第23話 カトレアさんと別れた


 前進した俺の背後で何かが空気を切り裂いた。


 死の刃を掻い潜りながらそれでも前進した俺を、カトレアさんが手にした魔法剣で迎え撃つ。


 カアアァン


 大抵の攻撃をこの竹槍で跳ね返す自信があるが、あの魔法剣は駄目だ。

 どういう仕掛けかわからないが、とんでもない切れ味の上に細身の刀身からは想像もできないほど頑丈にできているのが感触でわかる。

 まともに受けようものなら、竹だろうが人体だろうが触れた先からスッパリ行ってしまうだろう。


 眼にも留まらぬカトレアさんの片手での連撃を斜めに受け流す形で応じる。


 不意に、剣撃を止めて後ろに飛び下がったカトレアさんが声を掛けてくる。


「さすがですね、初撃を躱した動きもお見事でした。それでは、私が裂空と呼ばれる所以をお見せしましょう」


 そう言ったカトレアさんが剣の間合いからは程遠い距離で魔法剣を振り上げた瞬間、頭上に殺気が満ちた。


 カイイィィンン


 何とか対応したものの、不可視の斬撃を受け損ねて思わず後ろに下がる俺。


「これが私のスキル、空間を切り裂いて私が知覚する範囲ならどこへでも攻撃できる《裂空剣》です」


「スキル、ですか。初耳ですね」


 もちろん裂空剣のことではなく、スキルというシステムそのものに対する呟きだ。


 魔法に魔物にドーワフと来て、スキルとかいよいよファンタジーゲームじみてきたな。


「そう言えば伝えていませんでしたね。卑怯だと思いますか?」


「いえまったく。例えこれが稽古でも、勝つために使える手は使うべきだと思いますよ。ただし」


 カアアァァァン!


 それは、斜め後方の死角から襲ってきた刃を、振り向きもせずに振り抜いた俺の竹槍が弾いた音だった。


「相手が知らない手を使ったからと言って勝てるとは限りませんがね」


 確かに間合いも方向も関係なく魔力の動きも感知できない不可視の斬撃というのは、それだけで十分すぎるほどの脅威だ。

 生半可な相手では裂空剣というスキルだと予想することもできずに倒されることになるだろう。


「やはり通用しませんか」


「何度か魔物を退治するときに見せてもらいましたからね。あれだけ見れば、大体の対策は思いつきます」


 一見ガード不可の反則技にも思えるが、実際には必ずカトレアさんの持つ剣の動きと連動しているので、それなりの腕さえあれば防ぐだけならそう難しいことではない。

 だが、一流の剣士でもあるカトレアさんの疾風怒濤の連続攻撃を、剣が発する殺気のみを頼りに対応できる者はそう多くはいないだろうが。

 そして俺はその少数の中に含まれている、それだけのことだ。


「いえ、ここまで完璧に封殺されたのはタケトさんが初めてですよ」


 裂空剣を破られた驚き半分、やはりという納得の半分と言った感じの複雑な目でこちらを見てくるカトレアさん。


「薄々気づいてはいましたけど、武に生きる者として、タケトさんは私のはるか彼方の境地に立っている人のようですね。その若さでいったいどれほどの修業を積めばその域に達することができるのか……」


「特別なことは何もしてませんよ。俺はね」


 ただ他と違うのは、師匠が特別過ぎた、という一点だけだ。


「俺の爺ちゃんは嘘みたいな武勇伝の塊みたいな人でしてね。竹槍一本で熊に勝ったとかはまだ可愛い方で、戦時中は仲間を逃がすために千人の敵部隊を一週間も足止めしたうえ半壊させたとか、地元に飛んできた爆撃機を竹槍を投げて撃墜したとか、どこのバケモノだって話ですよ」


 平時は平時で、竹槍を持って稽古しているか竹細工を作っているかの生活を送った爺ちゃん。そんな非常識な暮らしに反発した親父は普通の農家の道を選んだ。

 だがその一方で、親父は爺ちゃんの生き方そのものは尊敬していたらしく、俺が爺ちゃんから武術やら竹細工やらの諸々を教わることに一度も反対しなかった。

 俺自身が何の不満も漏らさなかったとはいえ、傍目から見ても尋常じゃない猛稽古の日々だったのだが、なぜか親父は一切口出しをすることはなく黙って見守ってくれていた。

 ……もし元の世界に帰れたら一度本心を聞いてみるとするかな。


「ちなみにその稽古の内容というのを聞いてみてもいいですか?」


「そうですね、まず朝三時に起きて一万回の素振りから始まって」


「いえすみませんもう十分ですよくわかりました」


 カトレアさんが取り留めのない俺の話に付き合ってくれたのであまり人に話したことのない稽古の内容を語ろうと思ったのだが、開始数秒であっさりと当の本人に止められてしまった。

 爺ちゃんに滝から突き落とされては這い上がる行程を十回やらされたり、爺ちゃんが振るう真剣を一時間竹棒で凌いだりとか、例を挙げればキリがない。

 特に、真剣を遣う爺ちゃんは、手加減はしていてもすべて急所を狙ってくるから生きた心地がしなかった。

 せめてあの恐ろしさを語るところまでは行きたかった。


 まあ、カトレアさんが聞きたくないというなら今はやめておこう。

 仮にも決闘の最中だしな。


「それで、見極めと言うやつはもう終わりですか?」


「まさか」


 そう答えて表情を引き締め直したカトレアさんの体から、再び魔力が立ち上るのが分かった。


「私の剣がタケトさんに遠く及ばないのは分かりました。これ以上戦いを長引かせても私が不利になるだけでしょう。ですので次が最後です。私の最強の一撃でタケトさんを推し量ることにします」


 カトレアさんの体から急速に魔力が失われていくのがはっきりわかるのと同時に、その右手に持つ魔剣の刀身が白く輝き始めた。


「先に言っておきます。この技は避けることもいなすこともできません。この技を上回る威力で打ち破るか完璧に受けきるかでしか止めることはできません」


「随分と親切ですね」


「これは私の最後の、全身全霊をかけた一撃です。タケトさん、私を失望させないでくださいね」


 ここまで言われればもう疑う余地はない。

 カトレアさんは俺に全力を出せと言っているのだ。


「……わかりました。俺も本気で――」


 爺ちゃんにきつく戒められた、心の中の一番奥にあるスイッチを切り替える。

 そして無数に繰り返した動きをなぞるだけの存在になる、その直前に一言だけ言葉を返す。


「――手加減しますよ」


 その瞬間、俺の本気の威圧にカトレアさんの動きが止まった。


 顔は怒りで朱に染まっているのだが、右腕が、足が、持ち主の意思に反して拒絶しているのが分かった。


 それでもさすがはカトレアさん、一瞬の硬直を振り切って剣を振り下ろそうとするが、


「あうっ!!」


 電光石火。


 下からすくいあげるような払いの一撃を受けたカトレアさんは、その右腕が嫌な音を立てるのと同時に自慢の愛剣を取り落とした。






 その後、悲鳴一つ上げずに右腕の骨折の痛みに耐えるカトレアさんに用心のために常に持ち歩いている竹ポーションを飲ませて治療した後、俺は人生で初めて直面するピンチになすすべなく佇んでいた。


「……ふふ、笑ってくれていいんですよ。タケトさんがオークナイトに見せたあの殺気を克服するために決闘を挑んだのに、いざ自分が前に立ってみると手も足も出なかったんですから。とんだ井の中の蛙、いえアメンボです……」


 困った。


 あのいつも笑顔を絶やすことのなかったカトレアさんが世界の終わりが来たような暗い顔つきでいじけている。

 あの決闘に関しては別に卑怯な手を使ったわけでもないから俺が引け目を感じることは何もないはずなのだが、今のカトレアさんを見ているとこっちが悪いことをしたような気になってくる。


「うう、こんな不名誉初めてです。これから先、どんな顔をして姫様の前に立てばいいのかわかりません……」


「そんな大げさな、一人も見てないんだし不名誉は言い過ぎですよ。たかが野良試合の一敗じゃないですか」


「たかが一敗じゃないもん!!完膚なきまでの完敗だもん!!」


 さっきの決闘にこの剣幕で来られていたら……確実に俺が負けていただろうな。

 ていうか「もん!!」って……

 ちょっとときめいちゃったじゃないか。


 流石にちょっと恥ずかしくなったのか、こほんと咳払いをした後カトレアさんはこう続けた。


「それにこの借りを返したくても私には近衛騎士としての御役目があります。タケトさんが王都に来てくれない限り再戦のチャンスはないんですよ」


「そう言えばそうですね」


「タケトさんが来てくれない限り!」


「そうで」


「き・て・く・れ・な・い・か・ぎ・り!!」


 ……わかった。ていうか、最初からわかってた。


 これは暗に俺に王都に来いという、カトレアさんのお願いのふりをした命令だ。

 いや、命令のふりをしたお願いか?どっちだ?


「でもカトレアさん、これでも俺死んだことになってる身なんですけど。バレたらまずいんじゃ」


「大丈夫です。一、二年ほどほとぼりを覚ませば、誰もタケトさんのことなんて気にしませんよ。目立つような事さえしなければどうということはありません」


 カトレアさんは畳みかけるように軽く俺の心を傷つけながら、二年以内には訪ねて来てくだいねと無茶ぶりをしてきた。


「いやでも、村の復興とか俺の生活とか考えると約束はさすがに……」


「あ、痛いっ!!タケトさんに折られた腕が痛い!これじゃ剣がもう持てないです!近衛騎士も引退しなきゃいけないです!」


 そんなはずはない。さっきカトレアさんに飲ませた竹ポーションは、俺謹製のエリクサー級の効能がある逸品だ。

 単純骨折程度なら立ちどころに完治する。


 だがカトレアさんが言いたいのはそんなことじゃないことくらい、朴念仁の自覚のある俺にだってわかる。


「……わかりました、コルリ村の復興具合を報告する義務くらいありますからね。ある程度目途が付いたら王都に行きますよ」


「本当ですか!?約束ですよ!!」


「モチのロンですよ」


「……いえ、言葉だけじゃタケトさんは今一つ信用できません。一つ条件を飲んでくれたら信じてあげます」


「お、俺ができる範囲にしてくださいよ……」


「すぐ終わりますよ。ここに誓いの口づけをしてくれたらいいだけです」


 そう言って剣が滑らないように嵌めていた手袋を外すと俺の眼前に差し出した。


 ここでさほど時間をおかずに動き出せた自分のことを、俺は褒めてあげたいと思う。


 しかしそのわずかな時間の間に俺にとっては刺激的すぎるイベントだと自覚するのに一秒、カトレアさんの手が剣士と言う割には白くて綺麗だなと見惚れること一秒、ここで待たせてはカトレアさんに更なる恥をかかせることになると覚悟したのが一秒、いやでもしかしなーと再び悩み始めたのが一秒、「男なら迷うな!!」と俺の記憶の中の爺ちゃんが竹槍で脳天を叩き付けた幻を見たのが一秒。

 これほど目まぐるしく思考したのは人生初だった。


「あのタケトさん、ものすごいスピードで百面相してましたけど、大丈夫ですか?」


「大丈夫です。すう、はあ、……では行きます。俺、竹田武人は王都でカトレアさんに必ず再会することをここに誓います」


 こうして俺はカトレアさんの手に触れ(ここであまりの柔らかい手の感触に飛び上がりそうになった)、再会を心に誓いながらカトレアさんの手の甲に口づけをしたのだった。






「ではみなさん、お世話になりました」


 日が昇り切って少し経った頃、シューデルガンドへの山道の出発点である村のはずれでカトレアさんは別れの挨拶を述べた。

 とはいっても、コルリ村は復興の真っ最中なのでさすがに村人総出で見送りするわけにもいかず、ここにいるのは俺の他に特に関わりのあったマーシュ、セリオ、ドンケス、それになぜかラキアの五人だけだ。


「世話になったのはこっちの方だよ、カトレア様。恩を返せないのが心苦しいんだけど、ここからカトレア様の武運を祈っているだよ」


 皆を代表してマーシュが別れの言葉を言った。


 その後カトレアさんはそれぞれに短く別れを告げた後、最後に俺の所にやってきた。


「タケトさんには再会の時までこれをお貸ししておきます。必ず返してくださいね。それまではこれはタケトさんのものです」


 そう言ってカトレアさんは腰に差していた美麗の一言に尽きる装飾を施されたナイフを渡してきた。


「カトレア様!?そ、それは……」


 それまで静かにカトレアさんとの別れを惜しんでいたセリオが、別れの場の雰囲気にそぐわない大声を上げた。


「いいんですセリオさん」


 だが、落ち着き払ったカトレアさんの声とその目を見たセリオは、それ以上何も言わずに元の位置に下がった。


 この世界の常識にはとことん疎い俺だが、このナイフが守り刀と言われる物でカトレアさんにとって非常に大事なものであることくらいは分かる。


 この守り刀がただ約束を果たせと言う意味なら、朝の誓いの口づけで済んでいるはずだ。

 とはいえ結構ですと突き返せる状況でもないし、それを分かった上でカトレアさんは俺に守り刀を渡そうとしている。


 このナイフにどんな意味が込められているか分からないが、ここは素直に受け取っておくべきだな。


「わかりました。再会の時までお預かりします。その代わりになるかどうかは分かりませんけど……」


 そう言って俺は懐に隠し持っていた、ある物をカトレアさんに手渡した。


「これは……髪飾りですか?」


 これは、旅の途中から何とかカトレアさんにお礼としてあげられるものはないかと悩んだ末、コルリ村に着いてから密かに彫り上げた竹細工の髪飾りだ。


 表には精緻な彫りの竹林、裏には竹田家の家紋が彫ってある。

 これにドンケスに頼んで金具を付けてもらったものをカトレアさんに渡した。


 図らずもそれぞれの持ち物の交換会になってしまったのは計算外だったが。


「すごい、手彫りとは思えない出来ですね。とても気に入りました。ありがとうございますタケトさん」


 いつもとは一味違う、はにかむような笑顔でカトレアさんは礼を言ってきた。


「せっかくですから、今ここでつけてくれませんか?」


「は、はい」


 朝とは違って人の目もあるので、顔に出ないように必死にこらえながら、なんとかカトレアさんの髪に髪飾りを付け終えた。

 マーシュやセリオがにやにやしているかと思うと正直一生後ろを振り返りたくない気分だ。

 ちなみにラキアに対しては終始「いいなあ、いいなあ」と連呼していたが聞こえていたので全く気にならなかった。


 そんな風に俺が一人身もだえている内に、あっという間に木に繋いでいた馬の縄をほどいて颯爽と飛び乗ったカトレアさん。


 そして俺の所まで来ると、一言だけ言った。


「じゃあ、またです」


「はい、また」


 そうして、カトレアさんは俺の前から去っていった。


 呆気ないと言えば呆気ない別れに俺は拍子抜けしつつも、最後にカトレアさんが見せた少しだけ赤く染まっていた美しい顔を一生忘れることはないだろうと思いを馳せていた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る