第4話 隠者の荒屋
落葉樹が美しい紅蓮に染まる紅葉街道の外れに、ひっそりとその
「あのー、すみません!」
アルドとイスカは、声をかけながら民家に近づいてみることにした。ここがナグシャムから落ち延びたリンドウの隠れ家なのかはわからないが、住民を驚かせたり、警戒させたりしてしまうことは避けたかった。
しかし返答はない。ロープを引いて干された洗濯物の下に置かれた籠の中に、まだ干されていないものが放置されているにも関わらずだ。
その時、畑を守る案山子の腕に取り付けられていた大きな風車が、カラカラと音を立てて回った。その音に紛れて、微かだが、軽やかに土を踏みしめる音が聞こえて来る。
「――イスカ、下がるんだ!」
そう言ってイスカを庇うように前に出たアルドの、咄嗟に抜いた剣が、鋭く重く繰り出された一撃を受け止め、甲高い金属音が鳴り響く。
目の前にいるのは、両手で刀を構えた小柄な女だった。黒く長い髪を一つにまとめ、
女は、奇襲に失敗したことを察すると、鮮やかな蹴りでもってアルドを退け、素早く距離を取って、全く隙のない構えで睨みつけてきた。
「貴様ら、何の用があってここへ来た!」
「えっと、オレたちは――」
「命が惜しくば、疾く去られよ!」
なぜ来たのかと聞いておいて、こっちの返事は聞かないのか!?
思わずそう声を上げそうになったアルドだったが、般若の形相を浮かべた女が刀を構え直したので、緊張が走る。このまま膠着状態に陥るだろうと思われたその時、アルドの背に守られていたイスカが顔を出し、腕に触れてきた。どうやら剣を納めろということらしい。
「突然訪ねてすまない。わたしはイスカ。こちらはアルド。わたしたちは夫婦でね。西方で武器屋を営んでいるんだ」
「ふっ?!」
夫婦?!!?!と叫びそうになったところで、脇腹の肉を思い切り摘まれて、必死で言葉を飲み込む。ここはイスカに任せておいた方が良さそうだ。
「紅葉街道に、素晴らしい刀鍛冶が住んでいると聞いてね、探していたんだ。出来れば刀を譲って欲しい。勿論、代金ははずむつもりだよ」
はずむようなGitなんて持っていないぞ!と、ハラハラしながらも、アルドはイスカをじっと見守る。おそらく、アルドとイスカはまったくもって商人っぽく見えないだろうから、話を信じてもらえるかどうかは、イスカの話術にかかっているのだ。
案の定、“信用できない”と言わんばかりの表情で、刀を構えたまま、女はイスカを睨みつけている。
「なんでも、“猫正”と並ぶほどの腕を持っているそうだね。稀少なその刀を西方に持っていって、“
イスカは、“竜胆”の、武器として、また美術品として優れている点を事細かに上げ連ね、いかに高い価値を持つものであるかを力説した。その弁は、よくよく聞けば、以前考古学マニアが語っていた内容とだいたい同じだったのだけれど、アルドの目には、イスカが目利きに優れた商人であるかのように映った。イスカにとってここはいま舞台の上で、彼女は与えられた役を完璧に演じたのだ。
「……詳しいのね。だったら、話は聞いているでしょう。リンドウはもう、刀を打つことは……」
とりあえずイスカの話を信じたのだろう。女は、刀を下ろし鞘に収めながら、悲しげに目を伏せる。その言動は、ここがリンドウの隠れ家で、さらに彼女がリンドウと近しい人物であると確信を持つには十分だった。
「もちろん、昔打った刀で構わないんだ」
「残っていないのよ。リンドウは、気に入らない刀はすぐに処分してしまう人だったし、完成品も六口すべてガーネリ様に没収されてしまったから」
“ガーネリに没収された完成品”――“猫正”と騙った偽物だろうが、“竜胆”と銘打った刀だろうが、おそらくすべて回収され、処分されてしまったのだろう。法を犯した者の作品が辿る道としてはありふれたものかもしれないが、さぞ素晴らしい刀だっただろうに、とても勿体ないことだとアルドは思う。勿論、“猫正”の名を騙ったことは許されることではないけれど。
「六口すべて?不思議だね。リンドウの作品は全部で七口だと聞いたよ。残りの一口はどこへ?」
イスカが続けた言葉に、驚いて言葉を発しそうになってしまうのを必死に堪える。リンドウの作品が七口だなんて、いつのまに調べたのだろう。イスカとはずっと一緒にいたはずだし、てむてむや猫正はそんなことは言っていなかったはずなのに。
しかし動揺していたのはアルドだけではなかった。蒲公英色の小袖を着た女は、一瞬言葉を失ったように固まって、青白い顔で受け答えを続ける。
「……そう。そんな噂があるの。期待を裏切って悪いけれど、リンドウの刀は六口よ。私が言うんだから間違いないわ」
「……あなたは?」
「私はスイセン。リンドウの妻よ」
“申し遅れてごめんなさい”と続けた女――スイセンは、イスカの視線に気が付いたのか、彼女が持っていた刀を投げて寄越した。彼女の表情は、“見ればわかるでしょうけど、この刀はリンドウの作品ではないわよ“とでも言いたげだった。イスカはその刀を、鞘から引き抜いてまじまじと眺める。アルドが持っている妖刀“竜胆”とは、形状が何もかも全く違っていて、別の刀鍛冶の作品であるだろうということはすぐにわかった。
イスカは、渡された刀をスイセンに返しながら、にこりと微笑む。
「色々教えてくれてありがとう、スイセン。リンドウの刀を手に入れるのは諦めることにするよ」
「ええ、それがいいと思う。こちらこそありがとう。リンドウの刀を正しく評価してもらえて、とても嬉しかったわ」
ガタン!と大きな音が荒家の中から響いてきたのはそのときだった。スイセンは、弾かれたように駆け出し、荒家の中へ吸い込まれていく。
「アルド、わたしたちも行こう」
「あ、あぁ」
アルドはいまいち状況がつかめていないが、イスカの瞳は全てを見通しているかのように澄んでいる。土足を脱ぎ、もふもふに履き替えてから荒家に上がらせてもらって、狭い廊下を抜けて居間へとたどり着くと、そこには布団が敷かれていた。直前まで誰かがそこで休んでいたかのようだ。
「おはよう、リンドウ。一人で動いちゃダメじゃない。怪我しなかった?」
奥の部屋からスイセンの優しい声が聞こえてきたので、ゆっくりと覗き込む。そこには、畳の上に横たわる男と、彼を抱きかかえるスイセンの姿があった。
男は、スイセンより少し年上だろうか。カサついた頬や顎に無精ひげが生えていて、肩口くらいまで伸びた黒髪は、耳の横あたりまでが斑に白く変化していた。身長は高く大きな身体をしているようだが、がりがりに痩せていて、とても元刀工だとは思えないくらいだ。めくれあがった袖から覗く細い腕には、大きな傷痕がいくつも残されていて、とても痛ましかった。あれでは日常生活にすら支障がありそうだ。
スイセンは、愛おし気に、けれど寂し気に、男を見つめて、柔らかそうな髪に指を通してやっていた。夫婦の穏やかな時間だ――男が、スイセンに対して一切反応を返さず、ぼんやりと虚空を眺めるばかりである点を除けば、の話だが。
「……あなたたち……」
アルドとイスカの存在に気が付いたスイセンは、ぎゅっと男を抱きしめた後、くしゃりと泣きそうな顔で微笑んだ。
「入って来ちゃったのね」
「ごめん。何が起きたのか、心配だったんだ。手伝うよ」
「ありがとう」
アルドは、スイセンに代わって、男を背中に担いで先ほどの布団に戻してやった。アルドより十数センチほど背の高い男の身体は思っていたよりも軽く、そんなに苦労しなかった。とはいえ、スイセンのような小柄な女性が一人で世話をするのはとても大変なことだろう。しかも、男からは自分で歩こうという意思を感じないので、荷物を運ぶのとそんなに変わらない感覚だ。
アルドが無事に男を布団に寝かせ一息ついていると、スイセンがお茶を入れてきてくれた。イスカと二人、男の傍に並んで座って温かい茶をすすっている間、スイセンは、濡れた布で男の身体を拭いてやっていた。
「この人が……?」
「ええ、リンドウよ」
スイセンが間を置かず応える。男――リンドウは、スイセンが着物を寛がせて、身体をあっちこっち転がしながら汗や汚れを拭き取る間、ぴくりとも動かなかったし、うめき声一つ発しなかった。まるで、身体がただここにあるだけで、魂はどこかに行ってしまっているとでもいうように。
何も聞けずに黙ってしまったアルドとイスカを見かねてか、スイセンは、手は止めずに口を開く。
「近所のお兄ちゃんだったのよ。楽しそうに刀の話をしてくれた。私はそんなリンドウをいつも追いかけていて――木登りしてまで姿を探したりして」
リンドウにきっちりと着物を着せて、布団をかぶせた後、瞼に手を重ねて目を閉じさせたスイセンは、細い指でリンドウの手に触れた。そのまま彼の手を両手で包み込む。
「そんな彼が大好きだった。“リンドウの刀を使って、いつか大剣豪になるんだ!”なんて言ってね。そんな才能ないくせに、剣術を必死で学んだ」
「……」
「だけど、私が十六歳のとき、リンドウが、村を出てナグシャムに行くって言いだしたの。私、どうしても彼と離れたくなくて――押しかけ女房になってやったのよ。今思えば、よく受け入れてくれたものだわ」
思い出を懐かしんで、“ふふ”と楽し気に笑ったスイセンだったけれど、じわじわとその瞳に涙が溜まっていく。
「でも……でも私、リンドウを支えてあげられなかった」
ぱたりと、リンドウの痩せた手の甲に、雫が落ちた。ぱたり、ぱたりと染みを作っていく。
「素晴らしい刀を打てば打つほど、“猫正”と比べられるようになって、リンドウの心は壊れてしまったの。才能に溢れていても、いつだって自分に自信が無い人だって……優しい人なのに、自分にだけは厳しすぎる人だって知っていたのに」
「……スイセン……」
「がんばれって私が言うたびに、リンドウはきっと苦しかった。応援して、支えているつもりだったのに、追い詰めてた」
後悔を滲ませた小さな背中が震えていた。それでもリンドウは、黙って目を閉じ動かない。スイセンが言うように、リンドウの心はどこか遠くへ行ってしまっていて、目の前で起きていることを把握することも、自分の身の世話すらも満足にできない状態なのだ。
人里から離れた場所で、たった一人でリンドウの世話をしながら暮らすことは簡単なことではないだろうに、それでもなお献身を続けるのは、愛ゆえか、それとも己を責めるがゆえか。
胸が痛くて、アルドは俯くことしかできなかった。なんと声をかけてやればよいのかわからない。
「時々ね、さっきみたいに、リンドウが自分で動こうとすることがあるの。筋力が落ちているから、遠くには行けないんだけど……私から逃げたいのかもしれない」
「そんなことはないよ」
代わりに声をかけてやったのはイスカだった。イスカは、スイセンの背をゆっくりと撫でてやりながら、落ち着いた優しい声で言葉を紡ぐ。
「きみの想いは、彼に伝わっていたさ。それに、心がここに無くたって、きみがこうして傍にいて尽くしてくれたことは、彼に響いているはずだ。きみの名を呼べなくても、きみに触れることができなくても、きっと」
「そう、かしら……そうだったら、いいなぁッ……」
スイセンが落ち着いた頃、アルドとイスカは、リンドウの荒屋を後にすることにした。あまり長居しても邪魔になるだろうと思ってのことだった。
「それじゃあ、スイセン、元気でな」
「ええ。アルドとイスカも」
「リンドウの快復を願っているよ」
そんな挨拶を交わし、スイセンに背を向けて、紅葉街道へと進み出すと、後ろからスイセンの声が響く。
「夜までにナグシャムに戻ってね!必ずよ!」
「わかった!心配してくれてありがとう!」
――そういえば、紅葉街道には最近、夜になると辻斬りが出るのだったか。以前イトイスで、猫正が言っていたことを思い出しながら、アルドは笑顔で手を振った。
しかし、スイセンとリンドウは大丈夫なのだろうか。辻斬りと言うからには無差別に人を襲う通り魔のような存在なのだろうから、荒屋に住む二人が襲われないという保証はない。もしも襲われてしまったら?スイセンは、たった一人で、リンドウを守り切れるのだろうか?
こちらを見送るスイセンの姿が見えなくなった頃、アルドがそんな不安を抱いて、イスカに相談しようとした折、先に口を開いたのは彼女だった。
「リンドウが贋作に手を出したのは、心を病んでしまったからだったんだね」
「あぁ……悲しいことだよな……」
スイセンが話してくれたことは、想像していたこととは少し違っていた。例えば貧しくて仕方なくとか、例えば悪いやつがお金儲けの為にとか、そういうありふれたことを想像していたのだ。
アルドが幼い頃、描いた絵をフィーネのものと比べられたときの気持ちを思い出す。フィーネちゃんの絵は上手なのに、アルド君の絵は下手だね、なんて言われたことは、今でこそ笑い話だけれど、そのときは酷く傷ついて憂鬱な気持ちになったものだ。あの時は、フィーネや祖父が無理やりにでも絵を褒めてくれたから、アルドの中に大きな傷跡として残ることは無かったけれど。
素晴らしい技術を持つ刀匠リンドウが背負っていた期待と重圧は凄まじいものだっただろうし、きっと、良いところを褒めてくれる声よりも、悪いところを指摘する声の方が大きく聞こえていただろう。そんな日々が長く続けば、心を病んでしまう気持ちは想像できるような気がした。
「そういえば、イスカ、リンドウの作品が全部で七口だなんて、どうやって調べたんだ?」
「調べてなんかいないよ。カマをかけただけさ」
「えぇっ!そうなのか!?」
「この時代で、“竜胆”を隠し持っているとしたら、彼女しかいないと思ってね」
本当にイスカには敵わないなぁ、とボヤいてみると、イスカはくすくすと微笑んで、視線をアルドの手に握られた妖刀“竜胆”へと移す。
「それで、“竜胆”は何か言っているかい?」
「いや、何も」
リンドウに会っても、スイセンに会っても、妖刀“竜胆”は沈黙したままだった。“竜胆”に異形が憑りついてしまった事件は、この時代に起きた出来事ではないのかもしれない。そうだとしたら、やはりこの時代のどこかに存在するはずの、“妖刀と化す前の竜胆”を探し出さなければならない。
「どうしよう。手がかりがなくなっちゃったな」
スイセンは、“六口すべて没収された”と言っていた。つまりその六口以外にリンドウが作製した刀は存在しないということになる。ということは、ガーネリが回収したその六口の中の一口が、処分されずに残っていたということなのだろうか。まずはガーネリに会って、リンドウの刀の行方を聞き取って――……そんなことを頭の中で考えていると、イスカがアルドの顔を覗き込んできた。
「それについては、アテがあるんだ」
「本当か?!」
思わず大声をあげてしまったアルドに、イスカは不敵に微笑んだのだった。
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