襲い来る運命
「陳列整理、終わりましたー」
バックヤードの両開き扉を押し開けて作業場の中に入り、作業の経過を報告する。
「あら、ご苦労様」
「新くん、のど飴あるわよ」
「あ、すいません。ありがとうございます」
受け取った黒飴を素早く口に放り込む。ホントは作業場での飲食は禁止されているのだが、おばちゃん達曰く、「飴は舐めるので、飲食には含まれない」のだそうだ。
空になった荷台を元の位置に戻してくると、パートのおばちゃん達は仕事の傍ら、なにやら深刻そうな顔で井戸端会議をしていた。会話に熱中するあまり、手よりも口のほうがよく動いていたが、ウチのような小っちゃなスーパーは日曜日はどうも暇なことが多く、そのため周りも特に注意はしなかった。
おばちゃん達の話題は、もっぱら韓流ドラマやタレントや芸人に関するコトが主で、そのためオレは毎回相槌を打つ程度しかできなかった。
それでも居心地が悪くならないのは、おばちゃん達がオレの家庭の事情を知っていて気遣ってくれたり、仕事をフォローしてくれるおかげだった。
しかし、今日に限ってはそういう雰囲気でもなさそうだった。
「どうかしたんですか?なんだか深刻そうですけど…」
いつもは賑やかな職場が、今日に限ってはなんだか違っていた。
「それがね…、ほら、昨日、ニュースで怪人が出たって流れてたでしょ」
「ああ、はい、見ました」
正確には“やりました”なのだが、もちろんそんなコト言えるはずもない。
「あたしなんて、ここに五十年近く住んでるけど、怪人が出たなんて初めてよ」
「ほんとそうよね。この辺も治安が悪くなったりしたらどうしようかしら…」
「ウチの息子なんて、まるで芸能人がやって来たみたいに喜んじゃって…、ホントやんなっちゃうわ」
「ああ、オレん家もそんな感じでした。どういうわけか妹がえらく気に入っちゃって」
「ハァ~、最近の若い子の考える事は、おばちゃんには分からんわ」
「柏木さん、そんなこと言ったら新君に失礼よ、ねえ?」
「いや、オレも正直わかんないです!」
「「アハハハハ」」
そんなゆるい空気の中、和気藹々と仕事をこなしてゆく。
作業場から見えるお客の波は相変わらず疎らで、お世辞にも忙しいとは言えなかったが、それでも気がつけば時刻は昼を回っていた。
姉貴と奏の二人は、そろそろ駅前のデパートに着いた頃だろうか。
「妹さんは今日はお家?」
「いえ、今日は姉貴と駅前のジャンボに。子ども向けのショーがあるらしくて」
「あら、そうなの。お姉さんと一緒なら寂しくないわね」
「あっもうこんな時間。新君、先に休憩行ってきていいわよ」
パートの中でも年長格のおばさんが声を掛けてくれる。
「はい、ありがとうございます。それじゃあ、行ってきます」
手作りのおにぎりとペットボトルのお茶が入ったスポーツバッグを肩に掛け、作業場から休憩室へと向かう。
休憩室は、たたみ八畳に長い座卓が二つあるだけのかなりシンプルなつくりの部屋だったが、つい最近、パートさんたちの強引な要望で液晶テレビが置かれるようになった。うちのスーパーではある意味、店長よりもパートのおばちゃんのが偉かった。
「お疲れ様です」
「あい、お疲れさん」
休憩室には先客があり、警備のお爺さんが退屈そうにテレビのチャンネルを変えながら、ウチの店の弁当を摘まんでいた。
「この時間はどこもつまらんなあ…」
「そうですね」
その後は特に会話もなく、おにぎりを食べ終えたオレは、畳の上にごろりと横になり目を瞑る。
そういえば、昨日のヒーローの襲撃から宝石が一言も口を開いていなかった。
(なあ、起きてるか?)
――しかし、返事はなかった。
(おーい!もしも~し?…ほんとに寝てる?)
あの石の身体ではたして眠ることがあるのか分らなかったが、一応訊ねてみた。
「耳元でボソボソとやかましいっ!」
突然の大声に、テレビを見ていたお爺さんが驚いてこっちを振り返る。
「あっ、すいません!…その、スマホから音が漏れちゃって…」
慌てて休憩室を飛び出して、従業員用トイレの個室に駆け込んだ。
「急に大声なんて出すなよ、ビックリしただろ…」
「ふんっ!」
「…なんだよ、もしかしてなんか怒ってるのか?」
「……」
サッと記憶を辿ってみるが、これといって思い当たる節はない。
「あの、なんか気に障ることがあったなら謝るからさ、機嫌なおしてくれよ」
「分からぬくせに謝罪するなど、相手に対して失礼とは思わぬのか!」
「うっ!?まあ、その通りだけど、…せめて理由を教えてくれないか?」
「己で考えよ!」
「ハァ…」
その後も、なんとか機嫌を宥めようと試みたが、まるで取り付く島もない状況に、あきらめて休憩室に戻ることにした。
「すいません、お騒がせしました――」
休憩室に戻ると、念の為、まだテレビの前に座っていた警備のお爺さんに謝罪の言葉を掛けるが、お爺さんはまるでこちらの言葉が届いていない様子で、食い入るようにテレビを覗き込んでいた。
「――?」
さして気にもならなかったので、さきほどと同じく畳の上にごろりと横になって目を瞑るが、すぐにテレビの音量が大きくなる。
すこしイラッとしたが、テレビから背を向けて横になっていると、突然、つい最近聞き慣れた単語がテレビから流れてくる。
『ここ、ジャンボ〇〇支店ではご覧のように厳戒態勢で――』
はじめ、リポーターの焦りを含んだ声と聞き慣れた地名のニュアンスが噛み合わず、〇〇支店という言葉が何処なのか理解できなかったが、頭の中で自分の住所を反芻して、ようやくそこが近所であることが解った。
「――これ、近く…ですよね?」
「そうやな、急に緊急ニュースってなって驚いたわ…」
「何が」
「――怪人が出たそうや」
お爺さんは画面を見つめたまま応える。
「怪…人……」
まるで氷水の中に突き落とされたような冷たい衝撃が全身を走る。
「先日も隣町の博物館で出たらしいし――」
お爺さんの言葉は途中から耳に入らなかった。
オレは吸い寄せられるようにテレビの前に立ち、画面を凝視する。
画面には険しい表情で緊迫した状況を伝える女性レポーターの姿と、周囲を取り囲む警官と緊急車両の群れが、あの夜の博物館の時よりも遥かに物々しい雰囲気を醸し出して映っていた。
『――逃げ遅れた住民の具体的な数は分かっていませんが、日曜のお昼ということで家族連れやお子さんがまだ多数取り残されているものと思われ、周囲には緊張が走っています』
スタジオのキャスターがなにか質問をした。
『はい、ええ…、犯人のグループからは今現在、何かしらの要求があったという情報は入っていません。市は“ヒーロー協会”に事態の迅速な解決を要請したらしく、事件の一刻も早い解決が望まれます。また事件に進展がありましたらお伝えします』
リポーターが報告を終えると、画面は無情にも即座にスタジオへと切り替わった。
「――ゴホッ…ハァハァ…」
どうやら呼吸をすることすら忘れていたため、激しくせき込んだ。
混乱のあまり何も考えられず、動くことも出来ず、ただ苦しくて苦しくて、どうすることも出来ずに呆然とその場に立ち尽くす。
ガラガラと音を立てて、自分の足元が崩れていくような感覚に襲われる。
「―――」
後ろで、老人が何か声を掛けてきたが、うまく聞き取れなかった。
「姉貴…奏…」
不安はどんどん膨れ上がっていく。もし二人の身に何かあったらと、想像するだけで頭がおかしくなってしまいそうだった。
「……ぅん…?」
ふと気がつくと、僅かだが手に鈍い痛みを感じた。
汗ばむ手を開いて見ると、手の中には宝石のブローチがあった。よほど強く握ったのか、ブローチの角で手のひらが何か所か赤くなっていた。
意識したわけではなく、全くの無意識の行動ではあったが、今の自分が唯一縋れる存在がそこにあった。
ふたたび、休憩室を飛び出してトイレに駆け込む。
「――たのむッ!力を貸してくれっ!!」
「なんじゃ、藪から棒に…」
「はぐらかすなよ、どうせ聞こえてたんだろ!」
「…あんなものヒーロー共に任せておけばじきに解決する」
「そうかもしれないけど、それでもジッとしてられねえよ」
「なぜじゃ?」
「なぜって……」
一瞬、昨日の夜のブライドウィッチとナイトが脳裏を過ぎった。
「頼りないか?」
理由はそれだけではなかったが、とりあえず頷く。
「正直に言うがの、妾は助けに行くのには反対じゃ」
「――なんで、なんでだよ!ヒーローとは戦えても、身内とは戦えないってのか!」
「お前には教えておらんが、“結社”に所属する者たちにとって仲間という概念はほぼ存在せぬ。上は下を働き蟻の如く使い潰す事しか考えておらぬし、下は上を害する機会を虎視眈々と狙っておる。同じ階級の者同士は明確な生存競争の相手であり、相互利益がない限りは協力などありえん」
「じゃあ、どうして…」
「あんなもの罠に決まっておる。大方、死んだとばかり思っていた妾と同じ名を持つ怪人が現れたので、手下を差し向けて探りをいれようという魂胆なのじゃろう。ボルカノらしい稚拙で短絡的な猿知恵じゃ。相手をするのも馬鹿らしい」
「でも…それでも、どうか……」
「そんなに妾に手伝わせたいのなら、なぜもっと効果的な方法を使わぬ?」
彼女はニヤリと笑った――ように感じた。彼女の身体は無機物の宝石なので、物理的にありえなかったが、たしかに笑った。
「えっ?」
「脅せばよい。『力を貸さなければ二度とお前に協力しない』とな」
言われてみれば、確かにそれが一番効果的なのかもしれん。状況が状況なので、相棒のような存在であっても、手段はえらんでいられなかった。
「……だ、だったら、言ってやるよ。もし力を貸さなかったら――」
そこまで言いかけたところで、ふと疑問が生じる。この宝石との付き合いはまだ数週間程度と浅くはあったが、それでもコイツが自尊心の塊である事は、嫌というほど目にしてきた。脅せば言う事をきくようなタマにはとても思えなかった。
「――なんじゃ、意外と冷静じゃな」
オレが言い淀むと、感心したように宝石は呟いた。
「なんだよその言い方!じゃあやっぱり…」
「うむ。もし妾を脅せば、力を貸すどころか、二度と力を貸さぬつもりじゃった」
「…お前、この状況がわかんねえのかよ!オレがどれだけ、どれだけ…」
「仮に妾が力を貸してやったところで、昨日のあの半端者たちにすら手こずるお主に、本物の怪人の相手は到底無理じゃ。……それに、妾は元々戦闘向きではない。もしも、現場に戦闘型の怪人が複数体居れば、口惜しいが、妾本人であっても太刀打ちできぬ」
「そんな…」
唯一の頼みの綱が切れた。
それは危機に瀕した家族を前にして、ただの傍観者にならざるを得ないという事だった。
「……慰めにしかならぬが、協会のヒーローが救出のために現場に向かっておるはずじゃ。もどかしいであろうが、ここは堪えよ。妾たちが行けば、徒に事態を悪化させてしまうやもしれぬ」
――たしかに、宝石の言葉は現実的で正しいコトのように思えた。
ただ、それでも、その言葉を呑み込むことは到底出来そうになかった。
ここでこうしてじっとしていなければならないのが息苦しく、そして痛かった。
それはいままでに感じたことのあるどの痛みよりも痛かった。
大切な者の命が、不条理に奪われようとしている痛みだった。
「宝石ってきっと綺麗だったんだろうな」
瞼の裏に焼き付いた、宝石と遭遇したあの時の記憶が鮮明に甦る。
美しかったであろう女の肉体が焼け焦げて、今にも崩れ落ちそうだった、あの無残な姿が――最愛の姉と妹の姿に重なる。
――それは地獄のような光景だった。
「…お主、一体なんの話しをしておる?」
「あんな光景を見るのはもうイヤだ…イヤなんだ……」
体から力抜けて膝をつく。頭を抱えて、今想像してしまった最悪の光景を振り払おうとするが、それはベッタリとへばりついた泥のように頭の奥から離れようとしなかった。
「助けて…お願いだから、助けて助けて助けて――」
神様に祈るように、ただその言葉を延々と囁き続けた。
「――わかった」
その声は、さきほどまでとは打って変わり、とてもやさしく穏やかだった。
「……ぇ…?」
「わかったと言った。…だから、もう泣くでない」
言われてから気がついた。頬に触れてみると、頬は涙でビショビショで、あふれ落ちた涙はズボンをぐっしょりと濡らしていた。
手の中の宝石から淡い光がゆっくりと放たれる。
宝石から放たれた光はオレを包み込むように広がっていく。
そのやさしい光に包まれると、まるで誰かに抱かれているような感覚を覚え、さきほどまでの荒んだ心が癒されていくのが分かった。
次第に光は収縮していき、完全に宝石の中へと戻ると、オレの身体は別の者へと変貌を遂げていた。
時間にすれば数秒足らずの事だった。
「では――」
「――うん、行こう!」
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