君の瞳に映るモノ

不思議な人だと思う。

一見何処にでもいそうな普通の好青年。けれど、彼の瞳はいつもどこか他人ひととは違う場所を見ている気がする。最初は、あまりにも良く視線が動くから、人と目を会わせるのが苦手な人なのかと思っていた。


そうじゃないと気付いたのは、それからあまり時間がたたないうちだ。

だって、誰にでも優しく人当たりのいい彼はリーダー気質で、人が大好きだったから。いつでも人に囲まれている彼は少なくとも、人の目を見て話せない気弱さとは無縁の人だった。


「何を見てるの?」


猫や赤ちゃんのように、なにもない場所をさ迷う視線が気になって、そう聞いたことがある。

首をかしげる僕を見ながら、彼はただ、唇の前に人差し指を一本たてて微笑んで見せた。



それからしばらく経ったある日、彼の視線の先に猫がいるのを見つけた。

スラッとした体から、何故だか異様な威圧感を感じた気がするのは気のせいだろうか。

そのまま猫から目を離せなくなっていた時、彼が来た。

「ダメですよ」

そう言って、そっと僕の目の前に手をかざし視界を遮る。その瞬間、ようやく体が動いた。今この瞬間まで、体が強張って動かなくなっていた事にも気付かなかったなんて……。

「今の……なに?」

「何が見えたんですか?」

「猫?」

「貴方にそう見えたなら、それはきっと猫なんでしょう」

「え?」

彼はやっぱり僕の問に答えてはくれない。

「君には、どう見えたの?」

「なにも」

彼はやっぱり微笑んでいた。

「なにも、見えませんでしたよ」

嘘だと思った。けれど、何故か僕の口は彼を避難する言葉を拒んだ。

彼がそういうのなら。それが正解なのだろう。なんとなくそう理解できたから。ここから先は多分、藪蛇というやつで、つついてはいけないものなのだろう。



そんな昔の事を思い出しながら彼の隣を歩いていたときだった。

ぽつりぽつりと、大きな滴が少しずつ地面を濡らし始めた。

「狐の嫁入り」

晴れた空から降り注ぐ大粒の雨に思わず僕は空を見上げる。

「そうですね」

そう言った君は、ただまっすぐ前を見つめていた。

この道の先にある十字路を。

何があるのかは聞かない。聞いてはいけないんだと、流石の俺でも理解はする。それに、今回は予想がつく気がしたから。彼の目にどういう景色が見えているのかはわからないが、何が見えているのかは、なんとなく。

「最近何か助けたりしました?」

「え?」

そういえばこの前、怪我をしていた犬か何かを助けようとした。でも、助ける前にその姿は跡形もなく消えていた。

俺の姿に驚いて逃げてしまったのかと思っていたが、もしかして……

「貴方に見てほしかったみたいです」

彼は珍しく苦笑いのように、眉を下げて微笑んでいた。

「ダメですよ、って言いたい所ですが……今回だけは目を瞑りましょう」

「えぇっと……」

彼がこういう話をするのは初めての事で戸惑った。知られたくない事なのだとばかり思っていたから。

「誰かを助ける行為は悪いことじゃないです」

「うん」

「でも。出来ればあんまりそういうことはして欲しくない……かな」

「んー、それは……約束はできないよ」

だって、目の前で怪我をしてる人や動物がいて無視出来る自信はない。

「わかってます。だから、何かあったら俺を呼んでくださいね。出来れば近づく前に教えてほしい」

「……うん。次はそうさせてもらう」

よくわからないけれど。よくわからないからこそ、どれが彼の言う“ダメ”なのかわからないのだから。

「あぁ、でも。……今のは貴方にも見て欲しかったなぁ」

「どうして?」

「凄く綺麗だったから。……貴方のために着飾ったあの子が」

「僕のため?」

「貴方が助けてくれようとした事、嬉しかったみたいです」

「そっかぁ……」

なら、あの時足を止めてよかったと思う。

「でも、ダメです。今回は運が良かっただけですからね。外の奴だったら食べられちゃってますよ」

「それは困るなぁ」

困るというか怖い。でも。

「でも……君が助けてくれるんだろう?」

「善処はしますが!間に合うとは限らないんですからね」

「うん。わかってる」

「ほんとに、わかってます?」

「分かってるよ。君は……優しいね」

人と違うものが見えてる事を知られたくなかったんだろうに。僕のために着飾ってくれた『あの子』の為だけに、意図も簡単にネタバラシしてしまうなんて。

「そうでもないですよ」

そう言って、困ったような顔をしながら僕の額をコツンと人差し指でついた。


「あれ?」

なんだ。なんか……

「今、何してたっけ?」

少しだけ頭がぼんやりする。

「狐の嫁入り……って呟いてからボーッとしてたみたいですが」

彼はいつもと同じように、静かに微笑んだ。

「あぁ!」

そうだった、狐の嫁入り。お天気雨が珍しくて空を見上げていたんだ。


あれ?それなのに……なんで真っ正面をみていたんだろう。


「寝不足ですか?あんまりぼんやりしてると、危ないですよ」

「うーんそうだね。ちゃんと寝たつもりだったんだけどなぁ……立ちながら寝るってヤバイよね」

「相当ヤバイですよ」

クツクツわらう彼を見て、何故だか少しホッとした。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る