第3話 隠れ里イトイス

 深々と雪が降り積もる隠れ里イトイス、その外れにある民家。アルドとイスカは、未来から持ち込んだ例の刀を、猫正とその弟子てむてむに見てもらっていた。


「ふむ、これはワシが打った刀ではないよ」


 鞘から抜かれた刀を見るなりそう言った猫正は、“あとは任せた”と言わんばかりにてむてむへと視線を送って、“よっこらせ”と呟いて立ち上がり、家の外へと出て行ってしまった。おそらく、遠い未来の世界で妖刀と化したのが自分の打った刀ではないとわかって興味を失ったのだろう。

 一方、てむてむは、アルドの助言に従い、刀に触れることこそしないが、鼻先がひっついてしまうのではないかと思うほど顔を近づけ、じっと観察している。考古学マニアと同じように、なかご――てむてむの指示でアルドが柄を外したのである――の銘まで眺めて、一つ頷いた。


「そうですね、これは、“”で間違いないかと思います」

「リンドウ?」


 てむてむ曰く、“竜胆りんどう”――リンドウとは、かつてナグシャムに住んでいた刀匠の名らしい。猫正の名を騙って刀を打ち、流通させた罪で裁かれ、罰として両腕を潰されて、二度と刀を打つことができなくなったとか。その折に、リンドウの刀は、根こそぎ処分されたのだという。


「師匠の刀はそれほど素晴らしいんです……!リンドウ程の名匠も思わず真似をしたくなるくらいに……!」


 酷く興奮しながらそう語るてむてむに、アルドとイスカは顔を見合わせた。

 やはり、てむてむに名匠と呼ばせる程の刀鍛冶が、他人の名を騙って刀を打つのは不自然なように思う。職人というものは、その技術が確かであればあるほど、己の信念に従い丹精込めて作品を作るし、そうやって幾多の苦労の末完成した作品に誇りと自信を持っているから、決して他者の名声を利用して利益を得ようとは考えない人種のはずだ。もちろん、全員がそれに当てはまるわけではないだろうが。

 しかし、だからこそリンドウの刀は、八百年後の世界で、妖刀と化すだけの可能性を秘めているのだとも言える。


「なぁ、てむてむ。そのリンドウって刀匠が、いまどこにいるか知ってるか?」

「そうですね……紅葉街道に落ち延びたという噂を聞いたことがありますが、僕もあまり詳しくは」

「紅葉街道か……ありがとう」


 詳しいことがわからなくても、刀を打った職人の名がわかったことや、その人が今も存命であること、またその人を追う手がかりを得られたことは、大きな収穫だと言えるだろう。

 アルドは、手早く刀を片付けると、てむてむにきっちりとお礼を告げて、イスカと共に民家の外へと出た。そこには、猫正と、猫正に撫でられてゴロゴロと喉を鳴らす、猫正によく似た糸目の猫――ボタという名前だったか――がいたので、てむてむと同じように礼を告げる。


「紅葉街道に行くなら、気をつけるんじゃぞ」


 去ろうとしたところで、猫正がおもむろにそう声をかけてきたので、立ち止まって振り返る。もふもふとした猫正の手は相変わらずボタの首元を撫でていたし、細い目がこちらを見ることはなかったけれど、その背中からは、“話を聞いて行け”という強い圧があった。かわいらしい姿をしていても、彼は一流の刀鍛冶で、纏うオーラは何かを極めた達人の持つそれである。


「夜になると辻斬りが出るらしい」

「辻斬り……?」

「うむ。イトイスの民にも、襲われ、命からがら逃げ帰って来た者がおる。腕の立つお前さん達なら心配いらんじゃろうが」

「いや。猫正殿、ご忠告痛み入るよ」


 改めて礼を告げ、今度こそ猫正の家を後にした二人は、紅葉街道に向かうべく隠れ里イトイスを進む。その間、イスカが何やら物憂げに思案している様子だったので、アルドは声をかけてみることにした。


「なぁ、イスカ。この刀――妖刀“竜胆りんどう”は、どうして“猫正”って銘を彫られたんだろう?」


 誰もが口を揃えて“素晴らしい出来だ”と評価するこの刀に、どうして他者の銘を彫る必要があったのか、何度考えてもそこがひっかかってしまう。アルド自身は品評ができるほど武具に精通しているわけではないけれど、美しい波紋や、長い年月を経てなお刀身に錆や刃こぼれがないことから、元来の出来がとても素晴らしいことくらいはわかる。こしらえはシンプルな造りをしているので、美術品としての価値はあまり高くないかもしれないが、武器としてはきっと最高峰の出来なのだろう。

 アルドの問いに、イスカは苦笑を浮かべながら目を細めて、柔らかい声で応える。


「仮に全く同じ品物でも、そこにつけられた銘の違いで、天と地ほども違う価値が付くことがあるんだよ」

「全く同じ品物なのに?」

「名が通っていて、かつ希少な銘が入っている方が、そうでないものよりも需要が高まり、価値が高くなるだろうね」

「うーん、よくわからないな。同じ品物なら、安く手に入る方がいいじゃないか」

「アルドらしいね」


 首を傾げるアルドに、イスカはくすくすと笑った。そうして、その視線を、アルドの手の中に納まっている妖刀“竜胆りんどう”へと滑らせる。


「この時代で、“猫正”の銘には、他の追随を許さないほど圧倒的な価値がある。リンドウが、たとえどれだけ素晴らしい刀を打つことができても、“猫正”が存在する限り、評価を得るのは難しかっただろうね」

「……どこまでいっても比べられちゃうってことか」


 仮に“猫正”より優れた部分があっても、“猫正”より劣る部分だけをクローズアップされてしまえば、“竜胆”は正しい評価を得られない。“猫正”はすばらしい、“猫正”のほうがよかった、“猫正”が欲しかった、“竜胆りんどう”なんていらないと言われてしまったとしたら、名匠の中に確かにあったはずの信念も、いつのまにか萎れてしまったのかもしれない。


「わたしも、“竜胆りんどう”はとても素晴らしい刀だと思う。“猫正”と比べて優劣を競わせるのではなく、“猫正”と並べて双方の素晴らしさを讃えたい」

「うん……わかるよ、イスカ」


 贋作がんさくの是非はともかくとして、アルドの手の中にある“猫正”を騙った“竜胆りんどう”が、正しく評価されるようになればいいと思う。今すぐには無理なんだとしても、遠い未来のエルジオンで、猫正と並ぶ名匠としてリンドウの名が轟けばいいと。もしもそういう未来が来るなら、きっと、あんな悲し気な異形が生まれることはないだろうから。

 そこで、ふと先ほどてむてむが言っていたことを思い出して、アルドは眉を顰めた。


「でも、リンドウが裁かれた時に、リンドウの打った刀は根こそぎ処分されたって言ってたよな」


 もしもそうだとしたら、エルジオンにリンドウの名が残ることはないだろう。いや、しかし、今まさにリンドウが打った刀は自分の手の中にあるのであって――そんな矛盾に気が付いて、軽く混乱してしまう。イスカは、そんなアルドに視線を送ってから、“ふむ”と顎に手をあてながら呟いた。


「何らかの方法で、偽物ぎぶつであると特定されるのを避けたんだろうね」

「そんなことできるのか?」

「エルジオンの技術をもってしても、この刀が“猫正“の偽物ぎぶつであると見抜くのは難しかった。そうまで精巧に造られたものなら、この時代で特定するのはもっと難しかったはずだよ」

「疑わしきは罰せずってことか」

「もしくは、そもそも鑑定を逃れたという線もある」

「どういうことだ?」

 

 イスカがこうやって、思案し、複雑に絡み合った謎を一つ一つ紐解いていく姿は、まるでミグランス王国国立劇場のとあるストーリーの登場人物のようだ。かの舞台で、難事件を華麗に解決していく名探偵を演じたイスカは、それはそれは高く評価されたものだが、舞台を降りた現実世界でも十分やっていけるのではないかと思う。


「市場に流通していれば、“猫正”と名の付く刀は一本残らず鑑定されただろうね。けれど、流通していなかったら?」

「えっと……例えば、ずっと大事に家にしまっておいたとか?」

「そうだね。それなら、持ち主が希望しない限り、鑑定されないまま未来まで残っていても不思議じゃない」

「だけど、“猫正”の偽物ぎぶつが流通してるって知ったら、自分が持っている刀が本物かどうか確かめたくなるものなんじゃないか?」


 アルドの問いに、イスカは満足げに頷き、“そうさ。そこなんだよ”と続けた。


「つまり、持ち主は、“最初から偽物ぎぶつであると知っていた”んじゃないかな?」

「知ってても手元に置いておきたかったわけか……」

「それくらい刀に思い入れがある人物ということだね」


 そんな人いるんだろうか。いたとして、どんな人物なんだろう。どんな思い入れを持っているんだろう。

 遠い未来の世界で、どうして自分を含む全てを殺してしまいたいと思うようになったのか。この妖刀“竜胆りんどう”のルーツを知るには、現代――つまり過去に、偽物ぎぶつと知りながらも“竜胆りんどう”を手放さなかった人物に会って話を聞くのが近道だと思う。その人に会ったら、妖刀と化す前の“竜胆りんどう”に出会えるかもしれない。そうしたら、妖刀“竜胆りんどう”は、自分のことを思い出すことができるかもしれない。


「なぁ、“竜胆りんどう”。何か思い出さないか?」


 エルジオンで姿を現して以来、沈黙を貫いている妖刀に声をかけてみる。IDAスクールで男子生徒が女子生徒を襲った事件も、エルジオンで異形と出会ったことも、異形と言葉を交わしたことも、すべてが夢だったんじゃないかと思うほど、妖刀“竜胆りんどう”は静かだ。

 イスカと二人、肩と頭上に少し雪が積もるくらいの時間待ってみたけれど、やはり返答はない。答えないということは、何も思い出さないということなのだろう。

 アルドは、自身に積もった雪を払いながら、イスカに苦笑を向ける。今できることは一つだ。


「……そろそろ出発しようか」

「そうだね」


 紅葉街道へ落ち延びたという刀匠“リンドウ”を探して、二人は隠れ里イトイスを発つ。

 寒さのせいか、イスカの鼻が赤くなっているのが可笑しくて、“赤くなってる”と自分の鼻をつつきながら揶揄うと、目を丸くしたイスカが、“きみもじゃないか”と笑ったのだった。

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