奇妙な遭遇 ②
終わってみれば、一瞬の出来事だった。
身体はもちろんの事、頭まで大蛇に巻き付かれて視界を奪われ、満足に声すら発することができなくなった、無害な少女の姿がそこにあった。
「…終わったのか」
「うむ、妾達の勝利じゃ。はじめてにして悪くなかったぞブラック・マリアよ」
「……うん、まあ…」
名前を呼ばれたが、それが自分の名前だと気づくのにすこし時間が掛かった。
「なんじゃ、あまり嬉しそうではないのう?」
「嬉しい?いや、悪いけど――」
さきほど、この少女から攻撃を受けた時には、あんなに怒りが湧き上ってきたというのに、今、この無力化した哀れな少女を目の当たりにしていると、そんな感情はどこかへ消え去ってしまっていた。
「――とてもそんな気分にはなれねえよ」
「ふむ、そうかえ」
大蛇に搦め取られて身動きが取れなくなった少女の元へと歩み寄る。
あらためて少女の姿を見ると、全身のほとんどを蛇に巻き取られていたため、断片的にしか少女の様子を窺うコトが出来なかったが、それでも少女の息遣いが微かに聞こえてきた。
「なあ、これ」
「まだ生きておる。後は煮るなり焼くなり、お主の好きにするが良い」
こちらの声が聞こえたのか、少女の身体がピクリと僅かに反応した。
「好きにって、どうしろってんだ、ここから…」
さらに歩み寄り、手を延ばせば少女に触れられるほど近づいた瞬間、宙吊り状態となった少女の足元に、ちょろちょろと水が滴り落ち、ちいさな水溜まりができていた。
ああ、バカだ、バカすぎて最悪な気分だった。いますぐに自分の頭を金づちで殴ってやりたいくらい自分の愚かさが心底嫌になる。
「これで正義の味方とはのう、なんとも哀れな姿じゃ」
「戻れ」
「…小僧?」
「さっさと筒に戻れって言ってんだ!」
ようやくこちらの意図を理解した大蛇は、一瞬、不満気な眼光を向けるが、負けじとこちらも睨み返すと、興味なさげにさっさと筒の中へと戻っていく。
大蛇が消えたことで、拘束が解かれて崩れ落ちそうになる少女の身体を両手で受け止め、少女の身体を抱き抱えるようにして、その場に座り込む。
「ごめんなさい」
なんとか言葉を発しようと口を開くが、それしか言葉が出てこなかった。
自分の肩に少女の頭を乗せ、やさしく何度も撫でる。少女の頭を撫でていると、ふと、初めての幼稚園へ行きたくないと、グズる妹をあやした時の記憶が蘇ってくる。
「…ゥゥ…わだし、ヒック…ご…ごべんなざい……」
少女の身体は小刻みに震えていた。
「…いや――」
ちがう、本当に謝らなければならないのはこっちの方だ。
「――い、命だけは…どうか…どうか……」
少女の命乞いの言葉が、まるで剥き出しの刃物のように心に突き刺さった。自分とさほど変わらない歳の少女に命乞いをさせてしまうだけのことを、オレはしてしまった。
「なにもしない、なにもしないから……信じてもらえないかもしれないけど、誓うよ。だから安心して、キミが落ち着くまでずっとこうしてるからね」
少女を落ち着かせるため、ゆっくり穏やかに話しかける。少女の口からは依然としてすすり泣く声が途切れ途切れに聴こえてきてはいたが、オレの言葉を信じてくれたのか、やがてそのすすり泣く声も静かになる。
「その、ありがとう」
しばらくして少女が落ち着いたのを見計らってから、あらためて声を掛ける。
「…?」
「戦ってる最中、手加減してくれてたろ?戦いなんて生まれて初めてだったけど、それでもキミの気遣いはなんとなく分かったよ」
「…私も、初めてだったから…」
「そうなの?」
「はい。ひと月くらい前に、覚醒者になったばかりで…」
『覚醒者』というワードは初耳だったが、おそらく正義の味方として目覚めたとかなのだろう。
「そっか…それじゃオレと似た者同士だ」
「…えっ、あなたも?」
「ああ、つい最近、ひょんなことから…ね」
この裏路地で死にかけの女怪人と出会い、今度はこうして正義の味方と鉢合わせした。なんとも奇妙めぐり合わせ…というか、呪われてるんじゃないか、この場所。
「あっ、そういえばまだ名前を訊いてなかった」
「名前…ですか?」
「ほら、テレビとかだと正義の味方って、カッコいい名乗りを上げたりするだろ?やっぱり本物もそういうのするの?」
「いいえ、そんなのしたことないです!」
少女は否定するようにかぶりを振る。
「――私たちチームを結成したばかりで、まだそういう晴れ舞台とは無縁で。だから、マリアさんがテレビやネットで騒がれた時、その、不謹慎な言い方ですが、『これは私たち《ブライドシスターズ》の名前を知ってもらえるチャンスかも…』って…」
「ブライドって花嫁だっけ?素敵なチーム名だね」
「あ、ありがとうございます。皆で話し合って決めたんです。ちなみに、私は『ブライドウィッチ』と言います」
少女ははにかんだ笑みを浮かべる。
「ウィッチ…ああ、だから魔法使いみたいな衣装なんだ」
とんがり帽子とローブ姿は、たしかに魔女っぽかった。
「はい。お母さんと一緒に生地を選んで、一緒に作りました。…と言っても、ほとんどお母さんに頼りっぱなしでしたが」
「あぅ…、その、そんな大事な衣装を傷付けちゃってにごめんなさい」
母親手作りの衣装はところどころが汚れたり、破けたりしていた。
「いえ、そんな、私たちさっきまで敵同士で戦ってたんですから仕方ないですよ。それに衣装はまた修繕すればいいだけですから」
けなげな笑顔をこちらに向ける少女の顔からは、それが建て前ではなく、本心であることは容易に判った。
「衣装は構わないんですが、今は早めに着替えをしたいです」
「そ、そうだよね、さっきも言ったけどホントにゴメン…」
「いえ、衣装じゃなくて、その……」
ウィッチはもじもじと恥ずかしそうに自分のスカートを見る。
「――あ、あー……はい」
べつにスケベ心からではなかったが、こちらも視線が釣られて下に向いてしまう。
「み、見ないでください!」
言葉とは裏腹に、とくに怒った様子もなく冗談まじりにウィッチは言う。
「あ、いや…あはは」
(ふむ、これは男とバレたら殺されるじゃろうな)
「――うぐっ…」
こちらの心を見透かしたような宝石の一言に、内心ドキッとする。
「?」
その後、しばらくぎこちない会話を交わすうちに、次第にオレとウィッチは打ち解けていった。
「ブラックマリアさんは…」
「ああ、面倒だからマリアでいいよ。ブラックって名前好きじゃないんだ。ほら、なんだかガキっぽいっていうかさ――」
「――なっ!?貴様、妾の名を言うに事欠いてガキっぽいじゃと!!」
「ヒャッ?!」
突然、オレの胸元に着いた宝石から怒声が上がり、ウィッチは可愛らしい悲鳴をあげる。
「ああ、気にしないで、ノラ猫が吠えてるようなものだから」
結構良い雰囲気のところに横やりを入れられてしまい、つい意地悪なコトを口走ってしまう。
「くぅぅゥゥ、コラ貴様、いくら相棒とは言えあまりであろう!――」
喧しいので、宝石をズボンのポケットに押し込む。
「――おのれ、おぼえておれよ!おぼえて――」
「あわわ…」
「それで、何か言い掛けてたけど…」
「えっ?………あ、はい。あの、何と言うか、不思議な方だなと思って。最初の印象がテレビで流れていた“アレ”だったので、てっきり悪い人だとばかり…」
「“アレ”ね…――」
学校で慎吾から見せられた動画の内容が頭を過ぎる。
「――じつは詳しくは言えないんだけど、ある悪者があのネックレスを使って悪事を働こうとしていたんだ。だから、その企みを阻止するために、どうしてもネックレスを盗み出す必要があったんだ」
「…悪者が企みを?」
唐突なカミングアウトに、少女は不思議そうな瞳でこちらを見つめる。
「あ~、そういえばオレも悪者だったっけ、あ、あはは…」
「――ふふっ」
少女が微かに笑みを浮かべる。不意を突かれたためか、少女が物凄く可愛く見える。まあ、元々可愛くはあったのだが。
「そんな訳だからさ、ネックレスを返却するの、もうすこし待って欲しいんだ。今、これを返しても同じことの繰り返しになる。もし、その悪者とけりがついたら必ず返しに行くから。…とは言っても、それがいつになるかまでは判らないんだけど…」
「わかりました――」
こちらの曖昧な話に理解を示してくれたようで、ウィッチはちいさく頷いてくれる。
「――あくまで、私個人としてですがマリアさんのお話を信用します。ただ、ひとつ断っておかなければならないのが、私が納得したとしても、何かのお役には立てないと思います。私のチームはヒーロー協会の中でも新参者で、なんの権限も発言力も持ありません。ですので、マリアさんのお話を協会にそのまま伝えたとしても、上層部にもみ消されるか、あるいはスパイ扱いされるかも。私だけならともかく、他のメンバー達にまで迷惑を掛けるわけにはいかないので、…すいません」
ウィッチはそう言うと、申し訳なさそうにオレの腕の中で頭を下げる。
「そんなの気にしなくていいよ。助けが欲しくて話したわけじゃないから」
謝られてしまうと、逆にこっちが申し訳ない気持ちになる。
――ピロリロ♪ピロリロ♪
和やかな雰囲気に水を差すように、携帯の電子音が辺りに鳴り響いた。
「――あ!私のです」
慌ててポーチからスマホを取り出したウィッチだったが、なぜか電話には出ずに、画面を見つめたままその場で固まってしまう。
「電話?出ないの?」
「でも、これリーダーからで、……出てもいいですか?」
「…うん?」
拒む理由はとくに思いつかなかったが、なぜか曖昧な返事を返してしまう。べつに疾しいコトなどない――と思ったのたが、自分たちの姿をよくよく見ると、片や少女の服はボロボロで、片やその少女を抱き抱えている。十分に怪しかった。
「――いえ、こっちは大丈夫です、全然なにも問題なしです。…いえ、だからべつに来なくても…あの、あっ――」
電話越しの相手に悟られまいと平静を装っていたウィッチだったが、唐突に電話が切れる。
「…切れちゃいました」
「みたいだね」
よくわからない電話が切れた直後、視界の隅にあった遠くの街灯が、一瞬だがパッと明滅した。おそらくは電飾の寿命が来たのだろう。
――ガシャン!
続いて、すこし離れた場所で、金網がなにかとぶつかったような音がする。
とくに気に留めるほどのことでもなかったが、なぜか胸騒ぎを覚えて、音がした辺りを注視していると、今度は何処からか風を切るゴウッという音が耳に届いた。
「…ねえ?」
「はい?」
「さっき電話で話してたリーダーって、もしかして近くに?」
「えっと、はい。パトロールのために一緒に来てたので。…どうかしました?」
ちょっとした違和感の連続が積み重なる内に、どんどん嫌な予感が膨れ上がっていき、「ここに留まるべきじゃない」と、第六感的なものが告げていた。
「そうだな」
「…え?」
「ううん、こっちの話。さて、いつまでもこうしてるわけにもいかないし――」
ウィッチを抱えて地面に座りっぱなしの状態から立ち上がろうとしたところで、なにかを察知した身体にゾクッと悪寒が走る。空耳ではなく、確かに空を切るごうごうという音が急速にこっちに迫っていた。
「――ちょっとごめん!」
咄嗟にウィッチを抱えたまま、後方へ向けて全力で飛び退く。勢いのついた体は、少女を抱えたまま縦方向にクルクルと回転したが、自分でも驚くほど、頭は辺りの状況を冷静に観察していた。腕の中の少女は何が起きたのか解らず、オレの腕に必死にしがみ付いていた。
地面に着地した直後、ドォォン!という爆音が目前で鳴り響いた。
アスファルトの地面が砕け、濛々と砂埃を巻き上げ、細かな破片をまき散らした。
さらに数歩距離を放して、様子を窺っていると、砂埃を掻き分けて一人の少女が現れる。
燃えるような赤い長髪をなびかせながら現れたその少女は、赤地に白の縦じまの入ったジャージを着て、顔を隠す為か、鼻と口元を覆うようにこれまた赤地のマフラーをしていた。
「貴様何者だッ!」
こちらにビシッと指を突きつけた少女が叫ぶ。
「それ、こっちのセリフなんだけど…」
「……」
「……」
なに、この間は?
「リーダー…?」
「ウィッチ無事か?!」
リーダーと呼ばれた少女は、オレの腕にしがみついたままのウィッチに安堵と緊張の入り混じった複雑な視線を向ける。
「うん、心配かけてゴメンね」
「だから、あれほどこまめに連絡をするようにって、…お前その恰好?!」
「ぁ…うん。でもね、怪我とかはして――」
「――貴様ッ!よくも私の大事を仲間を傷物にしてくれたなッ!!」
「言い方!?言い方だよ、朝陽ちゃん!?」
「待っていろ、すぐに私が助け出してやるからな!」
顔を紅くしたウィッチは必死に弁解しようとするが、怒りのこもった瞳でこっちを睨みつける少女にはまるで届いてはおらず、ウィッチの言葉を遮るように、こちらに一歩踏み出す。
「リーダーやめてっ!マリアさん、お願い!リーダーホントはとってもやさしい子なの!だから…」
仲間のためにあれだけ怒れるのだ、きっとそうなのだろう。ただ、
「約束はできない」
こちらにあきらかな敵意を向ける朝陽と呼ばれた少女は、即座にボクシングのような構えを取る。が、その構えは素人目にもどこかぎこちなく見えてしまい、先ほどアスファルトを砕いて現れたのを目の当たりにした関わらず、オレの心にわずかに油断が出来てしまう。
「――シッ!」
少女はその油断を見逃さず、一瞬の隙をついて猛然とこちらに飛び込んでくる。そのままオレの顔に目掛けて剛速球のような拳を突き出してくる。
「クッ――」
少女の拳を身をよじって躱そうとするが、躱しきれず右肩に鈍痛が走る。
「んッ?!」
痛い。たしかに痛かったが、思ったほどではない。あの派手な登場から想像するに、当たれば肩が砕けてしまうかもと思ったが、幸いにもそんなことはなかった。
「貴様、その顔…そうか、あの夜の泥棒ネコだな――」
衝撃でフードが脱げてしまい、オレの顔を見た少女が叫んだ。
「――首飾りだけじゃ飽き足らず、今度は私の仲間まで奪うつもりか!」
「…あんたさ、『人の話を訊かない』ってよく言われるだろ?」
「な、なにを!!」
どうやら図星だったらしく、少女は衣装と同じくらい顔を真っ赤にする。
ふたたび、激昂した少女の拳が飛んでくるが、予想通りだったのでそれを躱しつつ足払いを掛ける。
――ガンッ!
「イっ!?」
しかし、予想とは反して、オレの足払いは少女の細い足にいとも簡単に阻まれてしまう。見た目こそ少女の足であったが、蹴った感触はまるで電柱のようだった。
「フンッ!」
少女は「どうだ!」と言わんばかりの勝ち誇った笑みを浮かべた。
「…キミ、結構重いね」
「なっ?!う、うるさいっ!」
体勢を崩したところに、少女の拳が飛んでくる。しかし、少女の拳はオレではなく、オレの腕の中にいたウィッチを掴むと、強引にオレから引き剥がす。
「――あっ」
腕から離れる瞬間、ウィッチと視線が合ったので、わずかに頷いて見せる。ほんの一瞬だったの気のせいかもだが、ウィッチの表情はどこか寂しげに見えた。
「チッ、やるな少女よ、貴様何者だ?」
「……お、ああ!――」
ウィッチを庇う様に仁王立ちに身構えていたジャージ少女は、オレのセリフに突如瞳を輝かせる。その表情はさきほどまでとはあきらかに違っていた。
「――ゴホン、あーあー……ん、よし!」
この子、もしかして発声練習してる?
『私たちは清らかな志と正義の誓いを胸に、悪と戦う学生戦士ブライドシスターズ!そして私はブライドシスターズのリーダー“ブライドナイト”だっ!』
ジャージ少女は高く掲げた拳をビシッを交差させて決めポーズを取る。
「おお…」
素手なのにナイトなの?という疑問はさておいて、ヒーローの名乗りを生で聞けたのは新鮮な感動があった。ただ、そのブライドナイトの後ろで、ウィッチが恥ずかしそうに俯いているのは何故だろうか?
「ブライドシスターズ…たしかに覚えたぞ、この借りはいつか必ず返す」
ノリノリなナイトに合わせて、こちらも悪役らしく月並みな台詞を返す。
「待て、逃げるつもりか!」
「逃げる?いいや、逃がしてやるのだ。手負いの味方を連れたままでオレとやり合うつもりか?」
「くっ…」
「それではまたな、ブライドシスターズ」
二人に向かって、なるべく優雅に見えるように軽く手を振る。ナイトから見えないように、ウィッチが小さく手を振ったのが見えた。悔しそうなナイトを尻目にその場から立ち去った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます