Episode:14 ハートフル・ハート
蓮が「キスのタイミングについて」話し、明らかに様子がおかしくなった美姫が突然逃げるように帰ってしまった日の、翌日。
特に何の連絡も無かったので、蓮はいつも通り、いつもの時間帯に、いつものタイミングで、美姫との待ち合わせ場所である駅前広場に訪れていた。
「ふあぁ……」
頭の奥の方から込み上がる眠気が欠伸となって込み上がる。
理由は、蓮も自分で分かっていた。
「(朝霧さんは、昨日は何を言おうとしたんだろう……)」
あの時、美姫は確かに何かを蓮に伝えようとして……そのまま途切れてしまい、有耶無耶なままに昨日は別れてしまった。
RINEでは『話せるなら話してほしい』とメッセージを送ったが、美姫はその事については何も触れなかった。
昨夜はその事から頭から離れられず、結局眠りに落ちたのは日付が変わってから数時間も経った後で、目覚まし時計の電子音に殴り飛ばされるように起きたものだ。
要約すると、『寝不足』である。
眠気覚ましに冷たいコーヒーでも買おうかと、駅に併設されている売店に足を向けようとして、
「なんか、眠そうだね?」
ふと聞き慣れた声が耳に届いたので振り返れば、美姫が来てくれていた。
「あぁ、おはよう朝霧さん」
「うん、おはよう」
二人揃ったので、蓮はコーヒーを買うのはやめて、美姫と一緒に登校する。
「昨夜は、昨日に朝霧さんが何を言おうとしたのかずっと気になってて……気が付いたら目覚まし時計に起こされてたんだ」
「わ、私のせいだよねっ?ご、ごめんなさい……」
彼の睡眠時間を潰したのは自分のせいかと、美姫はしおしおと縮こまるように謝る。
「いや、そこは朝霧さんのせいじゃないけど」
でもさ、と蓮は美姫の顔を覗き込む。
「昨日もRINEで言ったけど、困ったこととか、辛いこととかあったら、頼ってほしい。……俺じゃ、あんまり頼りないかもしれないけど」
「た、頼りなくなんてないよっ。九重くんはしっかりしてるし、むしろ立場が逆だったら私の方が頼りないし……」
頼りなくない(頼れる)と言うのなら何故話してくれないのか、と言う疑問を飲み込み、蓮は少し考えるように間を置いてから応じる。
「んー……じゃぁ、どっちも頼りないから、お互い支え合おうって言うのはどうだ?」
「えーっと、それって支え合おうとしたら、共倒れになっちゃわないかな……?」
支えてもらったところで、支える側も不安定では意味がないのでは、と美姫は言う。
「あー、それは……まさに本末転倒だな」
「文字通りの、"転倒"だね?」
よく分からないおかしさに、二人とも小さく笑いつつ学園へと歩みを揃える。
「……」
ふと、美姫は自分自身の心境に気付く。
昨日は、蓮に本当のことを話そうとすれば恐怖を覚えたと言うのに、今日はそれを感じない。
むしろ、蓮と一緒いることで安心する。
ついでに言えば、近くにいるともっと安心する。
理由は、よく分からない。
しかし、理由を探すよりも先に美姫は行動に出る。
「えっと、九重くん」
「ん?」
蓮の方に一歩身を寄せて、
「し、失礼、します……っ」
そ〜〜〜〜〜っと彼の右腕を取り、それを両手で包み込む。
かなり遠慮したような形だが、『腕組み』と言う状態だ。
さすがに世の中のカップルのように全身ごと預けるのは恥ずかしい、でもこれなら大丈夫だと思う……、と美姫は恐る恐る蓮の顔を見上げる。
「……ダメ、かな?」
「ッ……!」
そんな姿勢で、そんな距離で、そんな上目遣いで見られて、そんな簡単に断れる彼氏がいるものか。
「だ、大丈夫……少なくとも俺は、うん……」
何が大丈夫なのか、蓮自身よく分かっていない。
よく分からないが、とにかく頷く。
二人して何をしているのか、お互い理解出来ていないままに、朝の通学路を歩む。
この二人の周囲の気温が3℃ほど上がっていたこと知るのは、擦れ違っていた者だけだった。
学園祭の準備は着々と進み、クラスの中では教室内で行う催し物に向けて、授業の妨げにならないように飾り付けがされていく。
「よーし、看板に色塗ってくぞー」
「オッケー」
「机の配置はこんな感じかな?」
「そうそう、出来るだけ高さを均一にして、その上からテーブルクロスを敷いて……」
ロングホームルームの時間が来る度に、多くの生徒が出入りし、学園のあちらこちらが彩られていく。
そんな日々が続き、いよいよ学園祭の前日に迫る。
平日だが今日の授業は半日で終わり、放課後は明日の本番に向けた、最後の追い上げだ。
2年A組のメイド喫茶も、メイド担当と雑務等担当の生徒が教室を組み換えて改造し、調理担当の生徒達は雛菊の主導の元、家庭科室の一角を借りて明日に出すメニューの作り置きを作っている。
実行委員たる駿河と静香が中心となって、クラスの皆が皆で精力的に動いたおかげで、下校時間を迎えるまでに全ての準備が整った。
実のところ、学園側へ申請を通していれば、下校時間以降も学園に残って準備を続行しても良いことになっているが、早く済むのならそれに越したことはない。
日が傾き始めた頃、すっかり様相が変えられた教室の中で、駿河と静香はクラスメート達の前に立つ。
「えー、皆さんのおかげで、明日の学園祭の本番までに間に合うことが出来ました。まずはそれに感謝、ありがとう!」
駿河が気合を入れて勢いよく腰を直角45度に折り曲げる。
彼が頭(と言うか腰)を下げている隣で、静香はクラスメート達に檄を飛ばす。
「とは言っても、これで終わりじゃない!むしろ、大変なのは明日から!ウチらのクラスはせっかくメイド喫茶って言う栄誉を勝ち取ったんだから、お客さんをがっかりさせちゃぁいけない!」
「んじゃぁっ、今日のところはゆっくり休んで、明日に備えてくれ!以上っ、解散!!」
最後に駿河が締め括り、解散。
思い思いに生徒達が教室から出る中、蓮は美姫と一緒に帰ろうと声を掛ける。
「朝霧さん」
しかし、美姫は彼の声を聞くと、振り向いて申し訳なさそうな顔をした。
「あっ、九重くん。今日はちょっと、どうしてもヒナちゃんと静香ちゃんと一緒に帰りたくて……その、ごめんね?」
どうやら先約があるようだ。
そういう事なら、と蓮は引き下がる。
「そっか。じゃぁ、また明日」
「うん。……明日から、頑張ろうね」
今日のところはここでお別れ。
蓮は踵を返して、駿河と帰ろうとする。鞍馬は例によって例のごとく彼女の迎えに行ったらしい。
彼が駿河と帰るのを見送ってから、美姫は静香と雛菊の方に向き直る。
「……九重くんと一緒に帰らなくてよかったの?」
雛菊は、教室を出ていく男子二人と美姫を見比べる。
「うん。……ちょっと、ね」
言い澱む美姫を見て、静香はパンっと手を叩く。
「まぁまぁ、今日は久々に女三人で語り合おうじゃないの」
美姫、雛菊、静香の三人であれば、もう行き先は決まったようなもの。
繁華街の一角にある、ケーキカフェだ。
美姫は紅茶、雛菊はカフェオレ、静香はカプチーノと、それぞれケーキをオーダーし、席に着いていく。
「それで、今日はどうしたの?九重くんとじゃなくて、わざわざあたし達と帰ろうって言うのは、何か話すことがあるんでしょ?」
静香は既に分かっていたようだ。
今日は美姫から折り入った話があるのだと。
早速本題に入ろうと、美姫はお冷を一口飲んでから言葉を選ぶ。
「うん。実は、少し前から感じてたことがあるんだけど……」
本当は蓮に告白するつもりじゃなかったと、彼本人に向かって言おうとした。
けれど、それを言ってしまえば最後、自分と蓮は別れなくてはならない。
そう気付いた時、『蓮と別れる』と言うことに形容出来ない恐怖を覚えたこと。
一度その恐怖を知ってしまったら、怖さのあまり何も言えなくなり、その日はもう有耶無耶にしたこと。
有耶無耶にされても、蓮は問い詰めることもなく「話せるなら話してほしい」と待ってくれている。
蓮とRINEでのやり取りをしている間は、恐怖を感じることもなかった。
それから、蓮と会えると思うと嬉しく思えるようになり、近付けば近付くほど、恐怖を感じることもないし、むしろその逆、安心を覚える。
それでも、本当のことを話す=蓮との断絶 と言うことを想像するだけで恐怖が甦る。
怖いはずなのに安心する……そんな、よく分からない矛盾した気持ちを抱えている、と美姫は言う。
「……って言う感じなんだけど」
長々としてしまったが、ようやく言い終えて一息つく美姫。
それを黙って聞いていた静香と雛菊と言えば。
「なにコレ……美姫あんた、そんなこと話したくてあたし達と……?」
「甘すぎていっそ心臓に悪いレベルね……」
そう言ってから、美姫が話している内に届いた飲み物に口を付ける。
シュガーもフレッシュも入れていないが、今はこれでちょうどいい。
「えっ、えっ……私やっぱり、変なことを話してるよね?」
二人の反応が今ひとつなのを見て、美姫は「もしかして自分はおかしくなっているのでは」と慌てている。
カフェオレをカップの半分ほど飲んだところで、雛菊は溜め息混じりに応じる。
「別に変なことじゃないわ。……ただ、真顔で"惚気話"をされる身にもなってみなさい」
「い、今の惚気話だったの!?私は真面目に相談してたつもりだったのに……」
真面目な相談を「惚気話だ」と切って捨てられて、美姫は落ち込むものの、静香が苦笑しながら続く。
「いやいや、今のはどこからどう聞いても惚気話でしょ」
まぁようするに、と静香はカプチーノに続いてお冷も一口する。
「九重くんと別れるのが怖いって言うのは、それってつまり「別れたくない」ってことね」
「う、うん、多分そうだと思う。別れるって思ったら怖くなって、それが怖いからもっと九重くんの近くにいなきゃって思って……」
身振り手振りで自分の心境を説明しようとする美姫を見て、耐え兼ねたように雛菊は口を開く。
「美姫。九重くんと別れたくないって、それってもう好……」
「とりゃー!」
その先を言いかけたところで、お手拭きを手にした静香に口を塞がれる。
言葉を遮ったのを確認してからお手拭きを雛菊の口から離し、すぐに耳打ちする。
「バカっ、そこはちゃんと美姫が自覚しなきゃでしょっ」
「ご、ごめんなさい」
二人が耳打ちしているのを見ている美姫は、頭に疑問符を浮かべている。
「そうねぇ、これは美姫と九重くんとの問題だし、あたしやヒナが口出しするのもなんだし……」
しばしの思考の後、静香は妙案を思いつく。
「自分の気持ちを文字に書いてみながら整理してみる……って言うのはどう?」
「文字にしながら?」
それに一体どんな意味が、と美姫はさらに頭に浮かぶ疑問符を増やす。
「今の美姫の気持ちは、心の中にしかないでしょ?それを敢えて"目に見える形"にしてみれば、何か分かると思うんだけど」
「目に見える、形……」
静香からのアドバイスを聞いて、美姫は紅茶の水面に自分の顔を映しながら考え込む。
「……静香、今のはどこからの情報?」
普段の静香とは思えないほどのまともな意見に、雛菊は訝しげに問い掛けた。
「失礼ねーヒナ、今のは一般論っしょ?一般論っ」
もうしばらくだけケーキカフェで談笑をしてから、それぞれの帰路を辿る。
その日の夜。
入浴を済ませて自分の部屋に戻って来た美姫は、先程に静香から与えられたアドバイスを思い出す。
「そうそう、自分の気持ちを文字にする……」
適当なプリントの裏面を机の上に広げて、シャーペンを手に取る。
「(まずは……『九重くんに本当のことを言おうとする』)」
シャーペンを走らせ、その通りに書く。
「(次は……『本当のことを言ったら、きっと別れることになる?』)」
美姫は自分が思うままに気持ちを文字にしていく。
「(『九重くんと別れるのが怖い』)」
さらさらと書き、次の気持ちを見直す。
「(……『九重くんと別れたくない?』)」
文字にも気持ちにも、疑問符を書き足す。
「(『九重くんと一緒にいれば、怖くない』)」
気が付けば、一枚の紙に何度も「九重くん」と書いている。
「(『怖いのは嫌だから、もっと一緒にいたい』)」
ピタ……とシャーペンを滑らせる指が止まり、再度動かしていく。
「(……『なんか胸の奥があったかくなる?』)」
その表現は、少女マンガでもよく見る。
特にヒロインによく起きる表現であり、それが意味するのは……
その先は、文字にも出来なかった。
……否、文字にすること自体は簡単である。
簡単ではあるが、それを実行出来るかどうかはまた別の問題だ。
だからこそ、美姫はその気持ちを文字にしてみた。
「……〜〜〜〜〜ッッッッッ!!」
シャーペンを放り捨て、慌ててベッドに飛び込んで、枕に顔を埋める。
熱い。とにかく顔が熱い。押し付けている枕にまでその熱が移る。
身悶えしたくなる衝動を、辛うじて生きている理性で必死に抑えつけ、そんなよく分からない自分との戦いが数分ほど続いたところで、ようやく落ち着いてきたのでその動きを止める。
「……もう寝よ」
明日からは学園祭だ、寝不足のせいでちゃんと働けなかったら静香や雛菊に呆れられる。
リモコンで部屋の灯りを消して、美姫は毛布で身を包む。
眠りについて、朝起きれば、この熱も引いてくれるはず。
校内放送を告げるアナウンスが響き渡る。
『全校生徒の皆さん、大変長らくお待たせしました。時刻は、午前九時をお知らせします。これより、四季咲学園学園祭を開催致します』
生徒会長直々による宣言が為された。
待ちに待った、祭の時だ。
昨日の内に、校門から外回りのフェンスにまで完璧に飾り付けられた四季咲学園。
校庭や中庭、渡り廊下にまで所狭しと屋台が並び、たこ焼き、焼きそば、フランクフルト、フライドポテトを始めとするジャンクフードの塩やソースの焼ける匂いがそこかしこに立ち込める。
一度校舎の中へ踏み込めば、色とりどりのカラーテープやバルーンが盛大に出迎えてくれる。
いつもは生徒達の場所である教室が、展示場やお化け屋敷、プラネタリウム、喫茶店、劇場等など、まるで世界が変わったかのよう。
そんな中でも、一際強く輝く場所がある。
そこは、2年A組の教室であった。
その催し物は、『メイド喫茶』
「お帰りなさいませご主人様ー!」
「ご注文は如何致しましょうか?」
「三番テーブル、パンケーキセット、コーヒーでーす!」
「ホットドッグセット上がったぞー!持ってってくれー!」
「五番テーブルはミルクティー単品だよね!?」
「お待たせしました、バタートーストセットでーす。ご注文は以上でよろしいでしょうか?」
「一番テーブル、アイスコーヒーのお代わりでーす!」
2年A組のメイド喫茶の売上は、初っ端から好調である。
その中で、調理スペースの一角で、蓮は忙しなく伝票を集計している。
「っと、アイスコーヒー単品ひとつ……」
彼は、開催からピークが過ぎるまでのシフトに入っており、今はメイドとして動いている美姫も同じ時間帯に入っている。
……と言うよりも、静香がそう仕組んだのだ。
後で二人が一緒になれるようにと。
基本は雑務等担当の蓮だが、必要とあれば調理担当の支援に回ることになっている。
美姫はと言うと、このメイド喫茶のメイン売り子の一人であるため、午前中からピークまでに入ってもらい、二日目以降からのリピーターを狙う、と言う雛菊の意見もある。
ちなみに、その雛菊もメイン売り子であり、ピークから午後のシフトに入っている。
現に、メイド目当てで早速入店してきた男子生徒のほとんどは、美姫に釘付けだ。
それを遠目から見ている蓮からすれば、誇らしくもあるが、
「(まぁ、撮影禁止だし、学園内だし、メイドに手を出すなんてバカなことはしないだろうけど……)」
同時に気に食わないところもあった。
無理もない、自覚の有無や身内の贔屓を別にしても、美姫は人目を引く容姿の持ち主だ。
その上、青年誌の表紙に載せられても不思議ではないレベルのスタイルも併せ持つ。
そんな美少女と言っても差し支えない彼女が、何とも大胆なメイド服を身に纏うのだ、異性から注目の的になるのも頷ける話である。
「(それでも、モヤモヤするものがあるな……)」
その感情は『独占欲』と呼ぶのだと、蓮自身は気付いていない。
帳票へカウントする手は休めないままに、お客の中から"不躾な輩"がいないかと睨む。
すると、今の時間の調理担当リーダーの鞍馬が駆け寄ってきた。
「蓮、いいか?」
「どうした鞍馬、ヘルプか?」
彼から声が掛かるということは、調理担当の支援に入ってくれと頼まれるのかと蓮は身構える。
「ヘルプと言えばヘルプだな。もう既に午前に出す分の在庫が無くなって、午後の販売分に手を付け始めている。……予想を遥かに上回る売上だよ」
9時からの開催で、現在時刻は10時11分。
午前分の在庫はピーク時にも備えたものであり、午後からは客足が少なくなることも見越して少なめにしている。
「と、言うことは……このままだとピークが過ぎた頃には、今日の分どころか、明日の在庫すら無くなる恐れが?」
それはシャレにならないぞ、と蓮は付けていた帳票を確認する。
気が付けば、本来想定の数倍の売上が現在進行系で刻まれているではないか。
「そう言うことだ。すまないけど、パシリ……じゃなくて買い出しを頼む、大至急」
鞍馬は現金の入った茶封筒と、必要な物がびっしりと書き込まれたメモ、それと折りたたみ式の買い物バッグを手渡した。
「買い出しはいいけど、それなら帳票の方は……」
「そっちは木村に代ってもらう。そろそろ来るはず……っと、来た来た」
鞍馬が廊下の方に手を振ると、木村と言う男子生徒の一人が駆け込んでくる。
「木村には僕が説明する。急いでくれ」
「了解、行ってきます」
手渡されたものをポケットに押し込み、蓮は駆け足で教室を出る。
業務スーパーには以前にも美姫と一緒に買い出しに出掛けた時に道のりは覚えているので、最短ルートで往復する。
信号を待っている間にスマートフォンで時刻を確かめる。
10時43分。ピーク開始が予想される11時までには、のんびりしなければ余裕で間に合う。
それでも早く戻って来て手伝うべきだ、と蓮はランニングくらいの速度で学園へ急ぐ。
が、事態は蓮の予想を敢然と裏切ってくれていた。
2年生のクラスのある階層に、長蛇の列が出来上がっている。
数えないで30人近い人数が並んでおり、クラスメートが複数人で列の整理をしており、その中に駿河もいる。
「2年A組、メイド喫茶の最後尾はこちらでーっす!」
その場で作ったかのような、『メイド喫茶 最後尾はこちら』と描いたダンボール板を掲げている駿河に話しかける。
「駿河、この行列ってまさか……」
「おっ、蓮おかえり!ちょっとこりゃやべぇぞ!?」
「あ、うん、見るからにやばそうだな?」
立ち話もそこまでにして、蓮は教室の調理スペースへ駆け込み、鞍馬を呼ぶ。
「鞍馬!戻ったぞー!」
蓮の声に気付いて、パンケーキの生地を大量に作っている真っ最中である鞍馬は、目線だけで確認する。
「あぁ蓮おかえりっ……それより!帰ってきてすぐで悪いがアイスコーヒーの在庫作ってくれ!」
「お、おうっ!」
鞍馬の剣幕に押されつつ、蓮は買ってきたばかりの水出しコーヒーのパックを開ける。
「……はいっ、ホットドッグ三つ上がったよヒナ!」
調理スペースには、ヘルプで呼ばれたのだろう静香がせっせと出来上がったものをカウンターに送り込み、
「うんありがとう、次はパンケーキ二つお願い!」
手慣れたようにお盆にセットメニューを乗せてはスタスタと運んでいくメイドの雛菊もいる。
「ま、またぁ!?……はいはいっ、四の五の言わずにやりますよ!」
文句を言いつつも、静香の手は止まらない。
ピーク前の勢いがさらに増した状態でピークを迎え、ようやく落ち着いたのは14時を過ぎた頃だった。
教室の出入り口には、『本日完売しました!また明日のご利用をお願い致します!』と描かれた張り紙が貼られている。
実際にはまだ在庫はあるのだが、営業する側の生徒達の疲労から、今日のところはオーダーストップだ。
その教室内は、一時的に2年A組の生徒達の休憩所と化しており、皆が皆椅子に座ってテーブルクロスの上に上体を預けている。
「初日でこんな調子じゃぁ、明日と明後日どうすんだ……?」
誰もが口にしないようにしていたことを、駿河はいとも容易く溢した。
「今日の売上、55920円って、学園祭で出せる売上じゃないよな……?」
蓮は木村から預かった帳票を確認して、思わず自分の目を疑った。
「これはアレだな……今日の内にまた買い出しに行っておかないと、明日の午前中で三日目の在庫も切れるぞ」
在庫のチェックをしていた鞍馬は、溜め息混じりで懸念を挙げる。
何せ、初日の午前だけでその日の予定分を使い果たし、途中で蓮からの補給があってなお、この日だけで二日分の在庫が空になったくらいだ。
「私、お給料貰ってもいいくらい働いた気がするよぉ……」
さすがにメイド服から制服に着替えた美姫も、べっちゃりと机の上に倒れている。
「シフトも考え直すべきね。……と言うか、最初から最後までクラス全員でやらないと回りそうにないわ」
雛菊が言うように、悠長に人数の振り分けなどしている場合ではなく、自由時間だったクラスメート全員を呼び戻したのだ。
他のクラスメート達も「メイド喫茶ってこんなに大変だっけ……」「あとこれが二日も続くのかよ……」「明日友達来るのにどうしよう……」と口々に脱力している。
ふと、ガラガラと教室のドアが開けられる。
「はーい、みんなお疲れ様ー。とりあえず飲み物一通り買ってきたから、好きなの取ってねー」
静香と、気力の生きている男子数人が、テーブルの上にどかどかと缶やペットボトルのドリンクを無造作に置いていく。
思い思いの形でドリンクが開けられていく中、駿河はドリンクを片手に椅子から立って教壇に立ち、静香も教壇に回る。
「よーし、みんなそのままでいいから聞いてくれ。今からの買い出しと、明日のシフトについてだ……」
2年A組のメイド喫茶は、初日から大盛況……のあまり、問題が山積みになっていた。
果たして、明日と明後日も乗り切れるのか――
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