Episode:13 恋人ディスタンス
試食、試飲会が終了し、週明けの月曜日の朝、鞍馬の手によって無事にレポートが提出された。
担任教師の目を通された後、実際にメイド喫茶をやるにあたってのマニュアルとして、レポートは教室に置かれることになった。
これを読んだことにより、クラスの中で何人かが、パンケーキを試しに作った、と言う声が上がり始めていた。
2年A組の学園祭へ向ける熱意は、日増しに高まっていく。
そんなある日のロングホームルーム。
実行委員である駿河と静香が教壇に立ち、赤の箱と青の箱の二つが置かれる。
「はーいそれじゃ今日も張り切っていくよー!本日は我がクラスの出し物であるメイド喫茶の、役割を決める時がやって参りましたー!」
静香の号令により、教室がざわめく。
誰がメイドをするか、誰が調理担当か、誰が雑務等の担当かを、くじ引きで決められるのだ。
「誰が何になっても恨みっこなしだからなー。青の箱は男子、赤の箱は女子、それぞれで引いてくれよー」
駿河が二つの箱を揺らして中を混ぜる。
青の箱に男子が、赤の箱に女子が、順番にくじを引いていく。
「うげっ、俺メイドかよ!?」
「良かったー、雑務担当だ」
「調理担当ー?あたしメイドが良かったなー」
「あ、メイドだ。ラッキー」
くじを引いて中身を確認した生徒から、次々に安堵や嘆きが声にされていく。
そして、蓮や美姫、鞍馬、雛菊と言った、試食、試飲会に参加した者達も。
「んーと……あぁ、雑務等の担当だな」
メイドじゃなくて良かった、と蓮はホッとする。
「朝霧さんは?」
彼女はどの役になったのかと、美姫の方を見やると、
「あ。わ、私、メイド……」
美姫が開いた紙面には『メイド』の三文字。
「朝霧さん、メイドなのか」
「ど、どうしよう……メイド服なんて、絶対恥ずかしい……」
調理担当か雑務担当が望ましかった美姫は、まさかメイドを引き当てるとは思いたくなかったようで、恥ずかしそうに縮こまっている。
「メイド服のデザインがどんなものか分からないけど、朝霧さんならきっと似合うと思うな」
蓮としては、本当は単純にメイド服姿の美姫が見たいだけなのだが、そうとは言えずに遠回しな言い方をする。
「に、似合うの、かな……?」
自分の彼氏に「きっと似合う」と言われて、美姫は縮こまっていた姿勢を戻す。
教室の片隅で甘ったるい空気が流れている傍らで、次に雛菊が赤い箱からくじを引く。
「メイドね……」
『メイド』の三文字を見て、眉を引き攣らせた雛菊だが、こればかりは仕方ないとして、諦めて受け入れる。
次に鞍馬。
「調理担当か」
特に気にすることもなく、自分の担当を理解する。
そうして、駿河と静香以外の全員がくじを引き終わった後、赤と青の箱に残された最後の一枚のくじは、この二人が引く。
「うぉっと、まさか俺がメイドになる日が来るとはな!」
駿河はメイド担当。
「あー、調理担当かぁ。せっかくならあたしもメイドが良かったんだけどね」
静香は調理担当。
これにて全員の担当が決まったところで、美姫や雛菊と言った、メイド担当になった女子数人が静香に呼び出され、一度教室を出る。
この待っている間に駿河は、メイド、調理、雑務等の三つに分けられた中で、それぞれ何人いるかのカウントをしている。
十数分ほどの間を置いてから、静香が教室に戻って来る。
「はーい、ケダモノどもご傾注ー。……入ってきていいよー」
廊下に向かって声を掛けると、先程まで静香に連れられていた女子数人も戻って来る。
――メイド服を纏って。
「「「「「「うおぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!?」」」」」
案の定と言うべきか、メイド喫茶を強く望んでいた男子達の驚愕と興奮の声が教室に木霊する。
「おぅお前らっ、気持ちは分かるが静粛っ、静粛にっ……」
確実に他のクラスにまで響き届いているだろう声を抑えるべく、駿河が身振り手振りで制する。
ようやく教室に静寂が戻ったところで、静香が進め直す。
「と言うわけで、こちらが我がクラスが誇るメイド達でありまーす。おっとっ、撮影は無しね!」
こっそりスマートフォンのカメラでメイド達を撮影しようとしていた男子の一人をピシャリと指差す。
撮影は禁止。
このロングホームルームが終わるまで、見るだけなら見放題であるとして、単純にメイドが見たい男子、メイド服がどのようなものかを知りたい同じメイド担当など、静粛に盛り上がる。
そんな中、美姫はこそこそと蓮の元へ。
「ど、どうかな、九重くん……」
「ぃえ"っ!?」
しばしの間、メイド姿の美姫を呆然と眺めていた蓮だったが、その美姫にどうかと訊ねられ、思わず声を濁らせた。
「いや、その、なんと言うか、……か、可愛いし、似合ってるよ」
「〜〜〜〜〜っ、あ、ありがと……」
可愛いし似合ってる、とは言った蓮だったが。
「(普段は制服の上からだからアレだけど、朝霧さんってやっぱり"大きい"し、目のやり場が……っ)」
着痩せするタイプというべきなのか。
……否、実際は太っているというわけではなく、"ある部分"の自己主張が大変激しいのだ。
しかも、ウェストを細く見せるためか腰のリボンはややキツめに結ばれており、そこが圧迫されるとなると……有体に言えば「寄せて上げられる」のだ。
極めつけは、蓮と美姫との身長差があるため、お互いに近距離にいると蓮は自然と見下ろす形になる。
その見下ろした視線の先が、ダイレクトに双丘の谷間である。
美姫が挙動する都度に弾力を伴って揺れるソレは、理性と言う理性を根底から揺さぶられ、「これは何かの試練か!?」と蓮は(静香が言うところの)自分の中にいる"ケダモノ"を必死に抑えつける。
メイド服のお披露目はロングホームルームまでだったため、蓮はどうにか"ケダモノ"との戦いに勝利する。
ロングホームルームが終わり、それ以降は通常授業が進められ、昼休みを迎える。
蓮は例によって例のごとく、購買部で昼食を購入してから美姫と二人で食べようとしていたのだが、美姫は今日は、雛菊と静香との三人で"女子会"をするらしい。
そんなわけで、今日のところは駿河と鞍馬との三人で食堂の一角を占拠している。
「なぁ蓮、最近朝霧さんとはどうだ?」
今日はカツ丼を注文していた駿河は、前触れ無く色恋の話を放り込んできた。
「ど、どうだって言うと?」
「蓮が朝霧さんと付き合い始めてから、もう一ヶ月過ぎただろ?その辺の進行具合はどうよ?ってな」
勿体振ってねぇで教えろよ、と駿河は興味津々で訊いて来る。
「え、えー、進行具合?……順調、かな?」
何かと双方の思考や都合がズレたりすることはあったが、少なくとも順調だろうとは蓮も思っている。
「おぉ、順調か!そうかそうか……」
順調であることを確認した駿河は、次にとんでもない"爆弾"を放り込んだ。
「順調だって言うんなら、もうキスとかもしちまったわけだな」
「んっぐっ!?」
その"爆弾"を耳にして、蓮は口に運んでいた野菜炒めを吐き出しかけて慌てて飲み込む。
「おいおい、大丈夫かよ」
慌てて飲み込んだせいか喉が詰まってしまい、すぐに水を飲んで流し込む。
「…………ふぅ。って、いきなり何言い出すんだよっ」
「何って、普通のこと訊いてるだけじゃねぇか。なんでそんな慌ててんだよ?」
怪訝そうに目を細める駿河。
だが、その細めていた目をカッと見開いた。
「ま、まさかっ……もうそれよりも先にイっ……んげっ」
その先を言おうとした駿河だが、不意にそれを途切れさせた。
蓮からは見えないのだが、駿河と隣の席にいた鞍馬が、駿河の足の甲を上靴の踵で踏み付けていた。
「時と状況を考えろバカ」
さらにグリグリと床に埋め込む勢いで駿河の足を痛め付けてやる。
「いでででででっ、ギブギブ……!」
バンバンと席を叩いてギブアップをアピールする駿河。
駿河のギブアップによってようやく鞍馬は足を元の位置に戻した。
「……蓮の反応から見ると、まだそこまでには至ってないみたいだけど」
鞍馬は先程に駿河が「もうキスとかもしちまったわけだな」と言う発言を聞いた蓮の反応から、「まだキスするほどではない」と読み取った。
「まぁ、その、うん」
否定する理由が無いため、躊躇いながらも頷く蓮。
「焦ることも無いだろうさ。朝霧さんも、あんまり性急に事を進められるのは好きじゃなさそうだしな」
彼女は男子が苦手な人間なのだし、異性に対する警戒心は他人よりも強いだろう。
「(尤も、その朝霧さんに性急に事を進めさせようとしているのが、松前さんなわけだが……)」
蓮と美姫の関係の"裏"を知っている鞍馬は、美姫の背後から静香が押していることを複雑に感じている。
だからと言って、ここでそれをバラして、蓮と美姫の関係に罅を入れるつもりはない。
蓮が今の自分の恋愛の"裏"を知る頃には、己の心境や美姫への感情も変化しているかもしれないのだ。
故に、今はまだ自分の出る幕ではない、と鞍馬は現状維持を選ぶ。
「焦ることも無い、か……」
けど、と蓮はお冷を一口して言葉を選び直す。
「まだ、恋人の距離感……いや、ペース?って言うのか?そう言うのが、掴めてなくて」
距離感やペースと言う言葉に、鞍馬と駿河は耳を傾ける。
「付き合い始めて一ヶ月で、手を繋ぐよりも先にいつ進めばいいのか、キスとかはいつ、どのタイミングですればいいのか、とか……」
無論、蓮にもキスやそれよりも先のことに興味はあるし、その相手が美姫になる、とは想像している。
問題なのが、それを行うタイミングであった。
蓮の思う恋愛のペースが、美姫のそれに当て嵌まるとは限らないからだ。
自分本位で動いて、美姫がそれを迷惑に感じてしまえば、蓮自身にも罪悪感が残る。
うーむ、と腕を組んで唸った後に、駿河が先に答えた。
「俺らは朝霧さんでも無ければ、そもそも女子ですらねぇから、答えようがねぇけど……そう言うことは朝霧さんとは話してるのか?」
「い、いや、こう言うことを直接本人には話しにくいから、困ってるわけで……」
だから気の置ける同性の友人に話を持ち掛けた蓮だが、駿河からの答えは実に単純で率直なものだった。
「お前と朝霧さんの間の話だろ?その本人と話さねぇで、誰と話すってんだ」
何でそこで俺らに振るんだよ、と駿河は衣に包まれた豚肉に齧り付く。
そこへ、補足するように鞍馬も口を挟む。
「お付き合いのマニュアルみたいなものもあると言えばあるし、実際読んだことはあるけど、ハッキリ言ってあんなものはアテにならないぞ。特に、蓮と朝霧さんって言う、奇跡的な組み合わせにはな」
内容によってはとても朝霧さんには見せられないモノもあるしな、と鞍馬はやけに実感のこもった様子で吐き捨てる。
「誰かが「あぁするべき」「こうすべき」と言ったところで、蓮はそれに忠実に従うわけでも無いんだろ?」
「それは、そうかもしれないけど」
蓮自身今でも、美姫に告白されて付き合うことになったこと自体が、神の気まぐれか何かだと本気で思い込んでいるくらいだ。
すると、カツ肉を飲み込んだ駿河が、眉を顰めながら続いた。
「うーん、これは俺が言っていいかは分からんけど……恋人同士ってのは、『相手がいて初めて成り立つ』もんだろ?あんま独りよがりになるのは、良くねぇと思うな」
「あっ……」
駿河にそう言われて、蓮は初めて気付いた。
いくら友人に相談したところで、恋人がどう思っているかなど分かりはしない。
エスパーでは無いのだから、相手と話さないことには、見える事態も見えてこない。
「そうだよな……俺はそんな当たり前のことすら分かってなかったのか」
「珍しい……駿河にしては珍しく、まともなことを言ってる」
「お前はほんっとーに失礼なヤツだな鞍馬ァ!」
怒鳴る駿河を吹く風のように受け流している鞍馬を尻目に、蓮は味噌汁を啜る。
「(まずは朝霧さんと話すこと、だな。うん、今日の放課後にでも、ゆっくり話してみよう)」
残る野菜炒め定食を掻っ込み、蓮は残り二時間の授業に備えることにした。
一方の、女子サイドでは。
いつも(と言うには頻度が減っているものの)の中庭のベンチで三人で弁当を広げていると言う、美姫が蓮と付き合うようになるまでは当たり前だった光景だ。
「さぁさぁさてさて美姫さん、最近の九重くんとのご関係は如何ほどにっ!?」
ティーン向けのファッション誌を丸めたものを、マイクのように美姫に突き付ける静香。
「ご、ご関係って?」
「だからさぁ、九重くんとは、どこまで進んでるのって。さすがにもうキスくらいはした?」
昼休みの時間は限られているため、早速話を切り込ませていく静香。
「キスッ……し、してないよ?」
いきなり核心を突いてくる静香の物言いに、美姫は動揺しつつもちゃんと答える。
「まぁ……そうでしょうね」
『静香がそう言えば、美姫ならこう答えるだろう』、と言うことを最初から読んでいた雛菊は、特に驚きも怒りもせずに頷くのみ。
「あー……うん、美姫じゃぁしょうがないかねぇ……」
とは言え、それは静香も何となく予想はしていたのか、以前のように「何ぞそれぇ!?ヘタレかあんた達は!?」と怒ることはなかった。
「なんて言うか……九重くんは知らないけど、美姫って、そう言うことに興味とか無いの?」
静香の中では「もしや美姫にとっての九重くんとは、友達の延長線上の存在なのかもしれない」と言う疑念さえ浮かんでいる。
「きょ、興味が無いわけじゃないよ?その、もちろん恥ずかしいとかそう言う気持ちもある、けど……」
けど……と間を置く美姫。
「……九重くんは、どうなのかなって」
少しの沈黙の後に、美姫は言葉を選んだ。
「どうって?」
美姫の様子から何か深刻なものを読み取ったのか、雛菊は興味本位としてではなく、案じるように訊ね返す。
「九重くんは、私とキスとか、したいのかなって……」
美姫の答えは、自分本位だけでなく、相手――蓮――のことも考えてのものだった。
「んー……あたしから見ても、九重くんは美姫のこと好きだと思うし、キスもしたいって思ってると思うけどねぇ。ちょっと言い方が乱暴になるけど、美姫くらい可愛い女の子が相手なら、男は誰だってキスしたくなると思うし」
「本当に乱暴な言い方ね……九重くんも、可愛い女の子なら誰でもいいって人でも無いだろうし」
「そりゃね、きっかけ自体は『美姫が九重くんに告白したから』、九重くんも美姫のことを意識するようになったろうし」
「そもそも、二人が知り合ったのは、九重くんが美姫のハンカチを拾ってあげたことだし……仮に美姫が告白しなかったとしても、いずれ九重くんの方から告白したかもしれないし」
静香と雛菊の二人が意見を交わす、その中間にいる美姫は口を噤んでいた。
「(……そうだった。九重くんと過ごす毎日が楽しくて、すっかり忘れてた)」
――自分が、"彼に嘘を付いている"ことを――。
「(ちゃんと言わなきゃ。「本当は告白するつもりじゃなかった」ってことを……)」
友達二人が自分についてあーだこーだと話している傍で、美姫は無言のままに意を決する。
……その決したはずの意志は、揺らいでいるのだが。
放課後。
蓮と美姫はもういつものように二人で一緒に下校する。
しかし、今日のところは二人ともいつものように、とはいかなかった。
「(朝霧さんと話す……朝霧さんと話す……)」
「(九重くんに伝える……九重くんに伝える……)」
蓮は美姫とのお付き合いのペースについて。
美姫は蓮に自分が嘘をついていることを。
それぞれ話そうとするのだが、
「「((ど、どのタイミングで話せば……?))」」
タイミングに迷う蓮は、横目で美姫を見やる。
視線の先にいる美姫も、何か考えるような表情をしている。
「(もしかして、朝霧さんも同じようなことに悩んでいるのか?)」
自分が彼女に関することで悩んでいるのなら、その逆もまた然り。
当然だが、これは話しにくいことだ。
美姫は、話してくれるのを待っているのかもしれない。
ならばこれこそ自分が率先せねば、と蓮は上ずりそうになる声を必死に抑えつけながら、美姫に話し掛ける。
「あの、さ、朝霧さん」
「ふぇっ、な、何かな……?」
不意に蓮の方から話し掛けられ、美姫は咄嗟に姿勢を伸ばす。
「今から、ちょっと話したいことがあるんだけど……寄り道、していいかな?」
とは言え、こんな往来で話すようなことではない。
下校路の途中で進路を変えて、駅前近くの市民公園へ向かうことにした。
今日はクレープ屋台のトラックは来ておらず、遊んでいただろう子ども達も既に帰っているのか、公園内は閑散としていたが、蓮としては都合が良かった。
噴水近くのベンチに隣り合って座る。
「えっと……話したいことって?」
「これを本人に向かって話すのは勇気がいるんだけど……朝霧さん、俺達って付き合い始めて一ヶ月が過ぎたよな」
「うん、そのくらいだね?」
この前置きから一体何を話すつもりなのかと、美姫は心で身構える。
躊躇いの後に、蓮の口から続きが話される。
「ついこの間に、やっと手を繋ぐことが出来た。……でも、そこから先はどうしたらいいのか、分からないんだ」
「そこから、先?」
「……その、キスとかはいつぐらいにしたらいいんだろうって」
「キス……ッ」
昼休みにも同じようなことを聞いた気がする。
「鞍馬が言うには、付き合い始めて一ヶ月にもなるのにキスのひとつもしてないのは、かなり遅い部類だって言うし。そりゃ、他人の経験談を定規にするつもりはないんだけど」
「…………」
美姫は、蓮の言葉の流れから彼が何をどうしたいのかを想像する。
「(キスのタイミングを訊くってことは……九重くんは、私とキスしたいって、こと……?)」
静香の言う通りだった。
蓮は美姫のことを好きだと思っており、キスもしたい、と。
「(九重くんは、私のことが好きで……)
少なくとも、彼の気持ちは読み取れた。
「(それじゃぁ後は、私次第ってことに……?)」
蓮がそうしたいと言うのなら、美姫はそれに対して、「YES」か「NO」で答える必要がある。
しかし、そこで美姫は自分にブレーキを掛けた。
彼女には『第三の回答』がある。
本当はあなたに告白するつもりじゃなかった、と。そう答えねばならない。
キスの有無以前の問題だ。
「俺は、朝霧さんのことが好きだよ」
蓮は、真っ直ぐにそう告げた。
「どんなに些細なことだって真剣に受け止めてくれて、男子が苦手だって分かっているのに俺に告白してくれて、付き合っていく内に朝霧さんがどんどん可愛く見えてきて……」
「ちょっ、こっ、こ、九重くんっ……!」
口説き文句のような褒め殺し(天然)に、美姫は慌てて制した。
「そ、そんなに面と向かって言われたら、恥ずかしいよ……」
「ご、ごめん。でも、俺は……」
まだ続きを言おうとする蓮を、美姫は「待ってッ」と両掌を蓮の口元に当てて塞ぐ。
「あ、あのねっ九重くん……私、私ね!」
慌てた勢いに任せたまま、美姫は自分の本当のことを言
―――――ったら、どうなる?
そう。
本当は告白するつもりじゃなかった、と蓮に言ってそれでおしまいではない、それを言った『その後』があるのだ。
つまり、『蓮のことなど好きでもないのに告白した』と言うことになる。
先程も言ったように蓮は純粋に美姫へ好意を向けている。
彼からすれば美姫が告白してくれたのも、「彼女が自分のことを好きになってくれた」と思うのは至極当然だろう。
"嘘"をついた――自分の恋心や純情を弄んでいた――ことになる。
本当はあなたに告白するつもりじゃなかった。だからキスは出来ません、とも捉えられる。
そう言われれば、蓮……普通の男であれば、怒るだろう。
その結果は、別れだ。
「(わか、れる……?)」
それは、蓮との断絶へ直結する。
即ち、もう二度と彼と言葉を交わすことが出来なくなる。
一緒に登下校も出来なくなり、デートも出来なくなる。
下手をすれば、彼の優しさがそのまま"憎悪"になって返ってくるかもしれない。
彼の友達の駿河や鞍馬も、美姫を許さないだろう。
友達の想いを弄んだ悪女だ、と。
そこまでに至った時、
「―――――ッ」
言葉が途切れた。
「朝霧さん……?」
その先が紡がれないことに、蓮は心配そうに美姫を見つめる。
「(言わなくちゃ……言わな、くちゃい、け、な、いの、に)」
もう、言えなくなってしまった。
「ご、ごめ……っこ、このぇく……っ……」
「……あっ、ごめんっ!やっぱり、キスなんてまだ早いよな!?」
美姫が何を言わんとしているか……それを「キスなんてまだ早い」のだと読み取った蓮は慌てて謝る。
「ち……ちが、ぅのっ……ちがっ……」
そうじゃない。
そうじゃないのに、言えない。
「ま、また、ぁしたね……ッ」
突然、美姫はベンチから腰を上げて、そのまま逃げるように走り去って行ってしまった。
「あ、朝霧さ……!?」
蓮が呼び止めようとするが、そんな声はもう届かなかった。
自宅に駆け戻り、「ただいま」の一言もなく、美姫は自分の部屋に入るなりドアを閉めて、へたり込む。
「はぁっ……はぁっ……はっ、ふっ……ぅっ……」
乱れた息遣いのまま無理矢理呼吸を繰り返す。
走りに走ったせいで全身が熱っているのに、背筋だけがひどく寒い。
蓮との断絶。
それを想像しただけで、言葉に出来ないほどの"恐怖"が氷柱となって背中を引き裂く。
「(どうして……)」
震える腕で自分の肩を抱き、
「(九重くんと別れるだけなのに、どうして……こんなに怖くなるの……)」
言い知れない薄ら寒さと、連鎖する恐怖が、心を侵す。
「(どうしよう……明日から、どんな顔して九重くんに会えばいいんだろう……)」
不意に、鞄の中にあるスマートフォンからRINEのメッセージの着信を告げられる。
震えたままの手で鞄の中に手を突っ込み、スマートフォンを手繰り寄せて、アプリを開く。
それは、蓮からのメッセージだった。
『さっき朝霧さんが何を言おうとしたのか、俺には分からないけど、辛いこととかあるなら、話せるなら話してほしい。前にも言ったけど、俺を頼ってほしい』
美姫がこれを確認して一拍を置いてからもう一言、メッセージが連投される。
『俺は、朝霧さんの彼氏だから。何があったって、君の味方でいるつもりだよ』
「…………」
優しい。
どこまでも優しい人だ。
ふと、彼からのメッセージを読んだだけで、心が落ち着いていることにも気づく。
しかしそれよりも今は返信すべきだと、美姫はキーを叩く。
『さっきは急にごめんなさい。でも、ありがとう』
一度送信してから、ひとつ思い出したのでこれもすぐに応じる。
『キスは、また今度で』
送信を終えて、スマートフォンを充電器に差し込んでから、美姫は安堵に息をつく。
あの得体の知れない恐怖については、今は考えないことにした――。
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