第5話 紅葉街道

「なぁ、イスカ……どこまで行けばいいんだ?」


 イスカに灰色の外套を着せられ、フードを目深に被せられた後、ナグシャムを出発してからずいぶん経つ。満月の夜の紅葉街道は、虫の鳴き声が響き渡っていて風情があるが、“辻斬りが出る”という情報もあるし、魔物に襲われる可能性も高いので、あまり長居したくはない。


「ふふふ。もう少しだよ、アルド」


 このやりとりも、もう何度目だろうか。問うてもイスカははぐらかすばかりで、一体何の目的があって、どこまで進めばいいのかちっとも教えてくれない。アルドはそのことを不満に思いながらも、これまでの彼女の慧眼を信用して、黙って従うことにしたのだった。


「イスカが言ってた“アテ”は、紅葉街道にあるのか?」


 ナグシャムとイナナリ高原を繋ぐ紅葉街道の中腹、昼間訪れたリンドウの隠れ家からそんなに離れていない場所で、質問を変えて問いかけてみると、イスカは周囲を警戒しながら応えた。


「そうさ。夜の紅葉街道にね」

「それってまさか……」


 刹那、強い風が吹いて、紅葉街道に植った木々が大きな音を立てる。その音に紛れて、小さく軽い足音が近づいてくるのが聞こえた。嫌な予想が当たってしまったことを忌々しく思いながらも、アルドは剣を抜いて、繰り出された一撃を受け止める。

 襲撃者は、アルドたちと同じように、黒の外套を身に纏い、フードを目深にかぶっているので、その顔がどんなものかは見えなかった。けれど小さな体格や攻撃の重さから鑑みるに、おそらく女性だと思われた。素早く身を翻しながら、鋭く刀を振るって、確実に急所を狙ってくる。本気でこちらの命を狙っているのだ――この女性が、世を騒がせている辻斬りなのだろう。アルドは、彼女の攻撃をなんとか弾き返しながら反撃の機会を窺う。

 一方イスカは、戦えないフリをして一度逃げ出して、隠れながら隙を窺っていた。外套にうまく隠していたので、帯刀しているのは、つまり戦えるのはアルド一人だと思っているだろう。

 彼女が刀を大きく振るったのを、アルドが受け流す。その時わずかに彼女の身体がぶれて、隙が生まれた。その瞬間にはすでにイスカは、彼女の後ろを取っていた。イスカの居合は、辻斬りの女性の身体、ではなく、目深に被ったフードを切り裂く。


「――チェックメイトだね、スイセン」

「――スイセン?!」


 満月の下に晒された、黒い髪と見知った顔を見て、アルドは思わず自身のフードを外して正体を明かしてしまう。それに倣うようにして、イスカもまたフードを外した。

 女性――スイセンは、大きな瞳を見開いていたが、すぐに表情を引き締め、再度刀を構える。


「……商人だなんて、嘘ついてたのね」

「すまなかったね。けれど、嘘をついたのはお互い様だろう?それに、リンドウの刀を素晴らしいと思っているのは本当だよ」

「そう。だったらこの刀の錆になって頂戴」


 スイセンが構えている刀は、昼間彼女が持っていた刀とは別の刀だった。その波紋も、切先の形状も、拵えの装飾までが、未来から持ち込んだ妖刀“竜胆りんどう”と酷似していた――間違いなく、あれはこの時代の、‟妖刀と化す前の竜胆”だ。

 イスカの言う通りだった。リンドウの刀に強い愛着を持つスイセンは、当然、偽物ぎぶつだと知りながらも、刀を鑑定に出さず所持し続けていた。イスカがリンドウの刀の行方についてカマをかけたときも、"六口しかない”と偽ることで、こちらを諦めさせたのだ。


「スイセン、どうして……どうして辻斬りなんて」


 アルドは、全てのピースが綺麗に揃っていることを理解していながら、それでも納得できずに、スイセンに問う。衝撃と、疑問と、そして悲しさに顔を歪ませるアルドを見返したスイセンの瞳は、どこまでも透明で、無感情だった。


「言ったでしょう?“夜になるまでにナグシャムへ戻って”って」

「オレたちを心配して言ってくれたんだと思ったよ……」

「あなたたちとこういう形で再会したくなかったからよ。でも、忠告を聞かないで、ご丁寧に外套まで被って――……辻斬りの正体を暴くために、わざと襲わせたんでしょう?」

「えっ……」


 慌ててイスカを見るが、彼女は至極冷静な表情で、まっすぐにスイセンを見つめていた。スイセンの言を肯定も否定もしないイスカは、軽く目を閉じ、ふわりと髪をかき上げて、一歩前へと進み出る。


「旅人がわたしとアルドだとわかっても、刀を納める気はないんだね」

「顔を見られたからには、見逃せない。まだ捕まるわけにはいかないの!」

「イスカッ!」


 無防備なイスカに対して、スイセンは容赦なく刀を振るう。

 二度、スイセンの刀を受け止めたアルドは、彼女が才に溢れた強い剣士だということを肌で感じている。さらに彼女の持つ刀は、八百年先の未来ですら簡単に見抜けぬほど精巧に造られた“猫正”の偽物だ。彼女が振るったあの刀を受ければ、斬られたことに気づかないうちに即死するだろう。

 イスカを庇うのは間に合わないと踏んで、スイセンの横っ腹目掛けて剣を薙げば、咄嗟に反応したスイセンによって軽く流され、そのまま疾い追撃が飛んでくる。なんとかそれも受け止めて、鍔迫り合いに持ち込んでみるが、それすらもうまく解かれて、再び距離を保たれてしまった。

 こんな状況に陥ってなお、まだイスカは刀を抜かない。


「わたし達は、きみを役人に突き出す気はない。ただ、理由が知りたいんだ。誰よりもリンドウを大切に想っているきみが、リンドウの刀を使って、辻斬りなんて非道な真似に手を染めた理由がね」

「黙れ!!」


 スイセンが再び動く。ここで漸く刀を抜いたイスカと、スイセンの刀が思い切りぶつかって、キィンと甲高い音が鳴り響いた。アルドはイスカに加勢すべきか悩んで、暫し見守ることにする。スイセンを挑発するようなことを言ったのには何か考えがあるはずだ。


「誰にも!理解できるものか!どんな想いで、私が、リンドウの傍にあったか!」

「……ッ」

「何もできなかった自分を、どれだけ悔やみ、憎んだか……!」


 圧の増した斬撃が、容赦なくイスカを襲う。感情のままに叩きつけているようでいて、一点の曇りもない鋭い太刀筋が、幾度も幾度も振り下ろされていた。イスカは、危うげなく、丁寧にそれらを捌きながら、スイセンとの対話を試みる。彼女の想いを受け止めるようにして。


「今の私にできることは!唯一残されたこの刀を使って、リンドウの名を広めることだけだ!」

「凶悪な辻斬りの愛刀としてかい――?」

「そうだ!それ以外に方法はない!」


 罪人の烙印を背負い裁きを受けたリンドウの打った刀――しかも“猫正”と銘打った偽物――が、東方で評価されることはない。西方の商人なら引き取ってくれるかもしれないが、二束三文で買い叩かれてしまうだろう。だからこそスイセンは、“商人だ”と名乗ったイスカの言葉を、半信半疑であっても嬉しく思って受け入れてくれたのだ。

 辻斬りは、そんな状況で、刀匠リンドウの名を広めるために、スイセンが思いついた最後の手段だった。たとえ悪名であったとしても、たとえスイセン自身の命が危険に晒されることになったとしても、たとえ一度は心を許した相手を斬ることになったとしても、心を病み、腕を潰され、二度と刀が打てないリンドウの為に、そうなった今でも深く愛してやまないリンドウの為に、そんなリンドウを守れなかったことを償いたい自分の為に。

 だけど、そうやって怨嗟を溜め込んだ先にやってくる未来に、“竜胆”の名は無い。


「――そんなの、間違ってるよ、スイセン……」


 泣きそうになりながら小さく呟いたアルドの言葉は、それでも激しい剣戟を交わすスイセンの耳に届いた。瞬間、イスカの峰打ちがスイセンの腕を捉え、彼女の手から離れた刀が宙を舞い、遠く離れた大地に突き刺さる。膝から崩れ落ちるようにしてしゃがみこんだスイセンは、昼間と同じように静かに涙を流していた。


「わかってる――……わかっている。こんなことをしても、リンドウは喜ばない」

「スイセン……」


 スイセンの小さな手が、ぐしゃりと紅葉街道の土を握りしめる。ぱたりぱたりと零れ落ちる涙が、満月に照らされたそこに黒い染みを作っていく。


「だけど、それでも、私は――ッ!」


 スイセンの瞳に暗い光が灯る。その瞬間、ドクンとアルドの身体が強く脈打ったかと思えば、力が吸い取られるような感覚がして、思わず膝を付く。滲む視界の隅に、赤黒い衝撃波のようなものに吹っ飛ばされ、地を転がるイスカの姿が見えた。

 妖刀“竜胆”が目を醒ましたのだ。アルドの背に負われていたはずの妖刀は、アルドの元を離れ、抜き身の状態でスイセンの目の前に浮かんでいた。


「な……何なの……?」

“――あなたのねがいはなに?”


 自身が持っていた刀と寸分違わず同じものが目の前で宙に浮かんでいることに戸惑うスイセンだったが、妖刀“竜胆”の問いに目を見開く。


「わ、たしの……願いは……!」

「スイセン!ダメだ!」

「私の願いは!リンドウの刀が正しく評価されること!」


 アルドもイスカも、なんとかスイセンを止めたくて、必死に立ち上がろうとするけれど、妖刀“竜胆”が発する赤黒い衝撃波は未だ発されていて、その場にとどまることで精いっぱいだった。

 スイセンは、強い意志を覗かせる瞳でまっすぐに妖刀“竜胆”を見据え、手を伸ばす。


“わたしのねがいをきいてくれたら、あなたのねがいをかなえてあげる”

「なんだって聞いてやるわよ……!リンドウの為ならなんだって!!」

“ならばけいやくせいりつだ”

「スイセンーーーーーーッ!!!!」


 赤黒い衝撃波が渦を巻いて、スイセンと妖刀“竜胆”を取り囲む。アルドの制止の声もむなしく、ゆっくりと立ち上がったスイセンの指先が“竜胆”の柄に触れると、辺り一帯が強い光に包まれてしまったのだった。

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