第96話 エルフの女王と出会った
ワイバーン部隊撃退から日が暮れるたびに近くの岸に船を寄せて夜を過ごすこと三日、ついに俺達はネルジュ達セーン一族が避難先として目指していたエルフ族の里の近くの川岸にたどり着いた。
もちろんこの三日間にもいろいろあった。
といっても、危険なことは水鉄砲を装備したセーン一族の女性たちがすべて排除したので、荒事的な意味では俺達の出番は全くなかった。
なにしろ水上だけでなく地上で出くわした魔物も、すべて水鉄砲による強力なウォーターカッターで瞬時に切り裂いてしまうのだ、俺達の出番などあるはずもなかった。
エルフは鋭い聴感覚と魔力感知の能力を持っているので、索敵の分野でもラキアやリリーシャでようやく互角といったところなので、特に俺とドンケスが武器を手に取るころには襲ってきた魔物は全滅していた、なんてことしか起きなかったのだ。
そんなわけで、コルリ村からセーン一族の集落までの苦労の連続だった道のりが嘘だったかのような快適な船旅は、まるで観光のようなのんびりとした気分で終わろうとしていた。
「おお、ご主人様!またデカい魚が釣れたぞ!」
「こらラキア!もうすぐ到着するんだから早く竿をしまいなさい!」
広げていた荷物を片付けながら、時には幼児レベルまで思考が退化するラキアに合わせて先生のような口調で叱りつけてしまった俺。
ちなみに最近のマイブームだったりする。
「しかしご主人様、どう見ても船をつけられそうな岸がないのだが?」
「む、確かに」
船旅が快適すぎて暇だったので退屈しのぎにセーン一族の分も含めて竹竿を作ったところおおむね好評だったのだが(ズルをしている気になりそうだったので魔道具化は避けた)、水の上でも狩人の血が騒いだらしいラキアがいたく釣りをお気に召したようで、寝る時と食べる時以外はずっと釣り竿のそばに張り付いていた。(そのうち魔物だらけの川に飛び込んで素潜りで獲物を仕留めようと画策したのは皆で全力で止めた)
そんなラキアから鬱蒼と茂る木々に阻まれた岸辺を指差されて、もっともだと納得する俺。
これでは上陸どころか船を近づけることすら困難だ。
「おいジルジュ、本当にここにエルフ族の里があるのか?」
「ああもちろんだ、私も何度か来たことがあるからな」
「いや、この光景を見るとちょっと信じられんのだが」
ラキアに続いて両岸を指差す俺。
もちろんそこには森しかない。
「いや、それは――そうか、平地で暮らす人族には自分の住処を隠す必要がないのだったな。まあ見ていろ、もうすぐ父上がタケトの疑問を解消してくれる」
そう言って長の息子であるジルジュが(やけに名前が似ているなと思っていたが、まさか若々しい外見のネルジュと親子だとは気づかなかった。見た目だけならせいぜい兄弟だ)船団の先頭を指差した。
今俺達が乗っている船は船団のちょうど真ん中あたり、そこから見えるネルジュが乗る先頭の船との距離はそこそこあり、姿こそ見えるが何やら小声で呪文を唱えているらしいネルジュの声までは拾えなかった。
「カッ!!」
それでも呪文の終わりに大声で叫んだネルジュの声が辺りに響き渡ると、なんとネルジュの目の前で生い茂っていたはずの木々が霞のように透明になって消えていき、今まで気配すら感じさせなかった支流の川がその姿を現した。
「あれは、この先にある里のエルフたちの魔法技術の粋を集めて作られた幻惑結界だ。先に言っておくがただの結界ではないぞ。質感を伴った木に注意力を逸らすかく乱、それに川の流れを偽る複合魔法で守られているのだ。たとえここにエルフ族の里があると分かっていても、正統な方法以外では決してたどり着けないようになっている――すまん、少々喋りすぎたようだ。コホン、それはともかくとして」
説明が過剰になったと感じたのか、軽く謝罪したジルジュが気を取り直して改めて俺達に告げた。
「ようこそエルフ族最大の集落、リーフェルノルトへ」
支流の先は入江のようになっていて、小規模ながらしっかりと整備された船着き場が設けられていた。
そして、その桟橋には俺達の到着を察知していたらしい武装した数人のエルフが待機していた。
「これはネルジュ殿ではありませんか!?確か次の訪問の予定はまだ先だったと記憶していますが」
?
「うむ、急な訪問で申し訳ないが、そのことも含めて我が姪殿に話をしたい。おられるか?」
「は、はい――おい、族長にすぐに知らせるのだ、急げ!」
ネルジュに話しかけた年長者と思しきエルフが別のエルフに指示を飛ばして知らせに行かせた。
「ではひとまず来客用の施設へご案内します。こちらへどうぞ。ようこそ、エルフ族最大の都市、ティリンガへ」
よほど突発的に事態に慣れているのだろう、ネルジュにそう言った年長者のエルフは、人族とハイドワーフとダークエルフという奇妙な取り合わせの俺達を一瞥しただけで何も言わずにネルジュを促した。
「おおおおおおっ!すごいなご主人様!地上を歩くエルフたちが豆粒のようだぞ!」
「こら!よそのおうちなんだから静かにしなさい――って、すげえな!!」
「くっ、その気になればダークエルフとてこれくらい……」
そう言い合いながら窓から外を眺める俺達の視界には、遠近感が分からないほどいくつもの巨大な樹が立ち並ぶ圧倒的な自然の光景が広がっていた。
それもただの自然じゃない、元の世界では決してあり得ない、周りを一周するのに優に十分はかかりそうな規格外なサイズの樹がそびえ立っていたのだ。
驚くのはそれだけじゃない。ここに来るまでに大勢のエルフとすれ違ったが、里の中には家が一軒も建っていなかった。とは言っても、彼らは別に野宿したり木の上で暮らしたりしているわけじゃない。
あの後、俺達コルリ村組と他のセーン一族の人達とは別々に案内された俺達は、巨大な樹の一本の中にあるリーフェルノルトが一望できるテラス付きの高層の部屋に案内されて、その圧巻の景色を楽しんでいるところだった。
「しかしエルフの里というのはすごいものだな!まさかこの巨大な木をくりぬいてその中で暮らしてしまおうなんて!」
「私も何度か使者としてここを訪れているが、こんなに巨大な樹はこのティリンガにしかないからな。これほど巨大に育つのはそれだけ強力な龍脈を押さえているからだと聞いたが」
「龍脈?難しい言い方をされてもよくわからんぞ?」
「いや、簡単に説明したつもりだったんだが……まあ、あれだ、いい土地だということだ」
「それはすごいな!」
いつも通りアホな子のラキアに渋い顔を見せながらも、それでも律義に理解させようと説明するネルジュの息子ジルジュ。
かなり生真面目な性格だということはこれまでの日々で何となくわかってきたが、あれはこの先苦労をしょい込みそうだな。
二人のやり取りを見ながらそんなことを考えていると、俺達がいる部屋のドアをノックする音が聞こえてきた。
「失礼いたします。ティリンガ族長、ライネルリス様のご入室です」
その声がした後、静かに細かな細工の施された木製のドアが開き、声の主と思われるエルフの女性が入ってきて後ろにいた人物を促した。
その瞬間、部屋の中を緑の暴風が吹き荒れた。
「――っ!?」
驚きの表情を見せたのはラキア、リリーシャの二人――いや、俺を入れて三人か。
やはり同族というアドバンテージのせいか、ドンケスとネルジュの二人は泰然としたものだったが、一見動揺を見せていないジルジュは顔にこそ出さなかったが、強張っている全身が緊張を物語っていた。
「初めまして、このティリンガを預かる、ライネルリス=カイジュ=ティリンガと申します。この度はセーン一族の危機を救ってくださったとのこと、お礼の言葉もありません」
その言葉が暴風の中心から聞こえたと思うと、まるでスイッチを切ったかのように俺の体を弄んでいた風がピタリと止んだ。
……いや、違う、風なんか最初から吹いていなかった。その証拠に、部屋の中の調度品は見た限りでは一つも揺れ動いていなかった。
おそらくあの緑の暴風の正体は――
「初対面の相手には自分の魔力を見せつけて優位に立とうとするその癖、何も私の恩人たちに対してまですることは無かろう、姪殿よ」
「あらごめんなさい、ネルジュ叔父。でも、壁越しにもはっきり感じる強大な魔力、それも二つもあるとなると、これくらいは淑女として当然の嗜みではなくって?」
魔力の暴風の中から現れたのは一人のエルフ――いや、その完璧な彫像にしか思えない輝くような外見は、生き物の持つ美しさを超越した言葉が見つからない魅力を放っていた。
その象徴の一つであるダイヤモンドのように煌めく瞳が俺を捉えて一瞬だけ怪しい光を放ったかと思うと、次に俺の隣にいるハイドワーフに固定された。
「お久しぶりね、ドワーフ族の大戦士ゲルガスト。最後に会ったのは二百年ほど前になるかしら?突然隠居宣言をして行方をくらましたものだから、まさかあなたの方から会いに来るとは思わなかったわ」
「ふん、ただの成り行きだ、エルフの女王ライネルリス。それよりもワシのことは――」
「わかっているわ。今のあなたはネルジュ叔父とセーン一族を救ってくれた恩人、特に借りがあるわけでもないゲルガンダールにあなたのことを話したりはしないと約束する。今のあなたはあくまでティリンガの客人、これでいいかしら?」
「それで構わん。そもそも今のワシはただの付き添い兼道案内だ。目立つことさえ避けられればそれでいい」
「あら、一時は大樹界に覇を唱えようとした大戦士がずいぶんと控えめになったものね。それだけの価値がこの若者にあるというのかしら?」
そう言って苦虫を噛み潰したような顔をしたドンケスとの会話を切り上げたエルフの女王が、再び俺に向き直った。
今度は普通の笑顔、さっきの鋭い眼光は鳴りを潜めていた。
「あなたがタケトさんね。あ、私のことはライネと呼んでね。私もタケトさんって呼ぶから」
「あ、は、はい」
「改めて、今回はネルジュ叔父を助けてくれてありがとう。ネルジュ叔父は私にとって父親みたいな人でね、セーン一族の里が襲われたって聞いた時には生きた心地がしなかったわ。というわけで、タケトさんは私の、もっと言えばエルフ族全体にとっての恩人でもあるの。だから何か望みがあるなら何でも言って。この大樹界で私にできないことはほとんどないから、きっと力になれると思うわ」
「い、いや、俺達はゲルガンダールに無事に着ければ別に他には――」
「あら、ずいぶんと欲がないのね。そんな程度のこと、お願いの内にも入らないわ。ちょっと急な話でしょうけど、私もちょうど明日、ゲルガンダールに向かおうとしていたところなのよ。タケトさんさえ良ければご一緒しないかしら?」
ライネさんはそう言いながら、ちらりとドンケスを見た。
どうやら俺の隣のハイドワーフのことを気遣っているようだ。
――当の本人は無反応だったが。
「あ、はい。じゃあ、よろしくお願いします」
「はい、承りました。そ、れ、か、ら、次からは敬語なんてよしてね。私とタケトさんの仲じゃない」
「は――え?」
絶句。
いや、実際にはそれなりに受け答えはしているのだが、すべて女王ライネルリス、ライネさんに誘導されるがままに言わされてしまって、俺の意志など微塵も介入する余地がなかった会話劇だった。
この押しの強さ、さすがは女王といったところか……
「とりあえず、今日は皆さんにお部屋を用意するからゆっくりしてね。ああそれと、外を見て回りたい時は必ず里の誰かに案内させてね。特にタケトさんのお連れの方は、ね」
「な、なんだ白エルフの女王よ。私がここにいることが不快なら、さっさと追い出せばいいではないか」
ティアさんの好意、というより忠告に反応したのは、俺やドンケス、ましてやラキアでもなく、ダークエルフのリリーシャだった。
……まあそうだよな。里の入り口からこの部屋まであっさりスルーされてきたけど、肌の色が違うエルフ同士で何の確執もないはずがないよな。
「まあ、あなたが魔王軍の手先として入ってきていたなら容赦はしなかったでしょうね。ですが開き直りとも違うその態度、どうやら本当にタケトさんのお供としてこの場にいるようですから、特別に今回は見逃してあげます。ねえ、クロハ一族のリリーシャさん?」
「ぐっ――な、なんで私の名を――」
「あらごめんなさい、いじめるつもりはなかったのよ。ただ、同族以外同じエルフにも心を開かないクロハ一族の戦士が、なんで人族のタケトさんに付き添っているのか不思議なだけなの」
「お、お前に話す義理はない」
「あら、そう言うということは、やっぱり隠しておきたい何かがあるってことなのね」
「うっ……」
「いいじゃない、同じエルフ同士仲良く――」
「そこまでにしてくれませんか。連れが困っているようなので」
さすがにこれ以上は見ていられないと、リリーシャに助け舟を出す。
お世辞にも世渡りが得意な方ではないリリーシャがライネさんの迫力と話術に太刀打ちできないと思ったのも本当だが、もう一つ、ドワーフ族の王だったドンケスと対等に話すライネさんが大樹界屈指の実力者だという話が本当なら、リリーシャの口からコルリ村にいる理由であるところの黒曜の存在を知った時、どんなリアクションを起こすか全く予想がつかなかったからだ。
ちなみに、この場合のリアクションとは反応という意味ではなく行動、もっと言えばその頭に軍事とついてもおかしくない過激なものになる可能性すらあると、俺は思っている。
「ごめんなさいね、そう言えばリリーシャさんも恩人の一人でしたね。大変失礼いたしました。ほほほ」
口に手を当てながら謝罪の言葉を述べるライネさん。
だが、わざとらしすぎるその態度は、心からの謝罪ではないことは明白だった。
「それよりも、長旅をされてきた方たちをこれ以上お引き留めするのも失礼ね。もう一つの用件を済ませてしまいましょう。リーネ、皆さんにご挨拶を」
「ね、姉さま!?なんでわたしが土臭いドワーフや陰気な黒エルフやただ臭い人族に挨拶しなきゃいけないの!?」
若干温度の下がった俺たち三人の視線(退屈したのかラキアはいつの間にかにソファで寝ていた)をものともせずにライネさんは後ろにいたエルフの中で一際上質そうな服を纏った美少女に声をかけた。
――ていうか口汚いな。しかも、人族に至ってはただ臭いって……
「大体、なんでエルフ以外の種族が里に入り込んでいるのよ。ネルジュ叔父様が借りがあるのなら適当に褒美をやって追い出せば――あいたーーーーー!?」
突然言葉の途中でうずくまって頭を抱えるリーネと呼ばれた美少女。
「この子が妹のリーネよ。ちょっっっと世間知らずなところがあるからこの機会に里の外を見せるつもりなの。というわけで、ゲルガンダールにもご一緒させてもらうのでよろしくお願いしますね」
「ちょ、姉さま!?く、苦しい、じ、自分で歩けるから襟をつかんでひきずら――」
その原因である自らの右の拳を下ろしたライネさんは、公衆の面前で実の妹に拳骨をかました事実を完全無視して、挨拶もそこそこにリーネを連行して行ってしまった。
「はあ――――――、うちの従妹がすまない」
実の姉であるはずのライネさんとは違って、そんな心からの謝罪をしてきたのは一応血縁関係にあるらしいジルジュだった。
一方、父親のネルジュはというと、最初の挨拶を済ませた後は我関せずといった態度で出されていた茶を無言で啜っていた。
――多分あれが一番正しい対処法なのだろう。
だとしたら、是非とも事前に教えておいてほしかった。
結局、それぞれの泊まる部屋に案内されるまで、俺の思考はこの先の旅の不安ばかりを考え続けてしまったのだった。
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