第109話 幕間~大樹界会議場の戦い 前編~


「降伏だと?何を馬鹿な……シャクラと言ったな、貴様、ここが大樹界会議の場だと分かって言っているのだろうな!」


 そう声を張り上げたのは、ドワーフ族の元老の一人、アンゲス。

 現役を退いてすでに二百年近くになるが、かつてゲルガスト王と戦場を駆け回り共に伝説となったハイドワーフの戦士の気迫の籠った声は、議場中の空気を震わせるほどの力があった。

 向けられた相手であるはずのシャクラ――そしてその後に続いて隠し通路から姿を現したフードを目深に被った三人の護衛には、何の動揺も与えられずに。


「おお、さすがはドワーフ族の三戦士と謳われたアンゲス殿。私のような研究畑しか知らぬ者からすれば、恐ろしすぎて今すぐこの場から逃げ出してしまいたいほどですよ。もっとも、我が師の命とあらば火の中水の中というのが、我ら六杖衆りくじょうしゅうの務めなのですがね」


「ふん、我らの二百年前のことを知っているのは良く調べてきたと褒めてやりたいところだが、自分の評価となると碌に知ろうともせんとは、やはり頭の狂った死霊術師らしいな!貴様のことは知っておるぞ、死霊術士シャクラ。どんな卑怯な手も厭わず狙った敵を仕留めるだけなら、同じような奴はどこにでもおる。だが、貴様は殺した死体を奪い死霊術の実験のために弄ぶという畜生にも劣る悪行で、今や魔族の中でも金貨十万枚という破格の賞金首、外道の中の外道だ!」


「おや、ついこの間までは八万枚と記憶していましたが、そうですか、この命の価値がまた上がりましたか。これは、身代わりの死体を用意して賞金を頂くことを考えてもいいかもしれませんね……クククッ、いや失礼」


「き、貴様……!?」


 まるで挑発するようなシャクラの物言いに、さらに怒りを募らせるアンゲス。

 椅子から立ち上がっていた場所からさらに距離を詰めようとするその体を押し留めたのは、隣に座っていたゲルマニウスの手だった。


「あなたの目的は私達を怒らせることではないでしょう、シャクラ殿。降伏勧告と言うなら、私達に告げるべきことがまだ残っているということですね。ご趣味に走られる前にあなたの役目を果たすべきではないですか?」


 温厚な雰囲気の中にもはっきりと自分の意志を示したゲルマニウス。

 そのギャップに少し目を見開きながら、シャクラはアンゲスからゲルマニウスへと関心の対象を変えた。


「いやいや、私の性格を知った上でそれでも殿、と尊称を付けてくださったのは貴方が初めてですよ、ゲルマニウス殿。その礼儀に敬意を払って本題に入らせていただきましょう。貴方方全員が私に付いてきてくださるなら、今後十年――」


「お断りします」


「大樹界に手を出さないと……は?」


 シャクラに続きを促したのがゲルマニウスなら、その口上を断ち切ったのもゲルマニウスだった。

 穏やかな口調から発せられたとはとても思えない辛らつな言葉に、当のシャクラも一瞬理解できず、理解した後も自分の耳を疑った。


「ですからお断りしますと申し上げたのですよ、シャクラ殿。確定しているだけでもあなたに殺害された亜人は十三人、これに加えて直接的間接的問わず亜人の遺体を強奪した疑いが濃厚な事案が三百件以上、おそらく判明していない分を含めると、千人以上の亜人があなたの犠牲になったと思われる」


「……それが私の提案と何の関係が?」


「大有りですよ。交渉の第一歩とは、まず相手の信用を得ることから始まります。その点であなたは私にとって最悪の交渉相手ですよ。なぜなら、あなたの所業を知った時点で、もしこの先会うことがあれば問答無用で叩きのめして、大樹界の法で裁くと心に決めていたのですから」


 その言葉でゲルマニウスの、いや、この議場にいる全ての亜人の雰囲気が変わった。

 魔王軍の幹部クラスであるシャクラの大樹界会議への乱入と降伏勧告によるショックと戸惑いから、戦うことを決意した戦士のそれへと。


 大樹界を代表する戦士達が勢揃いしての威圧。それを間近で感じて恐れ戦かないおののかない者は、この大陸に数えるほどしか存在しないだろう。

 そして、魔導師でありながらわずかな護衛だけでこの議場に乗り込んできた銅巧魔導師団六杖衆シャクラもまた、その数少ないうちの一人だった。


「……なるほど、確かにあなた方に対する交渉相手として、私という人材が不適当だったことは認めましょう。しかし、勘違いしているのはそちらも同じことですよ、ゲルマニウス殿」


「どういうことでしょうか?」


「その問いに答えるのは吝かやぶさかではないのですが、その前に一つだけ確認しておかなければならないことがあります――よろしいでしょうか竜人族の方々!!」


「ん?こっちのことさね?」


 まさに臨戦態勢に突入しようかというその時、シャクラが目を向けた先は、張り詰める空気の中ですら我関せずとばかりに超然とその場を眺めるだけに留めている竜人族、そしてシャクラの呼びかけに応えたのは交渉役のSランク冒険者アーヴィンだった。


「そう、あなた方ですよ。と言っても、そちらの御二方は私には興味が無いようですね」


「不服さね?」


「いえいえとんでもない、私としては、こちらの言葉さえ聞いていただければ何の文句もありませんとも」


「……ならば話せ、外法に堕ちた弱き者よ。我は貴様の無駄話に付き合うつもりはないぞ」


 弱き者、と交渉役のアーヴィンではなく、なぜか群青の髪の方の竜人族に直接そう言われた瞬間、シャクラの口元がピクリと動いたが、それ以上の反応を何とか押し殺した。

 狂気の死霊術師として悪名を轟かせるシャクラも、絶対に何があっても敵に回してはいけない相手くらいは弁えている。

 目の前の竜人族はもちろんのこと、自分の師である導師、その上に君臨する魔王、彼らを歯牙にもかけない四方の神獣、そして――


「私は、あなた方竜人族に敵対する者ではありません。その代理の方も含めて一切の攻撃を仕掛けず、流れ弾の一つも当てないことをここにお約束しましょう」


「よかろう。下等種族の争いなど、元々興味はない。好きにしろ。――ただし、その言葉がわずかでも違えたがえられた時、貴様だけでなく『外』にいる魔族も皆殺しに遭うと心得よ」


「確かに承りました、偉大な空を征する方々よ」


 表面上は涼しい顔をしながらも、体を覆い隠すローブの下では冷や汗をかきながらも必死に答えるシャクラ。

 しかし、その場面を見て最も焦りを感じているのは、先ほどまで主導権を握っていたはずのゲルマニウスだった。


(まずい、これで竜人族は完全な中立に回ってしまった……!まさか、魔族の中に竜人族の扱いを心得ているものがいるとは……)


 一般的にドラゴンと言えば、最強の魔物の一角であると同時に恐怖の代名詞であることはあまりにも有名だ。

 しかし、竜人族に関する世間の認知度は、精々知能が高いドラゴン、程度のものでしかない。

 当然だ、常に自分達の支配領域から出てこない竜人族の目撃例など、ミスリルの鉱脈を発見することに等しいほど、滅多にないのだから。

 それでも下手に接触されるよりはと、大樹界の各種族の為政者たちはその誤解をあえて利用しているが、真実はそんな生易しいものではない。

 体力や魔力など基本スペックにおいて、竜人族が野良のドラゴンとさほど違いが無いという点はほぼその通りだと、ゲルマニウスを始めとした大樹界の実力者達も考えている。

 だが、それ以外の能力――古の魔法、膨大な知識、戦闘技術、戦歴、溜め込んでいると云われる強力な魔道具の数々、これらが規格外の肉体と合わさった時、その気になればたった一人の竜人族だけでこの大樹界を火の海に沈めることができるかもしれない。

 本人たちを前にして決して口にはしないが、それこそ四体の神獣と同等の脅威を感じる存在、それがゲルマニウスを含めた亜人全体の、竜人族に対する認識だった。




「あー、悪いけどそういうわけさね、ゲルマニウスの旦那。俺にできることは精々この二人を連れて議場から出ることくらい。後は旦那たちの奮戦に期待することくらいしか……」


「いえ、それで十分ですよ、ア―ヴィンさん。彼らが巻き込まれて困るのは、私達も一緒です。むしろ私の方が感謝すべきことですよ」


「すまないさね――ほら、聞いた通りさね。もう会議にも用はないんだし、とっとと出て行くさね!」


「……わかった」


「む、待てアーヴィン。我は死霊術というものが見てみたいぞ」


「いいから行くさね!このまま居座ったら、俺が思いっきり空気読まなかったイタイやつみたいになってしまうさね!?アオト!クレトのお守りはお前の役目さね!」


「……仕方あるまい。行くぞクレト、それは許可できない」


「離せアオト、我は死霊術が見てみたい……」


 ゲルマニウスに何度も目線を送って謝意を伝えるアーヴィン、その後に続くクレトと呼ばれた紅蓮の髪の竜人族、その肩に担がれ強制的に退室するアオトという群青の髪の竜人族の三人は、ゲルガンダールの危機にまるで関心を示すことなく、議場を後にした。


 それに安堵するゲルマニウス達大樹界会議のメンバー。

 そして、その一点に関してだけは、敵であるシャクラも同様だった。


「……ふう、こればかりは貴方に感謝を伝えなければなりませんね、ゲルマニウス殿。先ほどの言葉の通り、あの方達に攻撃を当てない自信は十分にありましたが、それでも同じ空間に居れば万が一は常に起こりうる話ですからね。さすがに竜人族を本気で怒らせれば、導師への謝罪に私の首一つでは済みませんでした」


「……感謝と言うならこちらの方こそ、と言うべきでしょう、シャクラ殿。貴方にはわざと竜人族を攻撃して見境なく暴れさせ、このゲルガンダールを火の海にするという選択肢もありました。魔王軍がどれだけの軍勢で来ているのかはわかりませんが、たとえ十万の大軍を犠牲にしたとしても、このゲルガンダールを失う損失とは比べ物になりませんからね」


「おや、初めて意見が一致しましたね、ゲルマニウス殿。その通り、このゲルガンダールは我ら魔王軍にとっても、できる限り無傷で手に入れたい人材と資源の宝庫ですからね。交渉の余地などない人族とは違って、あなた方とはそれなりの取引が通じると思い、魔王陛下の意向を受けた私自らこうして馳せ参じたのですよ」


「その取引も先ほど破綻しましたがね――それと、そんなに悠長に喋っていていいのですか?この場にいるのはドワーフ族四人、エルフ族二人、獣人族二人の三種族あわせて計七人、いずれも各種族を代表する手練ればかり。対して貴方は護衛を含めてたった四人。その三人がどれだけの手練れでも、私達とほぼ互角の実力と思しき貴方がそちら側の主導権を完全に握っている以上、数段劣る実力であることは疑いようがない」


「ほう、私が窮地に立たされていると?ですが、万全の準備を整えてここに乗り込んできたのですよ?対して、今のあなた方は大樹界会議という場の性質上、儀礼上無礼にならない程度の装備のみ。端から見れば圧倒的不利なのはそちらの方では――」


 ゴガン!!


 未だに余裕を崩さないシャクラの演説を突如遮った物音。

 それは暴力を振るうところなどその外見からは想像もつかないゲルマニウスが、手近にあった椅子に拳を叩きつけて一撃で粉砕した破砕音だった。


「私たちが丸腰……?それがどうしたというのです。これでも私は、ゲルガスト王と戦場を共にした大戦士の端くれ、他の方々も、その私達と時に互角の戦いを演じ、互いの実力を認め合った実力者ばかり。無装備状態での戦いなど飽きるほど経験してきましたよ。――さあ、今度はこちらから告げる番です。降伏なさいシャクラ殿、今なら貴方方を含めた魔王軍の、無駄な血を流さずに済みます」


(おお、これはまるで……)


 その瞬間、ハイドワーフのアンゲスは、前に立ってシャクラに降伏勧告を告げるゲルマニウスの背中に、かつてその背を追いかけ続けた偉大な王の姿を見て心を震わせた。

 が、次の瞬間には今はそんな場合ではないと思い直してその感動を封印し、シャクラの背後で吹き皆ほどに沈黙を守り続ける三人の護衛を見て、全身に悪寒が走った。


 なぜ悪名高いシャクラではなく、三人の護衛なのか?

 それは、一切の情報をリセットした状態で改めて観察したそのローブですっぽり覆われた体から、あまりにも生気というものを感じられないという、戦士としての長年の経験から来る違和感からだった。


「ゲルマニウス殿!その三人、何かおかしいぞ!」


「アンゲス殿……?」


「…………しくじったわ、最初に気づくべきだった――ゲルマニウス殿、そこの三人、少なくとも生き物じゃないわよ」


 アンゲスの言葉に何かを察したライネルリスがゲルマニウスに告げるが、当のハイドワーフはそれが何を意味するのか、一瞬では答えに辿り着くことはなかった。


「……ククク」


 そして、次の瞬間に起こったのは、まるで自重することを知らないシャクラの哄笑する甲高い声だった。


「クヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャ!!ようやく気付きましたか!まったく、いつまでもそちらが切り出さないので、こちらから暴露するという辱めに遭うかもとハラハラしましたよ!――ではご披露させていただきましょう。この三体こそが現時点での私の最高傑作であり、あなた方大樹界会議のメンバーを皆殺しにするために作り上げたアンデッド、『マギ・イモータルウォーリア』です!!」


 バババッ


 まるでシャクラの合図を待っていたように、三人――三体のアンデッドのローブがその体から剥ぎ取られ、宙を舞った。

 そして、その中から現れたのは、


「ルークク!?」


「ゼーゲル様!?」


「ガングルクス殿!?」


「どうです!せっかくメジャーな亜人が勢揃いする大樹界会議ということで、あなた方に縁のある死体を特別に選んできたのですよ!さあ、交渉の第二段階の開始といきましょうか!ああ、こちらからの要求はただ一つです――死んでください!!」


「「「っ――!?」」」


 アンデッドは、死霊術師の命令一つでどんな残虐な行為も眉一つ動かさずに執行する。

 マギ・イモータルウォーリアと名付けられた三体のアンデッドもまたそのルールから洩れることなく、無言を貫いたまま一直線に同族目掛けて突撃を開始した。

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