第107話 幕間~銅巧魔導師団六杖衆 シャクラ~


 魔王軍の襲来にゲルガンダール中が蜂の巣をつついたような大騒ぎになる少し前、ゲルガンダール近郊に布陣する魔王軍一万五千の後方に設置された大型の天幕では、通常種の倍はありそうな大柄のオークと、人族ではあり得ないほど病的に青い肌の色をそのやせ細った体に浮かび上がらせた魔族の男が向かい合っており、その二人の間でこんな会話劇が繰り広げられていた。


「シャクラ殿、今しがた全軍の準備が整った。いつでも進軍できる」


「よろしい。では、前軍として五千のオーク兵を前進、後の五千は――」


「わかっている。すでに内通者によってもたらされた、外からゲルガンダール内部へ繋がっている坑道の入口を十以上発見している。そこから提供された地図に従って侵入させる。これでいいのだろう?」


「実に結構ですよ、将軍」


「わかっているとは思うが――」


「ええ、もちろんゲルガンダールを落とした暁には、あの都市を含めた手柄の全ては将軍に。ですが――」


「貴殿のこれからの行動に関しては一切関知しないし邪魔もしない。しかし、極秘扱いにしたので末端まで指示が行き届いていないぞ?下手をすれば同士討ちになりかねん」


「こちらとしてもできる限り無用な戦いは避けるつもりですが、そちらから手を出してきた場合はその限りではありませんよ?」


「……もちろん多少のことは目を瞑るつむる。それが我が王からの命だからな。しかし貴殿、一体どうやって我が王を動かした?いくら銀鋼騎士団が凋落したからと言って、易々とと手を組むような御方ではないぞ」


「それに関しては、私とて知らされていることはほとんどありませんよ。ただ一つ、導師が仰られていたことは『利害が一致した』ということらしいですよ」


「それだけ聞ければ十分だ。とにかく、一番厄介なゲルガンダール四元老、女王ライネルリス、巨獣将アングレン、こいつらの動きを封じてくれる、そう期待していいのだな?」


「念を押されるまでもありません。そのためにこちらも貴重なワイバーン部隊を貸し出してまで、各亜人族の動向を探らせたのです。この作戦が失敗すれば、私とて導師に合わせる顔がありません。将軍と共にこの大樹界に屍を晒すことになるでしょうな」


「……どうやら余計なことを言ってしまったようだ」


「いえ、将軍もこの戦争にすべてをかけていらっしゃる身、不確定要素に気を配るのは当然のことです」


「そう言ってもらえると助かる。では、そろそろ私も行くとしよう」


「将軍、どうかご武運を」


「貴殿もな、シャクラ殿」






 そう言ったオークの将軍が天幕から姿を消してしばらく後、


「チッ、何が「そう期待していいのだな?」だ!!ちょっと他の豚共より知恵がついたからと言って、導師より直々に杖を授かったこの私と同列になったつもりか!?恥を知れ!獣風情が!!」


 そんな感じの罵倒がしばらく続き、ようやくその声が治まったころ、天幕に音もなく侵入する影があり、シャクラがそれに気づくと底冷えのするような冷たさを持った言葉を発した。


「シャクラ様。内通者が到着しました」


「来ましたか。直ぐにここへ連れてきなさい」


「かしこまりました」


 シャクラの命令に、すぐさま天幕から姿を消した影。

 しばらくして天幕に入ってきたのは先ほどの正体不明の影ではなく、やや活力にかけてはいたもののしっかりとした生命力を感じさせる一人のドワーフだった。


「ようこそ魔王軍へ、ヤングル殿。その様子だと、こちら側へ来る覚悟は決まったようですな」


「……本当にワシらを工房ごと魔王軍で引き取り、幹部待遇で迎えてくれるのだろうな?」


「念を押されるまでもありません。あなた方の持つ技術は、あのグラファスのいるゲルガンダールではただの一流の域を出ないものの、外の世界では垂涎の的。そこに我らが導師の錬金術が組み合わされば、ヤングル殿はグラファスをはるかに超える鍛冶師として、未来永劫その名を歴史に刻むことでしょう」


「その言葉、信じてよいのだな?」


「もちろんですとも。だからこそ、私は貴方を引き入れるためにあの手この手を尽くしたのですから」


「くっ、だからといってあんな卑怯な手を使うとは……!?」


「卑怯?――ああ、ひょっとして魔王軍が所有していた大量の希少な鉱石を、知り合いの魔族の商人を通じてあなたに売却した際のことを言っているのですか?あれは全て適正な価格であなたの手元に渡っているはず、文句を言われるとは心外ですね」


「何を言う!毎年決まった額を分割で支払えばいいという決まりを破って、ワシの工房を差し押さえようとしたのを忘れたのか!?」


「これは心外ですね。あれらの全ては適正な価格であなたに売られたものだったはず。それを他の工房に取られるのが惜しいと、ご自分の資産で支払いきれない分を借金で賄おうとしたのはヤングル殿ご自身ではありませんか」


「ぐっ……」


 まるで芝居役者にでもなり切ったかのような大げさな手ぶりを交えて、滔々と語るシャクラ。

 その様子は痩せこけた体にローブ姿という外見も相まって、悪の道へと誘う闇の魔導師のイメージそのものだった。


「御安心なさいヤングル殿。私や導師があなたに求めるものはこれまでと何ら変わることはない。むしろ、これまで以上の設備をあなたに提供しようというのです。たかが所属が代わる程度、何を迷うことがあるのですか?あなたがドワーフ族の誇りなど、最強の武器を鍛え上げることに比べたら塵芥も同然に考えていると確信したからこそ、私はこのような取引を申し出ているのです」


「ワ、ワシは……」


「さあ、ドワーフ族の誇りを胸に今ここで死ぬか、それともそのわずかばかりの誇りを利用して鍛冶師としてさらなる高みを目指すか、もし後者だというのならこの手を取ってください」


 そう言って差し出されたシャクラの手。


 ヤングルが同胞を裏切ることを決意し、シャクラのその手を取るのにさほど時間はかからなかった。






 それから少し時は進み、本格的にゲルガンダールの裏切り者となったヤングル、それにシャクラ、さらには全身を黒のローブですっぽりと覆った三人の何者かがその後に続き、シャクラの持つ赤銅の杖が生み出す照明魔法で照らされた真っ暗な坑道の中を、転ばないようにゆっくりと進んでいた。


「ヤングル殿、くれぐれも人に見つからないルートでお願いしますよ。もし、途中で見つかるようなことがあれば、少々面倒なことになりますので。ああ、勘違いしていただきたくないのですがね、私個人としては、ここまで来れればあとは別に何人のドワーフに見つかろうと構わないのです。今回連れてきたのは『私の作品』の中でもかなりの出来でしてね、やろうと思えば目的地までの強行突破もそう難しいことではないのですよ」


「……それならば何が問題だというのだ」


「あなたですよ、ヤングル殿。今更私と行動を共にしているところをかつての同族に見つかろうが覚悟の上でしょうが、さすがに敵対し戦う、さらには命まで奪ってしまうとなると、今後の鍛冶仕事に悪影響が出ないとも限りませんからね。ですからくれぐれも、妙な気は起こさないようにお願いしますよ。なによりもヤングル殿、あなた自身のために」


「……わかっておる。そもそも、ここはワシと限られた弟子たちだけで作った、ワシの工房からゲルガンダールの外へ直接つながる秘密の坑道だ。いかにグラファスや四元老であろうと、ここだけは知るはずがない」


「それならば結構。それに、どうやらその真偽も、もうすぐはっきりするようですからね」


 ヤングルにそう言ったシャクラの視線の先には、坑道の終点の証である照明魔法以外の明かりが行き止まりの先からわずかだが洩れているのが見えていた。


「ほほう、仕掛け扉ですか。これを魔法で破壊するとなると、坑道の内部という点を無視したとしても大魔法級の威力を要求されるでしょうな」


 そう言うシャクラの行く手に立ちふさがったのは、坑道を塞ぐには大げさすぎる、重厚かつ奇妙な形の鍵穴のついた扉だった。


「シャクラ殿、もう一度確認しておく。本当にワシと弟子たちを魔王軍で厚遇してくれるのだな?」


「もちろんですとも。エルフ族や獣人族と違い、これまでドワーフ族が魔王軍の味方をしたという記録は驚くほど少ない。それも武具の提供を受けたという事例が数点確認できる程度です。そんなあなた方を嫌悪する魔族も少なくありませんが、私や導師は違います。貴重な人材には相応の見返りを、そうでない者にもそれなりの処遇をお約束いたしましょう」


「……わかった。今からこの隠し扉の仕掛けを解く。失敗すると扉が完全に封鎖されるようになっている。そうなると周囲の岩盤ごと破壊する以外の方法はない。くれぐれも仕掛けを解除している最中は声をかけないでくれ」


「承知しました。ああ、その前に一つ。以前お願いしたように、ヤングル殿の高弟の方々には、きちんとこの扉の前で全員待っていただいている、という認識でよろしいですね?」


「あ、ああ。シャクラ殿の元へ赴く前にそう命じておいたから間違いない」


「それは結構。ああ、邪魔をしてしまいましたね。どうぞお続けになってください」


 シャクラの妙な頼み事にヤングルも違和感を覚えずにはいられなかったが、死霊魔導師の考えることなど理解できるはずもないかとある意味での思考停止を自らに課した後、常人では一生かかっても解除できないと確信している自信作の扉を、携帯していた工具でいじり始めた。


 カチャ カチャチャチャ      


 その音が鳴り始めてからそれなりの時間が経過したが、ヤングルもシャクラも、そしてその後ろに控えている護衛も一言も発さない。


 カチン


「開いたぞ」


 やがて、何かが外れたその音と共に、ヤングルの開錠を知らせる声が坑道に響いた。


「お見事。個人的には、魔族の中ではカラクリ仕掛けというものには造詣ぞうけいがある方だと自負していましたが、これほどの仕掛け扉をこの短時間で解いてしまうとは。やはりドワーフ族屈指の鍛冶師という肩書は伊達ではありませんな」


「世辞はいらん。それよりこの扉を開けるのを手伝ってくれ。もちろんシャクラ殿ではなく、そこの護衛にさせても構わん」


「分かりました。お前たち、ヤングル殿を手伝え。ついでに、


 シャクラの命令を聞いた三人のローブ姿の護衛は無言のまま同時に頷くと、ヤングルと共に金属製の扉に手をかけてゆっくりと押し始めた。


 ゴ ゴゴ ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ


 計四人の押す力に合わせて開き始めた扉。

 やがて人一人が優に通れるほどの隙間が生まれた瞬間、


「なっ!?お前ら、どこへ行く!?」


 それまでヤングルを手伝っていた三人の護衛が、ローブの下からそれぞれダガーナイフ、短剣、ガントレットを覗かせると、止める間もないほどの素早い動きで勝手に中に入ってしまった。


「ま、待て!!」


 慌てたヤングルが三人の後を追い、扉の奥、さらに工房の玄関へと走った先に、それは起きていた。



「な、なんだこいつら、ぎゃあああ!?」 「えっ……ガフッ」 「だ、誰か、た、たすけ」 「ぐおおおおおお、ぐはっ」「なんだこいつら!?玄関を封鎖しやがった!?たった三人でどうにかなると思っているのか!?誰か武器を持ってこい!俺が仕留めてやる!」



「な、なんだ、これは……」


「何と言われましてもな、先ほど言った通り『安全の確保』ですよ」


 僅かな時間で、工房内のそこら中から上がった男女の悲鳴。

 ヤングルが追い付いた時にはすでに、先に侵入したシャクラの三人の護衛の武器によって長年苦楽を共にしてきた自慢の工房は死体と血で溢れかえっていた。


「突然工房を休みにすれば誰かが異変に気付くかもしれない。かといってヤングル殿の工房のすべての従業員を取り込むことなど不可能。客に至っては論外ですな。となれば、採れる方法は一つだけ。ここまで言えば、戦争というものに疎いヤングル殿にもご理解いただけるでしょうか?」


「き、貴様、なんということを……!?」


 今の自分の立場も忘れて思わず激高しかけるヤングル。

 しかし、彼が感じたかつてないほどの衝撃と悲しみは、これから起きるさらなる悲劇のただの序章に過ぎなかった。


 オ、オオオ――


 ユラリ


「なっ!?――ギャアアアアアアアアア!?」


 その出血量だけで明らかに絶命していると確信していた一人のドワーフがゆっくりと立ち上がった時の、ヤングルと襲われなかった弟子達の驚きは相当なものだったが、その生気の失われた顔を見た時に絶叫はそれをはるかに超えていた。


「ア、アンデッドなのか?シャ、シャクラ、まさか貴様……!?」


 化け物を見るような顔をしたヤングルの言葉にすぐには答えず、次々と立ち上がるを眺めるシャクラ。

 やがて工房内の全ての死体がアンデッドと化したのを満足そうに見届けた死霊術士は、まるでそれまで気にも留めていなかった、という素振りでヤングルの方を向いた。


「おや、私がただ殺戮を行うだけの野蛮人だとでも思っていたのですが?それは心外というもの、この世に生きる者達全てを最も有効に活用できる死霊術士わたしが、これだけの死体を利用しないわけがないでしょう?さあ、一足先に彼らに外に出て暴れてもらっている隙に、私達は目的地へと急ぐことにしましょう」


 パチン


 嗜虐の笑みを浮かべたシャクラが右手の指を鳴らした瞬間、それまでその場に佇んでいただけだった計二十体ほどのアンデッドが一斉に玄関に殺到、力づくで扉を破壊して外へと飛び出していった。


「き、貴様は、どこまでワシを苦しめれば気が済むのだ……」


「苦しめる?何をおっしゃるのだ、ヤングル殿。私がやっているのはむしろ逆、同胞への裏切りというこれ以上ない大罪を犯したあなたの重荷を、少しでも軽くして差し上げているだけですよ。まあ、私の趣味と実益を兼ねていることは否定しませんがね――おや、私の護衛が戻って来たようですね。騒ぎに紛れるにも頃合いでしょう。ではヤングル殿、参りましょうか」


 ドワーフのアンデッドにドワーフを襲わせるというおぞましい地獄を生み出してなお、愉悦に塗れた笑みを崩さないシャクラの誘いに、再び歩き出したヤングル。

 それが悪魔の誘惑と知りつつも、すでに自分の手がシャクラと同様に同胞の血で真っ赤に染まっていることを自覚せざるを得なかった。






 突如ゲルガンダール内部に出現したドワーフのアンデッドによって大混乱に陥っている街の中を、ヤングルの案内で時に大通りを、時に人一人が通るのがやっとな小道を、時には作られてから誰も通ったことが無いとすら思える隠し通路を進み、やがてヤングルとシャクラ、それに正体不明の三人の護衛の計五人は、暗闇に閉ざされた通路の中に巧妙に隠された、一つの鉄扉の前に立っていた。


「……着いたぞ。ここが目的の場所だ」


「ほほう、本当にここがそうなのですか?」


「今更疑うというのか?ワシはついさっき、ここで築き上げたすべてを失ってきたのだぞ。残っているのは、数人の弟子と奴らに持たせたわずかばかりの鍛冶道具だけ。どうせその弟子たちも、貴様は保護だと耳障りのいい言葉を口にしておったが、要は体のいい人質だろうが。これでは裏切る意思など持てるわけがないではないか」


 そう話すヤングルの表情には、もはや隠すつもりすらないらしい明らかな疲れがにじみ出ていた。

 他種族から見れば老若男女問わず全員が頑固一徹な性格と言われるほどのドワーフが、限られた人数とはいえ外聞を気にする余裕も無く、その疲れた顔を晒していた。


(……これはちょっと追い詰めすぎましたかね。これ以上刺激的な光景を見せれば、後で使い物にならなくなりますか……これだから生き物は扱いが難しい。将来的にはドワーフの技術力もアンデッドで再現できるように方法を考えるべきでしょうね)


「ヤングル殿、あなたにはここで待っていていただきたい。この先にいるのはいずれも一騎当千の強者ばかり、ここから先は我らの領分ですので」


「ワ、ワシでは力不足だと?」


「いえいえ、ドワーフのハイスミスは上質な武具を作り出す鍛冶師であると同時に、自ら打った武器を手に戦う腕利きの戦士であるという評判は私の耳にも入っています。ヤングル殿の実力を疑っているわけではありませんよ。ですが――」


 戦士としての自分を侮られたと感じて憤るヤングル。

 だが、シャクラの言葉に反応したらしい護衛が鉄扉へと動き出した時、工房内のドワーフ達を虐殺していた時すら一切気配が感じられなかったのに、絶対に生き物から発することのない幽鬼のようなどす黒いオーラがヤングルの目に見え始めた。


「彼らはこの日のために私が丹精込めて作り上げた最高傑作。個々の実力はもちろんですが、三人の完璧な連携は大陸一と言っても過言ではありません。彼らの巻き添えを食らわないためにも――是非ともヤングル殿にはここに残っていただきたいのですよ――クク、クハハハハハハハハハハハハ!」


「……わ、わかった」


 ドワーフの戦士の誇りすら忘れてしまったヤングルが思わずそう答えてしまったのは、三人の護衛の幽鬼のような迫力に気圧されてしまったのか。それとも、その三人すら霞むほどの狂気をその笑みに覗かせたシャクラに対する恐怖か。

 彼らが扉の向こうへ消えるまで、その答えを聞く勇気をヤングルが持つことはついになかった。

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