Episode:18 終局へのシナリオ

 学園祭と、その後片付けが終了してから数日が過ぎた。

 美姫の誕生日である6月17日まで、着々と日にちは進む。


 彼女の誕生日プレゼントを贈りたい蓮は、まだ現物を入手していないが、まだ日にちはあるとして、焦ることなく吟味している。


 今はまだ暖かい春の陽気と思えるが、もうじきにもすれば梅雨の時期に入り、その後はすぐに暑くなる――夏が訪れる。




 そんなある日の土曜日の放課後。

 一緒に下校する蓮と美姫の二人を見送ってから、静香と雛菊は二人して『フルール・ド・スリジェ』へ向かっていた。

 静香はお客として、雛菊はアルバイトへ。


 来店した静香はアイスカプチーノをオーダーし、雛菊は学生服から店の制服に着替えてカウンターの中に立つ。


「このままじゃまずいと思うのよ」


 お客の数も疎らになる頃になって、一度店内を見渡してから、静香は雛菊に話し掛けた。


「まずいと言うと……美姫のこと?」


 美姫がいないこのタイミングで、静香が「まずい」と言うことだとすれば、彼女のことだろうと雛菊は読み取った。


「だって美姫、明らか九重くんに何か言いたそうじゃん。それなのに無理に隠してる感があってさ……全然隠せてないんだけど、九重くんは九重くんで気遣ってあげてるみたいで。……やっぱり、告白のことについて、よね?」


 美姫は、「誕生日までに蓮に自分の本当のことを伝え、けじめをつける」と言っている。

 その"本当のこと"とは、『美姫の告白が、彼女自身の望むことでは無かった』ことだろう。

 だが同時に、美姫は『蓮と別れる』ことを嫌がっている。


 彼と別れたくない、しかし本当のことも言わなくてはならない。


 その結果、美姫は『これから一生嘘を隠しながら蓮の傍にいる』か、『全てを明かして蓮と断絶する』かの二択を突き付けられているのだ。

 どちらかと言えば、後者の方に気持ちが傾いているようだが。


「唆した本人が何を弱気な、と言いたいところだけど……」


 先程まで他のお客が座っていた席を片付けながら、雛菊は続ける。


「何とかしてあげたいわね。……じゃないと、誕生日までに美姫が潰れてしまうわ」


「あたしも正直、美姫がここまで思い詰めるとは思わなかった。……軽はずみに告白させたりするんじゃなかった」


 はぁー、と後悔に深い溜息をつく静香。


「(有明くんが言ってた通りになっちゃった……)


 ゴールデンウィーク中にラウイチのカラオケルームでの出来事を思い出し、背筋が震えた。

 鞍馬がいつどこで美姫の告白の"裏"を知ったのかは未だに分からない。


 ――実際のところ鞍馬は、静香と雛菊の会話を偶然聞いていたに過ぎないのだが――。


 だが彼は、美姫が深刻に思い詰めるだろうことも全て最初から予想していた。

 こうなることが読めていたから、鞍馬はあそこで静香に警告したのかもしれない。


 遅かれ早かれ二人の関係は破綻するぞ、と。


「だからといって、私達の口から明かす分けにもいかないでしょう。どうしたものかしらね……」


「もうそこは、第三者じゃどうしようもないかも?」


 告白するように唆した本人である静香でさえお手上げ。

 蓮と美姫は、もうただの他人同士には戻れない。

 それほどまでに、二人の関係は進んでいるのだ。

 もはや結果は美姫の行動次第か、と諦めかけた時だった。


「どうしたの?二人して悩んじゃって」


 カウンターの奥から出てきたマスターは、雛菊と静香の表情を見て、何かあったのかと訊ねてくる。

 訊ねられた二人は、顔を見合わせる。


 この問題を第四者に話してよいものか、と。


「……ねぇヒナ、どうする?」


「……話してみましょう。店長は口の固い人だから、他の誰かに話すことは無いと思うし、何か良い意見が貰えるかもしれないわ」


 蓮がここの常連客であるため、彼に関することを話せば、マスターを通じて蓮が知るかもしれない、と静香は懸念するが、マスターからそれを明かすことはないはずだと雛菊は頷く。

 それよりも、他の目線からの意見も欲しかったところだった。




「……なるほど、確かにちょっと面倒くさい状況ね」


 静香と雛菊からの"相談"を受けて、マスターは思案するように顎に指先を置く。


「偽のお付き合いをしている……と言っても、AさんとKくんは、お互いをどう思ってるの?」


 マスターの言う「Aさん」「Kくん」とは、それぞれ『朝霧さん』と『九重くん』を指している。

 お互いをどう思ってるのかと訊かれ、静香は自信を持って答えた。


「ほぼ間違いなく、"相思相愛"です」


「……ただ、Aさん本人の自覚があるかはまた別のところですけど」


 静香の答えに、雛菊が補足を入れる。

 その答えと補足を聞いて、マスターは「相思相愛!いいわねぇ、青春青春……」とどこか遠い目をした。学生時代に何かあったのだろうか。しかし、蛇どころか猛獣がいると分かっていて藪を突こうとするほど、静香も雛菊も命知らずではない。


「お互いに好き合っているなら、いっそのこと腹のうちを全部吐き出してもいいんじゃないかな?」


「て、店長?それだとAさんはKくんと別れることになるからダメだって……」


 単純明快な答えを出すマスターに、雛菊は口を挟もうとするが、マスターは構わずに続ける。


「本当のことを話したからと言って、それで別れるかどうかはまた別の問題だと思うけど?まぁ確かにKくんはあまりいい気はしないかな。ずっと嘘をつかれていたんだから」


 しかしそれはあくまでも過程であって結果ではない、とマスターは言う。


「と言うか、お互い本気で好き同士なら、それくらいで別れるとも思えないかな。それで別れるって言うのなら、二人の間にある"本気の好き"も『その程度でしかない』ってことだろうし」


「「…………」」


 静香と雛菊は、マスターの言葉に聞き入っている。

 やはり、自分達の倍は生きているだけあると言うことだろう。


「っと、言葉が過ぎたかな?偉そうに言ったけど、別に真に受けなくてもいいからね」


「あ、いやいや、そんなこと。ありがとうございますっ」


 静香は慌てて礼を言う。


「本当のことを話しても、別れるとは限らない……確かに、店長の言う通りだと思います。私達、少し視野が狭まっていたみたいです」


 雛菊も続いて頭を下げる。


「いいのいいの、そんな頭下げなくても。でもまぁ、見方が変わったって言うんなら、余計な口出しして良かったかな」


 悩め若人よ、とマスターは苦笑した。


「そう言えば二人とも、友達の恋愛を応援してばっかりだけど、自分たちはどうなの?」


 ふと、マスターは静香と雛菊にそんなことを訊いた。

 それを聞いて、静香の目の色が変わった。


「そうそうっ、最近芝山くんとはどうなのヒナっ?」


「なんでいきなり私の話になるのよ!?」


 蓮と美姫のことはひとまずおいておき、次は雛菊の番になった。


「前にも言ったけど、芝山くんとは付き合ってないし、お付き合いする予定も立てていません、としか言えないわ」


 美姫の件と言い、今回の自分と言い、何故静香はこうにも友達を誰かとくっつけようとするのか、と雛菊は睨む。


「そう言う静香はどうなのよ。そんなに恋愛に興味があるなら、自分でしたらいいじゃない」


「えー、あたしはそんな相手いないし……美姫は九重くんと付き合ってるし、次にラブロマンスが生まれるとすればヒナかなーって」


「……『呆れてものが言えない』って、こう言う時に使うのね」


 結局自分が愉しみたいだけじゃない、と雛菊はあからさまにため息をついてみせる。


「いやそりゃね、相手がいないのはもちろんそうなんだけど……」


 不意に、静香の声のトーンが下がった。


「美姫と九重くんの件が落ち着くまでは、恋愛はしない方がいいかなって。「人を唆しておいて何を自分だけ」って美姫に恨まれたくないし……ただの自己満足たけどさ」


「……静香」


 きっとそれが、この状況を作り出してしまった、静香なりの責任と誠意なのだろう。

 あの二人が別れてしまうような結果になるのなら、自分は誰かと恋愛をする資格などない、と。

 静香は静香なりに、美姫のことを楽観視などしていないのだから。


「あ、でも、ヒナと芝山くんが付き合うなら話は別だからね?それはむしろ推奨すると言うか、そうなったらそうなったで、あたしは応援するから!」


「だから!なんで私と芝山くんを付き合わせようとするのよ!?」


 ……しかしそこはやはり松前静香と言うべきか、それとこれとのメリハリは付いている。


 そんな静香と雛菊のやり取りを眺めつつ、マスターは「若いって素晴らしいなぁ」とぼやきながら、カウンター席を拭いていた。






 同じ頃、駿河と鞍馬は自販機で買った飲み物を片手に、ゲームセンターの片隅のベンチに座って話し込んでいた。

 最初に話を持ち掛けたのは、駿河から。


「最近、朝霧さんの様子がおかしいと思うのは俺だけか?」


 いきなり核心を突いてくるような言葉に、鞍馬は動揺するものの、辛うじて表には出さない。


「……どうしてそう思うんだ?」


 その「朝霧さんの様子がおかしい」ことに心当たりはある。

 しかし自分の口からは明かすまい、と鞍馬は心を固くする。


「んー、確証はねぇんだけど、何となく変だなって」


 缶のコーラのプルタブを引き、一口呷る。


「蓮が、朝霧さんの誕生日について話した日の時からか?何か思い詰めてると言うか、急に蓮に対して余所余所しくなったと言うか。……少なくても、ゴールデンウィークの時はまだ蓮に対する警戒が弱かったって思えるくらいには」


 あくまでも俺の勘だけどさ、と駿河は付け足すが、それを聞いている鞍馬は内心で舌を巻いていた。


「(勘だけでそこまで読むんだから、こいつの人を見る目の良さが時々怖くなる……)」


 時たまに駿河は、人心を透視しているかのような事を言ってくる。

 しかもその"勘"が外れたことは、鞍馬の経験則だけで推し量っても二割にも満たない。

 つまり、駿河の言う"勘"は八割近く当たっていることになる。


「あぁそう言えば、ゴールデンウィークで思い出した。あの日の途中から、松前さんの様子も変だったな、全員の金額払うとか言い出して……っておい鞍馬、お前何かしたのか?」


 ふと目線を逸した鞍馬を、駿河は見逃さなかった。

 やはり、今回の"勘"も当たっている。

 

「……大したことはしてないよ。ただ、「もどかしいのは分かるけど、あまり蓮と朝霧さんを唆すなよ」って釘を差しただけ」


 嘘ではない。

 確かにあの時は、調子に乗っている静香に釘を差すと言う目的もあった。


「なーんか腑に落ちねぇ言い方だな?」


 まぁいいか、と駿河はそれ以上の追及はせずに、美姫についての話に戻す。


「朝霧さんの様子の変化に、彼氏の蓮が気付いてないわけがない。分かってて敢えて様子を見てんのか?」


「蓮はそう言うことを、自分から訊こうとしない所があるからな。朝霧さんから話してくれるのを待ってるんだろう」


「そうだよなぁ……」


 そこはもうあの二人の問題か、と駿河は小さくため息をついた。


 ゲームセンター特有の電子的な騒音だけがこの空間を包む中、鞍馬は思考を回す。


「(駿河がこう言うことを他人に話すってことは……もう朝霧さんの限界が近いのかもしれないな)」


 駿河は、空気の読めない騒がしい奴に思われがちだが、実は人一倍その場の雰囲気や空気に敏感で、黙すべきところには口も固い男だ。

 その駿河が、蓮と美姫の二人の間の問題だと分かっていて、こうして他人に相談を持ち掛けたと言うことは、事態はもう深刻なところにまで来ているのかもしれない。


 話題を変えるべきだな、と鞍馬は先程に買ったミルクティーを飲んで気を入れ替える。


「……あぁ、そうだ。ひとつ気になっていたことがあるんだけど」


「ん、どうした?」


 駿河もコーラを飲みながら、ぼんやりと聞く。


「駿河って早咲さんのこと、狙ってたりするのか?」


「んっ、ぶぐっ!?」


 予想外なことを訊かれ、駿河は思わずコーラを吐き出しかけて、辛うじて飲み込む。

 炭酸の強い飲料を慌てて飲んだせいか、何度も咳き込む。


「ゲッホッ、ゲホッ、ゴホッ……、……いきなり何言い出すんだお前」


「学園祭の二日目。妹さんの相手をするって言ってた割には、しれっと早咲さんと一緒に回ってたじゃないか。知らないかもしれないが、意外と噂になってるぞ?「芝山駿河と早咲雛菊は付き合ってるのか?」って」


「……いや、学園祭でたまたま一緒にいただけで、何でそんな根も葉もねぇ噂が流れてるんだ?」


 意味が分からん、と駿河は嘆息をつく。


「真偽はともかく、そう言う噂は既に流れてるんだよ。それで、実際のところはどうなんだ?」


「付き合ってるわけねぇだろ?そりゃぁ早咲さんのことは、好きか嫌いかで言えば好きだけどな……って、なんか少し前の蓮と同じようなこと言ってんな、俺」


 始業式の日から間もなくのことだったか、駿河は思い起こす。

 ちょうどその次の日に、蓮は美姫に告白され、晴れて付き合うことになったのだ。

『駿河は雛菊のことを嫌ってはいない』と言うことを知った鞍馬は、話題をこのままにして聞き込んでいく。


「じゃぁ、極論として……早咲さんから告白されたらどうする?」


「こ、告白されたらぁ?え、そりゃ嬉しいしOKするかもしれねぇけど……なんつーか、早咲さんが俺に告白してくるような状況が想像出来ねぇ」


 だってよ、と駿河はその理由を告げる。


「ほら、早咲さんって真面目だろ?そんな人が、俺みたいなヤツに告白するとか思えなくてよ。これが松前さんとかなら、まだ分かるんだけどな……」 


「……お前、蓮のことは「自己評価が低い」って言ってる割に、自分への評価も大概低いな」


 鞍馬は知っている。

 この芝山駿河は、人を牽引するリーダーシップと、面倒見の良さを兼ね備えた、義理人情に厚い男だと。


 誰かの"寄る辺"、或いは"受け皿"となる、度量と器の大きな人間になれる存在なのだ。


「(こいつは自分の魅力に気付いてないだけなんだよなぁ……"大器晩成"と言う言葉に期待したい)」


 その"晩"がいつの晩なのかは分からないが、と鞍馬は目の前でコーラを飲み干している悪友を、そんな風に見ていた。






 さらに同じ頃。

 蓮と美姫は、駅前広場を経由して繁華街に訪れていた。

 だがそれは、予め決めていた予定ではなく、ついさっきに美姫が「今日は繁華街で遊びに行かない?」と誘ってきたのだ。 


「何か欲しいものでもあるのか?」


 目当ての品を買いに来たのかと訊ねた蓮だが、美姫は首を横に振った。


「うぅん、今日は何となく遊びたいかなって」


 どこから行こうかな、と背を向けて歩き出す美姫。

 その背中を見つめて、蓮は彼女の様子に"違和感"を覚える。


「(朝霧さんは嬉しそうで、笑顔なのに……なんでそんなに辛そうなんだ……?)」


 あんなにも『辛そうな笑顔』は、初めて見た。

 何か、無理矢理に納得しようとするその笑顔。


 それは、誕生日プレゼントを貰うのが嬉しくないことと、何か関係するのだろうか。


 思考が渦を巻きながらも、蓮は美姫の後を追う。




 シネマの告知を見て、何軒かのブティックをウィンドウショッピングし、蓮の見に行きたい場所にも回り、気が付けば夕方。

 今日はまるで、二人で初めてデートをした時の再現のような時間だった。

 少し違うとすれば、今は六月でまだ日が沈んでいないこと。


 そして、美姫がずっと辛そうな笑顔のままだったことか。


「…………」


 分からない。

 彼女とのデートは、こんなにも空虚で寂しく感じるものだったか?


「そろそろ帰らなくちゃね」


「あ、うん……」


 二人並んで、駅前広場まで戻っていく。

 それも僅か数分だけしかない。


 歩き始めて僅か数秒で、蓮は美姫の手を取った。


「……朝霧さん。もう少しだけ、いいか?」


「え、でも……」


「……どうしても」


 無意識の内に、美姫の手を握る力が強くなる。


「……うん、あとちょっとだけ、なら」


 美姫は、嬉しそうに、しかしどこか物悲しげに頷いた。




 駅前広場に着いてから、ベンチに座る。

 夕方頃にもなれば人通りは増えるものの、誰も二人のことなど気にしていない。

 ベンチに座って一息ついてから、蓮は話を切り出した。


「朝霧さん、大丈夫か?」


「え……大丈夫かって、何が?」


 訊ね返す美姫に、蓮は自分自身に「焦るなよ」と言い聞かせる。

 ずっと辛そうな顔をしているのも、誕生日プレゼントを楽しみにしていないのも、最近どこかよそよそしく感じるのも、何かひとつの悩みに囚われているのではないか、と蓮は見ていた。


「学園祭の少し前くらい……だよな。朝霧さんが俺に何か言おうとして、有耶無耶になった時って」


 蓮にそう言われて、美姫は「あの時……」と思い出す。 

 彼が、「キスのタイミングはいつなのか」と相談してきた時だ。


「あの日、朝霧さんが帰ったあとでRINEにも送ったけど、何があったって俺は君の味方だから。……確かに、俺じゃ朝霧さんが抱えてる悩みを解決出来るか分からない」


 それでも、と蓮は美姫が何か言う前に紡ぐ。


「俺は朝霧さんが好きで、恋人だから。朝霧さんが辛そうにしてたら、俺も辛い。なんとかしてあげたいんだ」


「九重くん……」


 美姫は、心の奥に暖かいものが灯るのを感じた。

 彼は、どこまで優しいのだろう。

 自分に関係のないことかもしれないのに、相手の辛みを自分のことのように同じく辛みを感じている。


 しかし今の美姫には、その優しさと暖かさが、"痛み"となって心を苛ませる。


「(ダメ……そんなに優しくしないで……せっかく、これを"最後のデート"にするつもりなのに……っ)」


 そう。

 美姫はこの放課後を"最後のデート"にすると決めていた。

 これ以上、蓮を裏切れない、裏切りたくないから。


「(なのに、どうして自分から訊こうとしないの……?どうして私を待ってくれるの……?)」


 悩みを抱えていることはとっくに見抜かれている。

 それに対して蓮は「話してくれ」とは言わない、話してくれるのを待っている……否、待ち続けているのだ。


「今も話せないって言うなら、それでもいい。朝霧さんがいつか自分から話してくれるのを待ってるから」


 恐らくは、何年経とうとも、いつまでも。


 こんなにも自分に合わせてくれて、それでいて見返りは何も求めない。求めたとしても、それはとてもささやかなもので。


「(私は、この人が好き)」


 なのに、


「(どうして私は、この人に酷いことをしようとしてるの……?)」


 どうして裏切るようなことを言わなくてはならないのか。

 嫌われて別れるなんて、何がなんでも御免被りたいのに。


 一瞬、美姫の中で「このまま嘘を胸の中に仕舞い込んでおく」ことに意識が傾きかけて、すぐに元に戻す。

 もう何度も崩れては立て直した、決意を。


「大丈夫だよ。私は、大丈夫」


 どちらかと言えばそれは、蓮に向けたものよりも、自分に言い聞かせるようなものだった。

 言葉だけでなく、今度こそと言う思いと共に、美姫はベンチから立ち上がった。


「そろそろ、本当に帰らないと」


「……そうだな」


 それを見て、蓮も続く。


「じゃぁ朝霧さん、また明日」


「うん、また……明日ね」


 別れ際に蓮の顔を見てから、踵を返す美姫。




「(これで本当におしまい……もう、「また明日」って言えない……)」 






 その日の夜、美姫は蓮に向けてRINEのメッセージを送った。


『明日、九重くんとお話ししたいことがあります。明日のお昼頃、時間は大丈夫ですか?』


 と――。

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