番外編 少女たちの祝日

 日曜日の午後、駅前の通りは普段であれば家族連れやカップルなどでとても賑わっていたはずが、今日はまるで違っていた。行き交う人々の数は疎らで、誰も彼もが足早に通り過ぎていく。子どもの姿もほぼ見られず、代わりに赤ランプを点けたパトカーが頻繁に街を往来していた。

 事件は解決していたが、それでも街全体がピリピリとした異様な空気に包まれていた。

 原因は先週の日曜日に起きた駅前の大型スーパー『ジャンボ』の占拠事件だった。   

 今迄、怪人の横行とは無縁の地方都市だっただけに、その大事件に街全体が萎縮して浮足立っていた。



 待ち合わせ場所である山の手行きのバス停のまでやってきた斎藤雪がスマホで時刻を確認すると、時刻はちょうど12時を指していた。

「これで、…何台目だっけ?」

 目の前を通り過ぎていくパトカーをぼんやりと目で追いながら、雪はぽつりと呟いた。ここへ来くるまでにすでに十数回、街を巡回するパトカーを目撃していた。 

「か~のじょ♪」

「きゃ!?」

 突然、雪の首にするりと手が回され、耳元に愉快げな声が吹き掛けられる。

「やめ、なんですか…!?」

 雪は突然のことに気が動転してしまい、体が硬直する。

「一緒にお茶しよ~ぜ~。そ・れ・と・も、新しい衣装つくる~?」

 聞き覚えのあるその声に振り返ると、白と黒のパンダを模したフード付きパーカーに、膝丈までのパンツを穿いた少女は、目深に被ったフードの奥で悪戯っぽい笑みを浮かべていた。

「なっ…なんだ、宮ちゃん…」

 それは斎藤雪が所属するチーム《ブライドシスターズ》のチームメンバーの一人であり、ここで待ち合わせしていた友人でもある朴宮虎であった。

 宮虎が悪戯っぽく笑うと、彼女の三つ編みのおさげも楽し気に揺れる。

「おっす、ユッキ―!おまたへー」

「おどろかさないでよ」

「ニャハハ♪だって、ユッキーがあんまりにも隙だらけだから」

「もう!」

「イヒヒ、お!それユッキ―のプレゼント?」

 宮虎は雪が手に持っているビニール袋を指差して言う。雪が手に持った袋には駅前にある中古CDショップのロゴが印刷されていた。

「あ、うん。色々悩んだんだけど。悠くん、最近クラシックにハマってるって朝陽ちゃんから聞いたから」

 決して高い物ではなかったが、雪の少ないお小遣いの中から、悠のために選んだ一枚だった。

「ん~ハマってるというより、あれは訓練に近いと思うけどね」

「それじゃあウェディングシスターズのDVDとかのほうが良かったかな?」

 ウェデングシスターズとは日曜の朝に放送されている子ども向け番組で、魔法少女が活躍する作品で、何作もシリーズ化もされている人気アニメである。

「気持ちがこもってれば、きっとなんでも喜んでくれると思うよ」

「それだといいんだけど。そういう宮ちゃんは?」

「ん、わて?」

「わて?…うん」

 雪は宮虎が脇に挟んでいる茶色い紙袋に視線がいく。その紙袋にはロゴなど一切なく、おそらくは雑誌などの書籍ということくらいは判断できたが、それ以上の情報を読み取ることが出来なかった。

「これはね~ひ・み・ちゅ♡」

 宮虎は人差し指を口に当てて可愛らしくウィンクする。

「……あっ、バス着たよ」

「無視!?」


 いそいそとバスに乗り込み、二人は適当な長座席に腰を下ろした。

 目的地である赤羽邸は高級住宅地の立ち並ぶ高台からさらに奥まった所にあり、その屋敷の大きさと敷地を取り囲む厳めしい塀から、地元の一部の間では政治家の屋敷などと揶揄されていた。

「ユッキ―はさ、どうしてわざわざウチと待ち合わせしようと思ったの?」

「え、えっと…べつに深い理由はないけど、どうして?」

「だって朝陽の家の場所ならお互い知ってるじゃん。去年、チーム結成した時にも集まったし。集合時間も決めてんだから、べつに揃っていく必要なくない?」

「それはそうなんだけど…なんというか……」

「…何と言うか、一人じゃ行き難かった?」

 雪が言葉を濁していると、それを察した宮虎が代わりに答える。

「うん。…私なんにもしてないのに行ってもいいのかなって…」

「そんなの言い出したら、私も朝陽ちんだってな~んにもしてないじゃん。ぜ~んぶ悠ちゃんの手柄なわけだし」

 先日起きた怪人の占拠事件、それを解決したのが雪たちのチームの一員である赤羽悠だった。

「悠くん、きっと怖い思いをたくさんしたんだろうな…」

「ま、だろうね。噂だとジャンボを占拠してた怪人、大勢手下を引き連れてたらしいから」

「どうしてそんなのが急に……」

「ほんとほんと。ウチみたいなド田舎、今迄は怪人のかの字もなかったのにさ。今じゃ、連日テレビやネットで注目の的だかんね」

「なんだか怖いね」

「それウチらヒーローが言っちゃ駄目じゃね?」

「フフ、たしかにそうだよね」

 沈んでいた雪の表情がわずかに和らぐ。

 そうこうしているうちに、バスは目的地に到着する。

 

 バスを降りた二人は、和風建築の屋敷が立ち並ぶ住宅地の坂道を上っていく。

 五分ほど坂道を進んで行くと、次第に家屋の数も少なくなり、やがて木々が生い茂った木陰の道になる。

 静かな木々のせせらぎと木洩れ日の道をしばらく進んで行くと、周囲の自然と溶け込むように木の塀と立派な屋敷の屋根が見えてくる。屋敷の奥には大きな蔵もあり、如何にも年代を感じさせる造りをしていた。

「あちィ~ちかれた~」

 まるで疲れた様子もなく、だらしなく呟いた宮虎は雪の背中に寄りかかる。

「重いよ~。ほら、着いたよ宮ちゃん」

 ランクは低かった、仮にもヒーローの一員である雪や宮虎がこの程度の運動で音を上げることはまずありえなかった。

 宮虎を適当にあしらいつつ、五メートルはありそうな門の前までやってくる。

「んっん……すぅ~~たのもォォーーー!」

「え、なに!?前回そんなのやってないよね?」

「なんでかな~ここにくるとさ、な~んかしたくなっちゃうのよ」

 すこし間があってから、正面門の隣の小さな木製の扉がゆっくりと開き、中から作務衣姿の小柄な老人が顔を覗かせる。

「ああ、宮坊か~。よう来たね~」

 宮虎の姿を確認した好々爺は二人を屋敷へと招き入れてくれる。

「お、お邪魔します」

「ああ~見た子だね。はい、いらっしゃい」

「爺ちゃん、こんちは!ねえ、たまにはさ~この大仰な門開けて出迎えてよ~」

「ああ~ワシじゃあもう無理無理。代わりに宮坊が開けとくれ」

「しょうがないな~。じゃあ、ユッキ―ちょっと外で待っててくれる?」

「絶対イヤっ」

 どこまでが冗談か判らない、掴みどころのない友人の後を追い、扉を潜る。


 使用人のお爺さんに玄関の扉を開けてもらい中へと入ると、奥から淡い緑色の着物に割烹着を付けたお婆さんがやってくる。

 白く染まった髪とほっそりとした身なりから、高齢であることは察しがついたが、そのきびきびとした立ち振る舞いからはまるで年齢を感じさせなかった。

「まあまあ、ようこそ」

「刀自さん、お久しぶりです」

「あの、お久しぶりです。お邪魔します」

「はい、ようこそいらっしゃました。宮虎さん、雪さん。さあ、どうぞ中へ」

 女性は柔和な笑みを浮かべると、二人を屋敷の奥へと案内してくれる。


 刀自に案内されながら、二人は額縁や焼き物が飾られた廊下を進んで行く。

 いくつもある襖を通り過ぎ、やがて一つの襖の前までやってきた刀自は部屋の中の住人に向けて二人の到着を告げた。

「朝陽さん。可愛らしいご友人方が来られましたよ」 

「ああ、ちょっと待って。――すまない、待たせた」

 襖が開くと、中から白のシャツに紺色のレギンスを纏った赤羽朝陽が現れる。

「まあ、朝陽さん。なんですか、そんなはしたない恰好で――」

 体のラインがくっきりとでる朝陽の恰好を見咎めた刀自は、ややきつい口調で朝陽を嗜める。 

「――ああ、すいません。ついさっきまで道場で訓練してたもので、すぐに着替えますから。…それより刀自さん、お茶とお菓子をお願いします」

 眉間に皺を寄せた刀自が再び何かを言い掛けるよりも早く、朝陽は雪と宮虎の手を引き自室へと引っ張り込むと、そのまま襖を閉める。


「ふぅ、やれやれ…」

「スゴイね、朝陽ちゃん家って道場まであるんだ」

「え?ああ、いや、べつにそんな大した物じゃないから。それよりも挨拶がまだだったな。二人ともいらっしゃ……って、お前は来て早々になにをしてるんだ!」

 いつの間にか二人の視界から消えていた宮虎は、部屋の隅に置かれた箪笥を開けて中を物色していた。

「へ?いや、だって思春期の娘を友に持つ身としては、ここはやっぱグェッ!」

 俊敏な動きで宮虎の後ろに回った朝陽は、鮮やかな動きでチョークスリーパーを決める。

「…ユッキ~、た、タッチ~~」

 もがく宮虎は雪に向けて手を伸ばす。

「宮ちゃん、人様の家ではお行儀よくしなきゃ、メッだよ!」

「高校生にメって、だがそれがい…キュゥ~…」

「さてと、すまないが悠を呼んでくるからもうすこし待っててくれ」

 わざとらしく畳の上で伸びている宮虎を置いて、朝陽は部屋を出て行く。

「うん、わかった」

 朝陽が部屋から出て行くと、入れ替わるように刀自がジュースとお菓子を乗せたお盆を持ってきてくれる。雪がお礼を言ってお盆を受け取り刀自が出て行くと、すぐに宮虎が起き上がりお菓子を摘まみ始めた。


 しばらくしてまた襖が開き、朝陽に手を引かれた悠が――おそらくは寝起きだったのだろう――パジャマ姿のままで部屋に入る。

「あれ、雪さん、宮虎さんまで…どうしたんですか?」

 姉の部屋に二人がいるのが意外だったようで、悠は眠そうだった目をぱちくりさせる。

「お邪魔してます、悠くん」

「おはよ、お寝坊さん。どうしてって、祝いに来たに決まってんじゃん!」

「すまんな悠。お前を喜ばせようと思って、いわゆるサプライズだ」

「はぁ…」

 つかの間、部屋の中に微妙な空気が流れる。

 朝陽たち三人からすれば、悠を驚かせて喜ぶ悠の顔を見る計画のはずだったが、当の悠は驚きこそすれ、喜んでいるようにはとても見えなかった。

「…あっそうだ。えっとね、プレゼントがあるの。はい、悠くん」

 気まずい空気を変えようと、機転を利かせた雪は持ってきた袋をサッと悠の前に差し出す。

「…わぁ、ありがとうございます。雪さん」

「わざわざすまんな、雪」

「いえいえ、高い物じゃないから気にしないで」

「ユッキ―があげるならついでにウチも。はい、悠きゅんどうぞ~」

「宮虎さんもありが――」

「――ん!」

 宮虎が差し出したプレゼントに、横合いから朝陽の待ったがかかる。

「ダメダメ、これは悠のだから。朝陽にはまた今度ね~♪」

「誰がくれと頼んだ。そうじゃなくて一応、検閲させてもらうぞ。宮虎のことだからな。万が一にも私の大事な弟に良からぬ物を渡されてはかなわんからな」

「え、そんな…まっさか~もっと友人を信じてよアハハ……」

 朝陽に疑いの眼差しを向けられた途端、宮虎の言動があからさまに怪しくなる。

「いいからさっさと見せろ!」

 宮虎の手から紙袋を奪い取った朝陽は部屋の隅まで移動し、三人から見えない位置で中身を確認する。

「……宮虎ッ!貴様――」

 朝陽の手がプルプルと震え、顔がみるみるうちに悪鬼の如く変貌していく。

「――よくも、こ、こんな破廉恥な物を!」

「いや~、あの、ホラ、悠も五年生だしそろそろかな~なんてアハハ…ゴメンね♪」

「許すかァァッッ!!」

 当然許されるはずもなく、宮虎は本日二度目のチョークを極められるのだった。


「それじゃ、仕切り直しといこう。改めて――」

「遅いぞーはよしろー」

 遅くした元凶であるはずの張本人から間髪入れず野次が飛ぶ。

「誰のせいだ!」

「悠くんもお菓子どうぞ」

「…うん、ありがとう雪さん」

「コラ、そこも私語は慎む。…コホン。それでは改めて、皆も知っているとおり、我が町で起きた未曽有の大事件、大型デパートジャンボの占拠事件だが、我がチームの一員である悠の健闘により、大きな被害もなく無事解決となった。その活躍への褒章として悠のヒーローランクが昇格することとなり、その恩恵により、我らが『ブライドシスターズ』のチームランクも昇格となった。…では、これを祝しまして――」

「「「――カンパーイ!!」」」

 朝陽の音頭に合わせて皆でグラスを掲げる。

「いや~めでたい。私、な~んもやってないけど。ニャハハ」

「悠くんはこれでCランクに上がれたんだよね」

「…ええ、たしかそうです…」

 どこか他人事のように、悠は俯いたまま応える。

「これで悠は公務員並みのお給料が毎月入ってくるのか~いいな~」

「宮虎、下世話なコトを言うな。それに悠はそれに見合うだけの活躍をしたんだ。当然だ」

「そうだよ、宮ちゃん。それに私たちのチームだってDランクに上がれたんだからさ。みんなで一緒に喜ぼうよ」

「まあ、それもそっか…。ウチの予想じゃ、Eランで数年は足踏みする予定だったからね~」

「そんなに?私たち結構頑張ってるつもりだったんだけど…」

「ああ、雪は詳しく知らなかったのか。Dランクは一般的には下位のヒーローランクとされているが、実際はきちんとした実績がなければなれない階級なんだ。端的に言えば犯罪組織や怪人相手の実戦を何度かこなす必要がある。命懸けの戦いを繰り返して、ようやく上がれる階級なんだ。Dランクはな」

「ウチら夜回りしたり、地域の防犯イベとかには沢山出たけど、そんなのいくら積み重ねたところでDランには上がれないのよ~」

「…そう、なんだ」

「そんなわけだから、悠にはホント感謝だわ!ヨッ!未来のBランヒーロー。一生着いていきますゼ~旦那~」

「…ボクが頑張ったわけじゃない」

 消え入りそうな声でそう告げた悠は、悲し気な顔で手に持つグラスをみつめたまま、中のジュースを飲むこともなく、ゆらゆらと揺らした。

「「………」」

 どこか思い詰めたような悠の様子に、三人は困ったように互いに顔を見合わせる。

「悠、せっかくみんながこうしてお前の活躍を祝ってくれてるんだから――」

「――祝ってもらえるような事してないのに?」

「ッ……」

「あの、悠くん。もしかしてだけど、なにか悩んでる事とかあるのかな?もしよければ私たちに話を訊かせてくれない?」


「……ボク、祝ってもらえるコトなんてしてない」

 雪の親身な気遣いに、長い間を置いてから悠はぽつりと呟いた。

「えっと、それってあの人質事件のことだよね。私はニュースでしか知らないけど、たまたまそこに居合わせたヒーローが怪人を撃退して人質を救出した、ってテレビで報道されてたけど…。それが間違いなの?」

 悠はちいさく頷いた。

「「……」」

 悠が嘘をつくような子ではない事は当然三人は知っていた。

「悠――」

 朝陽は悠の近くに座り直すと、ゆっくりと落ち着かせるような声音で訊ねる。

「――あの時、なにがあったのか、姉さんに教えてくれる?」

 さらに長い沈黙の後、ぽつぽつと悠は語り始める。

「ボク、あの時、屋上にいたの。そしたら警備の人が駆け込んできて、『すぐに逃げなさい』って。訳が分かんなかったけど、逃げる人たちに混じってボクも非常口まで走ったんだ。そしたら中からたくさんの人の声が聞こえてきて…。ボクはヒーローだから何かしなきゃって思って中に戻ったんだけど……」

「悠、つらいのなら無理に話さなくて――」

「――ううん。大丈夫、お姉ちゃん」

 姉として弟を不憫に思い、気遣いをみせたつもりだったが、意外にも悠は姉の気遣いにキッパリとした返事をする。

「逃げてるうちにロボットに見つかっちゃって…、もう駄目だって思った。――そしたらね、スゴイんだよ!ヒーローがね、本当のヒーローが助けに来てくれたんだ!」

 みるみるうちに悠の表情が晴れやかになり、目が輝きはじめる。

「うお、まぶしっ?!天使かっ!?天使だった!」

「宮虎、話の腰を折るな!…悠、続けてくれ」

「うん。えっと、突然現れたその人に助けてもらったんだ。あのね、鳥みたいにブワッと登場して、あっという間にロボットをやっつけちゃったんだよ。もう、すっごくキレイでカッコよかったんだ!」

 さきほどまでの陰鬱とした表情から一転して興奮気味に当時の様子を語る悠に三人は戸惑いや怪訝な表情を浮かべる。

「じゃあ、悠くん。もしかして、その助けてくれた人が人質を…?」

「うん、そうだよ。ボクを助けてくれた後、そのお姉さん、人質も助けに行くからボクに隠れてるように言ったんだ。…でも、どうしてもジッとしてられなくて、お姉さんの後をコッソリ着いて行っちゃった」

「この街にウチら以外にヒーローっていたっけ?」

「どうだろう…。この街の専任となると、私たちくらいだと思うが」

 悠の話を訊いた宮虎が朝陽に心当たりを訊ねたが、朝陽にもまるで思い当たる節はなかった。

 のどかで平穏な田舎の街にヒーローの需要は乏しく、当然ながら有力なヒーローが着任することはありえなかった。


 その後も、悠は自らの体験を身振り手振りを使って熱心に三人に話して聞かせる。

「――それでね、逃げた人達に怪人が襲い掛かるんだけど、間一髪でヒーローのお姉さんがビューンて飛んで人質と怪人の間に飛び込んで――」

 悠がそのヒーローに傾倒しているのは誰の目からもあきらかだったが、あまりに熱が入り過ぎていたため、言うつもりのない情報まで漏らしてしまう。

「ちょ、ちょっと待って、悠。そのヒーローって女性なのか?」

「あっ!?…えっと、言わなかった?」

 悠はしまった、という感じに口を手で押さえる。

「いやいや、言ってなかったぞ。なあ?」

「ええっと、…うん。言ってないかな?」

「ん、ウチは最初に悠がキレイって言ってたから、なんとなく女だと…」

 三人の少女の視線が悠に集まる。

「――ちょっとトイレ」

 沈黙が続いた後、急に立ち上がった悠はサッと部屋から出て行こうとする。

「宮虎!」

「アイアイ~」

 即座に朝陽の意を汲んだ宮虎は、するりと悠の体に手を回して搦め取る。

「ヤァ、もう、やあー」

「ニシシ、つーかまーえた♪全部吐くまで逃がさないぞ~」

「ちょっと二人とも、悠くん嫌がってるし、無理やりは良くないよ」

「宮虎放してやってくれ。それと雪、勘違いするな。これは私たちのチーム、ブライドシスターズにとって、とても重要な事なんだ。…実を言うと、悠はあの事件の後からずっと臥せっていたんだ。はじめは頭に怪我を負ったから、それが原因かもと考えた。PTSD(心的外傷後ストレス障害)の可能性もあったが、そのどちらもハッキリとはしなかった。そんな折、協会から昇級の通知が届いたんだが、それから目に見えて悠の症状が顕著に現れてな」

「あ~だから、わざわざウチらを呼んだのね。変なトコでヘタレだよね、朝陽は」

「悪かったなヘタレで。――悠、私はお前が心配なんだ。お前は私の弟だ。この世でたったひとりの大切な弟だ。お前が落ち込んでいたら私も落ち込むし、お前に心配や不安があるのなら、出来る限りそれを取り除いてやりたいと思ってる。姉としてな」

 朝陽は膝立ちになり、悠の手をそっと握ると、同じ目線で悠に語り掛ける。

「なぁ、教えてくれないか。救出劇の後、お前になにがあったんだ?」

「……っ。誰にも言わない?」

「ああ、言わない」

 朝陽の返事に、雪と宮虎も無言で頷いた。

「言うなって言われたの」

「一体誰に?」

「協会のおじさん…名前忘れちゃったけど」

「何について…、もしかして悠や人質を助けてくれたヒーローの事を黙っておくようにって事か?」

「…うん」

 こくりと頷いた悠の瞳からは、怒りと自責の念の込もった涙がポロポロとこぼれ落ちる。

「そうか…すまなかった、悠。辛かったろうに」

「どうして言っちゃ駄目なの?あんなに頑張ってくれたんだよ?」

 ヒーローに憧れ、その憧れのヒーローと直に接した少年にとって、大人の不条理な判断は到底納得できるものではなかった。そのために少年は夢と現実の差異に打ちのめされ、答えの出ない煩悶を己の内に抱えてしまった。

「「……」」

「どうしてなんだろうな…」

 少女たちも明確な答えは持ち合わせていなかった。それが利己主義の大人だと、凡庸な答えを返すことも出来たが、そんな答えでは少年が納得しないことは判り切っていた。


 しばらくして、雪と宮虎が二人を宥めたことで、幾分かは部屋に平穏が戻ってきたかが、それでも怒りの治まらない朝陽により、悠とチーム昇級お祝い会はヒーロー協会抗議集会へとすり替わる。

「そういや協会ってさ、外面だけは良いけど天下りやら、利権絡みで内側は相当ドロドロらしいよ」

「国がバックについている大企業だからと好き放題しおって。本来であれば、度量の深さをみせて国民に透明性を見せるべきところを、なんて器量の狭い連中だ」

「すこしでも隙を見せると、国の機関に調査に入られちゃうからね。だから、せめて外面だけでも良く見せとこうってコトでしょ。ちゃんとお仕事してますよ~って」

「私たちってそんなところに所属してるんだね。なんか、やだなァ…」

「おのれ、下衆共がよくも私の可愛い弟を…」

 溺愛する弟の頭を優しく撫でてる姉は、しかし、その目には未だに烈火如き怒りが燻ぶっていた。


「でもさ、ウチらの地元にそんな頼もしいヒーローが居てくれたってのは、正直ちょっと嬉しいっていうか、なんか心強いところはあるよね」

 ひとしきり協会への悪口も尽きた頃合いを見計らい、宮虎は別の話題を振る。

「ん…まあそうだな。もしまた同じような事件が起きた際には私たちとも共闘する機会があるかもしれん。不謹慎な言い方になるが、すこし楽しみではあるな」

「でしょ♪…あ、そういや悠。そのヒーローって結局名乗ったりしたの?」

「え、いやそれは…えっと……」

 突然話題を振られ、悠は戸惑いの表情を浮かべる。

「あ、それ私も気になります!」

「協会にも所属せず、颯爽と現れるヒーローか。まるでテレビの中の存在だが、たしかに私も興味はあるな」

「うぅ…でも…」

 期待に満ちた三人の視線から逃げるように、悠は顔を背ける。

「協会に口止めされてた事も喋っちゃったわけだし、もう言っちゃえよ~」

「ここにいる三人は約一人を除いて口は堅いからな、安心しろ」

「そうだぞ~喋っちゃ駄目だかんね、ユッキー」

「え!?あっはい」

「お前だっ!」

「……」

 三人がいつものやり取りを繰り広げている最中も、悠はこの場にいるのが落ち着かない様子で常に目が泳いでいた。

「ねぇねぇ、教えてってば~?…ねえ、もしかしてウチらも知ってる人だったり?」

「――うっ?!」

 顔は笑っていながらも、心を見透かすような宮虎の鋭い視線が悠に突き刺さる。

「宮虎は誰か思い当たる人物がいるのか?」

「ん~まあ勘だけどね」

「宮ちゃんの勘ってスゴイ当たるよね」

「マ…ぁ…さん」

 もはや言い逃れできないと観念した少年は、囁くように呟く。

「なに?よく聴こえなかったが?」

「マリア…さん」

「まりあ?そんな名前の知り合いいたか?」

「えっと…」

「ぁ…」

 悠が雪の方をチラリと見た直後、何かに気づいた雪の口からちいさな声が漏れた。

「…たぶん雪さんの想像どおりだと思う」

「あちゃ~、やっぱそういうことか。さっきはさんざん協会の悪口言ったけど、そりゃ隠したがるわけだわ~」

「ちょっと待て。もしかしてもう皆解ってるのか?解ってないの私だけ?」

「ヒントいる~?」

「くっ、いらん!」

 朝陽はそう言うと、うーんと唸り声を上げながら腕を組んで考え込む。

 そんな朝陽を三人はしばらく見守っていたが、先に業を煮やした宮虎がスマホを取り出して動画を流し始める。

 それは昨今、この街で連続的に起きている怪人絡みの事件を扱ったニュース動画で、解説の冒頭で最初に起きた博物館の盗難事件が流れた直後――

「――はああぁぁ!?」

 突然、朝陽は素っ頓狂な奇声をあげる。

「そういうコト」

「そういうコト?!どういうコトだ!?そもそも奴も同じ怪人だろうが!どうして怪人同士で争ってるんだ!」

「いや、そこまでは知らんけど…仲間割れとか、派閥とか色々あるんじゃない?」

「ハァ~、なんて迷惑な連中だ。そんなに争いたいなら同族だけで好きなだけ殺し合えばいいだろうに…」

「――マリアさんのコトを悪く言うのはやめて」

 その言葉が決して本心から出た言葉ではないと分かってはいても、自分にとってのヒーローに悪態をついた姉を悠は真剣な眼差しで咎めた。

「……ぅッ」

 これまで弟に反抗的な態度など取られたことのなかった朝陽は戸惑いの表情を露わにする。

「あの、あの、でもね朝陽ちゃん。マリアさんにもきっと深い事情があると思うの。博物館から首飾り盗んだ時も、悪者に悪用されないためで、いずれ必ず返すって本人も言ってたし…」

「そうそう。べつにウチらが急いで結論出す必要もないでしょ。それにさ、これだけウチらと遭遇率高いんだから、そのうちまたエンカウントするって。そん時に訊きゃいいっしょ」

 気まずくなった二人に、雪と宮虎は助け舟を出す。

「また、会えるといいな…」

 誰に言うわけでもなく、悠はぽつりと呟く。その瞳は夢見る少女のようで、頬はほんのりと赤みを帯びていた。それは誰の目からも恋心を抱いているのが一目瞭然だった。

「おやおや~、どうやら悠きゅんは憧れのヒーローに会っただけじゃなくて、初恋の相手まで見つけちゃったのかな~?」

「えっ!?そ、そうなの悠くん?」

「な、なんだと!?」

「…ちが…ぅょ…」

「まさか、悠!あのふしだらな格好の怪人となにか…いや、なにかされたのか!?」

「悠くん!わ、私もできればマリアさんのこと、もうすこし教えて欲しいです!」

「――てかさ、ウチらどんだけ色恋沙汰に飢えてんのよ?仮にもウチら花のJKなのにさ。なんでドイツもコイツも浮ついた話の一つもないわけ?まあ、ウチもないんだけど!つーわけで先輩、恋の手解きオナシャース」

 恋というワードに敏感に反応した少女たちは揃って、悠に詰め寄る。

「そ、そんなこと言われてもなにも――」

 恋に恋焦がれる少女たちの気迫に気圧されてしまった悠の脳裏に、あの戦いの後、自分の額に触れたマリアの唇の感触が甦り、途端に顔が紅潮してしまう。

「どしたの?」

「べ、べつに…」

 怪訝な表情を浮かべた宮虎が悠の顔を覗き込むと、悠は反射的に額を手で覆い隠してしまう。

「ん?――ハッ、隊長!隊長!?」

「な、なんだ宮虎!?というか隊長って…いや、だが存外悪くないな」

「――んなのどうでもよくて!あれ!今の悠きゅんの反応なんかおかしかった!今のスッゴイ不自然だったし、あきらかに悠きゅんまだなんか隠してる!ウチの乙女センサーがウィンウィン唸ってる!」

「それ壊れてるんじゃないのか?」

「…えっと、乙女云々はともかく、私もそんな感じちょっとしたかも?」

「でしょ!…てか何気に二人ともヒドくない?」

「どうなんだ、悠?」

「……ちょっとだけ」

 もはや言い逃れは出来ないと観念したのか、悠はきまり悪そうに呟いた。

「ゴクリ…つまり、おでこにしてもらったってこと?」

「……うん」

「いいなァ悠くん…」

「ふぇ!?」

 気恥ずかしそうにちいさく頷く悠を見ていた雪の口からポロリと本音がこぼれる。

「あの女ッッ!?私だって、ここ最近は悠が嫌がるからチュウ出来てないんだぞ!低学年の頃はあんなに毎日朝晩欠かさずしてあげてたのに!」

 友人たちの冷ややかな視線を物ともせず、朝陽は憤りを露わにする。

「うわぁキモ…」

「み、宮ちゃん!そんな言い方しちゃダメだよ」

「家族なら当たり前だって、お姉ちゃん言ってたけど、クラスの皆に訊いたら誰もしてないって」

「「ああ…」」

 雪と宮虎は揃って、悠に同情の眼差しを向ける。

「オホン!そんなコトよりもだ。何故、その事を私に言わなかったんだ。悠?」

「…言ったら、お姉ちゃんきっと怒って、無理矢理に洗われちゃうと思ったから」

「あーたしかに。朝陽なら絶対言ったしやったね」

「う、うるさいぞ、宮虎!…部屋にこもりっぱなしの弟を心配してみれば、落ち込んでいたり、かと思えば妙に色気づいたり、結局は全部あの女絡みか…」

「ごめんなさい」

「ハァ…。お前が謝る事じゃない。ブラックマリアも…私の弟に触れた事についてはまだ怒りが収まらんが、命を助けれらたのもまた事実だからな」

 叱られた子どものように項垂れる悠に、朝陽はやや呆れた様子でやさしい言葉をかける。

「おー朝陽、おっとなー」

「宮虎、茶化すな。――悠、お前の悩みは理解した。残念ながらその悩みを解決してあげることは私たちには出来ないが…」

「でもね、悠くん。みんなに話したらすこしだけ気持ちが楽にならなかった?私たちはチームなんだから、悩みがあっても一人で悩まずにできれば私たちに相談してほしいの。今回みたいに解決はできないかもしれないけれど、同じ悩みを共有することで、気が楽になることって結構あると思うの」

 朝陽の言葉を後押しするように雪は語り掛ける。

「うん、…グスッ、ありがとう」

 潤んだ瞳をパジャマの袖で拭った悠は、仲間たちに感謝の気持ちを述べた。


「え~っと、つまりこれで一件落着ってコトでいいのん?」

「ああ、そうだな。二人にはわざわざ足を運ばせてしまってすまなかった」

「ううん、気にしないで朝陽ちゃん」

「そうそう、ウチら仲間なんだから。あ、でもどうしてもお礼がしたいってならランチをご馳走してくれてもいいよ?」

「もう、宮ちゃん!」

「ははは、いや構わないよ、雪。そもそも最初からそのつもりだったからな。今頃、刀自さんがご馳走の用意をしてくれているはずだ」

「やったーーい!刀自さん、和洋中華なんでもござれだから大好き♪」

 ご馳走と聞いて大袈裟に喜ぶ宮虎に、他のメンバーの顔からも自然と笑顔がこぼれる。

「――っと、その前に、悠」

「え、なに?」

「お前は食事の前に、ちゃんと風呂に入ってくるように。いいな?あれから全く入ってないんだろ?一週間分の垢をしっかりと落してこい」

「んーでも、ボクもうお風呂には入らないって決めたら」

 まるで大した事でもないかのように、悠は平然と言ってのける。

「あー朝陽…やる?」

「…すまん、宮。たのむ」

 すべてを察した宮虎が朝日に言葉短く訊ねると、朝陽も理解したようで端的に了承する。

「わっ!?」

 それぞれ悠の脇に腕を回すした朝陽と宮虎は、ヒョイと悠を持ち上げると、そのまま風呂場まで連れて行ってしまう。

「……えっと」

 あとには雪だけが部屋に取り残されてしまった。


 しばらくすると、朝陽と宮虎、そして悠の声に混じって、騒ぎを聞きつけてやってきた刀自の怒鳴り声も加わり、お風呂場は混沌とした場へと化していった。


 









































 











 

 

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