第2話 曙光都市エルジオン
「ふむ、これは素晴らしい刀だ。確かにミグランス王朝時代の作品だね……美しく、繊細で、それでいて力強い!」
エルジオンのシータ区画に住む考古学マニアの男は、その眼鏡を光らせながら、アルドとイスカが持ち込んだ刀をまじまじと鑑定していた。興奮した様子でああだこうだと刀の感想を述べていた男だったが、刀の柄を外し、
「アルド君。ここに刻まれた銘を見てほしい」
「ふむ。ね……こ……ま……さ……猫正!?ってあの!?」
差し出された刀に刻まれた銘は、“猫正”だった。現代ガルレア大陸の、雪深きイトイスに暮らす猫又の男だ。
「そう、あの“猫正”だ!ミグランス王朝時代の名匠!何口も傑作を残し、現在まで語り継がれる伝説の存在だ!」
“猫正”がそんなに素晴らしい人物だとまでは知らなかったアルドは、あのてむてむと暮らす糸目の男と同一人物であると頭の中で結びつけるのに苦労したのだが、そこはなんとか言葉を飲み込むことができた。話の腰を折らずに済んで良かった。
「私はこれまで、“猫正”の刀を、資料・実物問わず何十口も見てきた!“猫正”の刀なら絶対に間違えない自信がある!」
「おぉ……すごいな!頼もしいぞ!」
「のだが、この刀については自信がない」
「なんじゃそりゃ」
考古学マニアの男の言葉に思わずがくっと肩を落としたアルドだったが、“ふむ”と頷いたのはイスカだった。
「つまり、全体的な作風は“猫正”作の刀に酷似しているが、肝心の銘に不審な点があるということだね?」
「そういうことになる……あまり言いたくはないが……」
「偽物の可能性が高い、と」
「ギブツ!?って、猫正の名を騙ったニセモノってことか!?」
所持する者に声が聞こえたり、幽霊のようなものが見えたり、手放しても戻ってきたり、刀に操られて周囲の者を襲ってしまったり――真偽の程は定かではないとは言え――と、曰く付きの刀に、更に
「とはいえ、私の思い違いかもしれない。銘に後から加工を施した様子が無い以上、この銘は刀工本人が彫ったものだろう。しかしここまで精巧を極めた刀を打つ技術を持った刀工が、なぜ自分の名を彫らなかったのか、疑問が残る」
オークションハウスで取引されていたということは、鑑定士の目を一度は欺いたということだ。“ミグランス王朝時代の作品”としか
“猫正”によっぽど思い入れのある人物が打った刀なのだろうか。それとも、猫正が、たとえば寝ぼけていたり、銘を刻む瞬間にくしゃみをしたりして、なんとなく違和感が残る作品になってしまったのだろうか。
猫正のことはそんなに良く知らないアルドだが、あの猫又の顔を思い浮かべると、どうしても後者のほうがイメージしやすくて、頭をぶんぶんと振ってリセットした。調査を進めるにあたって、先入観を持ったり、思い込みをしたりするのは良くない。
「わかったよ、教えてくれてありがとう」
「どういたしまして。それで、この刀は一体いくら払えば私に譲ってくれるんだい?」
「えっ!?」
「マクミナル財団の財力をもってすれば、君に満足してもらえるだけの金額を用意できるはずだ……!」
「ちょっと待ってくれ!売れないんだって!」
元の持ち主が博物館への寄贈を希望していること、曰く付きの刀で何が起きるかわからないこと、おそらく危険が付きまとうこと、調査が終わって刀が安全なものであると判断できたらまた持ってくるつもりであることを説明して、なんとか考古学マニアの男から解放され彼の家を出た頃には、とっくに日は沈んで夜になっていた。
人通りがまばらになった大通りを、イスカと二人並んで宿屋へ向かって歩く。
「まさか
「そうなのか?」
「数十年前まではちらほらあったみたいだけど、鑑定技術が進歩した今では、本物かどうかすぐにわかってしまうからね。今回のことはレアケースさ」
確かに、
「とりあえず、明日は猫正に会いに行ってみないか?さすがに本人なら、自分が打ったものかどうかわかるだろ」
「いい案だね」
方針が固まったところで、アルドが手に持っていた刀がドクンと脈打ったような気がした。
“――…なた…ねがい……に?”
「アルド?」
囁くように、寄り添うように、その女の声は頭の奥に響く。ふわふわと揺れているような、身体に力が入らなくて足元が覚束ないような感覚に陥ったかと思うと、身体から力が抜けてしまって立っていられなくなった。イスカが駆け寄って、自分の名前を呼んでくれたその声が、唯一の命綱であるような気がした。
“――あなたのねがいはなに?”
「う……オレの、ねがい、は……」
“わたしのねがいをきいてくれたら、あなたのねがいをかなえてあげる”
刀の鼓動と呼応するかのように、ドクンドクンと脈打った自分の鼓動は、異常な程の早鐘を打っていた。ぎゅっと閉じた瞼の裏側に、冒険の記憶が走馬灯のように駆け抜けていく。みんなを笑顔にしたその先に、一番大切な“君”の笑顔があると信じて進んできた遠回りだらけの旅路は、それでもアルドにとって誇らしく、大切な思い出だ。これからもそうやって、己の力で道を切り開いて、必ず救うと決めている。だから。
「オレの、ねがいは……自分で……叶えるんだ……!」
「アルド……!」
瞬間、イスカの鞘打ちが閃いて、アルドが手にしていた曰く付きの刀が弾かれた。そこでようやくアルドは、自分が今にもあの刀を鞘から抜こうとしていたのだと気が付く。
イスカは、しゃがみこんでいるアルドを庇うようにして立ち、赤黒いオーラを放出しながら宙に浮く曰く付きの刀に向かい戦闘態勢を取った。抜き身となったそれは、月の光を反射し、ぎらぎらと怪しく揺らめいている。
“わたしのといに、そんなこたえをかえしてきたのはあなたがはじめて”
「ううっ……頭が、割れるみたいだ……!」
「アルド、気を確かに……!言葉を聞いちゃいけない!」
刀の言葉が聞こえるたび、自分が自分であるという感覚すら曖昧になって、意識を失いそうになってしまう。きっとこのまま身を委ねたら、あの男子生徒のように刀に身体を支配されてしまうのだろう。イスカが言うように声を聞かないようにしたくても、脳内に直接響くものだから耳を塞ぐ手段など無い。跪き動けないまま、ただ耐え抜くしかない。
“からだをわたしちゃえば、らくになれるよ”
「ぐあぁあッ」
「く…っ!」
アルドは、まるで体中に電流が走ったみたいな激痛に耐えながら、必死で意識を保っていた。滲む視界の向こう側で、イスカが宙に浮かぶ刀に向かって斬りかかったのが見えたけれど、刀はふわりとダンスでも踊るかのように躱し、しゃがみこむアルドの眼前に迫った。
“さぁ、わたしに、そのからだを――”
そんな言葉と共に刀が纏った赤黒いオーラがアルドを包み込む。もうダメかと思ったその時、ガタガタと腰元で何かが暴れたのを感じた。
『――空虚な亡霊の分際で、我らに触れようとは笑わせる』
気が付けば、アルドはオーガベインを抜き、あの刀を弾き飛ばしていた。オーガベインが行ったのは、支配とは違う、激痛で動かない腕を後押ししてサポートするような――言うなれば“力を貸してくれた”という表現が合うものだったと思う。
「助かったよ、オーガベイン!」
『ふん……これ以上情けない姿を見せてくれるなよ』
さっきまでアルドを蝕んでいた、自分が自分でなくなるような感覚が幻だったかのようにすっきりとした状態で、刀を睨みつける。
刀が纏っていた赤黒いオーラは、オーガベインの鋭い一撃によってその姿を現し、女の姿を模った。ただし、顔に当たる部分には底の知れない真っ黒な穴が開いていて、彼女の身体を超えて長い黒髪は、七つに束ねられ切っ先がそれぞれ刃になっている。顔から下には皮も肉もない、背骨と骨盤だけがぶら下がっていて、その周囲には白い紙のようなものが何枚も浮かんでおり、まるで彼女が東方の着物を纏っているかのようだ。一番驚いたのは、その大きさだった。アルドの背丈の三倍はゆうに超えているだろう。こんな異形が、あの刀の中に潜んでいたのか。
「イスカ!ごめん!もう大丈夫だ!」
「ふふっ、さすが頼りになるね」
イスカと二人、異形を追い詰めていく。手足を持たない異形は、その代わりに髪を自由自在に振り回し攻撃してくるが、頑丈なアルドが囮となり、素早いイスカが死角から的確な攻撃を加えることで、着実にダメージを蓄積させることができた。
“うぅッ……おのれぇ……ッ、こ、ろ、す……ころす、ころす、ころしてやる”
「――ッ」
“ぜんいん、ころしてやるんだ……あのおとこも、あのおんなも、みんな……おまえも!わたしも!!”
「アルド!危ない!」
異形は、苦しみながらもそう言ったかと思うと、あの赤黒いオーラを増幅させる。瞬間、一斉に振り下ろされた七つの髪の刃は、アルドの命を狙っていた。そんな重い一撃をなんとかオーガベインで受け止めると、ギリギリと甲高い音が市街地に響き渡る。
「な、んで……!自分まで…ッ、自分まで、傷つけようとすること、ないだろッ!」
“うるさい、だまれ、だまれ!だまってそのからだをよこせ!!”
呪いの言葉を吐きながら、恐ろしいほどの力で何度も刃を振り下ろしてくる異形は、それでもアルドの瞳には悲しげに映る。まるで泣いているみたいにさえ思えた。この異形の殺意が、異形自身にまで向いていることが気になって、アルドはそれ以上攻撃を加える気になれなかった。アルドを助けるべく動き出そうとしているイスカを視線で制止しながら、アルドは異形との対話を試みる。
「理由を……ッ!理由を、教えてくれたら、考えるよ!」
“りゆう、だと……”
「そうだ!そんなにも、みんなを……自分を憎む理由だ!」
異形が明らかにたじろいだ。刃を振り下ろすスピードが緩まって、やがてそれらは完全に沈黙し、刃からただの髪へと戻って、エルジオンの舗装された道路へと落ちて散らばった。緋色にゆらめく異形の気配からは、もう戦意は感じられなかった。
“わたし、は……あのひとの、ために”
「あの人……?」
“そうよ、だいじなあのひと……あぁ、だれだったかしら……おもいだせない……”
――“空虚な亡霊”。先ほど、オーガベインが彼女を指した言葉を思い出す。
刀が打たれてから実に八百年もの時が経っている。彼女が悪しき意思となった時期は定かでないが、刀と同じだけの時間を過ごしてきたのだとすれば、長い年月を経て理由を忘れていても可笑しくはない。一番大切なことを忘れてしまったことにすら気が付かないで、それなのに殺意だけを忘れられないで、たった一人でこの世界を彷徨っていたのだとしたら、そんなに悲しくて寂しいことがあるだろうか。
アルドは、静かにオーガベインを鞘に納める。
「じゃあさ、その“大事なあの人”のこと、オレたちと一緒に探しに行かないか?」
“………”
「理由をちゃんと思い出して、それでも全部壊したいって思ったら、その時はこの続きをやろう」
暫し、異形の顔のない頭が、じっとこちらを見ているような気がした。やがて異形は闇に溶けるようにしてゆっくりと姿を消し、不気味に宙に浮いていた刀が、カランと音を立てて地に転がった。
「……ふぅ……」
「見事だったね、アルド」
「そうかな。結局何も解決できてないけど」
「あまりにも溜め込んだ
イスカに受け答えを返しながら、アルドは自身の記憶を振り返る。これまで“妖刀”や“魔剣”と呼ばれる武器と数多く対峙してきた経験があるアルドだが、確かにあれほど強い思念を持った異形と対峙した記憶はあまり無い。そういった異形は、何かしらの対策を講じたからこそ下すことができたのであって、今回のように不意打ちで戦うことになっていたとしたら、勝利できなかったかもしれない。
IDAスクールでのときと同じように、無造作に転がされた刀を手に取ってみる。もう声は聞こえなかったが、それこそがアルドの問いかけに対する答えなのだろう。つまり、アルドに、異形が忘れてしまった“理由”を探す猶予を、しばらく与えてくれるということだ。
その時、バタバタと遠くの方から足音が聞こえてきた。
「――とにかく急いでエルジオンを離れるとしよう」
「どうしたんだ、イスカ?」
「いたぞーーー!!!こっちだーーー!」
「わっ」
どうやら暴れすぎたらしい。EGPAの制服に身を包んだ数人がこちらへ向かってくるのが見えた。もしここで彼らに捕まってしまったら、痺れを切らした刀が強硬手段に出てしまうかもしれない。確かに騒ぎは起こしてしまったが、特に建物や道路に被害が出ているわけでもないので、今は逃げることを許してほしい。もしもアルドが刀に身体を乗っ取られるようなことがあったら――そんなことはオーガベインが許さないだろうが――、もっと甚大な被害が出るかもしれないのだ。
「行こう、アルド」
「あぁ!」
こうして二人は、エルジオンを後にし、次は現代ガルレア大陸、隠れ里イトイスに住む猫正の元へと旅立ったのだった。
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