第97話 セーン一族と別れた
結局、その後は食事、水浴び、就寝と特に何も起こることのないまま、翌朝にはティリンガの里を出発することになった。
とは言っても、別に外を見て回る余裕がなかったわけではない。
いや、
ただし、時間ではなく主に精神的な、という意味でだ。
「あのクロハの娘は特にそうだがな、タケト、お前もラキアもこの建物の外には出ん方がいいぞ」
「そりゃまたなんで、って言いたいところだが、なんとなくわかるよ」
昨日の夜のことだ、俺達に気を使ってくれたセーン一族とは違って、エルフ特有の夕食(継続すればとても健康的になれそうだ、とだけ言っておく)と男女別々の水浴びを有り難くいただいた後、自分の寝室に引っ込もうとしたところでドンケスの部屋に招かれ、開口一番こう言われた。
「あのリーネほどじゃないけど、この里に入ってからどうも尖った視線をそこかしこで感じてるんだよな。だから、一応ラキアにも勝手に外に出るなとは言ってあるよ」
「そこまで気づいとるなら余計なお世話だったかもしれんが、エルフは特に排他的な奴が多いからな。ライネルリスはむしろ友好的な方だ」
「あ、あれで……?」
「あの妹ほど潔癖なエルフも逆に珍しいがな。ああ、先に言っておくが身の危険を心配する必要はないぞ。ただ、直接的な危害を加えようとしないだけに、その態度や言葉は他の種族、特に大樹界の外の存在である人族には極めて不快なものになるだろうからな」
「……そうか、本音を言えばエルフ族の木工技術とかかなり興味があったんだけどな。さすがに嫌な思いをする必要もないか」
「どうせ明日にはここを去るのだ。ここはすっぱり諦めることだな」
何か釈然としないものを抱えながらも半ば強引に話題を終わらせたドンケスの忠告に従って、俺もティリンガの里の見学を断念せざるを得なかった。
と同時に、新たな懸念も俺の心に浮かんできた。
「……話のついでに聞いときたいんだが、エルフ以外の種族の、人族への感情はどうなんだ?まさかゲルガンダールでも同じような扱いを受けることになるのか?」
「それは心配するな。少なくともドワーフ族はエルフほど排他的な種族ではない。――せっかくだから一通り説明してやるとするか」
「お願いしますゲルガスト陛下」
「……コルリ村の者たちに素性を秘密にしていた代償として一度は見逃す。だが、次にワシをその名で呼んだら二度とお前の手伝いはせんからな」
「お、おう、悪かった。二度と言わない」
……そう言えば、さっきの場でドンケスの本当の名を聞いて驚いた人間は一人もいなかったな。
これまでのいきさつから薄々察していた俺はもちろんだが、ネルジュジルジュの親子、ライネさんの妹のリーネ、ライネさんのお付きのエルフたちからも、一切リアクションらしきものは見られなかった。
ライネさんが強大な魔力がどうのとか言っていたので、多分その関係で最初から気づいていたのだろう。
リリーシャは――ライネさんへの警戒心が強すぎてドンケスのことまで気が回らなかったといったところか。まあ、俺と同様に感づいてはいるようだが。
ラキアに関しては言わずもがな、部屋のソファでスヤァしていたやつが話を聞いているはずがない。
ともかく、嫌味半分冗談半分の言葉を聞いてギロリと俺を睨みつけながらそう言ったドンケスは、コホンと咳払いをした後で話を続けた。
「まず、エルフ族だが、まあ大体のことはさっき言った通りだ。というのも、元々エルフは高い魔力と実り豊かな土地を持っていることでほぼ完全な自給自足を実現できとるせいで、他種族と交流する必要がほとんどない。他にもエルフ至上主義とかあまり道具に頼らん生活をしているとか理由はあるが、とにかくこっちから仕掛けなければエルフ族が攻撃してくることはない。専守防衛というやつだな」
「それにしては、ライネさんは積極的に俺達に関わろうとしているみたいだが?」
「……まあ、あれはあれでエルフ族の未来を憂いとるんだろう。ワシとしても好都合だがな」
「?」
「話を続けるぞ。次のドワーフ族だが――」
「基本的に閉鎖的だが、ものづくりにかけては尋常じゃない執着を見せる、ってとこか?」
「ぐ、――よくわかっとるようだが、補足がある。確かにワシらは人付き合いが苦手だが、こと自分の作品を売り込むことにかけては手間をいとわん。まあ、大抵はゲルガンダールに大樹界の内外から客が押し寄せるから売り手に困ることはないがな。そして、ドワーフの作った作品は他の種族のものより質が良いと言われているが、そこにはある傾向がある」
「傾向?」
「材料だ。大地の影響を強く受けた亜人であるドワーフは、石や宝石、金属を好んで細工する。逆にそれ以外の材料で仕事を依頼されても、たとえ一生遊んで暮らせる金を積まれても絶対に作ろうとはせん。ドワーフ族が頑固者と言われているゆえんだな」
うん、まあ何となくだが、俺が元の世界の頃から抱いていたドワーフのイメージと変わりはないな。
だがだとすると、俺が一番よく知っている目の前のハイドワーフは――
「そんな目をせんでも、ワシが異端のドワーフだということくらい自覚しとる。本来、木々や植物はエルフの領分だ。そこにワシが手を出すことに関して、周りは良い顔をせんかった。だからゲルガンダールを出てあちこちさ迷ったのだ。ネルジュと知り合ったのもそのころだな」
「で、放浪の果てにコルリ村にたどり着いたってわけか。……まあ、ドワーフについてはよくわかったよ」
「もちろん、これでドワーフについて語りつくしたというわけでもないが、これ以上は実際にゲルガンダールでタケト自身が目にした方が良かろう。で、次が獣人族だな。タケトにとってはついこの間知り合ったばかりのエルフや、はぐれのワシ以外の例を知らんドワーフよりも知っとることは多いだろう」
「ああ、そうだな」
なんたって、知り合って間もないとはいえ、うちにはティアがいるからな。
今もきっとコルリ村で留守を守ってくれているだろうから、ゲルガンダールでなにかお土産を探せたらいいんだが。
「獣人族がエルフやドワーフと一番違う点は、あまり大人数で固まって住んでいない、つまり無数の小さな集団が大樹界中に散っているというわけだ。なぜかわかるか?」
「え?えっと――強いから?」
「なんだその頭の悪そうな回答は。まあ正解だが」
「正解かよ!?じゃあなんでディスったんだよ!?」
「頭が悪そうな回答だと思ったからだが?」
……ぐうの音も出なかった。
「まあ、実際獣人族が身体能力に優れていて、強力な個体だと単独で大樹界を生き抜いていけるのは間違いないが、それ以上に奴らがあまり群れるのを好まない理由がある。一口に獣人といっても種類が多すぎるのだ」
「――あ」
「わかりやすいところでも、草食か肉食かという違い一つだけでも生活様式が大きく異なるからな。そんな両者が下手に距離が近いところにいると、無用の争いを生みかねん。だからある程度の距離を取って、薄く広い共同体という形で獣人族は繋がっているのだ」
「――ティアたちの集落が魔王軍に襲われたのもそれが理由か……」
「大抵の獣人は戦闘力が高く戦士向きの性格をしとるから、襲う方もそれなりの覚悟が必要なのだがな。確かに、本来不干渉の関係であるはずの獣人族の集落を魔王軍が襲うのは解せんが、セーン一族の件といい、ひょっとすると魔王軍に何か大きな変化が起きとるかもしれん」
「……」
ドンケスの言葉に内心ドキッとしたが、今この場で銀鋼将軍の話をするのはためらわれた。
確証のない話をこの場でしてもただの机上の空論にしかならないし、憶測だけで周囲を振り回すのは俺の趣味じゃないからな。
「話を戻すぞ。と言っても、これで最後、それに言うことはほとんど無いのだがな……」
《竜人族》
ドンケスは声のトーンを一段低くして、その名を告げた。
「あの種族に関してワシから言えるのは一つだけだ。関わるな。そうすれば向こうも何もしてはこん」
「――うん?話が良く見えないな。不干渉というなら、他の亜人もそうだろう?」
「確かに、他の亜人については人族との関係は相互不干渉で合っとる。だがやつら、竜人族の態度は似ているようで全く違う。超越――正しいかどうかはともかく、認識としてはそれが妥当だろう」
ドンケスのその言葉は、俺の中にもしっくりくるものがあった。
思い出すのは、黒曜に拉致られて無理やり戦わされた野生の黒竜との一件だ。
あの規格外の肉体に無尽蔵とも思えた魔力。
疲労困憊しながらも俺がなんとか無傷で勝利できたのは、あの黒竜が野生の獣のようなもので、頭を使って戦う能力が無かったからに他ならない。
竜人「族」と言うくらいだ、最低でも人族と同等以上の知能を有しているんだろう。
ドラゴンとしての強靭な肉体に加えて高度な知能まで併せ持っていれば、当然他の種族なんて眼中にないほどにプライドが高そうなのは簡単に想像できるからな。
「さてタケト、これで一通り亜人についての説明は済んだわけだが、なぜワシがわざわざこのタイミングでこんな話をしたのかわかるか?」
まるで俺の心が納得するのを待っていたかのようなタイミングで、ドンケスはそう切り出してきた。
「なんでって、亜人と交流する時の心構えを教えてくれたんじゃないのか?」
「逆だバカ者!!」
ゴッ
「ギャッ!?」
突然脳天に雷のような衝撃が来たかと思うと、俺の意志に反して体が床に突っ伏していた。
――どうやら拳骨をくらわされたらしい。
くそっ、油断していたわけでもなかったのに全然見えなかったぞ。どういうカラクリだ?
「いいか、ゲルガンダールはまれに人族も訪れるから比較的人族に寛容な土地柄だが、滞在中は絶対に客という立場を崩すな。下手に関われば複雑極まる大樹界の勢力争いに巻き込まれるぞ。わかったな!!」
そんな、拳を交えた有り難い助言をドンケスから戴いたのが昨日のこと、俺達はライネさんの予定に合わせる形で早々とティリンガの里を後にすることになった。
さすがエルフの女王ということで、妹のリーネをはじめ、数十人のエルフを従えたライネさんと道行きを一緒にすることになり、形の上ではさらに人数が増えることになったのだが、同時にここで別れる人たちもいた。
「ではネルジュさん、お世話になりました」
「里を再興する時はコルリ村に知らせをくれ。手が空いていたら手伝いに行ってやる」
「世話になったのだ!」
「礼を言うのはこちらの方だ。タケト殿、ドンケス殿、ラキア殿。あなた達には返し切れぬ恩ができた。リリーシャ殿にも伝えてくだされ」
まだ朝靄が残る桟橋で、さっさとティリンガ族が所有する大型船の船室に閉じこもってしまったリリーシャを除いた俺達三人は、ティリンガの里でセーン一族の再起を図るネルジュと別れの挨拶の最中だった。
また、ネルジュの後ろにはセーン一族の女性や子供たちが集まっていて、俺達との別れを惜しんでくれていた。
「ジルジュ、お前の役目は分かっているな。タケト殿たちがコルリ村に戻るまで同行し、必ずお役に立つのだぞ」
「分かっております族長。たとえこの身が朽ち果てようとも、必ずやセーン一族の面目を果たして見せます」
そう、かなり重めな決意表明をしてこの場を去っていくジルジュにうんうんと頷いているネルジュ。
――命を救った恩を命を捨てることで返そうという思考は今すぐ破棄してくれた方が、こっちとしてはよほど恩返しになるんだがな。
もうちょっとスローなライフスタイルで生きてほしいと思う。
とりあえず、このまま別れると何とも後味が悪いので、以前から気になっていたことを聞くことで、この場で恩の一部を返済してもらうことにした。
「そういえば、セーン一族の人達は俺やラキアのこともそうですけど、リリーシャを普通に扱っていましたね?まるで――」
「まるで、エルフではないみたいだ、ということかな?」
「いや、そういうわけでは――」
「いや、いいのだ。確かに我がセーン一族はエルフ族の中でも変わり者で通っている。だがそれには、魔法力で劣る他種族を何となく見下す他のエルフとは違って、明確な理由があるのだ」
「理由?」
「それをタケト殿たちに教えることはやぶさかではないのだが、ドンケス殿が黙っていることを私が明かしてしまうわけにもいくまい。おや、これではまた借りが出来てしまったようだ。ハッハッハ」
そう言って高笑いするネルジュだが、その眼だけは笑っていなかった。
どうやら、本気で俺の質問に答えられなかったことを悔いているらしい。
……とんだ藪蛇だ、いやいや、じゃなくて――
「おいドンケス、どういうことだ?」
「お前にはまだ早い」
その場の勢いで、全ての元凶らしいハイドワーフを問い詰めようとしたが、話の流れを察したのか、すでに自分で作った竹船に向かって歩き出してしまっていた。
――さすがは大戦士、機微を覚るのはお手の物だったか。
「どうやらドンケス殿はまだまだ秘密にするつもりらしいな。ではタケト殿、一つ助言をさせていただこう。私やドンケス殿が他種族を差別せぬ理由を知っている者がこの里にもう一人いる。どうしても気になるようだったら、我が姪に聞いてみると良い」
「ライネさんが?」
「ご主人様ーーー!!もう出発するようだぞーーー!!」
その声に振り向くと、さっきまで俺の隣にいたラキアがいつの間にかに船に乗り込んでいて、こっちに手を振っていた。
「さあ、もう行きなされ。貴方の道に世界樹の加護があらんことを」
だから、俺にしか聞こえないような小さな声で別れの言葉を言ったらしいネルジュの声を、俺はよく聞き取れなかった。
思わず聞き返そうともう一度ネルジュの方を見たが、一族全員で深く頭を下げて最大限の感謝を示している彼らに対して、これ以上言葉を重ねることはできなかった。
俺ができた唯一のことは、セーン一族に負けないくらい深く頭を下げた後、仲間の元へと向かうことだけだった。
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