切る感覚がまるで伝わってこなかった。


「……ただ攻撃するだけじゃだめよ、ジルジュ。何しろ彼女は、風魔法のコントロールにかけては私すら超えていた人。彼女、ルーククの二つ名、『風の輪舞』の名前くらいは聞いたことがあるんじゃない?」


 ポン


「ライネルリス様……」


 そう言いながらジルジュの肩に手を置いてきたのは、後ろで戦いを見守っていたライネルリスだった――懐かしさと厳しさがないまぜになった眼差しをエルフのアンデッドに向けながら。


「まったく、八十年前くらいから噂を聞かなくなったと思ったら、まさかこんな形で再会するとは思わなかったわ、ルークク。だからあれほど放浪癖をやめなさいと言ったのに――まあいいわ、さすがに生きてるとは思ってなかったから、こうして死体が見つかってお葬式を上げられるだけでも古い友達としては妥協するべきでしょうね」


 コツ コツ コツ


「っ!?」


 議場の床を叩くライネルリスの靴音。

 その度に彼女の体から発せられる魔力の波動は味方であるはずのジルジュを身構えさせ、カウンターでジルジュに何らかの攻撃を加えようとしていたエルフのアンデッドを後退りさせた。


「さあ、覚悟はいいかしらルークク。貴方に意識が残っていようがいまいが、私の前に立ちはだかるというのなら容赦はしないわ。せめて苦しまないように完全に消してあげる」


 そう宣言したライネルリスが魔力を集中させた右手を旧友のなれの果てへと向けようとしたその時、緑色に輝く大剣が彼女の行く手を遮った。


「お待ちください、ライネルリス様。女王の身を守るのは従者の役目、エルフ族の敵を葬るのは戦士の役目です。その両方の資格を有している私がライネルリス様に守られるわけにはいきません」


「うーん……エルフ族の掟で言えば、確かにあなたの言う通りよジルジュ。でも、あなたちゃんとわかってる?」


「はい」


 ライネルリスに言われるまでもなく、ジルジュにも分かっていた。エルフのアンデットに対する渾身の初撃は当たらなかったのではなく、斬ったと錯覚するほどの紙一重で避けられたのだと。そしてジルジュがその事実に気づけなかった理由、それはエルフのアンデッドの体に一切の回避行動がなかった、手足の一本すら動いていなかったせいだと。


「そう、あの死霊術師が特別製と言うだけあって、あのアンデッドはルーククの生前の能力を完全に再現できているわ――はっきり言ってジルジュ、あなたに勝ち目はないわよ?」


 まるでジルジュを試すようなライネルリスの言葉。

 だが、それに対するジルジュの答えがブレることはなかった。


「あの死霊術師が言っていた通り、相手はただのエルフではないことは分かっています。その上、アンデッド化の過程で生前にはなかった力が付与されている可能性がある以上、あのアンデッドとライネルリス様をいきなり戦わせるわけにはいきません」


「自分が死ぬと分かっていても?」


「それこそ愚問です。私一人が死んでも、ただの護衛が己の役目を全うしただけのこと。しかし、女王ライネルリス様がここで斃れれば、それはすなわちエルフ族が滅亡の危機に瀕することに他なりません。ならば、私の命に掛けてあのアンデッドにダメージを与えつつ奥の手を出させて、少しでもライネルリス様が生き残る確率を上げる、これは私にしかできない役目です」


 恐れるでもなく誇るでもない、淡々と覚悟を決めたジルジュ。

 それに対するライネルリスの言葉もまたシンプルなものだった。


「そう、ならば行きなさい、我が戦士よ。その命を以て私の道を切り開きなさい」


「仰せのままに」


 会話の最中もエルフのアンデッドに向けて油断なく魔法剣を構え続けたジルジュ。

 なぜかその間もピクリとも動くこともなく待っていたのは、もちろんアンデッドの意志などではなく、それを使役する死霊術師シャクラによるものだった。


「お別れはもう済みましたか?ならばお見せしましょう、私が苦心して完全再現した『風の輪舞』を」


 シャクラの言葉が合図となって動き出したエルフのアンデッド。

 しかし、左手に弓を持ちながらなぜか矢筒を装備していないその歩みは、とても戦いを始めるとは思えないほどにゆったりとしたものだった。


「どの道女王ライネルリスにはバレているようなので、私自ら解説して差し上げましょう。『風の輪舞』の代名詞となった能力は二つ、一つは至近距離でも気づかれないほどの微細な風を起こすことによる――まったく、人が説明している最中だというのに」


「うるさいぞ死霊術師!魔導師に詠唱の間を与えないのは戦いの基本だ!」


 ヒュオン!!


 斬りかかって駄目ならと素早い突進から腰だめの姿勢で放ったジルジュの突きは、やはりエルフのアンデッドを貫くことなく、またしても予備動作すら見せずに紙一重で避けられてしまった。


「心配しなくとも、私が加勢せずともあなたの敗北は確定です。それに話は最後まで聞くものですよ。彼女の風の魔法自体には何の攻撃力もありません。精々エルフの中でも飛びぬけて軽量の彼女の体を押す程度。ですが、敵の攻撃が生む気流を利用して紙一重で回避するにはその程度で十分なのですよ」


 フワリ


「っ――!?」


 風どころか音さえ漏れない完全防音の議場の中で、唐突にエルフのアンデッドの体が宙に浮き上がった。

 やはり魔法の発動を感じられないふわふわと不規則に揺れながら浮かぶ超常現象は、シャクラの話を信じるならあのアンデッドの得意技ということになる。


「まるで木の葉のように敵の周囲を宙を舞いながら全ての攻撃を躱す姿から、対峙した敵から『風の輪舞』と畏れられ称えられたそうですが、もちろん避けてばかりでは私が目を付けるほどの戦士として有名になったりはしません――知っていますか?木の葉というものは風に吹かれるだけではなく、時には鋭い刃となってあらゆるものを切り裂くのですよ」


 シャララララン


 ジルジュの耳に届いた鈴の音のような音。

 その発生源は対峙するエルフのアンデッドの手元、そこにはジルジュだからこそよく見慣れ過ぎた緑の輝きが都合三本、指に挟まれる形で握られていた。


「か、風の魔法剣だと……!?」


「ククク、驚きましたか?あなたがそうであるように私も驚きましたとも。なにしろ、希少な風の魔法剣の使い手が二人、生死の違いこそあれど一つどころに集まったのですからね。ただし、あなたの剣とは違って、彼女のそれはいわば魔法剣の弓矢版。魔力の続く限り無限に生み出せる魔法の矢を放って敵を切り刻む、これが『風の輪舞』の第二の能力ですよ。さあ、魔法剣対魔法剣という世にも珍しい戦いを始めてもらいましょうか!」


 その瞬間、目にも留まらない速度で魔法の矢三本を弓につがえたエルフのアンデッドは、弦を引き絞る動作も見せずにジルジュに向けて攻撃を開始した。






「くそっ、よりにもよって俺の相手はゼーゲル様か!こんなことになると分かっていればゲルガンダール行きなど志願しなかったぞ!」


 武器を携えていなくとも十全に実力を発揮できる自分が戦わねば、そう考えたジルジュの判断は正しい。

 だが、という認識は大間違いだ。


 自分で鍛えた武器を手に戦うドワーフや、弓と風魔法の組み合わせで敵を寄せ付けない戦法を得意とするエルフと違って、マナの影響により主に肉体面を強化され、己の爪、牙、角を駆使して他の亜人種と互角に戦うことのできる獣人種にとって、装備の有無はそれほど大きな問題ではない。

 だが、一口に獣人と言っても、元となったと言われる獣たちと同じくその種類は多岐に渡る。

 当然その中では相性の優劣が厳然として存在し、それは当代の獣王と引き分けた過去を持つほどの猛者、巨獣将アングレンにとっても例外ではなかった。


「ちっ!?」


 思わずぼやくアングレンに隙を見出したらしい獣人のアンデッドが、議場の床を蹴ってイノシシの獣人に飛び掛かってきた。

 何とか身を投げ出してその爪を躱すアングレンだったが、鋼の剣すら弾くと言われる全身を覆う黒い剛毛の一部がごっそりと刈り取られてしまった。


「こなくそ!」


 もちろん、アングレンもやられっぱなしではない。

 空中で身を捻って着地しようとする獣人のアンデッド目掛けて並の人族五人分はあるという重量を誇る体で体当たりを敢行した。

 対する獣人のアンデッドの体は全身がしなやかな筋肉に覆われているものの、とてもアングレンの体当たりを受け止められるとは思えない。

 タイミング的にも完全に決まったと思われるアングレンの必殺の一撃。

 しかし、アングレンの姿を一瞥した獣人のアンデッドの動きは、まるでサーカスの曲芸を見ているような現実味に掛けたものだった。


 トン   タッ


 音で表現すれば、ただそれだけのこと。

 だが、着地直前に体をさらに捻って右腕一本で着地、そこからまるで重力に逆らうように右腕の筋力だけで議場の天井付近にまで跳躍、もう片方の腕と両の足の爪を天井に突き立てて、なんと獣人のアンデッドはその場に留まってしまった。


「……恐ろしいまでの爪の冴えと軽業師も真っ青の身のこなし、間違いなくゼーゲル様そのものだ。確かに子供の頃、稽古をつけていただいた時にいつか必ず倒すと宣言したことは数知れずだが、何もアンデッドとして化けて出てくることもあるまいに」


 そう独り言ちるアングレンの体はすでに無数の切り傷で覆われ、堂々たる体躯の一部だった毛並みはあちこちの毛が赤く変色した見るも無残な姿になっている。

 この状態に至るまでにアングレンが仕掛けた攻撃は計十回、それらすべてが空を切り、それに数倍する反撃を食らってようやく、猪突猛進を旨とする猪の獣人はいつもの戦い方ではこの敵に攻撃を当てるのは難しいと悟った。

 ちなみに、アングレンが連れてきた獣人族の従者は、彼の視界に右隅で血だまりに伏して二度と目を覚まさない状態になっている。

 アングレンが制止する間もなく飛び出して命を失った自分の従者に無言のままに仇討ちを誓いながら、アングレンは一つの方法に思い至るもすぐに己の考えを否定した。


「いや、ならそこまで難しくはないが、さすがにこの場ではなあ……」


 難しい顔をしてそう言ったアングレンが戦場と化した議場を見渡す。

 時には大人数での会合も想定されて作られた議場は、戦闘中のアングレンにとってもそれほど窮屈に感じることはない。

 だが、アングレンを含めて三つの戦闘が一つ所で起きている状況や、各種族の賓客をもてなすための数々の調度品が、すべてをなぎ倒しながら戦うスタイルのアングレンの動きを大幅に制限していた。


「普通なら相手のスタミナ切れを待つところだが、アンデッドにスタミナがあるかどうかも知らんし……おおそうだ!ならば彼らと連携を――」


 ドッ


 その時、人族の胴体ほどの太さを持つアングレンの足に接触したもの、それはアングレン以上に全身を血に染めたゲルマニウスの体だった。


「す、すみませんアングレン殿、不覚を取りました」


「おお、ゲルマニウス殿ではないか、ちょうどいいところに来た、今そなた達と共闘しようかと考えていたところなのだ」


「なるほど、装備面で不利な我々としては良い考えだと思います。今ちょうどアンゲス殿達が時間を稼いでくれているところですから、戦うにしろ脱出するにしろ作戦を考えるなら今しかありません」


「ふむ、ならばエルフ族も呼びたいところだが、二人とは距離が離れてしまってなかなか密談とはいかん、なっ!」


 ブオン!!


 ゲルマニウスとの会話を隙と見たのか、天井に張り付いていた獣人のアンデッドが飛び掛かってきたところに拳を合わせようとしたアングレン。

 そのカウンターはあっさりと避けられ、逆に右の拳に切り傷を食らってしまったが、なんとか敵との距離を取ることに成功して会話を再開しようとしたところ、届くはずのない距離にいる女性の声が突然アングレンの耳元で響いた。


「大丈夫。こちらにも声は届いているから、続けてもらって構わないわ。全てそちらの指示に合わせるからお気遣いなく。でも、できれば手早くお願いするわ。こちらもあまり長くは持たないようだし」


「これは――ライネルリス殿の遠声魔法ですか。相も変わらず見事な……ならばアングレン殿、話を続けましょう。私としては、やはり一度この場を脱出するべきだと思いますが」


「同感だ。ならば奴らの注意を引き付ける囮役が必要だな――まあ、俺しかおらんだろう」


「いえ、ここはドワーフ族の街です。客人であるアングレン殿に命がけの役目を押し付けるわけには――」


「まあ聞け、理由は三つある。一つは、こちら側の主戦力の中で俺だけが種族を代表していない、つまりこの場で俺が死んだとしても、獣人族にとって致命的な痛手にならないということだ」


「そんな!?アングレン殿を見捨てるような真似はできません!」


「時間がないから反論は聞かんぞ――二つ目は、単独で奴らを足止めするなら、俺が最も適任だからだ。正直、周囲に気遣いながらチマチマ戦うのは性に合わんくてな、ゲルマニウス殿達が逃げてくれれば思う存分暴れることができる」


 そう語ったアングレンの眼が唐突に獰猛な獣のそれに変わったのを見て、ゲルマニウスは驚いた。

 だが、噂で聞いていた巨獣将の性格を思い出し、その心は納得と戦慄に包まれた。


「三つ目の理由だがな――何のことはない、俺の部下の命をまるでゴミのように奪っていった奴らを皆殺しにしたくてたまらんのだ。それこそ、ゲルマニウス殿達を巻き添えにしても構わんと思ってしまう程にな。さあ、態勢を立て直すくらいの時間は稼ぐから行ってくれ。ここは引き受けた」


 無論、そんな保証はどこにもないことはゲルマニウスにもわかっていた。

 それどころか、ここで死霊術師と三人のアンデッド相手に一人残るということは、アングレン自身も倒された後でアンデッドにされてその死を弄ばれてしまうのは間違いない。

 獣人族としての誇りを失い、さらにゲルマニウス達に倒される未来をわかっていてなお、アングレンは潰れ役を買って出たのだ。

 そのアングレンの心意気に対して、ゲルマニウスが言える言葉は一つだけだった。


「アングレン殿、ここは任せました。必ず助けに戻ってくるので、それまでなんとしても生きていてください」


「承知!!」


「みなさん、全員でこの議場を脱出します!!私に付いてきてください!!」


 アングレンの声を聞き、そう叫んだ時には、すでにゲルマニウスは走り出していた。

 背後からアンデッドに襲われるとは欠片ほども考えない。必ずやアングレンが阻止してくれると確信しているからだ。

 ゲルマニウスの指示を聞いた他の亜人達もそれぞれに議場の扉に向かって動き出す。

 ライネルリスは矢傷で満身創痍のジルジュの援護をしながら、アンゲス達三人のドワーフ族の元老は互いをカバーしながら。


「おやおや?大樹界の最高戦力が揃いも揃って私一人ごときから逃走ですか?まあ――逃がしはしませんがね!!」


「させん!!」


 シャクラとアングレンの声を背にしながら、最優先で議場からの脱出を図るゲルマニウス。

 己の非力を呪いながらも脱出後の行動に考えを巡らそうとしたその時、何の前触れもなく進行方向の扉の開く音が聞こえた。


 ガチャ


(ライネルリス殿の風の魔法か?いや、それにしては魔法の発動の兆候は全く――)


 扉の辺りにそよ風さえ起こっていないことから自分の予測を否定したゲルマニウス。

 だが、扉のロックが外れてゆっくりと開いていく様は間違いなく現実のもの。

 議場の警備をしていた誰かが入って来たのか?と、敵であるシャクラやアンデッドを含めた全員の視線が一瞬だけ開いた扉の先へと集中した。



 パリーン  ドッ



 だから、何かが割れる音と共に細長い何かがものすごい速度で飛来し議場の中へと飛び込んできた瞬間を全員が見ていた。


 飛来した何か――一本の矢にアンデッドのコアのある心臓を見事に貫かれて仰向けに倒れた獣人のアンデッド以外は。


「……お、おおう、ダメもとで頼んでみたが、まさかここまで上手くいくとはな。ここまで直線で五百メートル以上はあるはずなんだがな」


「ふん、あいつの仕事はこの狙撃一つだけなのだ。これくらいやってもらわねば私達の役割とは釣り合わん――ま、まあ、見事一人仕留めたことは認めてやらんでもないがな……」


「……」


 ゲルガンダールの命運をかけて戦っている真っ最中の議場の中の面々にとって、あまりにも場違いな空気を纏って現れた二人の人物。

 これがゲルガンダールの他の場所だったらちょっと珍しいというだけで、特に注目されることもなかっただろう。だが、人族とダークエルフという大樹界会議場における奇妙極まりない取り合わせは、全員が絶句するには十分すぎるほどのインパクトを持っていた。


「タ、タケト殿にリリーシャ殿?な――」


「なんなのですかあなた達は!?こんなシナリオを書いた覚えはありませんよ!」


 乱入者の素性を知っているジルジュの言葉を遮るようなシャクラの絶叫。

 当然その相手である二人組にもその意味は届き、その片割れである人族の青年がシャクラの疑問に答えた。


 いや、答えたというのは正しくない。それはただの名乗りだった。

 否応なく敵を倒すための、戦士の名乗りだった。


「竹田無双流免許皆伝竹田武人、推して参る」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る