時廻りの少女は鈴の音色を奏でる

雪水だいふく

第1話 少女と時の旅人

目を開けていちばん最初に映った色は黒。

なにも見えない。もう一度目を閉じた。やっぱり黒。

――ううん。色そのものがないのかもしれない。

数回まばたきをくりかえした。

私は目を開けているのか、閉じているのか、それすらもわからなくなる。


手をぎゅっとしたら、指がてのひらにあたる感覚があった。

うん。わたしに手はあるみたい。

……じゃあ足は? こわかったけど、その場で足踏みをした。

だいじょうぶ。足もあるし、地面もある。でも――。


「ここは……どこ……?」


くらい。こわい。さむい。さみしい。

体はどこも痛くないけど、痛かった。

胸の深く深く奥底にある――心って言うんだと思う――そこがとても痛かった。

息がくるしい。

どんなに吸っても、体のどこかに穴が空いているみたいに抜けていく。

もがいて、もがいて、もがいて、もがいて

ようやく吐き出したかった言葉が見つかった。


『…………だれか……たすけて……!』


声は出なかった。ただ、そう強く願った。

その瞬間、目の前がぱぁと明るくなって、暖かい光が浮かんだ。

私のひとみに黒以外の色が映った。太陽の色が映った。

くるしかった体にちょっとだけ空気が入って、私の中をめぐった。

空気といっしょに、なんだかとてもなつかしい匂いをかいだ。


――チリン。


どこからか鈴の音がする。


――チリン。


音は私の方へ近づいてきた。

音の方へ手を伸ばす。光に照らされた私の手は小さくて白かった。


――チリン。


いちばん音が大きく鳴ったとき、その人は現れた。


「…………君は……?」


陽だまりみたいにぽかぽかした匂いを連れて、その人は現れた。

視界が逆になる。まっさかさまに落ちていく。


「あッ! ……大丈夫か!?」


「やっぱり……ぽかぽか……する……」


抱きとめてくれたその人はやっぱり暖かった。

顔は見えなかったけれど、おぼろげな灯りに服の色が映った。

赤はほのお、青はうみ、金はたいようみたいだった。

もうさむくない。こわくない。私は目をつむった。



声が聞こえる。


『――………………?』


私を呼んでいるのかな。


『………………!』


どうしたの? 聞こえないよ。


『――ッ! …………!?』


ごめんなさい……。どうしても聞こえないの。


『……………………』


私を呼ぶのはだあれ?



 ――時の忘れ物亭――


「………………ん……」


「気が付いたか……! 急に倒れたから驚いたよ……。

 体の具合は どうかな?」


「ぐあい……。こわくないよ」


「……うーん。じゃあ どこか痛いところはないか?」


「うん。さっきはすごくいたかったけど いまはだいじょうぶ」


「それならよかった。

 ……いろいろ聞きたいことはあるんだけど……。

 まず 君の名前を教えてもらってもいいかな?」


「なまえ……?」


「うん。君の名前を教えてほしいんだ」


私は手をのばした。指先がその人の首元に近づく。


「……? もしかして これが気になるのか?」


それに手が触れる。


――チリン。


「おと……きれい」


「えっと……自分の名前は言えるかな?」


「おなまえは……ごめんなさい。

 わからないの……」


――チリン。


またあの音がした。


「ここに訪れた衝撃で 記憶が混濁しているのかもしれないな」


音はもうひとりの暖かさを連れて来た。お月さまみたいな金色の髪をしていた。

ひとみは黒いサングラスに隠れて見えなかった。

首元には同じそれがついている。


「マスター ベッドを貸してくれてありがとう」


「気にしなくていい。

 それよりも その子のことが心配だ」


「ああ。次元の狭間に女の子がいるなんて 驚いたよ」


「帰るべき場所に帰れるといいんだが……」


音の持ち主たちはどこか似ている。ふたりの音。ふたつの鈴。


「ここは どこなの?」


「時の忘れ物亭っていう場所なんだ。

 君が倒れたのは この外に広がる 次元の狭間だよ」


「簡単に言うと 時の迷い道さ」


「ふふ。じゃあわたしは まいごなのね」


「……さしずめ 時の迷い人 といったところか。

 アルド どうするんだ?」


「もちろん この子を元の場所に連れて行くよ」


「アルド……それが あなたのおなまえ?」


「ああ そうだよ」


「……きれいなひびき」


「そういえば さっきも気になっていたようだけど

 君は 鈴が好きなのか?」


「うん。チリン チリン ってとてもきれい。

 さっき このおとがきこえたから こわくなくなったの」


「鈴の音色か……。もう少し 何か手がかりがほしいな。

 ここに来る前 どこにいたとか 誰と一緒だったとか

 覚えていることはないかな?」


「うーん……」


思い出すのは、怖くて、寒くて、寂しくて、痛くて、ひとりぼっちの記憶。

暗くて、赤くて、黒くて、冷たい景色。

それから――。


「…………おそら」


「空……?」


「うん。わたし おそらのうえにいたよ。

 うみがみえないくらい たかいたかいところであるいてた。

 あとね びゅーんって とぶの。

 とってもはやくて めまいがしたの」


「……空の上にいて 海が遠くて 高速で飛行するものがある場所……。

 あ……! もしかして 君がいた時代は未来かもしれない」


「なるほど 未来のエルジオンか。

 それなら 外にある時空の穴を通って行くといい」


「わかった。……起き上がれるか?」


「うん」


ベッドから体を起こして、ふたりが『時の忘れ物亭』と言った建物を見渡した。

入口にある大きな樹を見上げた。幹に触れる。どくん どくんと脈動していた。

室内に満ちた時間がゆっくり廻っているみたいだった。

時間は一方通行に流れるもの。でもここでは廻る。

――そんな言い方が合っている気がした。

私は扉をくぐる前に振り返る。


「またね。えっと……マスター?」


「ああ。気を付けてお帰り」


そう言って、鈴のおじちゃんが見送ってくれた。

目元はよく見えなかったけど、どこか悲しそうに笑って手を振ってくれた。

外は私が迷い込んできたときよりも明るかった。

小さく揺れる外灯が私の足元を照らす。私はおにいちゃんの手を握って歩いた。

右に進んで少し。私の小さな足で10歩くらい。

ぽつんと鉢植えがあった。夕日と太陽が混じったような色をした実がなっていた。


「ぐうぅ……」


「ははは お腹が空いたか?」


「ちょっとだけ……。ぐうううぅ……」


今度はもっと大きなお腹の虫が鳴いた。

食いしん坊みたいで恥ずかしかった。

アルドおにいちゃんが実をひとつもぎ取って渡してくれた。

ひとくちかじる。遠い昔に食べたような……なつかしい味がした……。


『ずうーっといっしょにいようね!』


約束をした気がする。

だれかとしたのか、いつしたのか、まもったのかやぶったのかわからない。

ずっといっしょになんていられるわけがないのに。今はそう思う。

でも約束をしたときは、必ずまもれると思っていた。信じていた。


「行こうか」


アルドおにいちゃんの声が聞こえた途端

私はなにを考えていたのか、考えていたことは私の記憶だったのか

なにひとつ覚えていなかった。

それから右に進んでもう少し。私の小さな足で20歩くらい。

開けた場所に出た。


「わあ……!」


「これが時空の穴なんだ。ここから いろんな時代に行くことができる」


道は海に似た色をしていた。でも海とは違う。ただ、ただ、うつくしいと思った。

時を渡る道は6つあった。

1つ目の道の中をのぞく。森と月の影が見えた。

2つ目の道の先には、1つ目とは違う色深い花と絡みつくような木々が。

3つ目の道の先には、大きなキノコの間を歩く大きな生き物が。

4つ目の道の先には、金色の畑が。5つ目の道の先には、白い砂浜と海岸線が。

そして――6つ目の道の前に立ったとき。


「おそら……」


大空が見えた。空を移動する乗り物が見えた。空の上にかかる地面が見えた。

きらきらおどる欠片に吸い込まれそうになる。

意識が遠のいて、少しだけふらついた。その拍子に、私の体が光にぶつかった。


「あれ……?」


きらきらが私の体の周りを舞う。

きらきら。ぴかぴか。ゆらゆら。


「うわ……! 何だこれは……!?」


しばらく漂ったきらきらは、だんだんと空間に溶けていく。

残ったのは、私とおにいちゃん、それから海の色だけ。

怪物が出たとか、ケガをしたとか、そんなことは起きなかった。

でも、ただひとつだけ違う――。


「服が……変わった!?」


生地の種類、模様、肌触りが変わっている。

着替えたわけでもないのに、どうしてだろう。


「これは……未来の人が着ている服とそっくりだ。

 いったい何が起きたんだ……?」


「アルドおにいちゃん……。わたし しってる」


どうしてだろう。


「ん?」


どうして、わかるんだろう。


「これは 『私』の服よ」

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