第8話 盗賊に襲われなかった
草原の海に一本だけ伸びている街道の上を一台の馬車がゆっくりと走っていた。
セルメアの街を慌ただしく出発して三日、俺達は特に急ぐ必要のない旅路の中にいた。
「カトレアさん、この辺りは魔物は出ないんですか?」
「ええ、王国としても旅人が頻繁に魔物に襲われても困るので、街道を作る際には念入りに魔物がいない場所を調査した上で整備しているんです。それでも運が悪いと出くわしちゃうこともあるんですけどね」
「そうなんですね。でもそれだと、街道が必要なところに魔物が住み着いたりすると困るんじゃないですか?」
「そうですね、又聞きの話ですが、そういうやむを得ない時には軍隊を派遣して徹底的に魔物を駆逐した後で、魔物が生息できないレベルまで整地を行ってから街道を作っているそうですよ」
マンパワーという奴か。
人間の住みやすい環境を作るための手段は、相手が獣じゃなくて魔物であっても有効だということか。
危険度は段違いだろうが。
「でも、そこまで強引な手法を取ることは滅多にありませんよ。予算も膨大なものになりますし、何より街道を作った後の周囲の環境にどんな悪影響が起きるか予測が付きませんから」
「なるほど。でもそこまでやれば、街道を通る人達も安心して通行できるんでしょうね」
「いえ、頭の痛いことに、魔物がいなくなったらいなくなったで別の問題が起きるんですよ。あ、噂をすれば何とやらですね。現れたようですよ」
そう言ったカトレアさんが、遠くの方のある一点を指さした。
ん?地平線の辺りに何か黒いものが、あれは動いてるのか?
しばらく見つめていると黒いものはだんだん大きくなり始めて、やがて俺の眼でもそれが一体何なのかはっきりとわかるようになってきた。
「馬、に人が乗っていますね。それも何頭も」
「気を付けてくださいタケトさん、いきなり矢を撃ってくる輩もいるので結構危険ですよ」
「矢ですか。それじゃああれは……」
「お察しの通り、盗賊です」
カトレアさんの言う通り、人相の悪い、野郎ばかりの騎馬集団がこちらに向けて一直線に走って来ていた。手に武器を持っている者もいるので旅人という可能性はないし、近くに見える山の方角から来ているので奴らの狙いが俺たちの乗る馬車というのも明白だ。
「てめえら一週間ぶりの獲物だ、絶対に逃すんじゃねえぞ!」
「男は皆殺し、女は慰み者だーーー!」
「ヒャッハーーーー!!」
うーーん、誰かに似ているな……わかった、ゾルドだ!
あの中にゾルドが混じっていても気づかんぞ。あいつ、流石にイメチェンしないとそのうち間違えられて討伐されちゃうんじゃないか?ちょっと心配だ。
「それでカトレアさん、このままだと追いつかれそうですけど、大人しく捕まるつもり、なわけないですよね」
「もちろん撃退します。でも、いくら急ぐ旅ではないとはいえ、彼らを捕まえて近郊の町に連れて行くほどの余裕はありませんからね。迷うところです」
少し悩む仕草を見せたカトレアさんだったが、決断は早かった。
「仕方ありません、流石に皆殺しにするのも剣呑なので、これ以上追って来られないようにする程度に留めておきましょう」
カトレアさんはさらっと言っているが、十人程度の盗賊なら皆殺しにする実力も覚悟も備わっていなければなかなか口にできることではない。
この辺のギャップは毎回驚かされるところでもあるが、同時にその意志の強さはカトレアさんの魅力でもあるな。
俺がそんなことを考えている内に、カトレアさんは腰の剣を抜いて精神を集中させていた。
『大気のマナよ、氷の刃となりて我が敵を貫け、アイスジャベリン!!』
カトレアさんの剣の柄にはめ込まれた宝石が一際輝いたかと思うと、馬車の周りに盗賊と同じ数の氷の柱が出現し、それぞれの標的に向かって一直線に飛んで行った。
「お頭やべえ!あいつ魔法剣士だ!あの持ってる剣も魔剣だ!」
「バカ野郎!それを早く言わねえか!野郎共ずらかるぞ!」
「あ、お頭、あれ!なんか飛んできてギャアアアアアッ!!」
「ハボアアアアア!」
「あべしっ!!」
誤解のないように言っておくと、盗賊たちの中に死者は一人も出ていない。
それどころかカトレアさんの放った魔法が直撃した者は一人もおらず、氷の柱が穿ったのは盗賊たちの乗る馬の進行方向にある地面だった。
落ち着いて対処すれば怪我一つなく停止できたはずなのだが、かなり大袈裟に驚いた盗賊たちは馬を操り損ねて次々と落馬していた。
良くて打ち身、悪くて骨折といったところだろうが、馬が速度を落とす程度の余裕はあったようで死んだ者はいないらしい。
最早戦闘どころか自損事故のレベルである。
「まあ、あの程度の連中でも力を持たない人達にとっては十分な脅威ですから、次に立ち寄った町で通報だけはしておきましょうか」
俺の心を読んだかのようにカトレアさんがそう締めくくって、この時の話はそれで終わった。
「了解しました騎士殿、ご協力感謝します。しかし今月だけで盗賊の目撃例は五件目です。そろそろ領主様に報告すべき時期かもしれません。ところでそちらの方は?」
「……彼は私の従者です。知恵の回る者なので常にそばに置いています。ここで聞いた事は一切外に漏らさないと私が保証しますのでお気になさらず」
「そ、そうですか」
その翌日、とある小さな町に立ち寄った俺とカトレアさんは商談があるというゼンさんと別れて、町唯一の衛兵詰所に行って、衛兵隊の隊長を名乗る口ひげがシブい中年のナイスミドルに報告していた。
ちなみに詰所に特に用事のない俺を一人で町を見て回らせる案も俺の頭の中で浮上したのだが、カトレアさんに即座に思考の海へと沈め返されてしまった。ぐすん。
それにしてもカトレアさん、剣一本も帯びていない男を従者とは、その言い訳はさすがに苦しいと思う。
ナイスミドルの隊長さんも表情には出していないが不信感アリアリだ。
「ではやはり、この一帯でも盗賊が増えてきているというわけですね」
「仰る通りです。このところの年貢徴収量の増加で食い詰めた者たちの仕業もあるのですが、各領地の戦力が魔族との戦いの最前線に送られたことで、これまで鳴りを潜めていた半端者たちが盗賊に鞍替えして、主街道にまで姿を見せるようになってしまっているのです」
「魔族との戦いが長引いてしまっているのは、ひとえに私達軍の責任以外の何物でもありません。治安を担当する衛兵の皆さんには大変申し訳なく思っております」
身分的にははるか格下の衛兵隊長に頭を下げるカトレアさん。
彼女の性格を知っている俺としては今までの話の流れからこの行動は予測できたものだったが、初対面の衛兵隊長にとっては衝撃以外の何物でもなかったようだ。
「そ、そんな騎士殿、どうか頭をお上げください!我々の不始末を騎士殿、それも女王陛下の御側近くに仕える近衛騎士殿が責任を感じる必要はございません!」
「いえ、しかし」
人によっては単なる社交辞令と取る奴もいるだろうが、俺の意見は少し違う。
おそらく二人とも、今のやり取りが非効率的なことくらい承知の上なんだろう。
実際俺の元居た世界では社交辞令を嫌う人も増えていることだしな。
だが衛兵隊員の身内や隊長自身の周囲にも盗賊やそれに近い被害を受けた人がきっといることだろう。
今この場でカトレアさんが謝罪したことは、確実に後で町中に広まる。
そうすれば、盗賊の被害者や家族の心の傷を少しでも和らげることができるかもしれない。
つまりカトレアさんは、衛兵隊長個人というよりも町の住民全員に向けて謝罪したということなのだろう。
そう感じさせるほど、カトレアさんの言葉には真剣味が宿っていた。
俺の爺ちゃんが若かった頃は現代では考えられないほど治安も悪く、新聞に載せきれないほど凶悪な事件が多かったって聞いてたから多少は分かるつもりだったが、カトレアさんほどの身分の人がここまで誠意を示す場面を見せられると心動かされるものがある。
おそらく、このカトレアさんの姿こそが高貴なる者の務め、ノブレスオブリージュってやつなのだろう。
そんな互いの立場を思いやったやり取りが何度か繰り返された後、ようやく具体的な話し合いに進み、カトレアさんが口火を切った。
「それでご領主に報告するとのことですが、討伐の予定は立っているのですか?」
「いえ、先ほどの話の通り今領軍の戦力は最低限しか残されていない状況でして、討伐するからには必勝が最低条件なのですが問題の盗賊団の規模がはっきりせず、噂では主だった盗賊団が糾合すれば三百人はいるかもしれないとのことでして……」
三百って、もう盗賊団って言える数じゃないじゃないか。
そこまでことが大きくなる前に何とかならなかったものかね?
盗賊団の首領が余程の実力者なのか、もしくは取り締まる側に何か問題があったか、何か秘密がありそうだな。
「困りましたね。もし万が一領軍が敗北したら、この領は無秩序状態となりかねません。私がお手伝いできればいいのですが、何分先を急ぐ身ですのであまり時間がかかるようでは難しいと言わざるを得ません」
「しかし事態は一刻を争います。このまま盗賊の数が増え続ければ街道の旅人を襲うだけでは飽き足らず、この辺りの村や町を正面から襲ってくることも考えられます。そうなれば最早奴らは反乱軍です。今まで有効な手を打てずに事態を悪化させた我々が言うのもおこがましいですが、奴らを叩くなら今が最後のチャンスなのです。カトレア殿、どうかお力添えを!」
「……今ここで即答はできかねます。私たちは今日はここに滞在するつもりですので、一晩考えさせてください」
「承知しました。吉報をお待ちしております」
縋るような目つきの衛兵隊長の見送りで詰所を出た俺たちは、そのまま今夜の宿に直行した。
俺個人としては町の観光に出かけたい気持ちも途中まではあったのだが、カトレアさんの疲れ切った表情を見ながら呑気に遊んでいられるほど薄情にはなれなかった。
「はあ、どうしたものでしょうか」
俺に聞いたわけではなくただの独り言なのだろうが、これほど悩んでいるカトレアさんを見たらさすがに声を掛けずにはいられないな。
「衛兵隊長でダメなら、カトレアさんが領主を説得するというのはダメなんですか?」
「少なくともこのグノワルド王国では無理ですね。領地貴族というものは独立独歩の精神が強いですから、他の貴族はもちろん王都の介入すら断固として拒む方が多いのです。この一帯を治めるワッツ子爵は門閥貴族派ですから、どれだけ追い詰められても王家に近い立場の私の要請を無視するでしょう。それにたとえうまくいったとしても、あの衛兵隊長さんは粛清されるかもしれません」
ん?話が繋がらないな。どうしたらそんな超展開になるんだ?
「聞いてしまえば簡単な話です。衛兵隊長さんが本来部外者の私に協力を要請すること自体が、重大な裏切り行為と解釈する貴族が多いからですよ。
もちろん良識のある領主の方も少ないながらもいますが、ワッツ子爵ならこの話を聞いた途端、裁判も開かずに即刻処刑するでしょうね」
うおぃ!それじゃまるで独裁者……いや、この場合領主なんだからそれで通ってしまうのか。
いい加減封建制のこの国に慣れて行かないとな。いつまでも元の世界の生活を引きずっていると、思わぬ落とし穴に嵌まりそうで怖い。
「じゃあ王都から軍を呼び寄せるのは?領主がどうしようもないならやむを得ない気がするんですけど」
「それは最悪の手段ですよタケトさん。ワッツ子爵も自分の無能を晒されるくらいなら王都の中央軍と戦う道を選ぶでしょうね。その為なら争っているはずの盗賊団と手を組むこともあり得ます。盗賊たちだって中央軍に皆殺しにされるよりはマシでしょうから、その可能性は十分にあり得ます」
マジか。敵の敵は味方の論理ではあるが、仕えるべき主君に刃を向けちゃうのか。
さっきの封建制の下りをを訂正しよう。少なくとも江戸時代の将軍と大名の関係でないことだけは確かだ。
「一番の危惧は、王都からワッツ子爵領に向かうまでに存在する領地貴族が内政干渉を理由にワッツ子爵側に付いてしまうことです。そうなれば王国を二分する内戦に発展、魔族との戦線も維持できなくなりグノワルド王国は内と外の両方から崩壊していくでしょう」
うん、認めよう、俺が浅はかだったってことを。
そういえば、昔の日本の武士も体面を最も大事にしていたしな。
武士は食わねど高楊枝ってやつだ。
「じゃあやっぱり……」
「そうです。この場にいる私達で何とかするしかないんです」
カトレアさんはこう言っているが、実はこのまま見てみぬふりをして町を出るという、もう一つ選択肢があるにはある。
これ自体はさほど難しいことではない。
仮に道中盗賊が襲ってきてもカトレアさんとゼンさん、それに及ばずながら俺の三人なら、どれだけの数の盗賊が襲ってきても軽く蹴散らせるだろう。
そして姫様に忠誠を誓っているカトレアさんなら、これが一番現実的な選択肢だと納得して実行してくれるだろう。
だがその代償が今の俺には看過できそうにない。
カトレアさんのこの街を見捨ることで生まれるだろう苦しみと悲しみなんて、ないに越したことはないのだ。
それに、美人に涙は似合わないしな。
「カトレアさん、俺ができることなら何でもしますよ」
「え、でもそれは……」
「大丈夫です、要はバレなければどうとでもなるんですよね。それなら俺に考えがあります。ただ、その為にはカトレアさんに用意してもらわなきゃならないものがあるんですが」
俺は簡単に計画を説明すると共にカトレアさんにある頼みごとをした。
カトレアさんは目を丸くした後少し考えこんだが、意外にもあっさり了承してくれた。
「確かにそれくらいなら私の権限で何とかなります。ゼンさんにもお願いすればそれなりに集められるでしょう。わかりました、ここはタケトさんの考えに乗りましょう。もちろん詳しい計画は教えてもらえるんでしょうね?」
そう言ってウインクしてくるカトレアさんの表情は、いつもの華やかで明るいものに戻っていた。
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