空虚の亡霊と偽物の名刀

春海さら

第1話 IDAスクール

 事件が起きたのは、アルドがA.D.1100年のIDAスクールを訪れた日の午前だった。


「きゃあぁーーッ!」


 どこからかそんな悲鳴が聞こえて、アルドはH棟一階の廊下を突っ切るようにして走り出す。


「なんなのよ、突然……どうしちゃったのよ……ッ!」


 やがて見えてきたのは、尻餅をついた女子生徒と、そんな彼女に向って虚ろな瞳で刀を構えている男子生徒、それから彼ら二人を取り囲むような形で遠巻きに見ている生徒たちの姿だった。

 騒ぎを聞きつけた教師たちが間もなく飛んでくるだろうけど、それを待っていては手遅れになる。そう判断したアルドは、抜刀している男子生徒から視線は外さずに、尻餅をついている女子生徒をかばうようにして剣を抜いて構えながら声をかけた。


「大丈夫か!?何が起きたんだ!?」

「わっ、わからないわ……彼が急に刀を抜いて……っ」

「そうか!とにかく離れるんだ!」


 “はい!”と短く答えた女子生徒は、アルドと話したことで多少落ち着きを取り戻したのか、立ち上がって後ずさり、遠巻きに見ていた生徒たちの輪に混じった。アルドは、そんな気配を背後に感じながら男子生徒を観察する。

 瞳は虚ろでどこを見ているのかわからないし、刀の構え方も無茶苦茶で、なのに一切隙が無い。男子生徒が怪我をしないように刀だけ弾くことも考えたけれど、校舎内の廊下という狭い場所で、しかもこれだけのギャラリーがいる中で、そんな器用なことができるだろうか。

 ――いいや、やるしかない。最悪、峰打ちであの男子生徒に少し眠ってもらおう。

 アルドがそう考えて踏み込もうとしたときだった。


「――加勢するよ」


 ふわりと空気が変わって、アルドと男子生徒の頭上を何かが飛び去っていく。金糸のようなプラチナブロンドの髪と純白のマントをひらひらなびかせながら、瞬く間に男子生徒の背後を取った彼女は、流れるような動きで繰り出した蹴りで、男子生徒の手の甲を強かに打つ。

 男子生徒が背後からの予期しない攻撃に刀を取り落としたのをこれ幸いと、アルドは彼に飛び掛かって身体を抑え込み、男子生徒が再び手に取ることがないように、刀を遠くへと蹴っ飛ばす。

 激しい抵抗が予想されたが、存外男子生徒は大人しくアルドに従っていた。不思議に思って顔を覗き込むと、彼は目を閉じて眠っているように見えた。もしかしたら、抑え込んだ時に頭を打って気を失ったのかもしれない。


「アルド、ありがとう。助かったよ。怪我はないかい?」

「イスカ、こちらこそありがとう!大丈夫だよ」


 男子生徒の刀を落とさせた白制服の女――イスカは、アルドに柔らかく微笑むと、その場に屈み、男子生徒の様子を見る。その間に、イスカと共に駆けつけていたらしいIDEAの面々が、野次馬をしていた他の生徒たちを誘導し、散会させていく。


「あ、あの……ッ!さっきはありがとうございました!彼は、彼は無事でしょうか?」


 そんな中、先ほど助けた女子生徒が、心配げに顔を歪めながらアルドとイスカの元へ駆け寄ってきた。イスカが彼女ににこりと微笑み頷いて、男子生徒の無事を伝えようと口を開いたその時、アルドの下からうめき声が聞こえてくる。


「うぅん……あれ……?」

「気が付いたんだね。安心したよ」

「えっ、イスカさん……?!」


 男子生徒がイスカの顔を見るなり目を丸くし、恐縮したように小さく会釈をしたので、イスカとアルドは顔を見合わせた。会話がきちんと成立していることや、まっすぐに視線が合うこと、何よりこの状況を全く把握できていない男子生徒の様子に、面食らっていた。とにかく、彼を解放して話を聞いてみないことには何もわからないだろう。アルドは、同じ結論に至ったらしいイスカとこくりと頷き合ってから、男子生徒が起き上がるのを手伝ってやることにした。


「あなた、さっきいきなり私に斬りかかってきたのよ。覚えてる?」

「いや……」

「じゃあ私が“おはよう”って声をかけたことは?二日もスクールを休んだことは?」

「……ごめん……」


 女子生徒が言うには、男子生徒とは幼馴染なのだそうだ。これまで無遅刻無欠席を維持してきた彼が、ここ二日間珍しく授業に顔を出していなかった。それが今日になってやっと姿を見せたので声をかけたところ、まっすぐに女子生徒の所に向かってきて、突然刀を抜いて襲い掛かって来たのだという。


「僕、今朝のこと何も覚えていないんだ。気が付いたらここで、廊下に寝そべってて」

「ふぅん?あなた、さっきから顔色がとても悪いわよ。大丈夫?」


 そこまで黙って聞いていたイスカが、“ふむ”と呟き一歩前へ歩み出、静かに問う。


「なら、あの刀のことは覚えているかい?」


 アルドが蹴飛ばした刀は、抜き身のまま、まだ誰にも触れられずに廊下の片隅に落ちていた。他のIDEAの面々達はまだ騒ぎを抑えることに忙しそうで、誰も刀を気に掛ける様子はない。あのままあそこにおいておくのは気が引ける。鞘は――と視線を巡らせると、少し離れたところに落ちているのをすぐに見つけることができた。アルドは、イスカと生徒二人の会話を聞きながら、鞘を拾って刀を回収することにする。


「あの刀は、最近オークションで落札したもので……」

「あなた、まだ骨董品収集なんてやってるの?物好きね。博物館でも開くつもり?」

「うるさいなぁ。いいだろ、好きなんだから」


 幼馴染なだけあって仲良しだなぁ。そんなことをぼんやりと思いながら、刀を拾う。


“――…なた…ねが………に?”

「ん?」


 その瞬間、何か遠くの方で声が聞こえた気がして耳を澄ましてみる。けれど、聞こえてくるのは相変わらず、男子生徒と女子生徒のやりとりと、他の生徒たちの喧騒だけだ。

 アルドは、“気のせいかな”と首を傾げて、刀を鞘に納めた。


「先ほど、私が君の手から刀を弾いた瞬間、君は大人しくなったように見えた。推測するに、記憶が無いことも、彼女を襲ったことも、あの刀が原因なんじゃないかな。刀について知っていることを教えてくれるかい?」


 イスカがそう問いかけたところに、刀を回収したアルドが戻る。男子生徒は、真っ青な顔で戸惑うように目を泳がせ、口ごもって、暫し刀をじっと見つめた後、ゆっくりとアルドを見上げた。


「ねぇ君。その刀を持ってて、変な感じがしない?」

「ん?」

「例えば、なんか意識がふわふわするとか、幽霊が見えるとか、変な声が聞こえて来るとかさ」

「どういうことだ?」


 男子生徒は、俯き、自身の腕で肩を抱きながら、震える声で続ける。


「その刀は、“ミグランス王朝時代の珍しい刀”って触れ込みで出品されていたんだ。やっとの思いで落札した僕は、その帰り道、達成感と幸福感でいっぱいだった。でも家に帰ってから、可笑しなことがいっぱい起き出して」

「可笑しなことって?」

「まず一番に、誰もいない部屋で声が聞こえたんだ。気のせいだって思って無視してたんだけど、どんどんはっきり聞こえるようになっていった」

“――あなたのねがいはなに?”


 瞬間、アルドの耳にも、そんな声がはっきりと聞こえたような気がして、思わず手に握った刀を見つめる。


「声は、“私の言うことを聞いてくれたら、何でもあなたの願いを叶えてあげる”って言ってた。それ以外にも、部屋の中に火の玉みたいなのが見えたり、女の人が見えたりして――怖くなって、その日のうちに、刀をゴミ捨て場に捨てに行ったんだ」

「それで……?」

「寝て起きたら、刀はまた部屋の中に戻ってた。何度捨てても、戻って来るんだ」


 男子生徒は頭を抱え、立てた膝に顔を埋めてしまった。そんな彼の背を、女子生徒が優しく撫でてやる。


「僕、怖くなって……刀を見張ってなくちゃ、何か悪いことが起きるんじゃないかって、学校にも行けなくて……誰かに譲ることも考えたけど、今度はその人が同じ目に遭うんじゃないかって」

「……」

「ずっと刀の声を聴いて過ごしているうちに、意識が朦朧とする時間が出来てきて……気が付いたら、さっきだったんだ……ごめん、ごめんね……僕……」

「大丈夫よ。私は無事だったし、あなたは勇敢だったわ」


 彼の話を聞くに、イスカの言う通り、すべての事象はこの刀が原因であることに間違いはないだろう。問題は、おそらく男子生徒がこの刀に憑かれてしまっているという点だ。なんとかしてこの刀を彼から引き離してあげないと、彼は心が休まる暇がない。ただでさえ、すでに精神的に参っている様子なのだから。


「なぁ、イスカ。この刀、オレが預かろうと思うんだけど……」


 アルドが申し出ると、イスカは“ふふふ”と満足げに笑む。


「ちょうどお願いしようと思っていたんだ。ミグランス王朝時代の物だというし、刀の調査はアルドが適任だと思う」

「わかった。任せてくれ」


 刀にまつわる怪現象の謎を解くには、刀のルーツを探ることが必要だろう。オークションハウスに刀を出品した者を探し出し、入手ルートを特定して追って行くのが正当なルートだろうが、せっかく時を渡る力があるのだから、考古学マニアに刀を見せ、刀を打った者を特定して、現代に渡って直接会ってみるのがいいかもしれない。そんな計画を頭の中で思い描く。


「……全部が終わったら、その刀は博物館に寄贈してくれないかな」

「いいのか?すごくがんばって手に入れたものなんだろ?」

「いいんだ。大事な幼馴染のことも危険に晒してしまったし、もう骨董品はこりごりだ……」


 心底疲れた様子の男子生徒に、同情せずにはいられなかった。刀を手に入れてからの数日がよほど堪えたに違いない。

 イスカは、そんな彼を安心させるように言葉を紡ぐ。


「今日からしばらくの間、IDEAが君と彼女を護衛するよ。万が一何か起きたとしてもすぐに対処できるようにね」

「助かるよ」

「大丈夫よ。私が彼を見張っておくわ!」


 威勢のいい女子生徒は、男子生徒の肩を抱きながら、“私に任せなさい”とばかりにドン!と自身の胸を叩く。周囲の者を傷つけまいと思案し、それでも彼女を傷つけかけたことを後悔する男子生徒と、そんな彼を赦して支えてあげようとする女子生徒は、互いを思い合うとてもいい関係だと思う。

 アルドが、“それなら安心だな”と快活に笑って、刀を調査すべく一歩を踏み出そうとしたところで、イスカが音も無く隣に並んできたので、きょとんと目を丸くして固まった。イスカは、そんなアルドに、くすくすと悪戯っ子のように微笑む。


「さぁ行こうか、アルド」

「イスカも一緒に行くのか?」

「勿論。IDAスクールで起きた問題を、きみに丸投げにはしないさ」


 そういうわけでアルドは、刀を一本携え、イスカと二人、まずはエルジオンへと出発したのだった。

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