奇妙な遭遇 ③
「はぁ~」
スマホを取り出して時刻を確認すると、既に夜の8時を回っていた。
「姉貴、カンカンだろうな…」
あの後、ネックレスをまた別の隠し場所へと移しに行き、我が家のあるアパート『ねこヶ丘』に帰り着いた頃には、帰宅の予定時間を一時間も過ぎていた。
『ねこヶ丘』は築ウン十年の古びた二階建てのアパートで、我が家はその二階にあった。見た目こそ古かったが、内装はトイレはウォシュレット付き、コンロは小型のIHコンロ完備と、昭和初期生まれの1DKにしては住み心地もそこそこだ。なにより家賃が安いのが良い。
「ただいまー」
鉄製の重い扉を開くと、扉はギギッと軋んだ音を上げる。
「おせえ!」
目の前には、ウエーブのかかった肩まである金髪に、白と黒のキャバドレスを着た女性が、不機嫌そうに胡坐をかいて開口一番怒声を浴びせてくる。
「姉貴、その恰好でそんな座り方すんなよ」
「誰のせいだと思ってんだ!オメーがおせえから、こうして何時でも仕事に出れるように待機して待ってたんだろうがっ!」
「へいへい、すいませんでした」
この男勝りな姉は祭(まつり)といい、正真正銘何の因果か我が家の家長である。ちなみに仕事は見ての通り夜のお仕事をしていた。
「ん、なんだそりゃ?」
姉貴はオレが手にぶら下げた袋を顎で指す。
「ああ、これ?ほら、こないだ約束したケーキだけど…」
「ケーキだァ?あたしにはコンビニの袋に見えるんだが?」
「そりゃあコンビニのレジ袋だからな」
「あたしは駅前のケーキ屋で売ってる苺か抹茶の高いヤツを買ってこいって言ったよな?」
「売り切れてて…」
正確に言うと閉まっていた。
「こんな時間まで遊び呆けてたら当然だよな?」
「うぅ…」
急いでいるなら早く仕事に行けばいいのに、姉貴はくどくどと嫌味を続ける。
「だれか、きたの?」
玄関口で姉から説教を受けていると、奥の和室の襖戸がわずかに開き、中からちいさな顔がこちらを覗き込む。
「ただいま、かなで」
「あ!にぃにだぁ!おかーり」
奥の部屋から出てきた奏は、左右に付けたサクランボ型の髪留めの付いた小さなおさげをぴょこぴょこと揺らしながら、嬉しそうにオレの足にしがみ付いてくる。
「あのね、ねぇねがね、おそいっててた」
「ねぇねは怒りん坊だからな~。そうだ!かなで、ケーキ買ってきたからにぃにと一緒に食べようか」
「…ケーキ?ケーキ!ケーキ♪」
奏は嬉しそうにその場でクルクルと飛び跳ねていたが、突然、ピタリと動きを止めて、心底悲しそうにオレの顔を見つめる。
「ん、どうかした、かなで?」
「…さっき歯ブラシしちゃった」
奏は悲しそうに告白すると、心なしかおさげもしゅんと気落ちして見えた。
「じゃあ、もう一回歯ブラシしようか」
「――!?うん、するー!食べるー!」
「新――」
姉貴の声が背中に刺さる。たぶん反対なのだろう。無視するわけにもいかず振り返ると、姉貴はちょうど家を出るところだった。
「――あたしの分もちゃんと置いとけよ」
言い終わると、姉貴はさっさと扉を閉めて仕事へと出掛けていく。
「…いってらっしゃい、気をつけて行けよー」
「ねぇね、いってらっしゃーい」
数年前、父親が蒸発して、それに続くように母親まで蒸発してしまい、生活に困窮していた頃、突然姉貴が高価そうなスーツに身を包んで家に帰ってきた。
姉は元々、高校を卒業したばかりの浪人生で高価なスーツを買うような金銭的余裕があるはずもなく、それはもちろん我が家の家計も同じだった。
理由を問い質すと、姉は「〇〇てところに就職した」と無表情に簡潔に答えた。
当時のオレは、『〇〇』と言われても、その名前にまるで聞き覚えはなかったが、それでも直感で姉が自分を犠牲にして金を稼いでいるのだと察した。
ガキだったオレは水商売というものに漠然とした偏見を持っていたため、当然ながら姉貴に猛反対した。一銭も稼いだことのない、社会の事もまるで知らないガキが、偉そうに姉貴に説教した。
姉貴はなにも反論しなかった。但し、拳が飛んできた。
カッとなってやり返してやろうとしたが、姉貴の顔を睨んだ瞬間、その真剣な瞳に涙が溜まっているのに気がついた。
何か険悪な雰囲気を感じとったのか、布団で寝かせていた奏が大泣きし始めた。奏の泣き声は、まるで姉貴の心を代弁してくれているようだった。
その後、しばらくしてオレもバイトを始めた。
姉貴に事後報告したところ、「あっそう」という非常に淡泊な返事が返ってきて、逆に拍子抜けだった。
その代わり、妹の奏はオレが家にいない時間が増えると知って大泣きした。
「にぃに!にぃにこっち!こっちすわって」
奏は自分の隣に座布団を敷くと、ポンポンと座布団を叩く。
「はいはい」
台所から取ってきたフォークをひとつ、奏に渡す。
「てれびつけるね」
「ん、ありがとう」
奏は両手でリモコンを握り、「えい、えい」と掛け声を出しながらボタンを押す。
「あ、これーこれーねぇ、にぃに」
「ん?――あ」
プラ容器から取り出したケーキを皿に盛ろうとした手が止まり、視線がテレビに釘付けになる。
それもそのはずで、テレビ画面には、学校で友人の慎吾から見せられたあの動画が流れていた。画面下には緊急特番と番組のタイトルの文字がテロップで出ていた。
「ぶらっく~まりあ~じゃじゃ~ん!」
「…マジかよ」
まだ昨日の出来事なので仕方なかったが、早く落ち着いてもらいたいものだ。
「それでは~ごきげんよ~♪」
瞳を爛々と輝かせて画面を見つめる奏は、画面の中のブラックマリアを真似てペコリと可愛らしく礼をする。
「かなで、ずいぶん楽しそうだな」
「うん。あのね、みいちゃんとね、まあくんとね、いっしょにぶらっくまりあごっこしたんだよ。みいちゃんはね『かわいいね』っていってた。まあくんは『くろくてかっこいい』っていってた」
(――!?)
一瞬だが、ポケットの中の宝石が反応を示したのが分った。
「あはは…かなでの友達はちょっと変わってるな」
「ん~でもね、おえかきのじかん、み~んな、まりあちゃんかいてたよ」
「…へ、へえ、そうなのか」
アイツは泥棒で悪者だぞ、そこは止めるべきだろ、保育士さん。
「にぃにはきらい?」
「う、う~ん、まあ、ドロボウさんだからな…。かなでは好きなのか?」
「すきっ!」
ニッコリと満面の笑みを浮かべる妹の顔を、内心、複雑な心境のために直視することができなかった。
明け方、微かにカーテンの外が白んできた頃、まだ目覚ましも鳴らない時間帯ではあったが、頭に何か鈍い痛みを感じて目が覚める。
寝ぼけたまま枕元のスマホに手を延ばすが、スマホより先に手が触れたの何か太い棒のような物だった。
「…ん、ん~……むにゃ」
諦めて寝なおそうとしたところで、再び、あの衝撃を頭に受ける。
「退け」
「んァ……なんだ姉貴か。おかえり」
寝ぼけ眼で枕元を見上げると、そこには下着姿の実姉がたっていた。普段から不機嫌そうな顔が、仕事明けのせいで、余計に目つきが悪くなっていた。
そしてその姉貴は、さきほどからずっとオレの頭頂部を蹴っていた。
「ハア、わ~ったよ」
嫌々ながら、のそのそと布団から這い出す。すると、姉貴はすぐさまオレの布団に潜り込み、「カァ~」と豪快な寝息を立て始める。寝息に反応して、横ですやすや寝ていた奏が寝返りをうつ。
「…おやすみ、いつもご苦労様」
面と向かっては言い辛い言葉も、こうして姉貴が寝ていれば簡単に口に出せた。
二人を起こさないように、ゆっくり襖戸を開けて部屋から出る。
部屋を出ると、足元に姉貴が脱ぎ捨てたドレスがそのまま放置されていたので、ハンガーに掛けなおしておく。
「さあて、と――」
いつものように早朝の日課を始める。
まずは冷蔵庫の中を確認して、家族三人分の朝食とお昼の予定を組む。
「――卵にベーコン、レタスはもう無かったか。……カイワレと大根があるから刻んでサラダでいいか、姉貴嫌がるけど。…ん~ご飯は冷凍したのがあるから、朝食はそれでお粥かな」
メニューを決めたらエプロンを着けて、さっそく下ごしらえに入る。
テキパキと効率的に作業をこなしていく。昔と比べて、オレの家事も随分と板についてきた。最初の頃は手順もバラバラで、料理を失敗しては、よく姉貴に怒られたものだ。
台所で作業をしていると、襖戸がススッと開く音がした。
「のど、かわいちゃ」
奥の部屋から現れた奏はそう言うと、よちよちと歩いてきたオレの足に抱きつく。
「まずは『おはよう』だろ、かなで」
「うゅ、おはよう、にぃに」
抱きついていないと寝てしまうのか、奏は一向に足を離す気配を見せない。
「はい、おはよう。ミルクでいい?」
「…おみじゅ」
「はい、どうぞ」
蛇口をひねり、コップに注いだお水を奏に手渡すと、奏はそれを一気に飲み干す。
「あ~ぷはッ」
「おいしかった?」
「う~おみじゅみたい」
「ハハ、そりゃ水だからな」
今のは姉貴の口癖で、姉貴は晩酌に糖質控え目のビールをよく飲むのだが、奏に味を訊かれると、決まって「水みたいなもんだ」と返事していた。
「今日は日曜日だから、ゆっくり寝てていいんだぞ?」
「ねぇねとジャンボにおでかけするから…」
「おでかけ?……ああ、そういえば駅前のジャンボに“ヒーローショー”を見に行くって前に言ってたっけ」
ジャンボというのは駅前にある量販店で、館内の特設スペースでは地域のイベントや子ども向けの催し物などを定期的に行っていた。
「にぃには?こないの?」
「…ああ、オレはおしごとがあるからな…」
バイト先は日曜のシフトは時給がプラスされるため、ほぼシフトを入れていた。
「う~や~ぁ~」
ぷっくり頬を膨らませた奏は、不満そうにズボンの裾を引っ張り駄々をこねる。
「ゴメンな、かなで。そのかわり今日はなるべく早く帰ってくるから、そしたら一緒に遊ぼうな」
「……ほんとぅ?」
「ああ、ホントのホント!」
「――じゃ、いいよ!」
きっと納得できたわけではないのだろう。それでもわがままを言わず、健気に微笑む奏が愛おしくて、思わずギュッと抱きしめてしまう。
「にゅぅ~」
あまりに強く抱きしめたため、奏の顔がムニュっとつぶれた。
「ねぇねの言うコトよくきいて、いい子にしてるんだぞ」
「うにゅ」
つぶれたまま奏はコクリと頷いた。
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