第108話 幕間~ジルジュ~


 やはりあの時断っておくべきだった。


 そんな埒もない妄想を浮かべるほど、ライネ姉さん、もといエルフの女王ライネルリス様のゲルガンダール滞在中限定の従者としての私の役目は多忙を極めた。

 主な予定はゲルガンダールにいる要人との会談だったのだが、さすがは多くの種族が行き交うゲルガンダール、ライネルリス様の会談相手はドワーフ族はもちろんのこと、他の里のエルフ族、獣人族、人族など多様性を極めたと言っても過言ではない。

 ただ、大樹界侵略に関係のない魔族はともかく、明らかに裏社会に属していると確信できるような危険人物とも見境なしに会うのはいかがなものかと思う。

 はっきり言って、従者としての私の仕事と気苦労が激増した主な原因はそこにあった。

 中には、わずかでも隙あらばライネルリス様を亡き者にしようと画策した(しただけだったが)相手もいたが、あの時は何度こちらから仕掛けるべきかと迷ったか思い出せないほどの緊迫した時間だった。

 さすがにその時ばかりは、会談の直後の二人きりになったタイミングでライネルリス様の不興を買う覚悟で諫言したのだが、


「あら、ジルジュは私が他種族と積極的に交流を持とうとするのがそんなに不満かしら?」


「いえ、決してそういうわけでは……ですが、明らかにライネルリス様の命を狙ってくる輩にまで御自ら会われる必要が果たしてあるのかと……」


「そうね、それが普通の感覚ね。でもあれは、彼らの世界で言えば単なる挨拶みたいなもの。あちらの流儀に合わせるなら、あれくらいの悪戯は笑って受け流せないといけないのよ」


「……なぜ、そこまで危険を冒してまで会おうとなされるのです?」


「あら、てっきり頭ごなしに否定されるのかと思ったわ」


「これでも、セーン一族の次期族長としての研鑽は積んできたつもりです。我らの最大の武器の一つが情報である以上、ある程度の目を瞑らなければならないことがあるということも知らないわけではありません。川の水はある程度濁っていなければ生き物が住み着かない、ということです」


「そう、良い例えね。……はあ、あの愚妹にも言って聞かせてやりたい言葉ね――もっとも、あの子が甘やかされて育った原因の一端は私にもあるのだけれど」


「ライネルリス様……?」


 珍しく剥き出しの感情を吐露するライネルリス様に、さすがに私も戸惑いを隠せなかった。

 あらゆる局面をその完璧な美貌と並外れた手腕で切り抜けていくエルフの女王。と同時に、同族の側近にさえ弱みを見せたことが無いという、他種族と比べて感情の乏しいエルフの中においても特に心の内が読めない御方、それがライネルリス様だ。

 そのライネルリス様が、次期女王と目される、私にとっては従姉妹にあたるリーネルリスのことをあからさまに愚痴っている。少なくともこんなことは今まで一度もなかった。


 もしかして何か隠された意図があるのか?

 そんな私の推測は、ある意味で正鵠を得ていた。ただし、予想外の形で。


「そろそろ話す頃合いだと思うから言っておくわね。ジルジュ、あなたはエルフ族の次期王候補なのよ」


「――っ!?……言うまでもないことだとは思うのですが、私の父、セーン一族の長にその話は通っているのですか?」


「もちろん、ネルジュ叔父様には、この考えが私の中で浮かんだ時に真っ先に相談させてもらったわ。その時ははっきり言ってダメ元のつもりだったんだけれど、意外にもアッサリと承諾をもらえたわ」


「そうですか、長が……」


「そういう、人前では親子の関係を封印しているところも私たち姉妹とは違うわよね。まあ、その話は今は置いておいて――それは同時に、私と叔父様の危惧が偶然にも一致していたと証明できた瞬間でもあったのだけれど」


「危惧、ですか?この大樹界を代表する種族であるエルフ族に、という意味でですか?」


「そのエルフ族に、という意味ででよ。実はね、私もそろそろ引退しようかな、って考えているの」


「え、……は!?ちょ、ちょっとお待ちを!」


「ああ、勘違いしないでね。今すぐにとか、そんな無茶な話ではないから。元々そんなにやる気のなかった私が女王になったものだから、どうしても興味が持てる方向にしか力を入れられなくて、そろそろその弊害が出てきそうなのよ。それで、エルフ族の将来を考えて堅実な政治を行える新しい王を育てるべき時期が来たって結論に達したの。だけど、そのためには一つ、大きな問題があることに気づいたの――ジルジュ、今のあなたなら薄々わかっているんじゃないかしら」


 わかりません――少し前の私なら迷いなくそう言えたことだろう。

 しかし、短い間ながらも常にライネルリス様の側で、エルフの女王としての視点に限りなく近い場所に居続けるうちに、この方が抱えている問題がおぼろげながらも見えるようになってきた。

 そして、その問題を託すべき次代の王となると――


「……リーネのことですか」


「両親を早くに病で亡くしてしまったことと、直後にその後を継いで女王になった私があまり構ってあげられなかったことで、それを不憫に思ったリーネの世話役達が勝手放題に甘やかしてしまったのよ。結果出来上がったのが、エルフ至上主義なんてありもしない幻想を信じ込んだ世間知らずのお姫様、ってわけね」


「なるほど……」


 そう言われてみれば、エルフ族史上三指に入るほどの女傑と名高いライネルリス様の背中を見てきたとは思えないほど、リーネの言動には幼い部分が目立つ。

 その一方で、なまじ基礎的な教養や魔法の実力は姉に迫るものがあるから、里の外の私の耳にさえ次期女王などという噂が入ってきたりもしている。


「本当はもうちょっとじっくりと時間をかけて教育し直してから、私が後見する形でリーネを女王に据えるつもりだったのだけれど、魔王軍の侵攻のせいでだいぶん予定を狂わされちゃった。そこで私が白羽の矢を立てたのがジルジュ、あなたというわけよ」


「お話は理解できましたし、大変光栄だと思います。しかし私は……」


「わかっているわジルジュ。あなたがエルフ族の代名詞である弓の才能がないことも、その代わりとして近接魔法の到達点と言われるほどの難易度を誇る『魔法剣』を、血の滲むような苦労を重ねて習得したことも。それは弓のハンデを補って余りあるほどの偉業よ。できればその経験をリーフェルノルトでみんなに伝えてもらいたいくらいだわ」


「いえ、私はただ、足りない才能を努力で補おうとしただけで……」


「そう、その努力こそを私は評価したいのよ。少なくとも、血統と才能に胡坐をかいている今のリーネでは、激しさを増しているこの戦乱の時代からエルフ族を守り切るなんて夢のまた夢。だから、あの子に危機感を持ってもらうためにも、次期王候補の対抗馬が必要なのよ」


 エルフ族の中で一部族の後継者に過ぎない私へのライネルリス様の気遣い。

 それに対して、私が説明など不要と遮るのも、ましてやその御言葉を拒否する資格も持ち合わせてはいない。

 すなわち、私の返答は一つだった。


「ライネルリス様と父上が決めたことなら、私に異存があるはずもございません」


「いいわ、その迷いのない答え方。一口に王と言ってもその姿は様々、むしろ開明的で強力なカリスマで民を導いた大人物よりも、先達たちが敷いたレールを慎重に進んで決してそこからはみ出すことのない臆病者の方が名君と褒め称えられるものよ。もしあなたが王になったら、精々私の敷いたレールをゆっくりと進んでちょうだい」






 つまり、ライネルリス様がゲルガンダールに着いて以降、私を従者という名目で常に側に置いているのは、王の視点というものを少しでも体験させる目的があったというわけらしい。

 振り回されてばかりの立場としてはそういうことはもっと早く教えておいてほしいものだと、その時は思った。

 もっとも、少なくとも今、この時だけは全く真反対の感想を持っているが。


「――というわけで、重傷を負ってこのまま役目も果たせずに死ぬのかと思った矢先、私に止めを刺そうとしていたオークソルジャーが倒れ伏し、一人の人族の青年に助けられたのです」


 ライネルリス様からの御話から数日後、私はついこの間起きたばかりのセーン一族の危機の一部始終を語っていた。

 これ自体は別におかしなことではない。

 リーフェルノルトでも多くの同胞に語って聞かせた話だし、ゲルガンダールに着いてからもライネルリス様の会談相手の何人かに掻い摘んで説明したこともあった。


 だが、これまでの相手には失礼だが、この場にいる四人のドワーフ族の方達は全くの別格。

 彼らは何れも大樹界にその名を轟かせたドワーフ族を代表する方々ばかりであり、私が今立っている場所も、正にその大樹界の行く末を左右する力を持つ最高意思決定の場、開催直前の大樹界会議の議場なのだから。


「……ふむ、まずは奮戦空しく命を落とされたセーン一族の方々に哀悼の意を。そしてそのような危機に見舞われながらも生き残り、私達に情報を届けてくださったジルジュさんに最大の感謝を。ありがとうございますジルジュさん、あなたのお陰で最新の魔王軍の動きを察知することが出来ました」


「い、いえ。私の方こそ貴方にお会いできて光栄です、ゲルマニウス殿」


 本来ならこの議場に入ることすら許されない、エルフの女王の従者という立場に過ぎない私に対して、どこまでも腰の低い態度で接してくれているドワーフの男性。

 彼こそがドワーフ族を率いる元老の一人であり、伝説のゲルガスト王の実弟、ゲルマニウス殿だ。


「ふむ、話は分かった。では、その従者殿には退室していただこう。ここから先は、種族を代表する極めて重要な話ゆえにな」


「あらトゥーデンス殿、あまり邪険にしないでもらえるかしら?これでもこのジルジュは私の従弟、そして歴とした私の後継の一人でもあるんだから、この大樹界会議に出席する資格は十分だと思うのだけれど」


「なんだと!?そんな話は聞いておらんぞ!そもそも出席者に関しては、三月前までに議長役の種族に通告する決まりであろうが!?」


「ああ、そう言えばそういうのもあったわね、ごめんなさい。でも、私がジルジュを後継の一人に決めたのは一月前の話。その頃はリーフェルノルト周辺で魔王軍の動きが活発になっていて、とてもではないけれど知らせを寄こす余裕はなかったのよ」


「ううむ、そういうことなら……」


 もちろん嘘だ。

 ライネルリス様の心算はともかく、当事者の私に告げられたのは、ほんの数日前のことだ。

 少なくとも私の記憶では、大樹界会議の直前にそんな大事な決定がなされたことなど、一度たりともなかったはず。

 この方の跡を継ぐということは、そういった決して表に出せない危険な秘密を共有しなければならないということでもあるということか。


 ……このレベルの重荷を無数に抱えて独り墓場まで持って行くのか、さすがに気が重いな……


 そんな私の出席が正式に認められ、各種族の代表が出そろって(竜人族の登場には言葉もなかったが)正式に始まった大樹界会議は、竜人族による短時間の中断以外はまるであらかじめ大筋で合意がなされていたかのように粛々と進んだ。

 そう、種族同士の対立が激しく、これまで魔王軍に対してすら一致した行動をとれないでいた大樹界とはとても思えないほどに。


「ええ、大樹界連合軍、改めてエルフ族は同意するわ」


「もちろん獣人族もだ!」


 初めて実際の会議の様子を見ている私ですら小さくない違和感を覚えたのだ、当事者であるライネルリス様達が何も感じていないはずがない。

 確かに、魔王軍の侵攻は我らセーン一族の里まで及んだのだ、戦略的に見ればすでにこのゲルガンダールの喉元まで迫っていると言ってもいい。

 だが、これまでの各種族の確執を思えば、たとえ根回しが完全に済んでいたとしても、大樹界会議という正式な場だからこそ主張すべき意見や駆け引きというものがあるはずだ。

 それが今日の会議ではどこの種族も一切口にしない。しようともしない。

 なぜだ?そのくらいの交渉をする時間はあったはずだ。もしかしたら、私の知らない魔王軍に関しての確定的な情報が共有されているのか?

 いや、それはありえない。それにしては議場周辺の警備は通常体制のままだし、何より議場に入る前に見たゲルガンダールの街は日常そのものだった。

 だが、この場にいる各種族の長たちが何かに急かされるように議論を加速させている理由、そんなものがあるのか……


 ……こうなれば可能性は一つだけ、すなわち、ライネルリス様達はただの勘だけで何かしらの危機がすぐ側まで迫っていると直感したということになる。


 ……なんということだ、守るべき対象のライネルリス様が危機を感じているというのに、一時的にとはいえ従者であるはずの私は、自分のことで汲々としていたというのか?

 くそっ、何が次期エルフ王候補だ、この体たらくでどうしてエルフ族の未来を背負えるというのか……!


 ガコン


 そんな、途中から会議の内容すら聞き流すほど(後で聞いた話によると魔王軍による侵攻の知らせが舞い込んでいたらしい)自分自身に激高していた私の心の内が、逆に周囲の空気の微かな異変にも敏感になっていたと言えるのか。

 ともすれば聞き逃してしまいそうな小さな音が議場の壁の方から聞こえ、何の気もなしにそちらへ目をやった時、そこに見えた一条の光に対して、思わず私は一節のみで完成する得意魔法を叫ぶように唱えていた。


「エアロクレイモア!!」


 キキキイィン


「……ほほう、風の魔法剣ですか。奇襲には失敗しましたが、これは珍しいものを見られました」


「何者か!」


「ククク、これはこれは皆様お揃いで――ああ、このままでは私たちの姿が見えていないのですね。まったく、これほど精緻な仕掛けを使わないのは勿体ないと思って、わざとトラップを発動させてみましたが、さすがとしか言いようがないですね」


 カタ ギイイイイイイィィィ


 ほぼ叫ぶような私の誰何に対して議場中に響くように聞こえてくる謎の声が喋った後、なんと万全を期したチェックが行われたはずの議場の壁、そこに仕込まれていた仕掛け扉が開き、その向こうにある暗闇の先の存在を照らし出した。


「バカな!?なぜそんなところから!?」


「ワシらが把握していない隠し通路などあり得ん!?」


 不審人物を通り越した敵対人物の出現に警戒する私と違って、ドワーフ族の方から上がった叫び。それは単に裏をかかれたことへの驚きだけではないようだ。


 そして、隠し通路の暗闇から浮き出るように現れた四人の人型、そのうちの一人を見て私達はさらに驚愕することになる。

 正確には、その魔族と思しき青白い肌の男が持つ赤銅色に光る杖、魔王軍の魔導を象徴する強力な魔道具に対して。


「お初にお目にかかります、私の名はシャクラ。魔王軍銅巧魔導師団にて六杖衆の栄誉に預かる探求の徒にございます。此度は、大樹界会議に参加する皆様に降伏勧告を告げに参りました」

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