第8話 滅びの呪文

 扉を潜った瞬間、まるで無重力状態の様に地面の感触が消えた。

奥の方で僅かに光る物を目印にシンと静まり返った空間を空中を泳ぐようにして前進する。こういった空間にいると改めて自分が異世界に来たのだと実感する。田舎道も夜は灯りが一切無く真っ暗闇だったが、蛙や虫の鳴き声がいつも聞こえてきたので恐くはなかった。ここには、そういった生き物の気配が全くない。


「先に行った奴等は何処にいるんだ?」


 だんだんと光が強く眩しくなってくると、俺の耳元で囁き声が聞こえてきた。

女なのか男なのか、子供なのか老人なのか、不思議な声。


汝の名を委ねよ

牙の申し子

生者の生贄


 泣いているのか怒っているのか喜んでいるのか謳うように囁き声が続ける。

言っている単語は理解出来るが意味が分からない。訓練と関係があるのだろうか?


 汝の名を我に委ねよ


 眩しさで目を瞑ると、足に重力が戻る感覚がした。再び目を開けると、そこには見慣れた風景が広がっていた。


「え?」


 紅い絨毯に象牙の柱と壁にかけられた肖像画。騎士学校の生徒会室に続く廊下がそこにあった。

訓練場からこの廊下へは、なかなか距離があり少なくとも数分では着かない。

これは、空間転移的なものだろうか?


 俺が困惑していると、前から見知った顔が歩いてきた。つい最近、俺を助けてくれたお人好しの平民君ダグラスだ。

俺は、知り合いがいたことに安心してダグラスの元に走り寄った。


「ダグラスっ…!」


「……?」


「ダグラス、皆を知らない?僕、訓練場から急に飛ばされちゃって」


「……」


「ダグラス?」


 話しかけても返事をしないダグラスを不審に思い、そっと彼の肩に触れる。


「ごッ…ごめんなさい!」


「え?」


 ダグラスが突如怯えながら謝り出し、俺の手を逃れるようにして後退した。


「ごめんなさいッ…ごめんなさいッ…俺、おれ、何もしてないです!!」


「え?ダグラス…?」


「ひッ……やめて、下さいッ…!!」


 どうしたんだよ? なんで俺をそんな怯えた目で見るんだ? 一度だって、そんな顔見せたこと無いのに。


「イジメないで……下さいッ! 俺、もう会長には近づきませんから!!」


「急にどうしたんだよ、ダグラス」


「………ッ…うわぁッ!?」


「…ダ、ダグラス……っ」


 ダグラスはそのまま叫び俺から逃れるように走り去った。

え? なんで?? なんで逃げるの??


「貴様」


「え?」


「最低だな、お前など視界にも入れたくない。役にも立たない癖に弱い者イジメだけは一人前か」


「会長……っ」


「屑め、なぜ貴様なんかが俺の親衛隊にいる?いつか抱いて貰えるとでも思っているのか?」


 背後から会長が嫌悪感をあらわに現れた。

会長は俺を嫌ってはいるけど、俺の仕事ぶりは正当に評価してくれていて、役立たずとかこんな酷い事を言った事は無かった。

でも、それは単に今まで言わなかっただけで本当は違った?


「あっ……」


 会長の汚物を見るような視線に耐えられず、気付いたら俺はその場を逃げ出していた。


「……うぶッッ!」


 廊下を勢いよく曲がった先で壁にぶつかり、俺は呻き声をあげた。


「隊長…」


 フォウフォウだ。耳が後ろにピンと伸び、口からは牙が見えている。まるで獣が威嚇しているような表情に俺は怯んだ。

またか、と。


「触らないで下さいにゃ!

俺達を差別する人間は敵ですにゃ!!」


「……フォウフォウ!」


「獣で悪かったにゃ、ジロジロいつも耳や尻尾を見て馬鹿にしてるにゃ!」


「違うっ……そんな事!」


 フォウフォウを見てたのは、可愛いと思ってたからだ。確かに最初は物珍しくてジロジロ見てたかもしれないけど、馬鹿になんて一度もしたことないっ!


「どっか行け! 人間!!!!」


「う、……いたッ…」


 ドンと突き飛ばされ、俺はその場に尻餅をついた。

フォウフォウ、何でだ?

隊長、隊長って言ってブラッシングをねだっていたじゃないか?なんで、そんな目で俺を見るんだ!?


「隊長」


「………っ」


 俺が溢れそうになる涙をなんとか唇を噛んで耐えていると、よく知った声が俺を呼んだ。

もう、止めてくれ。もうこれ以上は止めてくれよ。


「ティグリス隊長」


 これ以上は、お願いだから。


「アンタに仕えるなんて、吐き気がする。

所詮、器じゃないんですよ。この淫乱」


「……う、ぅぅ……グラ…イド」


「俺が本気でアンタを慕っているとでも思っていました?何も人間として魅力のないアンタに?どうしてそう都合よく解釈できるんですか?」


こんなのグライドじゃない、グライドじゃない!


「こんな事を言うなんて、俺じゃないとか考えてます? この際だから言わせてもらいますが、心底アンタが嫌いなんですよ!」


「ふっ………ぅ…」


「アンタみたいな人間を誰が好きになります?」


「うるさい…! 黙れ黙れ黙れ!!」


バチンッ


「あれ?」


 誰もいない。

フォウフォウもグライドも消えて、廊下も消えた。見慣れた風景。外では蝉が鳴き、運動場からは野球部員の声が聞こえている。

…ああ、教室にいたんだっけ俺。

授業が終わったから帰らなきゃ……亮が待ってる。


「えーと、英語は明日あるから置いていく…数IIIと……あっと、俺のネタ帳は持ち帰る、と」


 俺は鞄に教科書とネタ帳(小説とかの設定とか書いてるヤツな!他人に見られたらヤバイ!)を詰め込み、教室の外で待っている親友の亮の元へ急いだ。

 今日は確か、一緒にクレープを食べに行く予定だった。顔に似合わず亮は、甘党でクレープもアイスやクリームたっぷりなスペシャルを注文する。

男二人でクレープ食べ歩きなんて、ちょっとだけ恥ずかしいが亮とならまあいいかと思えるから不思議だ。

廊下に出ると壁に寄り掛かり、携帯をいじっている亮がいた。どうせまた、アプリに課金しているな、金持ちめ。

金持ちにはクレープを奢ってもらおうか。

 俺はニヤつき顔で亮の肩をぽんと叩く。


「亮、お待たせ!」


「ん?」


「待ったか?」


「……アンタ誰?」


「え、俺だよ俺」


 なんだよ、新しい遊びか? 俺にオレオレ詐欺させて揶揄う気かよ。それより早くクレープ食いに


「悪いけど初対面だ……あっ、まーちゃん帰ろうぜ!」


「まーちゃん?」


 亮が嬉しそうに俺の背後に呼び掛けた。

まーちゃん、だって?


「亮、探したんだけど。僕、お腹空いた」


「おっま、俺が待ってたんだっつーの!」


 ぎぎぎと、背後を振り返ればそこには俺がいた。亮をはたきながら、楽しそうに会話している。

 おい、そいつ、誰だよ。


「亮! そいつ誰!」


「は?……樋口だけど?」


「う、嘘だ……っ」


「いやいや、嘘じゃねーって。俺がまーちゃんの事間違えるわけねぇもん」


 嘘だ! 俺が樋口雅人だ!! そいつは偽者だ!


「亮、早く行こ」


「あ、わりぃ。…じゃな」 


「あっ……!」


 亮が偽者の俺と行ってしまう。

なのに、引き止める方法が浮かばない。

俺は考えの纏まらないままに自分の頭を廊下の窓に打ちつけた。


「……なんで、皆」


汝の名を委ねよ


「俺、俺は…俺」


 俺はティグリス。

ガラス窓に映った俺が口を動かす。

雪のように白い肌、眩い銀髪、翡翠の瞳、か細く折れてしまいそうな身体。

まるで人形のような少年がにんまりと唇を歪める。


委ねよ


「ちがう……ちがう! 俺はティグリスじゃない!!!!」


バリィィィンッ!!


 ティグリスの顔目掛けてふるった俺の拳が破片を撒き散らしながらガラス窓を割った。

破片が飛び散り、切れた右拳からは血が流れ出る。


「痛ッ……痛い…」


 痛みで目の前が真っ白になり、俺はその場にうずくまった。

…めっちゃくちゃ痛いけど、とにかく手当てだ。保健室に行かなくちゃ。俺は庇うように右拳を動かそうとした。


「あれ?」


 が、動かない。というより、腕だとか上半身だとか全体的に身動きが取れない。

辺りは一変、学校の廊下は消え森が広がっている。湿った地面から伸びた蔓のような物体が俺の手首や腕、上半身や太腿あらゆる身体の部位に絡みつき締め上げている。

俺の他にも数名の生徒(多分、先に行った奴等だ)が同じように締め上げられ気を失っていた。


「なんじゃ、こりゃ」


 容赦なくギチギチと締め上げてくる蔓。

このままだと彼等の仲間入りだ。

今まで見ていた光景は、幻覚の一緒かとも思ったが右拳の痛みと鉄臭い匂いからしてあれが幻覚だったのか確信が持てないが、いま俺は絶賛ピンチだということは確信が持てる。


 にゅるにゅる、ギチギチ


 蔓が変な液体まで分泌し始め、服の中までべちょべちょにされる。白くて粘り気のある液体は凄い異臭を放っている。

そう、まるでエロ同人みたいに!

(体験したことないけど)

そのうち、ズボンの中とかに入ってきて、口の中をモゴモゴされちゃうヤツだ。昔読んだ触手本だとそんな展開が待っている!

最後に俺がアヘ顔して終わるんだ。

で、結局俺はどうなったんだよ!って感じで終わるんだ。


「無理無理無理無理」


 ムリでしょ。いくらティグリスの外見が美少女ばりでも中身が俺って時点でムリでしょ。


「プロクス! プロクス!! プロクス!!!」


 俺は覚えたての炎の魔法を叫んだ!

焼き払え! 焼き払うのだーー!!


ぽぷすっ


「えっ!?」


 魔方陣が燃え上がり、中央でマヌケな音だけが鳴った。炎どころか煙も出ていない。

3分の1、3分の1の呪い!?

だから、あそこで白目を剥いてる生徒Aも隣で泡を吹いている生徒Bも鼻水垂らしている生徒Cもヤラれたってわけか!?


 いやいや、炎が効かないだけかもしれない。

諦めるな俺、諦めたらそこで試合終了だ。


「プリミーラ!!」


 水飛沫が上がり青い魔方陣が浮かびあがる。

水滴がちょっと飛び散った。


「アネモース! アネモーーース!!」


 爽やかなそよ風。


……静電気。……土埃り。……霜。


「ァァァァああああッッッ!!」


 積んだ。さよなら俺の尻。さよなら俺の貞操……もう攻撃魔法は出し尽くしてしまった。こんな事ならもっと魔法を勉強しておくんだった…ファイヤーとかサンダーとかじゃなくて覚えられなかった俺が憎い。


「……っう……バルスとかならよかっ…」


チュンッッッ!!!!!

ズバババババーーーン


 四散し木っ端微塵になった蔓、一瞬何が起こったか理解出来ずに俺はぺたんとその場に座り込んだ。

えーと、バルス、滅びの呪文。教えて貰った日俺は金曜ロードショーを見ていた。

つーか、魔力3分の1でこの威力?魔方陣の展開も無しで?


「理解不能」


 呟いた俺の横にぱたんと本が落ちる。

独自で考えた設定や技や魔法が書かれたネタ帳が。

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