第3話 少女と猫

――チリン。


『これはあなたの首輪よ♪ ほらここに鈴がついているの。

 歩くたびに音が鳴って キレイでしょ?

 気に入ってくれた……?

 ふふ。じゃああなたのお名前は リンなんてどうかしら?』


私だけの名前。あなたからもらった初めての贈り物。

呼ばれるたびに、幸せでお腹いっぱいになるの。

幸せの欠片を心の宝物箱に大切にしまっておくの。


――チリン。


『リンー? おいしい? 今日は特別よ♪

 いつもは お母さんがあんまり食べさせちゃダメって言うけど

 今日は 私の誕生日だもん。

 たくさん買ってもらっちゃったから リンにもあげるね♪

 私と同じで 甘いおかしが大好きなのね♪』


おいしいよ。あなたのくれるものはなんでもおいしい。

優しい味がするの。優しくて、食べると体がぽかぽかするの。


――チリン。


『リン? リンってばー。もう! 私かくれんぼ苦手なのに!

 ……あ! 見つけた! ……!? そこは危ないのよ!

 お母さんも エアポートでは気をつけなさいってうるさいもの。

 ほら 風が強いから 飛ばされちゃわないように 私が抱っこしてあげる♪』


暖かい。触られるのは本当は好きじゃないの。

でも、どうしてかあなたの腕の中はとても落ち着く。

もちろん、あなたのお母さんに抱っこされるのも好きよ。

ふたりとも同じ匂いがするの。陽だまりの匂いがするの。


――チリン。


『リンの体はふわふわね! まっしろでつやつや♪

 ずぅっとさわっていたくなっちゃう』


あなたの肌だって柔らかくて、すりすりすると気持ちがいいわ。

鼻と鼻をくっつけてあいさつすると、あなたの匂いが移ってくるの。

1日の終わりにあなたの匂いに包まれて眠ると

明日が必ずやってくると安心するの。


――チリン。


『お写真をとりましょ? かわいく映る魔法の呪文があるのよ♪

 それはね……ケーキ! ケーキのい~~を伸ばすのよ♪ ケーキい~~♪

 ほらほらリンも はい ケーキい~~~! ふふふ』


あなたが笑顔になると、世界が光に満たされるの。

私の小さな小さな世界がかがやくの。

時折、眩しさに目を覆いたくなってしまうけれど

それでも目を閉じていたくないのよ。


――チリン。


『お父さんはね ごーせー人間におそわれちゃったんだって。

 あんまり顔は覚えてないんだけどねー』


そんな顔をしないで。私が家族になるから。あなたの家族になるから。


――チリン。


『ねー リン。あなたは ほかのネコちゃんと違う感じがするわ。

 あなたはどこから来たの? って私のお話わからないわよね……。

 でも なんていうのかしら……。

 遠いところから 私のために来てくれたような気がするの』


――チリン。


『リン! 今日は冒険しましょ♪

 エルジオンを抜けたところに ひみつきちを作るのよ!』


――チリン。


『ひみつきちは ここにするわ♪

 ……あれ なんの音……?』


――チリン。


『きゃーーー!!!』


――チリン。

――チリン。

――チリン。


『リン……どこにいるの?』


私はここにいるよ。


『お返事して!』


声が出せないの。


『リンッ! どうして!?』


悲しまないで。泣かないで。笑ってほしいの。


『ごめんなさい……』


私が守るから――。



 ――曙光都市エルジオン――


「……リン!!!」


あの子の声が頭の中で響いて、私は目を開けた。

お母さんとアルドおにいちゃん、それから走っていく小さな背中が見えた。


「まったくもう……。すみません お見苦しいところを……」


「オレは大丈夫だけど あの子を追いかけないと」


「……たぶん すぐに戻ってきますから……」


――違う。


「早く追いかけて」


私はお母さんに近づいた。あの子の姿のまま。


「え……!?」


「あの子は今 とても危ない場所に向かっている……。

 早く追いかけないと 大変なことになってしまう」


「あなたはいったい……? 娘と瓜二つ……」


「わたしはあの子じゃないわ。少しだけ 姿を借りているの。

 急いで。わたしじゃ助けられない……。

 たぶん 2回目の奇跡は起こせない……」


「奇跡……? もしかして……。

 …………そう。……そうだったのね……」


お母さんはそれ以上、私のことを聞かなかった。


「娘が向かった場所を 教えてくれる?」


「工業都市廃墟よ」


「ありがとう。……それから……」


お母さんは私を抱きしめてくれた。


「帰ってきてくれて ありがとう」


なつかしい匂い。なつかしいぬくもり。

そっと私を離す。お母さんが背を向けると、アルドおにいちゃんが声をかけた。


「オレも行くよ」


「ありがとうございます。

 すみません。会ったばかりの方に……」


「いいんだ。オレもあの子が心配だからさ」


おにいちゃんは不思議な人。

自分のことじゃないのにまるで自分のことみたいに考えてくれる。

初めて会ったときも、私が隠れてしまったときも、そして今も。


「こっちよ。わたしが案内するわ」



 ――工業都市廃墟――


ここはあの日となにも変わらない。

どこかで金属がぶつかった音がする。耳鳴りがした。

あの子の匂いに混ざって、冷たい匂いがした。

入口から数えて2つ目のエリアへ進む。――匂いが強くなっていく。

もう少し。あともう少しで……。


「いたわ……!」


丸まった背中が見えた。瓦礫の山を掘り返している。

本当は秘密基地を作る場所だったそこを。

崩して、掘って、名前を呼んでいた。

それはあの子が私につけてくれたキレイな鈴の音色。


――パリン


破片が割れる音がした。

割れる音が連れてきたものに、私は息をのんだ。

銀色に微笑む刃だった。


「危ないッ……!!」


すぐ傍をなにかが駆け抜ける。

鋭い衝撃音が辺りに響いた。人も、景色も、空気も、すべてが止まって見えた。

刃も――止まっていた。

刃の持ち主は、あの子のお父さんを襲った怪物と同じ――合成人間――だった。

合成人間の斧をアルドおにいちゃんの剣が受け止めている。

お母さんがあの子に駆け寄って、力強く抱きしめた。

存在を確かめるみたいに、力いっぱい抱きしめた。


「怪我はない……!?」


「うん……私は大丈夫よ」


「ここはオレに任せてくれ!」


アルドおにいちゃんは斧を退けて、剣を構えなおした。

大きい背中があの子とお母さんの盾になる。

優しいおにいちゃん。陽だまりみたいなおにいちゃん。

今は、強くて、頼もしいおにいちゃん――。


「これで終わりだッ!」


合成人間はあっけなく倒れた。ギィギィと機械の足を引きずりながら逃げて行く。

あの子や私にとってはとても大きな脅威が、他の人にとっては些細な出来事なのね。

もし、あの日、あの瞬間、おにいちゃんがいてくれたら。

……違う。おにいちゃんのせいじゃない。おにいちゃんを求めてはいけない。

責められるべきは――私。

あの日、私がもっと早く異変に気がついていたら。

私がもっともっと大きな体だったら。


「もう大丈夫だ」


「ありがとう……心配かけて ごめんなさい……」


「ここを教えてくれたのは あの子なんだ。

 だから お礼を言うならあの子に」


アルドおにいちゃんが私に視線を向けた。


「え……?」


あの子と私が1本の線で真っ直ぐに結ばれる。今度は隠れなかった。

本当は時間が忘れさせてほしかった。

会ってしまったら、いつまでも想い出になってしまう。

想い出なんかにとらわれて、取り残されてはいけない。

あなたには道がある。私の道は亡くなってしまった。

並んで歩くことはもうできない。

でも――あなたは忘れることはない。私をいつまでも忘れてはくれない。

忘れてほしいのに、忘れられないあなたのことを見て

心はうれしいと感じてしまった。

うれしいと感じる私の心を許してほしいなんて言えないから。

だから、私が最後の想い出を渡そうと思った。


「リン……?」


「うん。そうだよ」


いつもあなたはしゃがんで話してくれた。

だから、目線が同じ高さでも違和感はなかった。


「リン……! ふふ私とそっくり。

 ネコちゃんじゃないから お話もできるのね!」


久しぶりに笑った顔を見た気がする。お星さまみたいな笑顔のあなた。


「時間はあんまりないの」


でも、今その笑顔をゆがめるのは私なのね。


「どうして!? 帰ってきてくれたんじゃないの……?」


「ううん。わたしはお別れを言いにきたの」


「イヤッ! お別れなんてイヤ!!」


首を振って話を聞こうとしてくれなくても、私はそのまま続けた。

あの子の瞳の中に、小さな海ができていた。


「聞いてほしいの。……あの日 わたしが迷い込んじゃったあの日

 あなたに優しく抱っこされて とてもうれしかった。

 わたしを家族にしてくれて ありがとう」


「そんなの……!

 お父さんがお空に行っちゃった日に リンが来てくれたんだもん。

 ありがとうじゃなくて こんにちはだもん!」


瞳の海から1滴。


「ふふ そうだね。

 ……わたしはね この時代のネコじゃないの。時空で迷っちゃったの」


海の光は初めて通った道じゃなかった。

いつも食べていた魚の匂いもしない。海もない。

見知った同族もいない。縄張りの跡もなくなって――。


「すごく不安だったの。でも あなたがくれたおかしがとてもおいしかった」


食べたことのない味だったけれど、口の中に入ると不安が消し飛ぶみたいだった。


「また 食べようよ!」


瞳の海から2滴。


「ごめんね……」


それはできない約束。


「なら……! 食べられないなら 一緒にいてくれるだけでいいから……!」


瞳の海から3滴。


「…………ごめんね」


それも叶えられない約束。


「あとね あの日……。あなたがここに来たとき」


崩れてきた機械と部品の山――。私はとっさにあなたを突き飛ばした。


「ちゃんと守れなくてごめんね」


小さい体だと、あれが精一杯だったの。あなたの位置を少し動かしただけ。

たくさん擦りむいたよね。思いっきり固い地面に転んだよね。


「ごめんなさいは 私の方なの……。

 私がひみつきちを作りたいって言ったから……。

 だから リンは下敷きに……。

 痛かったはずなの……。すごくすっごく血が出て……」


あなたが生きているならそれでいい。


「私びっくりして 泣いて お母さんを呼ばなくちゃって……。

 でも戻ってきたら リンがいなくなってて……。

 お母さんは 死んじゃったって言ったけど

 でも私はどこかに行っちゃっただけだって思ったの。

 私のことが嫌いになって だから 帰って来ないんだって」


瞳の海から4滴、5滴。


「そんなことあるはずない。あなたを嫌いになるなんてありえないもの。

 ……でも 死んじゃったのはほんとよ」


「……ッ! ごめんなさい……ごめんなさい……」


瞳の海の雫はもう数えられないほどに。


「あやまらないで。死んじゃったけど こうしてあなたと会話できた。

 それに あなたと一緒に遊んだ毎日は 宝石みたいにきらきらしてて……。

 その毎日があったから わたしはとっても幸せよ」


そろそろ終わりだと、頭の中で汽笛が鳴った。

ここに来る前に何度も聞いたなつかしい船の音。出発するときの音。


「……もう時間みたい」


「リン……」


お母さんは私を見たときから気がついていたと思う。

やっぱりお母さんはすごい。なんでもお見通しなのね。


「お母さん わたしを飼ってくれてありがとう」


「いいえ………いいえ……」


あの子にはたくさん伝えたけど、お母さんにはたった一言だけになっちゃった。

それでも、お母さんなら笑って許してくれると思った。


「行かないで!! 行っちゃヤダよぉ……」


瞳の海が決壊した。

私の瞳も、もう限界だった。

でも私は泣いてはいけない。お別れを言う私が泣いてはいけないの。

もう一度、汽笛が鳴った。


「もうこんな危ない場所に 来ちゃダメだよ。

 エアポートだって 走り回っちゃ危ないわ。

 それに 甘いものはおいしいけど 1日にちょっとずつだからね。

 あと……お母さんの言うこと ちゃんと聞くのよ」


もっと言わなくちゃいけないことがあるのに、お説教みたいになっちゃった。

だって、あなたは見ていてハラハラするから。


「ちゃんといい子にする……! だから……だから!

 ……おねがいそばにいて……!」


「……ねえ……魔法の呪文をおぼえてる?」


「まほうの……じゅもん……?」


「そう。笑顔になる魔法の呪文」


もう少しだけ、私の瞳が耐えてくれますように。

汽笛が鳴った。乗り遅れた人に向けて。


「うん……」


「じゃあ 最後は笑って見送ってよ♪」


もう少しだけ――お星さまの笑顔を取り戻せますように。


「せーの……! はい」


「「ケーキい~~」」


「ふふふ……ばっちりね。

 ……さようなら…………」


もっと伝えたかったことが残っているのに。

もっともっとあなたとしたかったことが残っているのに。

最後にひとつだけ。これが最後だから。いちばん届けたい言葉を――。


「だいすきよ……!!」


意識が遠くなっていく。かすんだ視界の中で、あの子が駆け寄って来る。

ダメよ。こっちに来てはダメ。

お母さんがあの子の手を繋いでいた。あの子は前のめりになりながら叫んだ。


「私も……! だいすき!! リンがだいすきー!!」


私の瞳の海があふれた。やっぱり耐えきれなかった。

周囲の空間に亀裂が入った。体が持ち上がる。

最後の力をふり絞って、私は鳴いた。

同じ種族だけに通じる言葉で鳴いた。


『アルドおにいちゃん……またあの場所に来てくれる?

 時の迷い道……。もうひとつだけ おねがいがあるの。

 ……もうひとりだけ会いたい人がいるの……!』


私は時空の穴に飲み込まれた。

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