第28話 幕間~???


 グノワルド王国の人魔戦争の守りの要にして前線基地であるノスミルド要塞。

 その内部では、魔族軍を押し返して北の大公領を奪還するため、毎日のように軍議が開かれていたが、この日はいつもの怒号や雄叫びよりも、嘆きや悲鳴の方が多くの割合を占めていた。


「間違いないのか!?」


「あの峻烈で邪悪極まりない輝きの鎧を纏った一団、見間違え様がありません!!魔族軍三大師団の一角、銀鋼騎士団です!!」


「なんということだ……帝国軍が押しとどめているのではなかったのか!?」


「それが……まだ噂の域を出ませんが、わが軍のはるか西方に展開していた帝国の一個師団が壊滅、将校もすべて討ち取られたと斥候からの第一報が入っております」


「ならすぐに追加の斥候を――いや、今はそんなことはどうでもいい!今すぐ正面に兵を集めるのが先だ!予備隊を全て前線に回せ!」


 要塞を守る幹部の一人が命令を下し、それを受けて待機していた騎士たちが慌ただしく司令部となっている広間から出て行った。


 堅牢な石造りの指令室を魔族軍迎撃のため駆け回る喧騒が一通り収まった頃、幹部たちが並ぶテーブルの最上位で成り行きを見守っていた、豊かな白髭を蓄えた老人がゆっくりと口を開いた。


「それで、勝てるのかね?」


 軍議内容に関して口を出すことが滅多にない、最高司令官であるムラサメ公爵の言葉に、幹部の一人が緊張しながら答えた。


「はっ!公爵閣下、ご報告いたします。はっきり申しまして情勢は厳しいかと思われます。何しろ、敵将である銀鋼将軍は武勇で魔王軍の猛者を従える猛将、奴自身も幾人もの名のある騎士を一騎打ちで破っております。対して我が方で銀鋼将軍に対抗できる猛者は、彼の四空の騎士しかおりませんが、凍空の騎士とうくうのきし殿は側面の敵を撃破して敵後方に回る作戦中でありまして……」


 そこまで言った幹部はちらりと公爵のすぐ横に座る人物を見た後、報告を続けた。


「今から呼び戻すことはできるかね?」


「申し訳ございません。すでに敵前線を突破したとの報告で、伝令を出そうと試みましたがことごとく失敗に終わりました。その……」


「君の推測で構わんよ。聞かせたまえ」


「閣下!そのような不確かな情報で!」


 その時、公爵の横の男が報告を遮ろうとしたが、公爵の冷徹な視線に気づいてそれ以上の言葉を紡げなくなった。


「私は彼に意見を求めているのだが?邪魔をするだけの上策が君にあるというのかね?」


「は、いえ、何でもありません……」


「よろしい。では君、続けたまえ」


「はっ!!まるで伝令を待ち構えていたかのような魔族軍の布陣から考えますと、明らかにこちらの側面攻撃を読んでいたと推測されます」


「ふむ、それではこちらだけでなく、凍空の騎士の攻撃隊にも危機が迫っているのではないかね?」


「その点はご安心ください。凍空の騎士殿は待ち伏せの可能性を示唆しておられましたが、仮に敵軍に包囲されても突破して帰還する自信はあると、出陣前に仰っておられました」


「それならば、攻撃隊の方は無事の帰還を祈るのみじゃな。また、銀鋼騎士団への対処も、すでに上策は存在せぬ。敵が力押しで来るなら、こちらも力で押し返すしか我らが生き残る道はなかろうて。報告、大義じゃった」


「は、ありがとうございます」


「さて」


 そう言って話題を転じたムラサメ公爵は、隣で震えている男、参謀長に再び視線を向けた。


 するとこれから何が始まるのか悟っているのか、男の震えが止まった。

 いや、その血の気の失せた顔を見るに、震える余裕すらなくなったというべきか。


「わしは側面攻撃という報告を受けた覚えはないのじゃが、ワシの記憶違いなのかのう?」


「か、閣下!私の話を聞いてください!」


 男の必死な弁明にも、公爵はもはや耳を貸すつもりはなかった。

 それは、ムラサメ公爵が独り言のごとく話を続けたことからも明らかだった。


「しかも、我が軍の最大戦力である凍空の騎士まで出撃させたとは、どういうことか?確か四空の騎士への命令は最高指揮官の許可が必要じゃったはずじゃが、誰かワシが許したところを見た者はおるか?」


 念のためにと公爵は部屋中を見渡すが、声を上げるものは一人もいなかった。


「そうか、これで君の独断専行が確定したわけじゃが、何か言い残すことはあるかね?」


「わ、私は王国のことを思えばこそ、凍空の騎士の賛意を得て作戦を実行したのです!第一わ、私を裁くことができるのはわが主のみ!公爵殿はわが主に逆らうおつもりか!?」


「ふう、謝罪の言葉の一つでも聞けるかと思えば……いいかね、独断専行大いに結構、ただしそれは戦に勝った場合の話じゃ。それが失敗した、しかも君は多くの兵の命を預かる身じゃ。その責任は誰よりも重いぞ」


「ぐっ……!!」


「もう一つの君の質問にも答えておこう。ここは戦場であって、君の言う貴族の論理よりも、軍の規律が優先される。故に君を裁くのは軍事法廷じゃよ。ここが舞踏会のホールでなくて残念じゃったな」


 話を終えた公爵が後ろに控えていた騎士に目線を送ると、男は両脇を騎士二人に抱えられながら退場していった。

 部屋を出て行く際に男は口汚い言葉を並べ立てていたが、その場に残った者達は誰一人として反応しなかった。


 部屋が静まり返った後、男とは公爵を挟んで反対の椅子に座っていた幹部が小声で囁いた。


「よろしかったのですか閣下?あの男は――」


「仕方あるまい、こうでもせねば全体の士気に関わる。まったく、西の大公様も何を考えてあのような素人を送り込んで来たのか……」


「やはり噂通り、帝国と繋がっているのでは?あの男もこちらを妨害するために送り込まれたとしか……」


「君、噂は噂じゃよ。疑心暗鬼こそが、我ら将官が最もしてはならん行為じゃとは思わんか?」


「は、はい。口が過ぎました」


 側近の部下が畏まる姿に頷いた公爵は、最高司令官にあてがわれた上等な椅子に深く座り直すと、同じ部屋にいる軍幹部たちに向けて宣言した。


「ともあれ、この司令部から打てる手はすべて打った。あとは前線の指揮官にすべてを委ねるだけじゃ。気を落ち着けて吉報を待とうではないか」


 それと同時に、前線が崩壊した時に備えて撤退の段取りを限られた者達に整えさせておかなければな、と考えながら、公爵はすっかり温くなったテーブルの上の飲み物に手を伸ばした。






 ここは、かつては北のケンベルク大公領の南部に位置するのどかな田園風景が広がる実り豊かな土地だった。

 しかし十五年前、魔族の侵攻によって北の大公家が滅亡、それに伴い戦線が下がってきたため、今では三日に明けず血の雨が止むことのない地獄と化してしまった。

 昔はケンリッジという地名があったそうだが、今ではグノワルド人からすら、ただ『前線』としか呼ばれなくなっていた。


「長槍隊、対騎兵陣急げ!もうすぐこっちに来るぞ!魔導工兵部隊の防塁はまだか!」


「長槍隊展開完了です!防塁はもう少しかかる模様!」


「急がせろ!だが確実な仕事をしろと、もう一度伝令を飛ばせ!防塁の出来次第で兵の生死を分けるという言葉も忘れるなよ!」


 ここはそんな激戦地の一つ。

 迫りくる銀鋼騎士団の騎馬隊を食い止めるため、小高い丘の上に陣取った指揮官の騎士が馬上から怒声を飛ばし続けていた。


「敵騎馬隊五百、長槍隊第一陣千と接触します!……第一陣突破されました!!そのまま突き進んでいきます!」


 男にしては華奢な体つきの副官の悲鳴のような報告を聞きながら、騎士は矢継ぎ早に指示を飛ばす。


「落ち着け!相手はあの銀鋼騎士団の騎馬隊だぞ!このくらいは想定済みだ!第二陣、第三陣、もっと密集させろ!密着するくらいでないとあれは止められんぞ!第一陣は騎馬隊の後続を側面から突き崩せ!!とにかく突撃の勢いを弱めるんだ!!」


 指揮官の的確な指示に、堅実に応えていく長槍隊。

 その成果もあってかしばらく経つと、敵騎馬隊の勢いが徐々に弱まってきた。


「現在第四陣が上手く絡めとっています!敵騎馬隊、左に逸れ始めました!」


「ふん、魔族軍の精鋭だろうが只の突撃でノスミルドの守りを抜けると思うなよ!」


 敵騎馬隊が第五陣に届く様子がないと見た騎士は、不敵な笑みで前方を睨みつけた。


 だが、気の緩みとすら言えない僅かな間隙を突くかのように、前方から斥候の騎馬が走り寄ってきた。


「急報ーーー!!左翼に新たな騎馬の一団を確認!銀鋼騎士団の別動隊と思われます!!その数約千!!」


「なんだと!!今どこまで来ている!?」


「私が伝令に出された時にはすでに第二陣が突破されていました!おそらく今頃は第四陣に到達している頃かと思われます!」


「……ご苦労だったな。もう報告は十分だ」


「は、しかし……」


「見ろ、もうここからでも十分見えている。おそらく狙いはこの丘だ」


「ならば後退しましょう!魔導工兵部隊の作った防塁の中に逃げ込めば時間が稼げます!」


「いや、全員で後退なんて、そんな悠長なことをやらせてくれる敵さんじゃない。誰かがここに残って足止めをしないと、せっかくの防塁も体勢を整える前に突破されちまう」


「ならその役目は私がやります!隊長は早くお逃げを!」


 自ら潰れ役を買って出た副官に苦笑しながら、騎士は己が剣に手を掛けた。


「馬鹿野郎。別動隊、いやあれが主攻なんだろうが、見抜けなかったのは俺の責任だ。その始末は俺以外には付けられねえよ」


「しかし隊長ほどのお人がここでむざむざやられるのを黙って見過ごせません!!」


「ありがとよ。だがそれを言うなら、お前の方がよほどグノワルドには必要だ。俺のような腕っぷし以外に取り柄のない奴がふんぞり返っていられたのも、全部お前の補佐があったからだ。お前の戦場はここで剣を取るんじゃなくて、その頭の中だろ?」


「隊長……」


 涙ぐむ副官に騎士は自ら戦列に加わるため背を向けた。


「さあ行け。お前の処遇は推薦状付きで最高司令官にお願いしてある。グノワルドを頼んだぞ!!」


「隊長!ご武運を!!」


 涙で前が見えなくなった副官と付き添う斥候の男が乗った二頭の騎馬が後方へ遠ざかっていくのを確認した騎士は、周囲にいた兵に檄を飛ばした。


「悪いな、お前らの死に場所はここだと俺が勝手に決めさせてもらった!!精々親兄弟女房子供恋人悪友を守るために魔族を一人でも多く道連れにしてやろうぜ!!」


「オオオオオォォォォォ!!」


 この日、銀鋼騎士団の急襲を受けてノスミルド要塞守備軍で構成された前線は崩壊寸前まで追い込まれたが、魔導工兵部隊を総動員して作り上げた急造の防塁が敵の侵攻を辛くも食い止めた。


 その陰には、現場の多くの兵の犠牲と、捨て身の戦いがあったという。






「将軍、大勝利おめでとうございます」


「うむ、皆も大儀であった」


 その夜、グノワルド王国軍と前線を挟んだ向かい側、魔族軍の陣のどこよりも明るく見える最も大きな天幕ではささやかな祝杯が挙げられていた。


 他の天幕よりもひと際明るく見えるのは、何も周囲に焚かれた篝火かがりびのせいだけではない。

 篝火の赤い光を反射しているのは、天幕にいる面々が一様に禍々しい銀色に輝く鎧をつけているからであった。


 そして、座の中心にいる漆黒の肌を持った巨漢の男からは、派手な鎧に負けないほどの覇気が漂っていた。


「しかし、あと一息でノスミルド要塞まで辿り着けましたものを。惜しいことをしました」


「いや、あれはむしろ我が騎士団の猛攻を押しとどめた敵を賞賛すべきであろうな。勝って兜の緒を締めよと言う、油断は禁物だぞ」


 そう側近をたしなめた男、魔族軍三大師団の一角を率いる銀鋼将軍も本気で言ったわけではなく、その気になればいつでも敵陣を突破できると自信を持っている様子がありありと窺えたうかがえた


「それよりも本番は明日だ。あの防塁に一当てした感触はどうだった?」


「さすがに鎧袖一触とはいきませんでしたが、所詮急造品、明日の昼までには落とせましょう」


「うむ、さすれば我らはグノワルド軍の背後に回ることができる。そこで大戦果を挙げることができれば望みは思いのままぞ。魔王様もそう確約くだされた」


 おおぉ


 主の嬉しい知らせに側近達が静かにだが興奮した様子で湧き立った。


「周りの天幕ではすでに休んでいる者もいよう。あまり大声を出すでないぞ」


「明日の戦いで我らが功を上げれば、我らが銀鋼騎士団の名は比類なきものになりましょう。そうなればあの方の下風に甘んじることもなくなること間違いありませんな!」


「そうだ!」「銀鋼騎士団こそ最強!」


 側近の一人の言葉に他の者達も追随して気勢を上げる。


 士気が上がっていくのを感じた銀鋼将軍も、もはや部下を嗜めたしなめようとはしなかった。


(そうだ、この勢いでノスミルド要塞を落とし王都まで一気に進めば、魔族軍の第一席どころかこの私が魔王の列に加わることすら夢では……)


 ブウウウゥゥゥン


 思わず妄想が膨らむ銀鋼将軍だったが、その思考を邪魔するかのように羽音のような耳障りな音が聞こえてきた。

 辺りを見渡してみると手のひらサイズの細枝のような奇妙な物体が自分の顔面目掛けて襲い掛かってくるのが見えた。


「羽虫か、サッサと去れ」


 たかが虫、と左手で振り払った銀鋼将軍だったが羽虫のようなものは方向を変えることなくこちらに近づき、代わりに将軍の手からボトボトと何かが地面に落ちたのが見えた。


(これは……指、私の?……なっ!!)


 その時、銀鋼将軍が叫ぼうとしたのが痛みを紛らわせるための怒声だったのか、それとも敵の戦士の大剣の振り下ろしの一撃を弾いて傷一つ付かなかった逸話を持つ愛用の小手が己の指と共にいとも簡単に斬り飛ばされてしまったことへの悲鳴だったのかは、永遠に知る機会を失った。


 なぜなら、その犯人はそのまま、燦然と輝く魔法の鎧ごと銀鋼将軍の首を切断してしまったのだから。


「ははははは、明日はどのような布陣で参りましょうか将軍、……将軍?」


 そう言って視線を向けた側近たちにとって、突如左の五指と首から上を失い血を噴き出している主の無残な姿は、夢でも見ているとしか言いようのない光景だった。


 そしてその夢は、銀鋼将軍が体から力を失い盛大な金属音を響かせて仰向けに倒れたことで悪夢へと変貌した。


「しょ、将軍ーーーーー!!」「曲者だーーー!!」「医者、回復系の魔導士を!」「ワアアアアアアァァァ!!??」


 一瞬にして大混乱に陥る天幕。

 それは騒ぎを聞きつけた他の将兵にもあっという間に伝わり、やがてこの場にいる魔族軍全体に波及することになった。

 後の話になるが、主攻となるはずだった銀鋼将軍の謎の死は当然ノスミルド要塞攻略そのものにも影響し、なし崩し的に事実上の休戦状態に移行せざるを得なくなった。


 誰もが天幕の周囲で大騒ぎする中、銀鋼将軍だったものの体の傍には薄い一枚羽根が固定された極細の木の棒でできた奇妙な物体が黒い血だまりの中に落ちていた。



 竹田武人がシューデルガンドの街を出立する前夜のことであった。


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