第27話 幕間~セリカ
グノワルド王国の勇者召喚の知らせを自室で聞いた時、セリカ=ルキノは、アホなことをしとるなあ、という感想しか持たなかった。
「あんなもん、一か八かのただのギャンブルやん。そないなことにアホみたいに金と労力つぎ込んで、王宮は何がしたいっちゅうねん」
報告してきた部下にそう言い放ったセリカだが、一方で王宮の心情を理解できないわけではなかった。
「確か北の大公家が滅んだのが十五年前やったか」
「はい、魔族軍の精鋭一万の急襲を受けて北の中心都市ケンベルクは壊滅、ケンベルク大公も城に残り討ち死にしたとのことです」
突飛に思えたセリカの質問にも慌てることなく答える部下。
目まぐるしく変わるセリカの思考に馴れているからこその、落ち着いた返答だった。
「せやったな、あの時はすわグノワルド滅亡かと北の大公の失態が叫ばれとったようやけど、王都の危機を救ったのも北の大公やったらしいな」
「ケンベルクを守り切れないと判断した大公は、主力の五千の兵団をすぐさま南にあるノスミルド要塞に後退させて備えさせ、自身が囮になられたのです」
親子ほども年の離れたセリカに粛々と答える中年の部下。
「その話を初めに聞いた時には、貴族というのも捨てたもんやないなと思ったもんや。北の大公のあの英断があったからこそ、今のグノワルドがあると言ってもいいくらいや。それに比べて西や南は……」
「お嬢、その先は」
「かまへんよ。ここにはウチとお前しかおらんのやし、ここに正面以外から近づける奴なんておらんのやから」
「それでも、です。こういうことは」
「常日頃の用心が大事、耳にタコができたわ。気を付けたらええんやろ」
手をひらひらさせて部下に応じたセリカは昔のことを思い出した。
「たしかウチがルキノの家に引き取られたのもその頃やったな」
「はい。それ以降私がお嬢の守役を仰せつかったので、よく覚えております」
セリカは一歳の頃、ルキノ商会の当時若旦那の地位にいた男の妾だった母親に連れられて、屋敷の離れに二人で住み始めた。
一応側室としての立場を認められてのことだったが、ルキノ商会は末端まで合わせると数千人の従業員を抱える大商会だけに、傍系の子供という立場のセリカの幼少期が一筋縄でいかなかったのも事実だ。
「まあ、あの頃のなんやかんやが今のウチを作ったと言っても過言やないから、あの頃にウチやオカンに色々やってくれた連中には今では感謝しとるくらいやけどな」
「あの頃の私は、旦那様の御怒りをどうすればお嬢に向けさせずに済むかと、そんなことばかりを考えておりました」
「こ、これでも人死には出さんように気を付けとったんやで?……ま、まあ、ウチがちいっとばかしやりすぎたのは悪かったと思っとるよ」
そう当時のことを回顧した部下から、セリカは思い切り目を逸らした。
常日頃傍若無人に振る舞うことも多いセリカでも、あの頃のことを持ち出されるとさすがに弱い。
かといって、まだまだ苦い思い出のある過去を振り返るような年でもないのも確かだが。
若者らしい思考で過去の過ちをセリカが棚上げしたその時、部屋のドアをノックする音が聞こえてきた。
中年の部下がドアを開けて外にいる商会の従業員と言葉を交わし、渡されたと思える手紙を持ってセリカの元に一人で戻ってきた。
「お嬢、緊急の知らせです」
「なんや、早速勇者が手柄でも挙げたんか?」
ルキノ商会の刻印が押された封を破って、中の短い手紙を素早く一読するセリカ。
中年の部下はセリカの目がわずかに細められたのを見逃さなかった。
「お嬢」
「勇者召喚、失敗や」
「召喚に失敗したのですか?」
「ちゃうちゃう、召喚自体は成功したらしいんやけどな、直後に王宮に魔族が急襲をかけて勇者と交戦、相打ちになったそうや」
「それは……早すぎますね」
「せやな」
中年の部下の言葉は一見的外れなものに聞こえたが、部屋の主は納得というかのように当たり前の反応を返しただけだった。
「これだけの重大事、真っ先に秘匿して周辺国と折衝せなあかんところなのに、噂が広まるのが早すぎる。命令に忠実な役人や人使いが下手な貴族は騙せても、こんなんで商人の目をごまかすのは無理やろ」
「早速王都の情報を集めます」
「頼むわ。さすがにこの知らせだけやと、憶測程度が関の山やしな」
一礼した中年の部下が部屋を出て行ったあと、セリカはぽつりと一言漏らした。
「……それにしても、謎の植物が王宮を破壊、か。ちょっと興味湧いて来たわ」
「お嬢、例の件の報告書が上がってきましたのでご報告に参りました」
一週間後、中年の部下は王都に配した人員を使って得た情報を書類に纏めて、セリカの自室ににやってきた。
「ご苦労さん。報告書は後でじっくり読むとして、先に結論を聞こうやないか」
「承知しました。王都の各方面の噂、証言、人と物の流れを一通り調査しましたが、王宮が流した情報以上のものは出てきませんでした」
「まあそうやろうな。でも、ウチのところにこうして報告書として上げてきたんや、他にもなんかあるんやろ?」
「はい。今回の調査は外部の組織ばかりを使ったことで調べが中途半端になっている面もあるのですが、どうやらその中の一つが揺すりのネタになりそうだと考えたらしく、暴走したようです」
失態ともとれる中年の部下の報告だったが、セリカは何でもないことのように鼻で笑った。
「そうそう、己の分を知らんザコはそうでないとあかんわ。それで、そいつらはどうなったんや?」
「皆殺しです」
「は?」
「ボスを含めた構成員全員が斬殺、毒殺など様々な方法で全滅しました。生き残りは一人としていません」
「中止や」
想像を絶する部下の報告に即答したセリカだったが、その眉間にしわが寄っているのを中年の部下は見逃さなかった。
「ちょいとちょっかい掛けただけやのに、まさかここまで過敏に反応するとは思わんかったわ。一応聞いとくけど、その組織はどの程度や?」
「王都でも良く言う者は一人もいないほど悪い噂が絶えない組織でした。だからこそ、相手も全滅という処置にしたのでしょうが」
「それならかまへん。でもこれ以上首を突っ込むと相手さん、おそらくやったのは大臣辺りやろうけど、堅気相手でも容赦なく叩いてくるやろうから調査はここまでや。ああ、協力してくれたとこには十分な礼をしといてや」
「いつもの倍の額を支払う手配をしておきます」
ここで言う報酬とは、調査の件を絶対に口外しないという口止め料も含まれている。
そして、その程度のことは長年主従の関係を続けてきた二人にとって言うまでもないことだった。
「それにしても、あの老獪な大臣がここまで苛烈な手を打ってくるとは想像すらできませんでした」
「まあ、ある意味それだけ王宮が過敏にならざるをえない秘密があるっちゅう証拠でもあるから、調査が全部無駄やったわけでもないんやけどな。あの大臣のおっさんは女王陛下の為ならどんな無茶もしてきよるからな。それだけの忠義者でもあるんやから、できれば敵に回したくはないな」
「申し訳ありません。私の注意不足でした」
「さすがに組織丸ごと皆殺しはウチも予想できんかったわ。これはしゃあないやろ。それにしてもあのおっさんがなあ……」
そこまで言ったセリカは、唐突に机の上に置いてあったペンを
中年の部下は何かを言いかけようとしたが、セリカが何かを考える時のクセが出ていることに気づいて、主の思考が終わるのをひたすら待った。
それから時は経ち、午後の日差しが次第に夕焼けに染まり始めた頃、セリカがぽつんと呟いた。
「ひょっとして勇者、生きとるんと違うか?」
「勇者がですか?まさか……」
思わず否定の言葉が出てしまった中年の部下をセリカが睨みつけた。
「商人はあらゆる状況を想定して動かなあかんのやで。お前がそないな心構えでどうするんや」
「申し訳ありません。迂闊な言葉でした」
セリカの叱責は決して大きな声ではなかったが、それでも中年の部下の心に鋭く突き刺さった。
「まあええ、言うてもウチも半信半疑や。そやけど、いくら大臣のおっさんでも今回はやり方がらしゅうないんや。それなら、秘密が終わった話やなくて、今も隠蔽しとかなあかん現在進行形やとすれば、らしゅうないやり口も腑に落ちるわ」
「しかし、勇者が生きているとしたら一体どこに?」
「まず王都はあり得ん。財宝やないんやから、誰にも気づかれずにずっと王宮に置いとけるもんやない」
「だとしたら、大臣の息がかかったどこかの貴族の領地でしょうか?」
「ないわけやないけど、勇者召喚っちゅうのは異世界人を呼ぶちゅう意味でもあるからな、素性を隠すだけならともかく、違和感の塊の異世界人を存在ごと隠さないかんのやから可能性は低いなあ
「だとすると……」
「正体がばれる危険自体が極めて低い辺境、それも王都直轄領のどこか、としか思えんわな……」
そう結論付けたセリカだが、推測に推測を重ねた仮説でしかないのでいつもの快活な口調はは息をひそめていた。
「調べますか?」
「やめとき。ちょっかい掛けただけでもあれだけの反応や、ルキノ商会が本格的に調べ始めたとバレたら、大臣のおっさんと文字通りの戦争になるで。さっきも言った通り調査は仕舞いや、これ以上動くことはウチが許さん。アニキ達にも絶対に知られたらあかんで」
「承知しております。情報の統括は全て私一人で行っておりますので、他に漏れる心配はありません」
さよか、と短く返したセリカは、それでも気にはなるようで最後に一言だけこう呟いた。
「せめて勇者がここに来てくれれば、手の打ちようもあるんやけどな」
「まったく!なんやねん!あいつのお陰で今日一日仕事にならんかっったわ!」
「お、お嬢、もうそのくらいで」
げしげしと部屋の壁を蹴り続けるセリカ。
珍しく素の感情をあらわにする主に対して、いつもは冷静沈着な中年の部下も動揺を隠せない。
「うっさい、これが、ムカつか、ずに、いられる、かっちゅうねん!」
部下の制止に返事だけはするが八つ当たりをやめる気配のないセリカ。
だが、天網恢恢疎にして漏らさず、である。
ゴト ヒュン ガッ
「あた!?い、いったああああぁぁぁ!!」
壁の近くの本棚からそこそこ重そうな一冊が落下、直下にいたセリカの後頭部に直撃した。
「お嬢!!大丈夫ですか!?」
「うおおおお!!頭蓋が!頭蓋があああぁぁぁ!!」
「お嬢……」
およそ年頃の女子、それも令嬢といってもいい身分のセリカだが、ルキノ商会の中に密かに存在するセリカ親衛隊の男たちが今の彼女の絶叫するさまを目撃すれば、百年の恋とて冷めてしまうこと間違いないだろう。
それからたっぷり五分間床を転がりながら呻き続けた後、ようやく復活したセリカはそれでもまだ怒りが収まらない様子だった。
「ほんまエエ根性しとるで!シューデルガンドそのものにケンカ売るようなマネしといて、弁明するどころかツレが来るまでダンマリ決め込むとかあのタケトとかいう男、ふざけるのも大概にしときや!」
「お嬢、まだあの青年が犯人と決まったわけでは……」
「決まっとるやろ!あんな植物ウチもお前も見たことないんやぞ!そこらの子供に聞いても間違いない言うわ!」
「確かにそうですが、流石に身元引受人があの『裂空の騎士』カトレア様となると、釈放せざるを得ません」
中年の部下がその名を出した途端、先ほどまでの癇癪が嘘のようにいつもの冷静な顔に戻ったセリカ。
「……ふん、あれにはウチも参ったわ。四空の騎士の一角って言うからどんな脳筋ゴリラ女が来るかと思ったら、剣どころか包丁一本よう持たんような外見しとるのに、なんとウチ相手に駆け引きしよったわ」
「女王の懐刀という噂はガセではなかったということですね」
「まあ、裂空の騎士の人となりを知れただけでも収穫はあったと妥協するべきやろうな」
妥協、というセリカの言葉に中年の部下は反応した。
「お嬢、ではやはり」
「ああ、明日街を出る条件と引き換えに無罪放免ということになったわ。オトンからもそうせいて言われたしな」
「仕方ありませんな。あの細工の出来栄え、できればうちで抱え込みたかったですが、既に王家の手がついていた以上、手出しは難しいでしょうな」
「今下手につつくと大臣のおっさんまで出てきそうで怖いわ。どうせ行先は分かっとるんや、ここはじっくり構えとこか」
「承知しました。監視の手配を今日中に済ませておきます。では」
「ああ、ちょい待ち」
自分の仕事をするために部屋を出て行こうとする中年の部下をセリカが呼び止めた。
「あと、わかっとるな?」
「はい、事件の隠ぺいと口封じも同時並行で進めます」
そう言って、今度こそ部下は一礼して部屋を出て行った。
その夜、いつもはベッドに入ったらすぐに寝入ってしまうセリカだが、何かが頭に引っかかっていて、浅い眠りと覚醒を繰り返していた。
(こんなことはこれまでにも何度かあった。そういう時は、決まって大事なことを見逃しとった日やった。なんや?何が引っ掛かっとんのや……?)
今日片付かなかった問題といえば、あのタケトという青年のことしかない。
かなりふてぶてしい態度だったが、それなりに常識のある人間にも見えた。
少なくとも、カトレアのようにセリカと騙し合いができるような手合いでないことは確かだ。
(なら、あいつの作った竹トンボと竹笊とかいうやつが気になっとることになる。あんなけったいな植物……植物?)
どこかで似たような印象を持ったと記憶を辿っていくうちに、セリカはある重大なことを思い出した。
(植物、大臣、裂空のカトレア、王都――まさか!?)
ベッドから飛び起きたセリカは、常にすぐそばの棚に置いてある呼び鈴を鳴らした。
「お呼びですか」
すると、何の気配もないはずの天井から、即座にくぐもった声が聞こえてきた。
「五分後に外出する!監視対象は今どこや!?」
「お待ちください……宿を出て街門に向かっているところだそうです」
「わかった!他に報告はないか!?」
既に寝間着を脱ぎ捨てたセリカは動きやすい服に着替えるため明りをつけてクローゼットを漁り始めながら天井の裏の声に聞いた。
その思い切りの良さからは、天井裏の気配に対して恥じらう素振りを欠片ほども見いだせなかった。
「昨夜、タケトと申す者からお嬢に明日の朝渡しておいてくれと、贈り物を預かっております」
「あほう!それを先に言わんかい!!」
「申し訳ございません」
謝罪する声だが、そこには何の抑揚もなく、言葉ばかりで謝罪の意思が感じられなかった。
彼らは通常、セリカの側近たる中年の部下の指示に従って行動する。そのため、セリカから直に命令がない限り、他の部下のように彼女の意志を先回りして行動することなど決してない。
要は、ルキノ商会の影の者として、昼夜問わずセリカの側に侍る存在であった。
「今すぐ持ってきいや!」
「既に部屋の前に置いておきました」
着替えの終わったセリカが部屋の外に出てみると、ドアの前の敷物の上にいくつも重ねられた竹笊が置いてあった。
無論、すでにそこには人の気配はない。
「これは……」
薄暗い月明かりの中にあってタケトの作った竹笊は、繊細さと緻密さを合わせ持って美しい光沢を放っていた。
(ウチにはわかる。こないな逸品を作れるもんがただもんなわけがない……)
「これ、全部ウチの部屋に運んどいてくれ!オトンにも内緒やぞ!」
「承知しました」
誰もいない廊下に小さく叫んだセリカに、天井から返事が届いた。
その声を確認することもなく、屋敷を出るため走り出したセリカは、心の中で全力で叫んだ。
(ウチが行くまで絶対に街から出たらあかんで、勇者様!!)
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