奇妙なな遭遇 ①

「よいしょ、っと」

 洋式トイレの裏にあるタンクの蓋を持ち上げてタンクの中を覗き込む。

 中には、口を堅く結んだビニール袋が沈められていた。

 もちろん、これは昨日、博物館から盗んだあのネックレスだ。

 昨夜、警察から逃げ延びた後、家に持ち帰るわけにもいかないので、手近で人目に付かない場所として、とりあえずこの駅からほど近い路地裏のトイレに隠しておいたのだ。


「気になるくらいなら、いっその事、壊してしまえばよかろう」

 胸に付けたブローチの宝石が興味なさげに語り掛けてくる。

「バカ、これはなん百年も前の貴重な物なんだぞ!そんな罰当たりな事できるか。それにもし壊したら、弁償するのに一体どれだけ掛かると思ってるんだ」

 金銭的価値がどれくらいか定かではなかったが、おそらく一生働いたとしても返せはしないだろう。

「…妾が言えたことではないが、お主もどこか抜けとるのぅ」

「オレはいたって真面目だっ、…一緒にすんな」


 タンクからビニール袋を慎重に引き上げ、念の為、中を確認する。

 一応、袋を二重にしていたので、中まで水が入ることはなかったが、ビニール袋に雑に入れられたネックレスからは、以前見た時のような尊厳さは微塵も感じられなかった。もし、ウチの宝石のように喋れたら、きっと激怒したに違いない。 

 ふたたび袋の口を結び袋を懐へしまうと、急いで公衆トイレから出る。

 ネックレスももちろんだが、今のこの姿でトイレに居るのを誰かに見られるわけにもいかなかった。


「なあ、なんでわざわざ女の姿になる必要があったんだ?」

 男子用トイレに入った時、鏡に映る自分の姿に驚いて二度見してしまった。さきほどまでたしかに元の姿だったのが、いつの間にか『ブラック・マリア』へと変身していたのだ。

「万が一、首飾りを持っているところを、小僧の姿の時に見られたらまずかろう?妾なりの気遣いじゃ」

「それはまあ、ありがとう。だけど、次からは一言言ってからにしてくれよ」

 ちなみに、今の服装はパーカーにジーンズというの普段着姿だ。バイト用に学生鞄に入れておいた物だが、ブラック・マリアのあの布面積の少ない衣装でうろつくわけにもいかず、個室トイレで急いで上から着たのだった。


 トイレから出ると、外はすっかりと暗くなっていた。


「急いで帰らないと、また姉貴にどやされちまう」

「それよりも、新しい隠し場所の目星はつけておるのか?」 

「まあ、一応は…。地元の駅のトイレに隠すつもりだ」 

「また厠か?!お主は本当に厠が好きじゃのぅ。…よもやとは思うが、なんぞあるのではあるまいな?若人のうちからあまり拗らせるのはいただけんぞ」

「だ、誰が好き好んでトイレ巡りなんてするか!他に思いつく場所がなかったんだから仕方ないだろ」

 こっちが苦心しているというのに、なんて言い草だ。


 チカチカと点灯する街灯の下を通り、早足で駅へと向かっていると――


「あのぅ…」

「!?」

 

 一瞬、ドキリとその場で立ち止まる。こんな夜更けに人通りのない場所で、夜更けに、女性の声で呼び止められた。

 振り返ると、そこには……少女がいた。

 

 ――少女、たしかに少女ではあった。おそらく自分とさほど歳もかわらないだろう。ただ、その少女は特徴的な見た目をしており、何と言うか衣装が派手だった。

 全体が橙色を基調にした衣装に身を包んでおり、鍔の広い三角帽子に、裾がやや短めでフリフリの付いたドレス、おまけに髪の色まで橙色と、その姿はなんだか小さな魔女のような見た目をしていた。

 おそらく、趣味や酔狂でなければ、うちの疫病神と同類の可能性が高かった。 

 人見知りなのか、自分の恰好が恥ずかしいのか、少女はこちらの視線を避けるようにチラチラとこちらの様子を窺っていた。


「あの、突然すいません。すこしお尋ねしたいことがありまして…」

「はあ…?」

 最初は気づかなかったが、その声はどこか聞き覚えがあり、顔立ちもなにやら既視感を覚えた。

「ひぅ、あの、あの、ごめんなさい、あまり見ないで下さいっ」

「ああ、すいません――」

 まじまじと見つめられたのが気に障ったらしい少女は、帽子を目深にかぶりなおす。だったらそんな恰好しなきゃいいのに、とはとても言い出せなかった。

「――それで、なにか?」

「えっと、不躾な質問なんですが、その、……あなた“泥棒 ”ですか?」

「……」

 ほんとに不躾だった。

(小僧、こ奴、ただの人ではないぞ)

 宝石の声が頭に響いてくる。ていうかコイツ、こんなこともできるのか。

「…えっと、初対面の人に突然そんなこと言われても、全く身に覚えがないというか、人違いとかじゃないかな?」

「そんなはずありません、…だって、ネットで出てましたよね、そっくりですよ」

「!?」

 そういえば、昨日、博物館からネックレスを盗んだ時の映像が、ばっちりと動画サイトにアップされてるんだった。動画を見せてきた慎吾のキモイ笑顔が脳裏を過ぎる。

「私、これでもかってくらい、何度も何度も動画を見て犯人の顔を憶えたんです。…あなたですよね、博物館にあった『皇女の涙』を盗んだ犯人は…?」

「………」

 

 さて、どうしたものか…。いずれは追っ手と遭遇するのではと危惧してはいたが、まさか、こんな突然現れるとは思いもしなかったので、心構えなんてまるで出来てない。

 ここで「はい、そうです」と答えてネックレスを渡したところで、穏便に済むはずもなく、となると、やはり逃げの一手なのだが……、

  

(どうするのじゃ?)

「…今考えてる」

 胸ポケットの宝石に向けて小声で応える。

(考えるのは良いが、あまり悠長にはしておれんかもしれんぞ)

「それってどういう――」 

「――なにを小声でブツブツと言っているんですか!反論しないという事は、泥棒だと認めたという事でいいんですね?」

 こちらの曖昧な態度に業を煮やしたらしい少女は声を上げる。


 時間はかけられないと宝石は言っていたが、既に正体がバレているのなら、逃げるにしても、せめてなにかしら情報だけは手に入れておきたかった。


「……あの、せめて、名前を訊かせてもらえないかな?」

 こうなればイチかバチかの賭けだった。

「…えっ、な、名前?!名前ですか?」

 今迄の険悪な雰囲気から一転、少女は急にオロオロと狼狽え始める。

「さっきも言ったけど、そもそもオレたち初対面だし、そんな妙…個性的な格好した人から泥棒だって言われてもね…。せめて、まずはそっちが何者なのか名乗るべきじゃない?」

「うっ…、わ、悪者のくせに」

(ああ、この小娘、そっち側か…)

 そっち側って、どっち側?


 しばし、沈黙が続いたが、変な格好の少女からは、さきほどまでとは違い、あきらかな動揺が窺えた。こちらに向けていた敵意も僅かにだが薄らいだように感じられたので、もしかしたらこのまま穏便に済ませることも出来そうではあった。


 ――ピッピピッピ♪


 突如、辺りに軽快なメロディーの電子音が鳴り響き、張り詰めていた空気は一瞬にして微妙な空気へと変わる。

「あっ、ちょっ!?」

 不思議な格好の少女は慌てた様子で腰に付けたポシェットからスマホ取り出す。

 しかし、手にしたスマホを使うでもなく、こちらとスマホを交互に見つめる。


「…どうぞ」

「あ、ありがとう」

 少女はスマホをタッチして耳に当てた。

(念の為、言うておくが、逃げるなら今じゃぞ?)

「あっ…」

 反射的に遠慮しただけで、他意はなかったが、言われてみればたしかに絶好のチャンスではあった。すこし気は引けるが、ここは宝石の言葉に従うことにした。

 パーカーの下からポンポンのついた黒いケープ、宝石曰く『ポータル・ケープ』を取り出し、急いで首に巻き付ける。

「あっ、なにをしてるのっ!?」

 こちらの様子を伺いつつ通話していた少女は、異変に気がつくとすぐにスマホを放り出して、代わりにポシェットからべつの機械を取り出す。

「止まりなさいっ!でないと…う、撃ちますよ!」

 少女は手に持った機械を、さながら銃口のようにこちらへと向ける。

「小僧、あれは、まさか…」

「ああ、間違いない…アレは…」

 オレと宝石に一種独特な緊張感が走る。

 視線は否応なく、少女の手元へと注がれた。 

 

 ――少女が手に持つ、“手のひらサイズの扇風機”に。


「クックック――」

 堪え切れず、胸元の宝石は声を押し殺すようにして笑う。

「…あ…っと…」

 

 それはピンク色のカラフルな見た目に、プラスチックのような安い質感の、どこにでもありそうな携帯型の扇風機だった。夏場の暑い時期に使っている人をたまに見掛けるが、今は春だし、おまけに状況的にもあまりに不釣り合いだった。

 少女の理解の追いつかない行動に困惑しながらも、少女の様子を窺ってみると、少女の顔はみるみるうちに赤く染まり、肩を小刻みに震わせていた。それが怒りに由るものなのか、恥ずかしさからか、はたまた両方なのかは分からなかったが、面倒な事になったのは確かだった。


「う、くっ…」

「あの、一応弁解しておくけど、今笑ったのはオレじゃないから…」

「うむ、妾じゃ」

 なんで威張ってるんだ、コイツは…。

「くぅぅッ、この、バカにして!」

 むきになった少女が扇風機のスイッチを入れる。すると、そよそよとした風がこちらまで吹いてきて顔を撫でた。

「…むっ」

「あれ?」

 途端、背筋にゾクッと悪寒が走る。

 少女が手にしているのはどう見ても市販の小さな扇風機で、今もその小さなファンを懸命に回して風を送っていた。こちらまでの距離は、大雑把な目測だが、十メートル以上はあるはずだ。

 ――なのに、どうして風がこっちまで届いてるんだ?


「気をつけよ、どうやらこれがあの娘の能力(ちから)のようじゃ!」

 何かに気づいたらしい宝石は鋭い語気で告げる。

「能力?!それに気をつけろって言われても…」

 目に見えないものを一体どうやって気をつければよいのか。

「くらいなさいっ!」

 さきほどまで頬を撫でていたそよ風は、気がつけばその勢いをどんどん増して行き、気を抜くと後ろに倒れてしまいそうなほどの強風になっていた。

「くっ…」

「躱せ!そのままではいずれ身動きが取れなくなるぞ」

 宝石に言われるがままに、横に飛び退く。すると、今迄、自分を押さえつけていた風の力があっさりと消える。

「コラッ、避けないで!」

 無茶なコトを口走りながら、少女は再び扇風機をこちらへと向ける。

「なるほどのぅ、風は強くとも、広範囲には流せんということか」

「ああ、そういうコト。だったら――」

 側道のブロック塀に飛び乗り、今度は逆側のフェンス柵へと飛び移る。

「あ、あ、待って、待ちなさい、あっもう!」

 案の定、少女は的を絞ることができず、焦りが顔に出ていた。

「ハハ、こっちこっち」

 風を躱し、少女を翻弄していると自然と笑いが込み上げてきた。

  

 昨日はあんな状況だったので余裕がまるでなかったが、今こうしてこの体を動かしていると、あらためてこの体の凄さに興奮する。3メートル以上もある塀に軽々と飛び乗り、更に高く飛び上がって着地しても膝や踵にはなんの違和感も感じない。人間の身体とはまるで比べ物にならないこの体に、オレはすっかり酔っていた。


「あれ?」

 そうして少女を翻弄して、しばらく戯れていると、突如、ピタリと風が止んだ。

「諦めた、というわけでもなさそうじゃが…」

「…どうだろ?」

「嘘…こんな時に電池切れなんて…」

 どうやら、あのスゴい風を起こしていた扇風機、動力は電池だったらしい。

「えっと、じゃあもう諦めてくれる?」

「嫌ッ!だって、こんなチャンス2度とない!朝陽ちゃんのためにも引き下がるなんてできない!」

 そう言うと、少女はもう一度ポシェットに手を入れ、今度は懐中電灯を取り出し、さきほどと同じようにこちらに向けて構える。

「朝陽(あさひ)?」

 友達か、あるいは仲間だろうか?声の調子から少女の必死さは十分に伝わってくる。

「呆けておる場合か!今度はアレがくるぞ!」

 カチっ、という音と同時に、少女の持つ懐中電灯からオレンジ色の光が放たれる。

「わかって、おっとッ!?」

 寸でのところで、飛び退いて光を躱す。直前まで自分が立っていた地面を見ると、薄っすらと煙が上がっていた。

「ほう、光を束ねた熱か。なかなか器用な芸風じゃのう」

「感心してないで、なんか解決策とかはないのかよっ?!」

「…解決と一言で申すがのぅ、お主、一体どういう解決を望んでおるのじゃ?」

「はあ?」

 咄嗟に宝石の質問の意図がわからず、素っ頓狂な声を上げてしまう。

「暴力か対話か?蹂躙か誠意か?お主はどうしたいのだ?」

「そんなの、今更話してどうにかなるとは、くっ――」

 足元まで迫った光線を躱す。どういうわけか、少女の攻撃はこちらの足元ばかりを狙っており、そのおかげで光線をなんとか躱せていた。


「…では、力尽くということだな、ならば話は早い」

「なにか案があるのか?」

「腰を探ってみよ」

 訳が分からなかったが、言われたとおりに腰に手を当てると、今迄は何も無かったはずの場所に、なにかゴツゴツとした棒のような物が下げられていた。

「ん、なんだコレ?」

 棒のような物を手に取って確かめてみると、それは金属製の筒状の物体で、持ち手にはなにかの爬虫類の革が巻き付けられた柄のようだった。しかし、肝心の柄の先には武器のような物は何も付いておらず、空洞になっていた。 

 まるで、刃の部分だけが何処かへすっぽ抜けてしまったかのようなガッカリな見た目に、体から一気に力が抜けてしまう。


「……」

「フフン!どうじゃ、凄すぎて言葉も出まい」

「あの、宝石さん…」

「なんじゃ?というか、妾のことを宝石などと呼ぶでない!それ、名前ですらないではないか…」

「だって名前知らんもん。とりあえずそれは置いといて、これ何?」

「武器じゃ」

 柄の部分しかない棒きれを武器と言い張るのか!?

「えっと、まあ、仮にこれが武器だとして、これについて何も解らないんだけど…」

「名前は……うむ、『メデューサ』じゃ!今、妾が名付けた。カッコよかろう?下賜された時は、もっと長ったらしい名称じゃったが、どうでもいいので忘れてしもうた」

「そうなんだ…で?使い方は?」

 切羽詰まった状況なので、ツッコミたい気持ちをグッと堪えた。

「ただ振ればよい。その筒の中には我らが創造主が創りし混沌の世界、その領域に棲まう獰猛で狡猾な大蛇が幾匹か繋ぎ留めてある。持ち主には従順な愛い蛇共じゃ。きっと、お主の意も汲んでくれることじゃろう」

「あの、それ大丈夫なのか?噛んだりとかさ?」

 聞いたこともない単語が出てきて頭の上に?マークが現れたが、それよりも『獰猛で狡猾』という響きの方がはるかに気掛かりでならなかった。

「ん~、試せば判る」

「判ってからじゃ手遅れかもしれないだろー!?」

「そんな事より、ほれ、さきほどからお待ちかねじゃぞ」


 さきほどからすっかり蚊帳の外となっていた少女だったが、その表情はさきほどよりも険しく、緊張した面持ちで懐中電灯を握っていた。理由はあきらかで、少女の視線はこちらが手にした『メデューサ』に終始釘付けになっていたからだ。

 険しい顔をした少女と向き合うと、あらためて武器を選んだ自分の選択は、はたしてこれで良かったのかと、胸の内で自問してしまう。これを使ってしまえば、取り返しのつかない結果になってしまいそうで恐ろしかった。


「来るぞッ!」

 しかし、こちらのそんな胸中など知る由もない少女は先手を打って、懐中電灯から光線を放ってくる。

「―――!?」 

 咄嗟に避けようとするが、さきほどまでとは違い、光線は足元にではなく、真正面に向けて放たれていた。

「痛っ!?」 

 腕で視界を庇いながら、光線の外へと逃れる。剥き出しになっていた手が火傷したかのようにヒリヒリと痛んだ。

「呆けているからじゃ!戦いの最中に余計な思考を巡らせるでない!」

「クソッ!」

 痛みを受けたことで、少女のために悩んでいた思考は瞬時に消し飛び、頭の中がカッと熱くなる。


 ――シャァァァーーーー!!


 大きく裂けた口から覗かせた長い舌を震わせると、周囲に耳障りな音が響き渡る。

 

 気がつくと、オレはいつの間にかあの武器を振るっていた。

 筒の中から飛び出してきた一頭の金色の大蛇は、見る者すべてに恐怖を植え付けるかのような音を口から発すると、途轍もなく長い体をうねらせながら、猛スピードで獲物である少女へと迫る。


「ヒィィッ?!」

 真っ赤な双眸に睨みつけられた少女は恐怖で顔をひきつらせるが、それでもなお戦意を失わず、大蛇へ向けて光線を放つ。大蛇は光線を躱す素振りもなく正面から光線を浴びるが、しかし、まるで光線に怯んだ様子はなく、さらに少女へと飛び掛かる。

「きゃあああーーー!」

 今度こそ、完全に戦意を失った少女に、大蛇は容赦なく巻き付き、搦め取ってしまう。その姿は、昔、テレビで見た小動物を捕食する蛇の姿そのものだった。

 


 


 



















 





 



 震える少女の肩を抱き、頭をやさしく撫でる。ビクッと、少女の身体が恐怖で強張るのがわかった。

 




 

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