第2話 少女と家族
『――ど…………の?』
私はここにいるよ。
『…………して!』
声が出せないの。
『――ッ! …………!?』
悲しまないで。泣かないで。笑ってほしいの。
『…………さい……』
私ならだいじょうぶだよ。
――エルジオン・エアポート――
「……大丈夫か?
時空の穴を通っている間 ずっとうなされてたみたいだけど……」
夢を見たような気がする。
内容は忘れてしまったけれど、覚えていなくてよかったと思った。
頬に手を触れる。濡れていた。涙を流していたことにも気がつかなかった。
顔を手でこする。頬はすぐに乾いた。
「……うん。もうだいじょうぶ……。
ふしぎ。道がなくなってる」
「時空の穴は不安定なんだ。よかった ちゃんと来れたみたいだ」
「ここが 未来?」
「ああ。未来にあるエアポートだ。
……何か思い出せることはあるか?」
淵ぎりぎりまで近寄って、下をのぞきこんだ。風が吹き上げる。
飛ばされないように注意しないと――。
『飛ばされちゃわないように 抱っこしてあげるわ』
なにかが頭の中をよぎった。風と空と体温がよぎった。
遠くない記憶。微かな記憶。まだ、霧がかかっている。
ただ、名前だけ。親しんだ名前だけが口をついた。
「おかあ……さん?」
「何か思い出したのか……!?」
「わたし ここに来たことがある」
「本当か!? ならやっぱり 君が住んでいたのはエルジオンかもしれない。
エアポートを進んだ先にある都市が エルジオンだ。
さっそく向かってみよう」
――曙光都市エルジオン――
「まずは 情報を集めないとな。
この辺で 女の子が行方不明になっていないか調べてみるか」
ここは初めて来た場所じゃないと、私はすぐにわかった。
建物の形。道の色。標識。おどろくほど記憶の空白にぴたりとはまった。
あの店も、あの乗り物も、あの猫も見たことがある。
行ったことがある。遊んだことがある。
でも、どこか他人事だった。
私のことなのに、雲の上から眺めているような。
私が住んでいた場所なのに、私が住んでいた家はないような。
そんな感覚で歩いていた。
「あ! マイティ! ちょうどいいところに」
アルドおにいちゃんの知り合い――信頼している仲間――みたいだった。
道でうたた寝をしている。ゆらゆら頭が揺れていた。
髪の毛は透き通った深海の色だった。
「ちょっと聞きたいんだけど エルジオンで女の子が行方不明になった事件とか
家出した女の子の捜索願いとか 知らないか?」
「……◎◎ー。◎△$♪ー。×¥○&%ー?」
最初はたまたまだと思った。
「そうか……。知らないか……。
じゃあ この子に見覚えはあるか?
名前も住んでいた場所も 覚えていないみたいなんだ……。
エルジオンに住んでいた可能性が 高いんだけど……」
蒼髪のおにいさんが顔を近づける。眠そうな瞳が私を見つめる。
「○ー$……×&△◎○%ー」
2回目はたまたまが重なっただけだと思った。
「そっか……。ありがとう。
ガンマ区画にも 行ってみようか」
「……うん」
アルドおにいちゃんの言葉を聞いて、どこもおかしくないとほっとした。
蒼髪のおにいさんと私は会話をしないまま別れた。
それからしばらく歩くと、丸い煙突のような建物を見つけた。
「ここから別の区画に行けるんだ。
オレも最初は驚いたんだけど 空の中を移動するんだ」
大きな箱に体を乗せた。なにかが外れる音がして、体が浮いた。
でも足はくっついている。箱ごと浮いていた。
私はこれに乗ったことがある。乗るたびに驚いてしまった記憶がある。
そのたびに、抱っこを求めた。
……だれに? 記憶の中の顔は黒く塗りつぶされていた。
ふわーと運ばれて着いたのは、さっきと似た場所だった。
「ここがガンマ区画だ」
箱から下りると、こちらに近づく足音が聞こえた。
「◎△$●$¥♪! #◎△●&$%×¥●&%#♪!」
たまたまが3回続くと、それはたまたまなんかじゃなくて――嫌な予感に変わる。
「シュゼットじゃないか。ちょっと用事があって来ただけなんだ」
近づいてきた人も、アルドおにいちゃんと仲良しに見えた。
「そうだ。エルジオンで この子を見たことはないか?」
アルドおにいちゃんが体をずらすと、私を隠す影がなくなった。
紫と黒のワンピースを着たおにんぎょうさんみたいな顔が私をじっと見つめる。
「△ー$……◎! &×¥○△●&◎♪!
△●&#♪◎△ ×♪○&●#◎♪¥△&♪&◎♪!」
4回目で確信した。本当は1回目から薄々感じていたものを事実として認識した。
わかる人とわからない人。
「そうなのか! ありがとうシュゼット!
さっそく その……なんとか しょこら? に行ってみよう!」
「…………」
アルドおにいちゃんが歩き出そうとしたところで、服の袖をつまんだ。
「どうしたんだ?」
「……この人は なんて言っているの?」
「ん? ……どういうことだ?」
「ことばがもやもやしてるの。
さっき会った あおいおにいちゃんが言ったことも わからなかった……。
ききまちがいだと思ったの。でも なんかいもそうなの。
なにを言っているのか わからないの」
「……おかしいな。オレの言葉は通じるよな?」
「うん。アルドおにいちゃんとは 話せるよ」
「&△%◎% △◎○&●¥○……」
「え!? シュゼットも この子の言葉がわからないのか……」
ふりふりのワンピースのおねえちゃんは少し悩んでから
なにかをポケットから取り出した。そのまましゃがんで、私と目線を合わせた。
「♪◎△●&#♪◎&△ ◎△$♪#&◎♪!」
「これ シュゼットから。プレゼント だってさ」
「♪◎△●&#♪◎&△!!」
「わ わかったよ……。そこも伝えるのか……。
闇のプリンセスからの プレゼントだそうだ」
満足した顔でおねえちゃんが頷いた。
甘い匂いがする。長い棒の上に大きなぐるぐるが乗っている。
ぐるぐるは、白とピンクと黄色のうずまき模様だった。
おねえちゃんが私の手をとって握らせてくれた。
「アメ かわいい。ありがとう フリフリのおねえちゃん」
「フリフリのお姉ちゃんありがとう だってさ」
アルドおにいちゃん越しのお礼を聞くと
おねえちゃんの頬がほんのり上気したような気がした。
フリフリと聞いて、ワンピースの裾をつまんで揺らす。
おねえちゃんと顔を見合わせた。思わず笑いが漏れた。
一言、二言アルドおにいちゃんと会話をすると、おねえちゃんが手を振った。
すぐに意味がわかって私も手を振り返す。――ばいばい。
言葉はわからなくても、心は伝わったような気がした。
おねえちゃんが立ち去ると、アルドおにいちゃんが教えてくれた。
「さっきシュゼットが言ってたんだけど
君を 店で見かけたらしいんだ。
甘いものを売っている なんとかメゾン・ショコラっていう店で
この先にあるらしい。
……何か思い出せることはあるか?」
「あまいもの すき」
だって――。
『あんまり食べちゃダメよ。
家でも食べられるように 買って帰りましょうか』
甘いものは幸せの匂いがするから。
幸せは簡単にこぼれてしまうものだから。
だから――。
壊れてしまわないように。崩れてしまわないように。埋もれてしまわないように。
大事にしないといけないものだから。
「…………たべたことある。
おかあさんと あと…………」
「あと……?」
「すごくだいじな人がいた気がする。
だいじな だいじな おともだち……?」
違う。友達じゃなくて、もっと――そう。
「だいじな わたしの家族」
「そっか。その家族に 君が戻ってきたって 早く伝えないとな」
「うん……!」
おねえちゃんの言う通り、すぐにお店は見つかった。
アルドおにいちゃんが扉を開ける。
お店の中は甘い匂いが充満していた。幸せがあふれだしそうな空間だった。
「ちょっといいかな?
この子の家族が この店に来ていたと思うんだけど……」
「¥◎△$●♪○¥。×¥○&△◎$#¥◎¥●△?」
店員さんの言葉はやっぱりわからなかった。
でも、店員さんは私を見て、考えて、思いついて、そして納得したような顔をした。
「えッ!? ついさっきまで!?」
おにいちゃんは簡単に説明をしてくれた。
店員さんが私を覚えていたこと。
私がお店によく訪れていたこと。
それから、ほんの数分前まで家族がお店にいたこと。
そこには――『私』がいたこと。
「『私』がいたの……?」
「ああ そうみたいなんだ。お母さんと女の子が一緒だったらしい。
でも君はずっとオレと一緒にいたのに お店にいたなんておかしいよな」
「ほんとうの『私』……」
「ん? 何か言ったか?」
「ううん。なんでもない。
なんでわたしがいたのか 知りたい」
「シータ区画に向かったみたいだから 急いで追いかけよう」
おにいちゃんと手を繋いで走った。周りの建物と人がびゅんびゅん過ぎていった。
誰かの背中が見えた。大きい背中がひとつ。小さい背中がひとつ。
――知りたい。私はだれ?
――会いたい。あなたはだれ?
もうすぐそこまで来たとき、私の足が止まった。
だって、小さい背中が振り返ったから。
私はとっさに物陰に隠れた。
「え……!?」
アルドおにいちゃんがすごく驚いた顔をした。私の顔と女の子の顔を見比べている。
やっぱり私はあの女の子とそっくりなのね。
そういえば、迷子になってから鏡を見ていなかったことに気がついた。
鏡がないなら海や湖でもよかったけれど、それすらも見ていないことに気がついた。
水面に映った私の顔さえ見ることができていたら――。
すぐに答えは見つかったかもしれないのに。
あの子のことを思い出していたかもしれないのに。
でも――あの日のことだけは忘れたままがよかった。
「アルドおにいちゃん……」
「君と同じ女の子が……」
「わたし ここで待ってる」
「え?」
「ここで待ってるから おにいちゃんひとりで行って」
「それでいいのか……? 会いたかったんだろ?」
「うん。でも 知ることができたから もういいの」
「もしかして……記憶が戻ったのか?」
「わたしはあの子を知っている。
……知っているから。だから……会えないの」
「そっか……。じゃあ 行ってくるよ」
優しいおにいちゃん。陽だまりみたいなおにいちゃん。
おにいちゃんが離れていく。私は目をつむった。
「ちょっといいかな? いきなりなんだけど……
その子の身の回りで 最近何か起きたことはないかな?」
「そうですね……」
なつかしい声。
「不思議なことが起きたとか 誰かがいなくなったとか……」
「はい それならあります。
実は……飼っていた猫が 亡くなったんです」
お母さんの声。
「違うよ!」
なつかしい声。
「死んでなんかないもん!」
あの子の声。
「何を言ってるの。……リンはもう戻って来ないのよ」
「……ッ! 違うもん!」
悲しまないで。
「ごめん……。悪いことを聞いちゃったな……」
「いいえ。……父親も早くに亡くしたものですから
娘が寂しくないようにと 猫を飼ったのですが……。
つい先日 工業都市廃墟で……」
「リンは生きてるのッ!
お母さんだって リンがどこにもいないのはおかしいって言ったもん!」
泣かないで。
「どういうことなんだ……?」
「それが……遺体が見つからないんです」
「私をかばって大ケガしちゃったけど……でも!
そのあと どこかに消えちゃったの!
だから……だから……! ぜったいぜったい どこかで生きてるの!」
あなたには笑ってほしいから。
「もういい加減にしなさい!」
パリンと割れる音がした。割れたものはあの子が大事にしていた気持ち。
砕けて、どこかへ散って、あとかたもなく飛ばされてしまう。
「……っ! お母さんなんて だいっきらい!!」
もう、待っていなくてもいいのに。
もう、忘れてしまっていいのに。
もう、一緒にいられないのに。
「ちょっと……!」
小さな靴の音。鼻をすする音。幸せにヒビが入る音。
あの日とまったく同じ――悲しみの匂いがした。
――行っちゃダメ……!
私は夢を見た。たくさんの毎日と、毎日が終わるあの日の夢を見た。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます