第22話 別れの朝を迎えた


 チュンチュン チュンチュン


 小鳥が囀るさえずる鳴き声が早朝の日の明けきらないコルリ村に響き渡る。


「ん、……ああ、朝か。さてと、今日も頑張るとするか」


 今日も今日とて村長のマーシュの家で目を覚ました俺は、朝食の支度をしているマーシュの奥さんに挨拶をして(今までは山火事の後始末やら魔物の群れの襲撃やらでまともに顔を合わす機会が無かった)、まだ少しだけ残っている眠気を覚ましに家の外へと出た。


「あらタケトさん、今日も早いですね」


「おはようございますカトレアさん。こんな朝早くにどうしたんですか?」


 そこへどんな時も騎士の格好を崩すことのない、鎧姿に帯剣という出で立ちのカトレアさんに出くわした。


「いえ、日課の見回りの途中ですよ。良ければタケトさんもご一緒しませんか?」


「いいですね」


 カトレアさんが毎日朝と夕方の二回、村の周りを異変がないか見て回っているのは知っていたが、誘われたのは今日が初めてだ。


 実は、外へ出る前にカトレアさんの気配がドアの前にあることは分かっていたし、俺に話しかける時に若干の緊張があることも分かっていた。

 どうやら見回りにかこつけて俺に話があるらしい。


 それでも見回り自体の手を抜くつもりは全くないようで、丹念に村の内外を見て回るカトレアさんの後ろを付いていきながら、俺はこの三日前の出来事に思いを馳せていた。






「すごい、オークナイトだけじゃなくてその下のビッグボアの体も貫通している……」


 必殺の投槍術でオークナイトを仕留めた後、俺は残りの魔物に向き直ったのだが、統率者を失った魔物たちはその時すでに蜘蛛の子を散らすように逃げ始めていた。


「タケトさん、率いるものを失った烏合の衆ではありますが、あれだけの数の魔物をこのまま逃がすのも後々厄介です。今の内にできる限り仕留めてしまいましょう」


 そう言われて俺とカトレアさんの二人は一旦村に引き返して馬に乗り、コルリ村を囲む山々の麓までと範囲を限定して追撃を掛けた。


 結果全滅させるには至らなかったものの、残りの五十体のうち四十体ほどを仕留めることに成功した。


 いや、正確には俺が八体、カトレアさんが三十体以上なんだがな……

 どうやらカトレアさんはゴブリンメイジ三体を瞬殺した例の技を使ったようだが、改めて見ると便利なうえに恐ろしい技だと再確認した。

 正に初見殺し、首を討たれる魔物も何が起きたのかわからないまま死んでいったのは間違いないだろうな。


 その後、魔物の死体の回収を槍隊と盾隊の面々に任せた俺たちは、オークナイトの死体のある先ほどの場所に戻ってきたというわけだ。


「タケトさん、あの技を使った時ですけれど、何か特別なことをしませんでしたか?」


 しばらくの間、オークナイトとビッグボアの貫通傷を観察していたカトレアさんだったが、不意に俺に質問をぶつけてきた。


「特別なこと、ですか?いや、ただ力いっぱい竹槍を投げただけのつもりだったんですけど」


「いえ、そんなはずはありません。初めて見た私の目にも、山なりに飛んでいた竹槍が途中で加速したのがはっきりわかりましたし、偶然にしては乗っていたビッグボアの命まで同時に奪ったというこの結果は、偶然で片付けられる現象ではありません」


「言われてみれば確かに……」


「何より、ただの尖った棒を投げたくらいで100メートル先の、しかも頑丈な鎧と分厚い肉で覆われたオークナイトとその下のビッグボアの体を貫通できると思いますか?」


「……投げた俺が言うのもなんですけど、普通は無理ですね」


「でも現実には、はるか遠くのオークナイトとビッグボアをまとめて一撃で仕留めてしまいました」


 カトレアさんは若干の不信感を伴いながら目顔で俺に返答を促した。


「……強いて言うならですけど、ビッグボアに乗って逃げるオークナイトを見た瞬間に、やれるってただ確信したんです。そうとしか言えません」


 そう言っては見たものの、言った俺自身が疑いたくなるほどあやふやな回答だ。

 だが、カトレアさんはわずかな間俺の目を見た後小さく息を吐いて緊張を解いた。


「薄々ですけどそんなところじゃないかと思いました。あの時のタケトさんは真剣そのものでしたけど、同時にどこか夢の中にいるような眼をしていましたから」


 ですが、とカトレアさんは言葉を付け加えた。


「あの流星と言う技を使うのはくれぐれも自重してください。私は魔力感知の才能がほとんどありませんが、それでも大量の魔力がタケトさんの体から竹槍に込められているのが分かりました」


「魔力、ですか?魔法を使っているつもりはなかったんですけど」


「魔力の発現も気を付けてほしいんですけど、私が気にかけているのはあの技を使おうとした時のタケトさん自身のことです」


「ちょっと何を言われているのか……」


 戸惑う俺の言葉を無視するように、カトレアさんは続けた。


 その時になってようやく、カトレアさんの胸に当てた握りこぶしが小さく震えていることに気づいた。


「これでも私はグノワルド王国に四騎士ありと言われるほどに名の知られた存在ですし、その名に恥じないだけの修練と武勲を積み上げてきたつもりです。その私がタケトさんのあの構えを見た時に恐怖で体が動かなくなってしまったんです。そう、まるで私なんかの実力では足元にも及ばないほどの『超越者』を目の当たりにしてしまったような」


「超越者、ですか?」


「はい、噂の域を出ませんが冒険者ギルドに一人、魔族の領域に一人、そして世界唯一の信仰を司る教団に一人いるそうですが、それ以外の情報は分かっていません。ただ、過去にいた超越者の中にはたった一人で人魔の勢力図を塗り替えてしまった者もいたそうです」


「それはいくら何でも大袈裟なんじゃ……」


「もちろん真偽のほどは定かじゃありません。でも、少なくともタケトさんに対して私がそう感じたのは紛れもない事実です。そしてタケトさんの本気を見た時に、私と同じように、あるいはそれ以上に恐怖を感じる人もいずれ現れるかもしれないってことです」


 ここまで言われてようやく俺はカトレアさんの言いたいことを理解した。

 カトレアさんは平穏な暮らしが送れなくなるかもしれないと、俺のことを心配してくれていたのだ。


「これまで旅をしてきた中で、タケトさんが想像を絶する修練を重ねてきたことはある程度把握したつもりですし、そんなタケトさんなら過ぎたる力は身を滅ぼすということは百も承知のことだと思います。でも、ヒトと魔族の争いが続いているこの世界に呼んだ責任は、女王陛下の近衛騎士として私にもその責任の一端がありますから、タケトさんに戦うなとは口が裂けても言えません。ですがどうか、力を使う時はその状況に相応しいだけの力を使うようにしてください」


 哀願するような目で一気に語り終えたカトレアさん。


 これにはさすがに参った。


 何しろカトレアさんの言葉は、俺に自制を促しただけではない。

 驚いたことに、爺ちゃんが亡くなる一週間前に竹田無双流の免許皆伝を許してもらった時に忠告された内容とほぼ同じだったからだ。

 そしてそれは、爺ちゃんが亡くなって以降毎日続けてきた鍛錬がまるで意味を成していなかったと言っているに等しかった。


 ここで言っているのは筋肉の強さや技の冴えのことではない、どんな状況でも冷静に自分と周りを見つめられる心の強さのことだ。


「肝に銘じます。爺ちゃんと竹田無双流、そしてカトレアさんの名に懸けて」


 そう短く答えただけだったが、カトレアさんは一瞬寂しそうな表情を見せた後「さあ、やることは山積みですから早く運んでしまいましょうか!」といつもの調子でオークナイトの死骸の方へと歩き出した。







 そんな物思いに耽りふけりながら、途中で出会う村人に挨拶をしてカトレアさんの後を付いていくうちに村の外へと出た。


 さすがにこのまま無言で見回りしていくのも気が引けるな。

 たまにはこっちから話題を振ってみるか。


「それにしても、たった三日で元の生活に復帰できるとは思ってもみなかったですよ。まあ元の生活って言っても、絶賛復興の真っ最中なんですけど」


「ふふ、そうですね、討伐した魔物の解体に埋葬、さらに生活に支障のあるところだけとはいえ村の防備を元に戻す作業を、これまでの生活と並行する形でやってきたわけですけど、皆さん頑張っていましたね」


「カトレアさんのお陰でもありますよ。流石近衛騎士なだけあって見事な采配でした」


「でも実際に働くのはコルリ村の皆さんです。こう言っては何ですが魔物の群れという脅威を克服したからこそ、より一層自分たちの村を守るんだという意識が高まったんだと思いますよ」


 流石カトレアさん、見るべきところをちゃんと見ているな。


「あ、でもこの三日間タケトさんの姿を全然見かけませんでしたね。サボっていたんですか?」


 ひでえ!俺のことは見てなかったのかよ!


「ずっと村長の家で缶詰だったんですよ!竹の葉茶の補充とか使用した武器のチェックや改良案を纏めたりとかセリオとドンケスに質問攻めにされたりとか!」


 ぶっちゃけ、あの二人への対応が三日間のほとんどを占めていたりする。

 俺もあまり人の事を言えない性質だが、セリオとドンケスの質問するときの目には確実に狂気が宿っていた。

 それこそ外に出て気分転換する隙もなかったほどに。


 ちなみにラキアだが、さすがに働きもせずに俺にまとわりつくことは許されずに村の子供たちを指揮して竹の柵を片付けていたらしい。


「あ、あははは、それは災難でしたね……」


 今こうやって呑気に散歩できているのも、二人がそれぞれ自宅に帰って研究に没頭しているからなのだ。


 次からは適当なところで脱出できるように策を練っておかないとな……


「まあ何はともかく、魔物の襲撃から一段落したのですから何よりですよ。それでですね、一つご報告があるのですが」


 ようやく本題か。

 あまり人を待たせる性格の持ち主でもないから、余程言いにくいことなんだろうが。


「私、今日の昼にこの村を立つことにしました」


「……随分急ですね」


「あまり驚かないんですね」


「散歩に誘われた時から薄々そんな気がしてました」


 嘘である。本当は今めちゃくちゃドキドキして動揺している。


 マジで!?いつ決めたの!?そんな素振りなかったじゃん!!


 なんてことを言えるはずもないので、必死でポーカーフェイスを貫いているが。


 俺がいつの間にか立ち止まっているのを見たカトレアさんが、少し先で立ち止まった。


「この村を出たあとは、やっぱり巡察の任務の続きですか?」


「いえ、事情が大きく変わりました。魔王軍の偵察隊がここまで入り込んでいるとは、さすがに私も予想すらしていませんでしたし、おそらく王都でも気づいていないでしょうから、馬を飛ばして一直線に帰ります」


「そうですか、そうですよね」


 正直言って寂しい。


 近衛騎士であるカトレアさんが王都を出る機会はまずなく、俺にしたって秘密裏に流刑にあった身なんだからほとぼりが冷めるまでは王都に近づくことすら許されない。


 つまりこの先縁がなければ、カトレアさんとは今生の別れになるかもしれないのだ。


「ですがただ一つだけ、やり残したことがあります」


 その瞬間、俺の全身にオークナイトとは比べ物にならない殺気が押し寄せてきた。


「あぶっ!!」


 咄嗟のことではあったが、頭の中だけは冷静にその場に尻もちをついて、眼前に迫った切っ先をすんでのところで避けた。


 いや、切っ先であったのかも定かではない。

 何しろ今の攻撃を放った張本人、抜刀したカトレアさんは完全に俺の間合いの外にいたのだから。


「……今、俺を殺そうとした理由を聞いてもいいですか?」


「言ったはずですよ、私には二つの任務があると。一つはグノワルド王国に異変がないか各地を見て回る臨時巡察使の任務、もう一つはコルリ村に着くまでのタケトさんの護衛兼監視です」


「それだけじゃ答えになっていないですね」


「この監視という任務には、タケトさんがグノワルド王国に仇名す人間かどうか見極めるという意味も含まれています。もちろん大臣閣下の御命令です」


 あのおっさん!!カトレアさんになんてことを命令してやがる!!


 決めた。次会ったら半殺しにしよう、そうしよう。


「勘違いの無いように言っておきますが、私もちゃんと同意した上でお受けしています。それに大臣閣下は、タケトさんが品行方正な性格でなくても特に害がなければ放っておいて構わないとも仰られました」


 ……おいおい、それじゃ理屈に合わないじゃないか。

 自慢できる性格じゃないのは自覚しているが、謀反人になったつもりは毛頭ないぞ。


「わかっています。でもあなたはこのままコルリ村に置き去りにするにはあまりにも強すぎたんですよ……」


 そこまで言ってカトレアさんは、決意でも悲しみでもなく、初めての苦悩の表情を見せた。


「正直言って、今の私ならタケトさんを迷うことなく勇者様と呼べますし、賊扱いしたことを謝罪して王都に戻ってきてほしいと思っています。ですがそれをしたら姫様の、女王陛下の判断が間違っていたと認めることになる、それだけはできません。タケトさんをこのコルリ村に残していくしかみちはないんです」


 ですが、とカトレアさんは言葉を続けた。


「あなたの一瞬で千体もの魔物を絡めとった魔法や、オークナイトを子ども扱いした実力は放置しておくには危険すぎる。ですから、私の全身全霊を以てタケトさんの意志を見極める必要があるんです」


「どうしてもですか?」


「どうしても、です」


「俺が抵抗しないと言ったら?」


「そのように状況に流されて自分の運命を他人の手に委ねると言うなら、今ここで私がその首を刎ねます」


 完全に騎士の顔になったカトレアさんを見ていれば言葉を交わさなくても答えは分かっていたが、それでも聞かずにはいられなかった。


「……手加減はできませんよ」


 下手をすればどちらかが死ぬかもしれないからだ。


「覚悟の上です」


 これ以上の問答は完全に蛇足だな。


 俺は無詠唱で一本の竹を召喚、腰に差していた鉈で手早く斬り割ると即席で竹槍を拵えたこしらえた


「先に言っておきます。お世話になりました」


「こちらこそ。楽しい旅でした」


 そう言ったカトレアさんの手が動き、俺の体が一気に間合いを詰めた。

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