襲い来る運命(7)

 徘徊しているロボット戦闘員たちを蹴散らしつつ、地上の出入り口を目指して突き進んでいく。

 途中、気掛かりで何度か後ろを振り返ってみたが、小学生くらいの見た目にも関わらず、悠はマリアの足にもしっかりと着いてきていた。

 地上へ続くらせん状になった坂道を中程まで進んだ辺りで、上の方からざわめき声と悲鳴がこっちまで聞こえてきた。

「お姉さん!?」

 家族の無残な姿が一瞬だけ脳裏に浮かんだ。

「急ごうッ!」

 

 焦燥感に駆られながら全速力で坂道を上り切り、入り口が目視できる位置まで辿り着いたところで、ようやくフレイムガンの姿を捉えることができる。

 残念ながら、入り口のシャッターは閉じたままで、その前には二十人近くの人質たちが立ち往生していた。ある者は我が子を背にして立ち、ある者は我が子を抱えて震えていた。

 人質の中には姉貴と奏の姿もあり、それを確認した瞬間、まるで数年来の再会のような懐かしさにも似た感情が沸き上がる。

 緊張した面持ちだが毅然とした表情の姉貴と、姉貴の肩に顔を埋めた奏は微かにだが背中が震えていた。


 そして人質たちの前には、まるで立ち塞がるようにしてフレイムガンが両腕を構えて、こちらに背を向けて立っていた。

「フレイムガンッッ!!」

 手にしたメデューサをフレイムガンに向けて振るう。飛び出した大蛇が即座にフレイムガンに襲い掛かるが、フレイムガンが振り向きざまに放った炎に難なく阻まれてしまう。

〈…やはり追って来たか、マリア〉

「お前の目的は私のはずだろ!無関係な人たちをこれ以上巻き込むな!」

〈無関係というならマリアよ、貴様こそ、なぜコイツらを見捨ててしまわない?今日、この場に居合わせてしまっただけの不幸な奴ら、俺様たちに何の関係がある。わざわざ情けをかけるなど、結社に属す者として、貴様こそ恥を知れ〉 

 関係があるかだと?そんなの大アリに決まってるだろ!と、言ってやりたい気持ちをグッと堪える。

 怒りを込めた瞳でフレイムガンを睨みつけたつもりだったが、視線はどうしても後方にいる人質の方へ向いてしまう。皆、一様に恐怖で顔が曇り、子どもたちのすすり泣く声が聞こえる。

 今はどうにかして人質からフレイムガンを引き離す必要があった。


「…フンッ!いつから結社は童のように癇癪を起こして暴れ回る狼藉者の集団に成り下がったのじゃ?」

〈なんだと…!〉

 オレの意図を組んでくれたのか、宝石がいつにも増して饒舌に話し始める。

「結社の教義たる“悪を為せ”とは本来、妾たちの創り主たる“ネイムレス”様から賜る極致にして究極の恩寵。単に冷酷非道で在れば良いという浅薄なものではない。お主も、そしてボルカノの奴も結社の教義を歪めて曲解しておる」

〈――黙れっっ!ただの首飾り如きがこの俺様に説教をするなッ!己が果たすべき本分を忘れた出来損ないの怪人共がっっ!!〉

 宝石の挑発に激昂したフレイムガンが吠える。

〈どちらにせよ、貴様らと語らうつもりなどない――そしてマリアよ、もはや貴様を五体満足で攫う気も失せた!お前の四肢を焼き切って、ついでにお前の目の前でここにいる客共を焼き殺してやる。そうすればいくら生意気な貴様でも、すこしはしおらしくなるだろうからな〉


「そんなこと、さ、させないんだから…」

 一触即発の空気の中、オレが口を開くよりも先に、なんとオレの背後から震え声だが抗う声が上がった。その声の主は当然ながら悠だった。

〈…なんだ、この虫けらはっ!!〉

「――ッ!?」

 怪人の怒号にビクリと体を震わせた悠だったが、逃げ出すようなことはなく、涙が滲む瞳でしっかりとフレイムガンの視線を受け止めていた。

「お前なんて、怖くないもん!マリアお姉さんと…ボ、ボクがやっつけるんだから」

 少女の予期せぬ言葉に、その場にいた誰もが一瞬、唖然とした。

「これ小娘、自分からばらしてどうする」

「え、…あ、わわわ!?ゴメンなさい」

 宝石だけは何か察しているようで悠を嗜めると、悠は赤面してオロオロする。 


 緊迫した状況のはずが、なんともゆるい空気が辺りに流れる。

 直後、不意にフレイムガンの腕がこちらに向けられる。正確にはオレではなく、オレの隣にいる悠を狙ったものだった。

「きゃっ!?」

 悠の腕を引いて後方に飛ぶと同時に、直前までオレたちが居た空間を燃え盛る炎が薙ぎ払う。炎が通り過ぎると、今迄いたアスファルトの床が黒く煤けていた。

「お、お姉さん…」

「悠ちゃんは下がってて」

「…でも」

「マリアの言う事を聞け。小娘は戦闘向きではないのじゃろ?歯がゆくとも、今は己の役割を果たすのじゃ」 

「…はい、わかりました」

 素直にこくりと頷いた悠は、通路奥の柱の陰へと素早く身を隠す。

 二人の会話の内容はほとんど理解出来なかったが、悠が素直に従ってくれて内心ホッとした。


 矢継ぎ早に放たれる炎を右へ左へと躱しながら隙を伺うが、敵もそれは察してるようでなかなかこちらに隙を見せず、反撃の機会はなかなか訪れない。

 おまけに寸でのところで炎を躱しているために、ジリジリと体力だけが奪われていく。

「――マリア、逸る気持ちは判るが、決して勝負を急ぐでないぞ」 

 まるで心を見透かしたように宝石がオレを嗜める。

「そんなのわかってる!」

 自分とは対称的に冷静な口ぶりの宝石に苛立ち、反射的に言い返してしまう。

「ことを急ぐあまり、軽率に動くのは諦めと一緒じゃ!」 

「それじゃあどうしろっていうんだっ!」

 距離をとってしまえば、今度は家族や人質が危険に晒されてしまう。どうしても引くわけにはいかなかった。

〈クハハハッ!〉

 不敵な笑い声を上げたフレイムガンは、こちらに向けていた腕の片方を人質へと向ける。

「――くッ」

「待てっマリア!!」

 宝石の制止も聞かず、無我夢中でフレイムガンに突進した。

〈愚か者めがッッ!〉

 オレの動きを予期していたフレイムガンが鈍器のような腕を振り下ろすが、それをなんとか受け止める。同時に、手から腕にかけて激痛が走る。

「クウゥゥゥ」

 なんとか組み合った状態を維持するが、それも長くは続かず、怪人の腕力に圧されて次第に体勢が崩れていく。

〈なるほどな、ボルカノの奴もこんな気分だったのだろう〉

「クッ、なにが…」

〈嗜虐を好むのは我ら怪人にとっては至極ありふれた感性ではある。だが、幹部候補として造られた高嶺の花であったお前が、今、こうして俺様の目の前で苦悶の表情を浮かべながら崩れ落ちようとしている。その姿はなんともそそられる…〉

 丸ガラスの奥のレンズの瞳が妖しく光り、顔をこっちにグッと近づけてくる。


 ――Ave Maria


 怪人の耳障りなざらざら声に混じって、さきほども聴いたあの不思議な歌声がまた聴こえてくる。前回とは違い、今回は歌声のする方向まで分かった。それは後ろからだった。


「いいかげん――」

 とっくに限界を向かえていた体に少しずつ力が戻ってくる。

〈…ああ、とても美しいぞマリア〉

「――黙れ!この変態ッッ!」

 今迄、堪えていた足の片方でフレイムガンの頭をおもいっきり蹴り上げる。

 ガツンという鈍い音とともに、衝撃でフレイムガンは頭を仰け反らせるが、それでも体勢を崩すほどの効果はなかった。

〈図に乗るなッ!小娘がッ!!〉

 途端に口調が荒くなったフレイムガンは両腕でオレを掴むと、天井へ向けて放り投げた。

「ガハァッ!?」 

 体勢を変える間もなく、コンクリートの天井に強かに背中を打ち付け、そのまま、みっともなく床にべたりと落ちてしまう。

 間近から悲鳴が上がる。どうやら落ちた場所は人質達が固まっていたシャッター付近だったらしい。

「イッテェェ…」

 全身を襲う痛みに耐えながら、膝に手をつき、なんとか立ち上がる。

 オレがよろよろ立ち上がると、途端に周りから悲鳴に似た声が上がり、蜘蛛の子を散らすように周囲の人々のほとんどがオレから距離を取ろうとする。

「……」

 べつに感謝されたいわけでも、気遣いが欲しいわけでもない。オレの近くにいれば当然戦闘の巻き添えを受けてしまうのだから、周りの人達の反応はなにも間違ってはいない。…いないのだけど、それでも、それはあんまりじゃない?

「マリア、まだやれそうか?」

「…あぁ」

 柄にもない宝石の気遣いの言葉に強がって見せるが、きっとバレているだろう。

 

「まりあ…しゃま…」

 オレの名を呼ぶ弱々しく幼い声に、反射的に声がした方へ振り返った。

「――!?」

 驚きのあまり咄嗟に声が出ない。目の前、手を伸ばせば届きそうなほど近くに姉貴と姉貴に抱かれた妹の奏がいた。

「……ぁ…いたそぅ…まりあしゃま…」

 奏は泣き腫らしたのだろう、赤い瞳でオレを見つめ、悲しそうにつぶやく。

 二人からすれば今のオレはこの上なく妖しいだけの赤の他人にすぎない。現状、自分たちが置かれた立場を考えれば、そんな余裕などないはずなのに、それでも二人は哀痛と同情の入り混じった表情でオレを見つめていた。

「あ――」

 ようやく家族と再会できた安堵からか、張り詰めていた心が緩みそうになるのをなんとか堪える。何か気の利いた台詞を言おうとするが、生憎となにも浮かんでこなかった。

「――」

 仕方なく二人に向けてニコッと微笑んでみせる。苦痛と疲労で、はたして上手く笑えたか疑問ではあったが、そんなオレに応えるように奏も「エヘッ」と歯を見せてほんの少し笑ってくれる。

「むり…しないで…ね…」

「ありがとう。…すぐ、お家に帰してあげるからね」

 咄嗟に口に出てしまった自分の言葉に呆れてしまう。勝算もないくせに何を言っているんだオレは。

 立ち上がり、二人に背を向けて歩き始める――

「ねぇね、…にぃににあいたい」

「うん、あたしも。はやくあの馬鹿の顔が見たい。大丈夫だからね、きっとすぐに帰れるから…」

――数歩進んだところで、二人の悲痛な声が耳に届く。それは胸がしめつけられるような、だが同時に傷ついた自分の背を押してくれる声でもあった。


「良かったのか?」

 宝石が小さく呟く。

「…ぅん?」

「人質たちを焚きつけて囮に使えば、もしかしたら、お主の家族だけは救えたやもしれぬぞ?」

「そう、かな……そうかも。…でも、止めとく」

 はじめに此処へ来ると決心した時であればきっとそうしたのだろう。

 しかし、今は不思議と宝石に言われるまで、そんな考えは微塵も頭に浮かんでこなかった。

「そうか…やれやれ…」

 納得したというより、諦めたといった様子で宝石はそれだけ呟いた。

「…わるい」

 返す言葉がそれ以外になにも浮かばなかった。


 家族を守るためにフレイムガンの前に進み出る。

 フレイムガンは両腕の銃口をこちらに向けて、すでに臨戦態勢で待ち構えていた。

〈もう、お別れは済んだか?〉

 勝利を確信しているらしく、嬉々としたフレイムガンの不快な声が地下に響く。

「お前との別れを惜しむ気は全くない」

〈ハッ、口だけは達者だな!〉

 フレイムガンの両腕から炎が溢れ出ようとした瞬間、メデューサを振るう。

「守れっメデューサ!!」

 柄の先から出てきた大蛇に命じると、蛇はその胴体をグルグルと渦のような円を描いて、瞬時にオレと人質たちの前に巨大な丸い盾が出来上がる。

〈ただの時間稼ぎだな!〉

 炎に体を焼かれた大蛇が身をうねらせて甲高い鳴き声をあげる。

 渦の盾の隙間や周りから漏れ出た炎がどんどんこっちに迫ってくる。

「「きゃああああーーー」」

 後方で悲鳴の連鎖が起こり、恐怖に囚われた人質たちが出口のない通路を逃げ惑う。

「マリア、人質共がっ!」

「くっ離れないで、オレの後ろに――」

 炎を浴び続けた大蛇の盾が崩れていく。大蛇が負ったダメージが負荷として体にのしかかってくる。とっくに限界を迎えていた体を電撃が貫くような痛みが走り、酷いめまいに襲われる。あまりの痛みに意識を手放してしまいそうになる。

「耐えよ、マリア!ここであきらめたら全て失ってしまうぞ!」

 宝石の叫びにやけに遠くに聞こえてきた。

「――あ、…マリア……」

「今はお主がマリアじゃ!しっかりせい!」

「ごめん――」

 もとはと言えば、オレが巻き込まれたわけだが、それでも今この事態に宝石を巻き込んでしまったのは紛れもなくオレの責任だった。

「しゃ、謝罪など聞きとうないッ!」

 業火が迫ってくる。大蛇の盾は焼け焦げた塊となって横たわっていた。

 もしも、ここで身を躱せば致命傷程度で済むのかもしれないが、後ろにはオレの大切な家族がいた。躱すなんて選択肢は元からなかった。

「――あぁ」

「なにをしておる、マリア!?このままでは――」

 結局、宝石の言う通りになった。オレなんかじゃ怪人には到底敵わない。

 荒れ狂う業火がオレを一飲みにしようと大口を開いて迫ってくる。

 ああ、クソ…もう駄目か――


          ――マリアさん――

  

 瞳を閉じると、どこかでオレを呼ぶ声が聞こえた。それは、さきほどまで聴こえていたあの不思議な歌声に似ていた。

「結局、誰だったんだろう…?」

 すこしだけ気にはなったが、すでに抗う術もない絶望的な状況に追い込まれたオレにとっては、もうどうでもいいことだった。

「ま、いっか」

 死を待つ――時間にすればほんの数秒足らずなのだろうが、その僅かな間がとてつもなく長く感じられた。

 しかし、いくら待っても来るべきはずの苦痛も死も一向に訪れる気配がない。

「……これは…一体?」

「え?」

 呆気に取られたような宝石の声に反射的に目を開く。すると、目の前まで迫って来ていたはずの炎が、どういうわけか見る見るうちにかき消えていく。

 状況がまるで理解できず、ただ茫然と消えてゆく炎を見つめていた。

 

 やがて遮る炎が治まり、ようやく視界が晴れた瞬間、あまりに衝撃的な光景が目に飛び込んでくる。

「な――」

 対峙した時と変わらず、怪人フレイムガンの姿が当然あったが、そこにはもう一人、少女の姿があった。

 紛れもなく、それはオレがトイレで助けたあのコスプレ少女だった。なぜかここまで着いて来たあの少女が、あろうことか、自分よりも遥かに大きな怪人の腕に必死にしがみついていた。

〈なんだ、この餓鬼がっ!ええい、放せ!!〉

「ぅぅぅわあああぁぁぁやだぁァァァーーー!!」

「マリア、これは――」

 宝石がなにか言いかけたが、その言葉を待たぬうちに体が勝手に動いていた。


〈コイツめッ!!!〉

 フレイムガンは片腕を振り上げ、悠に目掛けて向けて振り下ろす。

「やめろォォォ!!」

「お姉さん!お姉さあゔぅッ!――」

 悠の額から真っ赤な血が飛び散る。

「悠ぅぅ!!」

 意識を失ったようにぐったりとする悠だったが、それでもフレイムガンの腕を離そうとはしなかった。

〈えええい、この虫ケラがァァァ!〉

 フレイムガンがもう一度、今度はさきほどよりもおおきく腕を振り上げるのが、スローモーションのようにゆっくりと見えた。

「…おねぇ……まりあ…さ…」

「――!!」

 悠のちいさな呼びかけが耳に届いた刹那、胸の奥底から得体の知れない感覚が生まれる。それは深淵のようになにもかも呑み込んでしまう虚無のようでもあり、同時に眼を逸らしてしまいそうなほどの眩い光を放つ、どこか懐かしさのようなものを感じる、そんな不思議な感覚だった。

 得体の知れない奇妙な感覚は津波のように轟々と押し寄せてきて、オレの背中を強く押した。

 まるで、その感覚に命じられたかのようにオレは無我夢中でメデューサを振るった。 

 心のどこかで、そんな行為は無意味だとわかっていた。何も起きるはずがないと。

 なぜなら頼みの綱の大蛇は怪人の炎に焼かれて、とっくに黒焦げになってピクリとも動かない――動くはずがなかった。


 ギィ――ギィィ――


 鉄を割くような奇怪な音を上げながら、黒焦げの蛇の体がみるみる内に裂けていくき、そこからまるで蛹が羽化するように黒焦げの大蛇よりひと回りも大きな真っ白な大蛇が姿を現した。

 ウロコは無く、つるりとした滑らかな肌は鈍い光沢を放ち、赤く大きな瞳は獲物を物色するように爛々と輝かせ、その口には子どもの腕ほどもある鋭利な牙を覗かせていた。

 それは紛れもなく畏怖の対象であったが、ともすれば美しいとさえ思えてしまうほど常軌を逸した存在でもあった。

 白い大蛇が赤く鋭い双眸でオレを一瞥した。

「――行け」

 なにも分からず、理解も追いつかず、恐怖を抱く間もなく、それでもオレは白い大蛇に命令した。

 

 ――大蛇が怪人に向かって一直線に跳ぶ。

 意表を突かれたフレイムガンは咄嗟に腕を上げて防御の構えをとろうとするが、その行為に意味はなかった。大口を開けた大蛇は腕などお構いなしにフレイムガンの頭にその巨大な牙を突き立てる。

 二体の人外の衝突によって、腕にしがみ付いていた悠の体が壁際へと吹き飛ばされてしまう。

〈グぁぁaalGYaaaaaRaaaa〉

 フレイムガンの頭部がひび割れ、そこから不快な不協和音が漏れ出てくる。

「今じゃマリア!!」

 宝石の叫びと同時に天井スレスレまで高く飛び上がり、なんとか大蛇の顎から逃れ出たフレイムガンの頭部目掛けてそのまま急降下する。

〈oooォォオオォォォ?!〉

「くらええェェェ!!」

 ――バリーーン!!

 全力でフレイムガンの頭部を踏みつけると、球体型のメットが見事に砕け、嫌な感触と共に、中の露出した頭脳らしき装置ごとヒールで踏み砕く。

 確かな感触に内心ホッとするが、勢いのついていた体は体勢を整えることができず、みっともなく地面に倒れ込んでしまう。

「ぅぅ…ってぇ…」

〈…ォォオォォ……Ma…マリ…ア…Liア……〉

「こ奴、まだ動けるのか…」

 苦労して上体を起こすと、そこには這いずりながらもこちらにジリジリと迫ってくるフレイムガンの姿があった。それはさながらホラー映画のワンシーンのようだった。

〈…俺…saま……ノ……〉

 一瞬、寒気を覚えたが、よくよく観察してみれば、その姿はオレ以上に致命傷で虫の息なのが容易に判断できた。球体状のメットには大きく穴が開き、中の機械も半ば拉げたりバチバチと火花を上げていた。 

〈魔jyo…あi……の…〉

 だが、次第にその動きも緩慢なものへと変わっていき、最期にはブツンという音とともに完全に動きを停止した。

「…終わった……?」

「うむ、妾たちの勝利じゃ」

「……………」

「いつまで呆けておるか!それに何か忘れてはおらぬか?」

「――そうだ。…悠!…悠!?」

 頭が真っ白になっていたところをようやく我に返り、体を引きずりながら壁際で倒れている悠に駆け寄る。

「おい、悠!悠!目を――」

 倒れている悠を抱き起して必死に呼び掛けるが全く返事はない。ジリジリとした状況に焦りだけがどんどん募っていく。

「ふむ、頭から血が流れておるのう」

「なに落ち着いて言ってるんだよ!はやく手当しないと――」

「お主こそ、すこしは冷静になれ。良く見てみよ。血はもうほとんど止まっておるし、顔色もさほど悪くない。それにこれでもこの娘はヒーローの端くれ。アレくらいのことでよもや命の落とすことはあるまい」

「そ、そうなのか?そっか…それなら…って、やっぱりこの娘ヒーローだったのか」

「妾もはじめは微塵も気づかなんだ。あの《歌》からして後方支援型の能力じゃな」

「支援型……ずっとオレのこと、励ましてくれてたんだな……」

 怪人に勝つことができたのも、家族と人質を救えたのも、今オレがこうして無事でいられるのも、すべてこの勇敢な少女のおかげだった。そう思うと、この出会ったばかりの小さな少女がたまらなく愛おしく思えてしまう。

 

「ぅぅん……?」

「――!?…悠、悠!大丈夫か?オレ…じゃなくて私がわかるか?」

「……ゥゥぅ……」

 悠はどこか苦しそうに小さなうめき声をあげた。幼い子どもがあれだけ怖くて痛い思いをしたのだから、それも仕方なかった。

「ママ…」

「――え?」

 悠の口から思いがけない言葉が飛び出してくる。

「これは…ショックで一時的に記憶が混乱しておるのやもしれん…」

「…そうなのか」

「…ママ…すごく怖かったよ、ママ…ゥぅぅ……」

 わずかに開いた眼からは大粒の涙がぽろぽろとこぼれ落ち、小さな肩を小刻みに震わせながら悠はしくしくと泣きだす。

「うむぅ…妾は子どもの涙が好かぬ。どうにかせよ」

「どうにかって――」

 一瞬、泣いている悠の姿が眠れないとぐずってなきべそをかく奏の姿とダブる。

「――まあ、やるけど…」

 奏がぐずった時にいつもしてあげているように、悠の頭を自分の胸に寄り掛からせるようにして抱きしめ、よしよしと頭をやさしく撫でる。

「ママ……ママ……」

「…もう大丈夫。怖いコトなんてなにもないから、大丈夫だからね」

 やさしく、やさしく、母親が子どもをあやすように語り掛ける。残念ながら、オレ自身、それを経験したことはなかったが、それでもその真似事くらいならできた。

 なぜなら学生だった姉貴が両親に代わって幼いオレをあやしてくれていたからだ。そして今ではオレが妹の奏に同じことをしてあげていた。云わば、それがオレにとっての理想の母親像だった。


「ママ……あのね…」

「ぅん?」

 しばらくすると、落ち着きを取り戻してきたらしい悠はぽつぽつと話し始める。

「ホントはね、ボクね、ヒーローになりたくなかったの……。悪い人と戦うのがこわいから…」

「…そうだね。でも、じゃあ…どうして?」

「お姉ちゃんたちがね、やるって言うから…」

「無理やりやらされたの?」

「…ううん……お姉ちゃんが心配だったから…」

「ふふ、悠はホントにやさしいね」

「そんなコトない……だって、ボク、ずっと怖くて隠れてだけだもん」

 ふたたびぐずりだした悠の背中を労るように撫でる。

「悠はまだ子どもなんだから、そんなこと気にしなくても」

「でも……お姉さんは…スゴかったんだよ」

「え?」

「ボクを助けてくれたの。ボクよりすこしだけ年上のお姉さんで…。とってもキレイで、とっても強くて……でも一番スゴかったのはね、とっても勇敢だったんだよ」

「そっか、あはは…」

 その本人が目の前にいるのだが、依然として気づかれていないようで、なんとも気恥ずかしい。

「それに比べたらボクなんて、ただの怖がりの弱虫だよ……だって怖かったんだよ……目に見えないものに体をギュッて掴まれてるみたいで、体が動かなくて…息がくるしくて……うゥゥ……」

「――そんなことない。悠は弱虫なんかじゃないよ。その証拠に、さっきも私たちの事、あんなに一生懸命になって助けようとしてくれたじゃないか」

「……ふぇ?」

 そこで、ようやく異変に気づいた悠は顔をあげる。

「…おねぇ…えっ?ええ??」

 目の前にいるオレが余程意外だったようで、悠は顔を紅潮させたり、目を白黒させたりと大変に愉快な反応を見せる。

「ありがとう、悠――」

 まだ状況が呑み込めていない悠の頬に触れて、おでこに軽くキスする。

「キャッ!?」

「あっゴメン…イヤだった?」

 妹の奏を寝かしつけたりするときにいつもしてあげているご褒美なのだが、どうにも悠と妹が被ってしまって、つい癖でやってしまった。

「いえいえ!…あのあの全然……そのボクなんて――」


 ――ギギギィ――


 重い金属が擦れる音が通路内に響き渡る。

 振り返ると、出入口のシャッターがゆっくりと開いているところだった。

 中には歓喜の叫びをあげる人質たちも居り、我先にと開きかけの狭い隙間から外へと這い出ていく。

「…あの人たちも、そして私も、今こうして無事で居られるのは全部キミのおかげ。……悠、キミは私がこれまで見てきた誰よりも誠実で勇敢なヒトだ」

「あ、あの、ありがとうございます…」

 悠の瞳から大粒の涙がこぼれる。でも、それはさっきまでの涙とはまるで違った。

 

 シャッターが開くにつれ、外の喧騒が次第にこちらにまで届いてくる。

 続々と脱出する人たちの後ろ姿を見守っていると、何組かの家族がこちらを振り返り、何かを呟いて頭を下げてから出て行くのが目に付いた。

 その中には奏を抱いた姉貴の姿もあり、きっと、お礼の言葉を言ったのだろう。


「なんだかまだ夢を見てるみたいです…」

「…その夢みたいな事を私たちが現実にしたんだ…」

「はい!ボク、なんだか自信が湧いてきました。…ホントのことを言うと、ボクこの能力あんまり好きじゃなかったんです。なんだか後ろでコソコソしてるみたいでヒーローっぽくないし、きっとボクが弱虫のだからこんな能力なんだって、ずっと卑下してたんです…。でも、もうこれからはそんなコト考えませ。ボク、お姉さんみたいにやさしくて強い立派なヒーローを目指します!」

 憧れと夢を口にする悠の瞳はキラキラと輝いていた。その様子を間近で見ていると、自分が怪人だということを忘れてしまいそうになる。

「フフッ……さてと、じゃあ私はそろそろ行くよ」

「えっ?行くってどこに?一緒に行かないんですか?」

「悠は知らないかもしれないけど、私はこれでもお尋ね者なんだ。入り口から堂々とは出て行けないよ。だから、ここでお別れ――」

 別れを口にした途端、腰に手をするりと回されてしまう。

「――行っちゃうの?ねえ、行っちゃうの?」

 さきほどまでの様子からは突如一転して、年相応のあどけない子どもに戻った悠は、寂し気な表情でこちらに訴えかけてくる。

「…いや、私怪人だからさ。ほら、このまま一緒にいると、お互いに色々とややこしいコトになるから。…ね?」

 悠の手をやさしく引き剝がす。

「それじゃあね」

「……あの、またお会いできますか?」

「ん~どうだろう。それにもし会えたとしても、次は敵同士かもしれないよ?」

「……敵…それでも、それでも、またお姉さんと会いたいです!」

 悠の瞳からはその真剣さが痛いほど伝わってきた。

「マリア、そろそろお暇したほうがよいぞ」

 どうしたものかと答えあぐねていると、急に宝石が急かしてくる。

 気配に気づいて出入口の方をみると、ちょうど複数の人影が出入口から突入してくるところだった。

「じゃあね、ちいさなヒロインさん」

「――あっ」

 悠の手からすり抜けて、ポータルケープを使い、昇り階段まで移動する。

「あの、あの、また絶対会ってくださいネ!!」

 階段に足を掛けたところで、遠くから悠の声が聞こえてくる。

「またね!」

「あ、あとそれと…ボク、あのです!!」


 人気のない屋上まで一気に昇りきり、物陰まで素早く移動する。

そしてようやく人心地ついたところで、オレと宝石は揃って驚愕の声を上げた。

「「えええええええーーーーー!!!???」」










 





 







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