第6話 平民君の名前覚えました
「ぎゃーーーーッ!! 誰かぁァァァァ!!」
「…ッうるせぇ!」
絶対絶命の俺は、多分生きてきた人生のなかで一番大きな声をあげた。キュンキュンな親衛隊長らしからぬ断末魔の声に悲鳴だが、猫被りなどしていられない。
誰でもいい、誰か俺を助けてくれ!
「誰も来ねぇつってんだろ!?」
ジェラルドが俺の口を手で覆うが、負けじとうーうー唸った。
「ムダだっつーの」
「うーうーうー! ……ゔッ!?」
なおも叫ぼうとする俺に痺れを切らして、ジェラルドが脇腹をグーで殴る。
直接的な暴力を振るわれて、俺は恐怖と痛みで叫び声を止めてしまった。ポロポロと涙が溢れて鼻水が垂れる。
もう、ダメだ…
「面倒くせぇ」
「オマエ、何やってんの?」
「あん?」
静かな怒りを含んだ声。
中庭の入口に立つ人物を俺は涙と鼻水でグチャグチャに汚れた顔で見上げた。
滅多に人が通らない中庭に人が通っただけでも奇跡に近いのに、そいつは俺の為に足を止めてくれた。
安堵と恐怖がない交ぜになってさっきとは違う涙が溢れる。
「ジェラルド、その人に何やってんだ?」
嬉しい、嬉しい。こんな俺の為に不良に立ち向かってくれるなんて。
誰かは知らないけど、本当に嬉しい。
「……な、なにって…別に」
「泣いてるだろ、離せよ」
ジェラルドが挙動不振になりながら、俺を拘束していた腕を解いた。
そのまま力なくヘタリ込む俺を親切な人が優しく抱き起こしてくれる。
優しい陽だまりの様な香りに包まれて妙に安心してしまった俺は、その人の胸にしがみついてしまった。
「大丈夫だよ。もう、大丈夫」
「ゔっ……うぇっ……うぅ」
「ジェラルド、後でゆっくり話聞かせてもらうから」
「……ッチ、わーったよ! んな怒んじゃねーよダグラス」
「さっさと行けよ」
「へいへい」
ジェラルドがその場を去った後もダグラスと呼ばれたその人は、俺が泣き止むまで優しく背中を撫でてくれた。
ダグラスって名前は、今朝俺が適当に考えたセフレの名前だったので、なんだか、この人に申し訳ない気持ちになる。
「もう、大丈夫?」
「うん……すみません…ずびっ」
「気にしないで、ティグリスさんに何もなくて良かった」
「すみません…ダグラスさ……ん?」
「やっと名前呼んでくれたね」
涙を拭いて視界がクリアになった俺は、至近距離で微笑むダグラスさんの顔を見て、はくはくと口を開閉させた。
「へ、平民君……っ」
「あれ? もしかして今気付いたの?
本当に俺のこと全然意識してくれてなかったんだね。ちょっとショックだなぁ…ふふ」
くすくすとダグラスが微笑う振動が抱き締められた腕から伝わる。
「でも、もう覚えたよね?」
沸騰するんじゃないかってくらい顔に熱が集まるのを感じた。
不良に犯されそうになって涙でグチャグチャな顔を見られ、縋りついてまた泣いて、おまけに彼の腕のなかにすっぽりおさまっているこの状況を今更ながら冷静になって認識する。
相当だぞ、コレ。
「あっ……あ…え、……ぅ」
「可愛い、ティグリスさん」
「…や、あの……取り敢えず離して…欲しい……かも」
「もう? もう少し……だめ?」
ダメですーーーー!!
なんか、さっきから心臓超ヤバイし、そもそも抱き締められてるとか変だし!! 平民君はダグラスでダグラスは平民君だし!?
「……だッ! ダメッ!!」
「そっか、残念」
「ッ僕もう帰る」
「うん」
帰るから離して欲しいんだけど。
「あ、あの…」
「送るよ」
「えっ……うひゃっ!?」
はい。なんか、もう思考が追いつかないです。天然人たらし恐るべし。
平民君は俺を軽々と持ち上げ…所謂お姫様抱っこで歩き始めました。
まさかこのまま寮まで送るつもりですか?
休講とはいえ、いつ誰と出くわすか分からない校内をこの状態でねり歩く気ですか?
「ちょっと…!」
「だって、強がってるけどティグリスさんまだ足震えてるじゃない。見られたくなかったら俺の胸で顔隠してもいいから」
「するわけないでしょ…ッ」
「え〜〜…」
平民君がデレっとダラシない顔で笑う。
なに、この妙に甘ったるい空気!? 俺もなんでお姫様抱っこ許しちゃってるわけ!?
結局俺は誰かと鉢合わせになるのが恐くて、平民君の胸に顔を埋めたまま部屋に着いた。
途中、何人か生徒とすれ違ったみたいだけど平民君は軽く挨拶しただけで俺とは分からなかったと思う。…と、願いたい。
「あー着いちゃった。はい、降ろすね?」
「……ほっ」
「それじゃ、俺はもう行くね。ジェラルドには俺からきつく言っておくけど、ティグリスさんも暫くは中庭は一人で通らない方がいいよ」
「…そうする」
「それじゃ」
「……あっ…」
そういえば、まだお礼を言っていなかった。
助けてもらったんだから、きちんとお礼は言わないと。
「ん?どうしたの?」
「……あっ…ありがとう! ダグラス!!」
「!!」
「それじゃあ…ッ」
「うん!またね、ティグリスさんっ」
あまりにも嬉しそうにダグラスが笑うので、小っ恥ずかしくて俺は礼もそこそこに急いで扉を閉めたのだった。
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