第88話 この先の旅程を確かめた


「昨日は悪かったな、ドンケス」


「いや、謝るのはこっちの方だ。つい年甲斐もなく我を忘れてしまった」


 そんな俺とドンケスの互いの謝罪と、少しの気まずさを残しながら始まった大樹界の二日目。

 塩を振った生タケノコで朝食を済ませて近くの泉で水を補充した後、ドンケスが地面に書いた地図を四人で取り囲んだ。

 ……さすがドワーフ、どうやって書いたのかは分からないが、地面相手のラクガキのレベルをはるかに超えた精密さだな。

 以前、旅の途中でカトレアさんに見せてもらった地図と大差ないクオリティだぞ。


「まず、コルリ村がここ。この辺りが山火事で森が焼失した部分だな。で、今ワシらがおる安全地帯がここだ」


 そう言ってドンケスが短い線を引いた。


 ……ちょっと地図の大きさにしては短すぎないか?

 そんなことを思いつつも、ひとまず昨夜から気になっていたことを聞く方が優先だな、と思い直す。


「話の腰を折るようだがちょっといいか?」


「なんだタケト」


「この、俺達が今いる安全地帯っていうのがいまいち理解できないんだが。そもそもなんで魔物が寄ってこないんだ?ていうか、あのトレントたちはどこへ行ったんだ?」


「一気に質問するな。――まあ、この先また関わらんとも限らんから、今のうちに説明しておいてやるか」


 そう独り言のように呟いたドンケスは顔を上げていったん地図から目を離した。


「まず安全地帯だがな、はっきりとした原因はワシも知らん」


「知らないのかよ」


「おそらく人族、亜人、魔族の誰に聞いても知る者はおらんだろう。だが有力な仮説はいくつかある。そのうちの一つはタケト、お前のところの居候がよく知っとるはずだ」


「黒曜のことか?……ひょっとして――ナワバリ?」


 返答の代わりに頷くドンケス。


「なんだなんだ!?二人で内緒の秘密か!?ずるいぞ!私にも教えてくれ!」


 その時、ラキアの声がしたと思ったら、次の瞬間には俺の背中に圧し掛かってくる柔らかいものがあった。


「従者はご主人様の秘密を全部知っていなければならないのだ!さあご主人様、話すのだ!」


 ラキアの胸が俺の背中に押し付けられていると自覚した瞬間、俺の全身の血が一気に沸騰した。


「わ、わわわわかった!わかったからちゃんと座りなさい!お行儀の悪い子には話してあげませんよ!」


「わかってくれればいいのだ。――だけどいくらご主人様でも、そのしゃべり方はちょっと嫌だからやめてほしいのだ」


 うん……ちょっとテンションがおかしくなって口走っちゃったけど、俺も同感だから二度としない。


 と、いやに静かだなと思って、残るダークエルフの方を見てみると、


「ふむ、たまに男共の視線を感じることはあったが、こんなもののどこがいいのやら。まあ、どうやらそれなりに効果があるようだし、今度試してみるか……」


 リリーシャが自分の胸をふにふにと両手で持ち上げながら不穏な言葉を口にしていた。


 このまま流れに任せていると絶対にロクなことにならない。

 この状況を打開するには――他のことに目を向けさせるしかない!


「つ、つまりだな、今俺たちが恩恵に預かっている安全地帯は、この辺に出没する魔物よりはるかに強力な個体、具体的に言えば神獣のナワバリだったって可能性がある、かもしれないってことだ」


「おおっ!なるほど!」


「いや、それが何だというのだ?昔はともかく、ただここに神獣がいたことがある、というだけのことではないのか?」


 その俺の言葉でラキアは分かったようだが、リリーシャには通じなかったようだ。

 狩人と暗殺者、同じ標的を狙う職業ではあるが、結構違いがあるもんだんだな。


「その通りだ。そしてそれこそが、多分この辺の魔物にとっては問題なんだ」


「どういうことだ?」


「そう言えばリリーシャ、クロハ一族では犬を何匹か飼っていたな」


「ああ、標的を見つけ出すのに我らでは知りえない、匂いという特殊な追跡手段を持った優秀なハンターだからな」


「当然、その犬たちは自分の縄張りを持っているよな?」


「ああ。犬の、というより多くの獣の習性だからな」


「なら、そいつらは自分の縄張りを主張する時、どういう行動をとる?」


「それはもちろんおしっ――そういうことか」


 納得した様子のリリーシャだったが、なぜか俺のことを物凄い目で睨みつけてきた。

 顔を真っ赤にしながら。


 ……何も考えていない。結果的に俺がリリーシャにナニを言わせようとしていたかなんて頭に浮かんでもいない。


「コホン、つまりだな、この安全地帯には俺達にはわからない、神獣の臭いが染みついてる可能性が高いってことだ」


「……なるほど、理屈は分かった。だが、なぜ我々には分からなくて、ゴブリンのようなザコも含めた魔物なら嗅ぎ分けられるのだ?」


「……その法則が分かればこの仮説も証明されるんだろうけどな。今の俺達じゃ知りようがないし、そんな時間もない」


「そうか、そういうことか……理解した。そしてタケト、後で覚えていろよ、この借りは必ず返す」


「なんだかよくわからないが、借りたものはちゃんと返さないとな!」


 言葉以上に目で物を言うリリーシャに、自信ありげによくわからないことを言うラキア。

 そのどちらも華麗に無視をした俺は、本題に戻ることにした。


「安全地帯についてはよくわかった。で、むしろこっちの方が気になってるんだが、夜中に俺達に襲い掛かってきたトレントの群れは一体どこに消えたんだ?」


 俺の質問のどこに驚いたのか、ドンケスは少しだけ目を丸くすると短く答えた。


「それだ」


「いや、それって、聞いてるのはこっちなんだが」


「だからそれだ。文字通り消えたのだ」


「……は?」


 一瞬からかわれているのかとも思ったが、ハイドワーフの目は真剣そのものだ。


「言っただろう、奴らは魔物ではなく妖精だと。言っておくが、妖精の行動原理を理解しようなどと思うなよ。奴らはこの世の理から半歩外れた者、一見意味のある動きをしたと思えば、次の瞬間にはワシらの視界から消え失せていることもある。次出くわした時も決して深追いするなよ、一歩間違えれば奴らに囚われて二度と帰ってこれぬぞ」


「お、脅かすじゃないか」


「それくらい妖精はワシらの常識の埒外の存在だということだ。――まあ、昨夜のようなことは滅多にあることではない、そういう存在がおることだけ頭に叩き込んでおればいい」


 ……なんだかいまいち核心に迫れない、よくわからない話ばかりだったな。

 いや、なんでも理解しようというのが間違ってるのか。

 ここは大樹界、俺達人族の常識では測れない領域、ということなんだろう。






 閑話休題。


 横道に逸れた時間が思いのほか長くなりすぎたため、一度小休憩を入れて本題に戻った。


「で、どこまで話したっけか?」


「どこまでも何も、少しも進んでないぞ」


 リリーシャの鋭いツッコみが入るが、リアクションしていたらまた横道に逸れそうなのでぐっと我慢する。


「要は、コルリ村からここまで一日かかったわけだが――」


 そう言ったドンケスが、改めて地面に書いた地図の二つの点を指し示す。


「で、ワシらの目的地、ゲルガンダールの場所はというと――」


 ドンケスは安全地帯の点から新たに線を引いていく。


 スーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー   ピタリ


「ここ、大体この辺りに目指すゲルガンダールがある」


「「「………………」」」


 ここで改めて説明しておこう。

 さきほどコルリ村と安全地帯を結んだ線があったわけだが、それをどのくらいの長さだったかというと、


 スー   ピタリ


 こんな感じである。


 結論を述べると、コルリ村と安全地帯の線の長さを一とすると、安全地帯とゲルガンダールの間に引かれた線は軽く二十を超えていた。


「おいドンケス」


「なんだタケト」


「これ、直線距離ですら昨日一日の二十倍はないか?」


「そうだな、実際にはこの間に断崖絶壁や渡河不可能な毒沼などがわんさとあるから、三倍の日数がかかるとみた方がいいな」


「それ、普通に進んで期限までにコルリ村に戻るの、ムリゲーじゃね?」


「ムリゲーとやらは知らんが、普通は不可能だな」


「テメエエエエエエエエエッ!ダマしやがったな!!」


「ぬわっ!?いきなり何をする!?また締め落とされたいか!」


「ご主人様、少し落ち着くのだ!」


「うおおっ、放せ、放せこの――わかった!落ち着いた!だから放せ!密着しすぎだ!」


 三歩歩いたら記憶が飛ぶ鳥のようにまたもドンケスに掴みかかった俺だったが、ラキアに羽交い絞めにされた時に感じた、圧倒的に怒りを上回る背中に当たる柔らかな感触に自我を取り戻した。


「すまんなラキア――そしてタケト、少しはワシを信用しろ!話はまだ終わっておらん!」


「お前の信用は昨日の時点ですでに大暴落だ!」


 ドンケスにそう言ってやろうとしたが、次にそのひげもじゃの口から飛び出した言葉で一気に冷静になった。


「確かに普通に歩いたらとてもではないが冬までに村に戻れん。だから、徒歩以外の手段を利用してゲルガンダールへ向かう」


「徒歩じゃない?この密林の中を?あり得ないだろ。これだけ木々の間隔が狭いと馬なんて使えないし、他に方法なんて――」


 そこまで言ってハタと気づいた。


 密林、ジャングル、つまりそれだけ自然の恵みが豊かだってことだ。

 ということは、この大樹界には良質な土壌や龍脈以外に、木々や植物が育つのに必要な要素がそろっていることになる。

 それはつまり……


「水――川か!」


「その通り、相変わらず察しがいいな。ワシらはこれからこの安全地帯から一日ほど歩いたところにある川を目指す。その川は大樹界を縦断していて下流には目的地であるゲルガンダールがある、というわけだ」


「考えは分かった。だが、川下りは言うほど簡単ではないぞ。川の隅々まで知る水先案内人が必須、それに肝心の船はどうするつもりだ?」


 そう言ってドンケスの言葉を遮ったのはリリーシャだ。

 俺が言うのもなんだが、リリーシャがドンケスのことを信用できなくなってきているらしいのは話を途中で止めたことからも明らかだし、その気持ちは痛いほどわかる。


 だが、さすがは大樹界を知っているハイドワーフ、ちゃんと方法を考えた上での提案だった。


「心配するな。この辺りの川岸に、船を使って生活している亜人の集落がある。そいつらはたまにやってくる旅人を下流に乗せていく仕事も生業なりわいの一つとしていてな、知り合いもおるから大船に乗った気でおるといいぞ」


「おおっ、船か!初めて乗るから楽しみだぞ!」


 すでにアホな子の国行きの船に乗ってしまったらしいラキアは放っておくとして、俺はリリーシャとアイコンタクトを図り、今回はどうやら信用できそうだと無言で確認し合った。


 ……ドンケス一人の話なら疑わしいんだがな、川沿いにいるという亜人の情報まで適当だとは考えにくいからな。一応信用していいだろう。


「よし、方針も確認したことだし出発するとするか!全員、はぐれないようにワシについてこ――」


「前衛はドンケスとこの中で一番カンがいいラキア、中央はとっさの時に全員のフォローができる俺、後ろは視野が広くて素早く動けるリリーシャの布陣で行く。各自警戒は密に、それぞれ一定の距離を保てよ」


「了解した!」

「異論はない」


「ちょ、ま」


 昨日の時点で致命的な失態を侵したドンケスの信用はガタ落ちで、俺の指示はあっけないほどラキアとリリーシャに受け入れられた。

 こうして、早くも命令系統が変更された旅の二日目が始まった。






 そして三日目の昼、俺達四人は川のせせらぎが聞こえる地点までその歩みを進めていた。


 もちろんと言っていいのか予想外と言っていいのかわからないが、昨日も順風満帆の旅路とはいかなかった。

 一日目ほどのアクシデントは無かったものの、ドンケスの言う魔物に出くわさないルートとやらはことごとく裏目に出て、二日目もまた断続的なエンカウントに悩まされることとなってしまった。


 このことで、さらにドンケスの肩身が狭くなったことだけ記しておくことにしよう。


 とはいえ、この先にドンケスの言う通り川が広がっているであろうことは確かだったので、俺達のテンションがかなり回復しつつあるのもまた事実だった。


「ん?ご主人様、どうやら煙が立っているな。あそこに集落があるようだな」


「どこだ?――ああ、本当だな。もう昼時だからな、料理中なんだろ」


 ラキアの指さした方角の空を見ると、うっすらと白いすじがまっすぐ天に昇っていくのがいくつも見えた。


 そんなのどかな光景を見ながら、とりあえず川岸を目指すために歩みを再開したのだが、


「……」


「リリーシャ?」


 一人、ある分野においてはラキアをはるかに凌ぐカンを働かせるダークエルフだけが、厳しい眼差しでじいっと煙を見据えていた。


「……いやちがう、あれは炊事の煙なんかではない――戦火の煙だ!」


 その瞬間、示し合わせたわけでもないのだが、俺達は一斉に方向転換して煙の元へと全力で駆け出した。


「ご主人様、先に行くぞ!」


「ふん、露払いくらいはしておいてやる」


 とはいえその速度にはバラツキがあり、それなりに鍛えているつもりの俺すら上回って前に出始めたラキアとリリーシャの瞬発力には密かに舌を巻いた。


「俺とドンケスが着くまで戦闘は厳禁だ!」


 俺の言葉に、前を行く二人がこちらを振り返る。


「第一に自分の命!第二に他人の命!それが守れるなら自分の判断で行動しろ!」


 二人は小さく頷くと、これまでよりさらに速度を上げて俺とドンケスを置き去りにしてしまった。


 リリーシャはともかくラキアにこうも差を付けられるとはな。

 ……もう少し足腰を鍛えるか。


 そんなことを考えながら走っていると、


「タケト!いい機会だ、アレを使え!おそらくは亜人の集落が襲撃に遭っているのあろう、そういう状況ならアレはもってこいだ!」


「……わかった!」


 本来なら疑問を呈するところなんだが、さっきのラキアとリリーシャと同じように、今は問答している場合じゃない。

 ならば行動あるのみ、ぶっつけ本番で使うまでだ。


 俺は後ろ越しに回した革のケースに右手を当てると、その中身の感触を確かめながらさらに速度を上げるのだった。

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