03 『傷負う背中』

 帰り道。


 なんとなく、彼の笑顔のことを考えながら、歩いた。あの笑顔のやさしさは。軟らかさは。どこからくるのだろう。ときどき音が聴こえないという残酷さが編み出した、生き抜くためのコミュニケーション方法なのだろうか。


「ねえちゃん。学校帰りかい?」


 また来た。

 後ろに向かって、本気で回し蹴り。躱された。


「荒っぽいな。気が立ってんじゃねえの?」


 男。


「何度も言わせないで。わたしは、正義の味方になんて興味ないの。街の平和なんて、どうでもいいわ」


 よく、こんな感じで勧誘が来る。

 正義の味方。街の平和。能力を活かせる仕事。


 どうでもよかった。わたしの能力は、わたしのもの。使わないのもわたしの自由。


「ねえちゃん。頼むよ。最近人が足りてねえんだ」


「じゃあ、街なんかなくなってしまえばいい」


「そういうわけにはいかねえ。たくさんの人が住んで、たくさんの営みがあるんだ、この街には」


「こんな街。ミサイル一発で終わりよ」


「そう。ミサイルも飛んでくるかもしれん。沖合いの空母は行方不明だ。街の監視カメラには不具合が出ている。あんたの才能は、街に欠かせない」


「ないわよ。才能なんて」


 他の人より、ほんのすこし頭が良くて。ほんのすこし身体が動かせて。ほんのすこし心がしっかりしている。それだけ。わたしは普通。普通の人間。


「なあ。頼むよ」


「しつこいわね。殺すわよ」


 袖を掴まれた。

 振り払う。

 拳を突き込もうとして。

 かろうじて、ぶつかる直前で止めた。

 勧誘してきた男ではなく、保健室に来た男子生徒が立っている。


「おっと。俺はこれで失礼するよ」


 勧誘してきた男。立ち去る。


 彼と、わたしの。ふたりだけになった。


 とりあえず、突き出した拳を元に戻して。なんとなく、気まずい雰囲気だと、思った。訊かれただろうか。


 彼の顔を、見て。


 どきっとした。


 にこっと、やさしく笑っている。


「聞こえてた?」


 訊いてみる。


「聴こえてなかった。なんか大変そうだったから、つい」


「そう」


 男の勧誘を断るときの、わたしの顔。どんな表情をしていたのだろうか。


「一緒に。帰りませんか?」


 彼。小さな声。


「わたしのことは」


 断ろうとして。うつむきながら出したその言葉が、彼に届いていないのを、なんとなく理解した。


 せっかくだから。


 俯いた顔を上げて、笑顔で返す。


「一緒に帰りましょう。ぜひ」

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