第90話 オーク部隊を追うことにした
「む、なんだ、もう終わっとるではないか」
そう言いながらドンケスが姿を現した頃、俺、ラキア、リリーシャの三人は、エルフ族の集落内のオーク部隊の指揮官が倒れている場所に立っていた。
ちなみに指揮官の周りを固めていた他のオークたちは、上官が死んだと分かった途端に全員一目散に逃げていった。
問題は、その四十体以上のオークたちがバラバラにではなく同じ方向へ逃げた、つまりは退却していったという点だ。
少なくとも、そいつらをきっちり撃退しない限り、事はまだ終わっていないということになる。
「ほう、この致命傷の痕は赤竜棍だな。どうやら十分な威力を発揮できたようで何よりだ。しかし、他のオークの穴を見る限り改良の余地は十分にあるか……」
俺達には目もくれずにオークたちの死体に興味津々のドンケス。
その対象である完全装備の魔物には、全ての個体に胸部装甲ごと風穴を開けられていた。
――いや、まあ、俺の仕業なんだけどな。
これが赤竜棍のもう一つの機能、高速射出だ。
持ち主の魔力を充填して爆発的なエネルギーを得るとともに、内蔵された魔紡の組紐を伸縮させることではるか遠くの間合いの目標に攻撃、さらに瞬時に回収することができる。
その結果、特に尖ってもいないただの頑丈な棒は、一つのひび割れさえ起こさずにオークの指揮官を含めた進路上の障害物を目にも留まらぬ速度で貫通した、というわけだ。
ただこの技、言うほど簡単ではない。
高速射出に使用する魔力、射出の照準、威力を殺さないための土台というべき強靭な肉体、他にも魔力充填の時間や遠くの敵の探知方法など、意外と問題点も多い。
ドンケスから赤竜棍を渡されたときに言われたのだが、
「これを完全に使いこなせる可能性があるのは……そうだな、お前を含めて大陸で五人いるかいないか、だな」
とのことだった。
言われた当初はコイツなに言ってんだ?と思ったことは否定できないが、実際この高速射出は高度な技量やスキルが必要不可欠だと思い知らされたのも事実だ。
それにドンケスの言う通り、まだまだ改善の余地もある。
……ドンケスの言葉と違うのは、俺の技量不足という問題だが。
「それはそうと、倒れているオークと足跡や破壊の痕跡の規模が一致せんな。タケト、他のオークはどうした?」
「ああ、それなんだがな――」
「……その声は、ドンケス殿、ドンケス殿ではないか?」
その声がしたのは、集落の中で一際大きな建物の扉の向こうからだった。
ギギイイイイイイィィィ
重厚な音を立てながら分厚い扉を開けて出て来たのは、長い金髪を持つ色白の美男子だった。
「おお、やはりドンケス殿だ。このオークたちを倒したのはやはり貴方でしたか」
「いや、ワシではない、連れのこいつらだ。それにしても間に合ってよかった。どうやら間一髪だったらしいな」
「ええ、まさか魔王軍がここまで奥地にやってくるとは予想もしておらず――おっと、助けていただいたのにお礼もまだでしたな。私の名はネルジュ=カイジュ=セーンと申します。この度は一族の窮地を救っていただきお礼の言葉もない。一族を代表してお礼申し上げる」
……代表?
にしてはやけに若すぎないか?
「ドンケス殿とは、二百年ほど前に我が一族の集落の建築で助けていただいて以来の縁でな、我が一族の大恩人なのだ」
――はあ!?
(なんだタケト、知らないのか?エルフは早熟にして死の間際まで老いることのない外見を持つ種族だぞ。それゆえその美貌に憧れる一部の輩の非道がいつの時代も消えることがないのだが……)
俺が目の前のエルフの見た目に驚いていると、表情で察したらしいリリーシャが小声で説明してくれた。
「それでネルジュよ、一体何があったのだ?まともに対処しておれば、お主らの実力なら籠城などせずとも済んだだろうに」
そんな俺の驚きとは関係なくドンケスは質問し、ネルジュというエルフの長はため息をつきながら話し始めていた。
「あったも何も、先ほどの説明がすべてなのだ、ドンケス殿。普段は魔族の領域付近にしか現れないはずの魔王軍が、最近大樹界中部にまで出没するといううわさは聞いていた。だが、まさかこんな奥地にまであれほどの規模で、しかも問答無用で襲撃してくるとは夢にも思わなかった」
「それで、一族の者はそこにいる者たちで全てか?」
ドンケスが視線を向けた先からは、扉ごしに何人かのエルフが顔を覗かせていた。
――もちろん全員モデルのような美形だった。
「いいや、我らが逃げる時間を稼ぐために立ち向かった戦士が三十人ほど、それにここにいない女子供も十人ほどいる。おそらくは……」
「あー、ちょっといいか?」
そう言って、旧知の中らしい二人の話を中断させる俺。
本当は口を出したくはなかったのだが、俺の着物の袖を千切れんばかりに引っ張るラキアの圧に押し負けた格好で言葉を続けた。
「俺の従者が、オークに囲まれて連れて行かれてる最中の十人ほどのエルフを見てる。多分それじゃないか?」
「本当か人族の戦士よ!?ならばさっそく奪還の手勢を――いや、しかし……」
一瞬喜色の表情を浮かべたネルジュだったが、すぐに初対面の俺達に隠す余裕もないらしく苦渋の顔で悩み始めた。
……助けも望めない状況で籠城の一手しか選べなかったんだ、おそらく助けたくとも肝心の戦力がもうないのだろう。
「ならばワシらがその役、受けるとしよう」
「おお、本当かドンケス殿!?」
「おいドンケス!ご主人様を差し置いて何を――」
「ちょっと待てラキア」
激高しかけたラキアが俺の言葉で静かになった。
ラキア、まだドンケスの話は終わってないぞ。
「ただし、見事助け出した暁には、お主らセーン一族にゲルガンダールまでの道案内を頼みたい」
「……そういうことであったか。それは我らとしても願ったりかなったり、と言いたいところだが――」
その時、歯に物が挟まった言い方をしたネルジュがちらりと川の方を見た。
「さきほどここに来る前に見てきたから知っておる。それについても心配するな。ワシに考えがある」
「むうぅ……本当にできるというのか?」
「そのセリフは三百年前にも聞いたな」
「……わかった、ほかならぬドンケス殿の言葉だ、信じるとしよう」
「で、説明はしてくれるんだろうな」
それから、集落が安全になったので籠城していた建物から続々とエルフたちが出てくるのを尻目に、俺はドンケスを問いただしていた。
「そう言うタケトも少しは気づいているのだろう?このセーン一族の力を借りてゲルガンダールまでの道のりを短縮しようと、ワシは考えていたのだ」
「なるほどな。で、なんでその代償に俺達が手を貸さんといかんのだ?」
「まあそう言わずに奴らに貸しを作っておけ。ワシも人のことは言えたものではないが、亜人というのは実に閉鎖的なコミュニティでな、特別な事情でもない限り滅多に人族に手を貸すことなどせぬ。仮に普通に道案内を頼んでいたら、とんでもない額をふんだくられるところだ」
「……ちなみに、いくらぐらいなんだ?」
「ふむ……以前聞いた話だとこれくらいだな」
「……桁が二つくらい間違ってないか?」
「何を言う、奴らに貸しがあるワシならタダだが、人族相手ならこれが相場だ」
……具体的な金額は、俺もあえて口にすまい。
ただ、セリカの言い値で俺製背負い籠を十個売った程度では足りない、とだけ言っておこう。
「ちなみにその金、どうするつもりだったんだ?」
「それは今言っても意味のないことだ。とにかく、奴らにとってオークの襲撃は不幸だったが、ワシらにとっては奇禍だった、それだけのことだ」
……うーん、どうにも納得いかない部分もあるが、別に人命救助を躊躇っているわけでもないし、払うべき金が浮くというならそれはそれで歓迎すべきか。
「それに、セーン一族は他の亜人に対して顔が広い。ここで知己を得ておくことは、タケトにとってもコルリ村にとっても悪い話ではないぞ」
ドンケスの提案は以上だったようで、俺の決断を待つように目をじっと見てきた。
……いや、オッサンに見つめられたくないというか、妙な威圧感があるからやめてほしいんだがな……
「……二つ条件がある」
「なんだ、言ってみろ」
「ドンケスも知っていると思うが、追撃戦、それも不慣れな土地でとなると相当な危険を伴うことになる。だから土地の者の案内は必須。もう一つは、連れ去られたエルフたちの救出の可否は俺の判断で決めさせてもらう。場合によっては何もせずに撤退する。それでもいいなら引き受ける」
「なんだ、そんなことか。安心しろ、ネルジュの奴はエルフにしては話の分かる男だ。現場の判断にケチはつけん。では話は決まりだな、頼んだぞ」
「ああ任せておけ――って、ちょっと待て。なんでドンケスが他人事みたいに言ってるんだよ?」
お前はどう見ても
「何を言うか、オークたちを見失った以上こっちにも戦力を残しておかんといかんし、まだ沈火しとらん家もあるから一刻も早く消火も行わねばならん。あとは――ええい!みなまで言わせるな!!」
「おいおい、そこまで言ったんなら最後まで――」
ドンケスに俺が詰め寄ろうとしたその時、俺の肩を叩く手があったので振り返ってみた。
リリーシャだった。
悲しげな眼で俺を見る彼女の視線が動いた。
俺はその先を追った。
それはドンケス――いや違う、あのハイドワーフの下半身に向けられていた。
俺は気づいてしまった、気づいたら何も言えなかった。
俺は一言も発することなくその場を後にした。何もわかっていない様子のラキアとすべてを察した様子のリリーシャが後に続いた。
ドンケスは追ってこなかった、いや、追えなかった。
彼の短すぎる足が俺達に追い付くことも、救出部隊として最低限の速度を出すことも禁じていた。
早めに察してやれなかった俺の目に光るものがあった……かもしれない。
「私のことをこんな目に遭わせておいて忘れるとは何事だ!いつ魔物に見つかるか気が気でなかったぞ!」
茂みに放置していたエルフの青年を回収したのは、俺、ラキア、リリーシャの三人がエルフの集落を出てすぐだった。
決して「そういえば私の息子がそろそろ帰ってくる頃なので、途中で合流して道案内に使ってくれ」と、エルフの長のネルジュに言われて思い出した、とかではない。
言われたときに「あ」とか声を出したことは、断じてない。
断じてない。
まあそんなことはともかく、エルフの青年の拘束を解きながらこれまでの経緯を軽く説明すると、
「……ふむ、長がそう言われたか。ならば是非もない、協力させてもらおう。私の名はジルジュ、ジルジュ=カイジュ=セーンだ。これでも一族の戦士筆頭なのでな、足手まといにはならんつもりだ」
意外にも素直にこっちの言うことを信じてくれた。
論理立てて考えれば俺達がセーン一族の味方だってことは想像がつくだろうし、思ったよりも状況判断ができる奴なのかもしれないな。
「よろしく頼むジルジュ。俺の名はタケト、それでこっちが――」
ジルジュの名乗りを受けて、俺達もそれぞれ自己紹介を済ませる。
「なんと!あのドンケス殿の連れの方だったか!私が生まれる前のことなのでお会いしたことはないが、一族の恩人であることは長から聞いている。それならそうと言ってくれれば話は早かったのだがな……」
「その辺の行き違いはこっちも悪かったよ。まあ、信頼してくれたなら何よりだ。ついでと言ったらなんだが、一つだけ教えてくれ。なんで俺の言葉をそんなに信用するんだ?言っちゃなんだが、俺が救出部隊だってこともドンケスの知り合いだってことも、俺の言葉だけで証拠はないんだぜ?」
「なんだそんなことか。理由は簡単だ、タケト、お前が私の命の恩人だからだ」
「……本来はこれも言わぬが花なんだが、一口に恩人って言っても善人とは限らないぞ?もしかしたら魂胆があって近づいたかもしれんぞ?」
「……その質問は初めて会った亜人にはしない方がいいだろうな。最悪の場合、命を懸けた決闘をする羽目になるかもしれん。いいか、よく聞け。種族は違っても大樹界の亜人は一度受けた恩はどんなことをしても返すし、恩人の言葉はウソだとはっきりするまで絶対に疑うことはない。大樹界でを旅するなら最初に覚えておくべき掟だ、忘れるなよ」
「あ、ああ、わかった……」
……やれやれ、俺もこの世界に来て大分経つが、まだまだ元の世界の価値観に引っ張られまくりだな。
少なくとも早いうちに、他種族のアイデンティティは人族とは全く異なる場合もある、くらいの認識はしっかり持っておかないと、そのうちとんでもない間違いを犯しそうだ。
「じゃあジルジュ、早速で悪いが道案内を頼む。目撃したラキアによるとオークたちが向かったのは……」
「あっちだ!」
「あっちだそうだ」
「……そうか、やはり北か。徒歩だと一月はかかる距離をどうやってここまで来たのか、疑問は尽きないが、まずは今いる敵を追うことにしよう」
こうして、俺達三人にエルフ族の戦士ジルジュを加えた四人は攫われたエルフを救出するため、再び大樹界の只中へとその身を躍らせることとなった。
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